試練を乗り越えた先には
BIGBEARSでOLのセンター(プレー開始時にQBにボールをスナップで渡し、なおかつ相手のDLをブロックする)で2年からスターターとして活躍した橋口慶希(創理=東京・早実)。しかし活躍とは裏腹に、橋口は大学4年間の競技人生で何度も壁に突き当たった。逆境に立たされるたびにそれを乗り越えていった橋口の4年間を振り返る。フットボールを小5から始めた橋口は、早実に進学。高校でもフットボールを続けた。高3の最後の大会は1点差で敗れ引退。小学生の頃からのBIGBEARSへの憧れと高3の最後の大会での悔しさで橋口は早大BIGBEARSの入部を決意した。
日々の練習で力をつけていった橋口は、2年時にはセンターという重要なポジションを任されることになった。「もしミスをして、先輩方を引退させてしまったらどうしよう、という不安をずっと抱えていた」と日々プレッシャーを感じていた橋口であったが、試合や練習を通して実力をつけていき、秋季リーグでもスターターとして活躍。全勝優勝し、東日本代表校決定戦でも勝ち甲子園ボウルへの切符を手に入れた。「少しでも勝つ確率を上げられるように、基礎から応用まで見直した」と少ない期間で必死に練習し迎えた甲子園ボウル。早大は、前半にTDを1つ取ったものの、それ以降は早大OLは、関学大の激しいラッシュを受けた。さらにパントブロックも決められ大きく点差をつけられた。後半はその点差を縮められず敗れた。「通用した場面はいくつかあったものの、関学大のフィジカルはどの大学よりも格段に強く自分の課題を痛感させられた」と振り返った。
DLをブロックしている橋口
橋口は3年になり、チームの中心選手となった。「関学大に勝る実力をつけることを1年間目指してやってきたので、シーズン中も満足することなく取り組めた」と甲子園ボウルでの敗戦を糧に高みを目指してシーズンを戦った。そして勝てば2年連続で秋季リーグ制覇となる法大戦。結果は35-28で勝利したものの、QBサックを多くされ、パントブロックもされた。橋口は「試合を通して、法大のDLにやられてしまい、まだまだ自分は関学大に勝つレベルではないことを実感し、かなり焦っていました」と現実を突きつけられた。その後チームは最終戦も勝利し、2年連続の関東王者となるもまだまだ大きな成長が必要だった。そんな中、リーグ最終戦の明大戦の翌日に闘病していた母が亡くなった。甲子園ボウルまでのこの期間は橋口にとってとてもつらく、難しい期間だっただろう。しかし橋口は「常に応援してくれていた母のためにも甲子園で勝って日本一にならなければならないと」と前を向いた。練習では短い期間で危機感を持って取り組み「激しいプレーができるようになり、自信が少しずつついてきた」と短期間でさらに実力をつけた。この期間を乗り越え、甲子園ボウルの舞台に立った橋口は数週間前より一回りも二回りも強くなっていた。
相手はまたしても関学大。1年前と同じように強力なパスラッシュで早大自慢のパスオフェンスを潰しにかかるが、橋口やその他OLが奮闘しQBサックを許さない。後半になっても集中力を切らすことなく関学大のDLと互角に渡り合い、結果的にこの試合では被サック0であった。しかし第4クオーターに逆転を許し惜しくも敗れた。「1年前より悔しい気持ちしか残らなかった」とまたしても甲子園ボウルで涙をのんだ。甲子園ボウルで40得点及び400ヤードをとることを目標に始動した最終学年。しかし新チームが始動して1カ月でコロナウイルスの影響で活動停止となった。その中でも、オンラインミーティングを頻繁に行い同じポジションの選手間で議論を重ね、有意義な時間を過ごした。またお互いに日々の自主練習や食事など、頻繁に近況を報告して切磋琢磨していった。そして最後の秋季リーグ。橋口は初戦の直前にけがをし、2戦目の明大戦からの出場となった。痛み止めを打ちながら出場したものの「気持ちを前面に押し出して、激しいプレーはできていたと思いますが、課題であった1対1の勝負やコンビネーション不足、準備不足な面も否めなかった」と苦戦。チームは敗れた。「日本一への道が閉ざされてしまったという事実に目を背けたくなった」と打ちひしがれたが、次の代に良いかたちでつなげられるようにすぐに切り替え最終戦へ向け準備を進めた。橋口のBIGBEARSでの最終戦ではオフェンスで500ヤード近く稼ぎ大勝した。「大好きなフットボールができること、観客の皆様に試合を見ていただけることのありがたさを改めて感じる学生最後の試合でした」と振り返った。
橋口の最終戦となった東大戦でのハドル
卒業後は、社会人チームでプレーを続ける橋口。「仕事もアメフトも日本一という目標を胸に刻んで、一流の社会人になれるように日々精進していきたいです」と新たな舞台での意気込みを語った。「悔いのない4年間だった、と学生生活が終わった時に言い切れるよう頑張ってほしいです。勝って目標を達成し、日々の苦しさを超える最高の思い出になることを願っています」。試練を乗り越えながら戦ってきた4年間。橋口は悲願の学生日本一を後輩へ託し、次のステージへ進む。
(記事 小野寺純平、写真 小野寺純平、鈴木隆太郎氏、安岡菜月氏)