最終回は470級、スナイプ級をリーダーとして引っ張る小泉颯作主将(スポ4=山口・光)と島本拓哉(スポ4=千葉・磯辺)に、レースの度に成長してきたチームについて力強く語っていただいた。2人は下級生時から主力としてチームを支え、4年生となった今季はチーム全体を見る立場となった。それが故に自身に集中できないこともあったが、全日本インカレへ向け、調整を行っている。最終回にふさわしいリーダー対談。互いの授業終わり、東伏見キャンパスにてこの1年間の道のりと決意をうかがった。
※この取材は10月12日に行われたものです。
「4年生になってから、上級生の気持ちが分かった」(小泉)
入部当時の話をする小泉
——今季の成績を振り返って
小泉 春はそんなに悪くはありませんでしたが、夏は良くなかったのです。そこから秋のシーズンが始まり、少しずつ上向きだと思います。チームが、逆に全体的に良くなって、自分が頑張れば良くなるところまで来ています。周りが走ってくれるので、自分のことに少し集中できるようになってきて、走れるようになってきたのかなと感じています。
島本 チームとしては、春は苦しかったです。なんで勝てないんだろうと思っていました。でもやっていることは間違ってしないし、しっかりと自分たちの実力が出せればいいと、実力があるという自信は持っていたので、それをもっとレースで出せるように練習してきました。関東個人選手権(関東個選)で3艇が入賞して、チームとしては自信がつきました。そこからチームとして問題も出ていないので、このまま全日本インカレにも勝ちたいですね。
——個人の成績についてはいかがでしょうか
島本 8月の終わりには関西学院大と合同練習もしました。そこでは誰にも負ける気がなくて、東日本スナイプにも清原(駿、創理3=東京・早大学院)と出場して、トップで走りました。でも清原が病気で離脱してしまって、正直苦しいという気持ちはありますが、それ以上に苦しんでいるのは清原ですから、清原の分も勝って、良い報告ができるようにしたいと思います。
——お二人はチームを引っ張る立場ですが、選手としての自分とどのように切り替えているのですか
小泉 自分に集中できないということはないつもりだったんですけど、結果を見れば切り替えができていないのかもしれません。
島本 ぼくはきょねんからスキッパーとしては最上級生でした。おととしもスポーツ推薦の人はいなくて、チームのことを考えながらやっていましたが、やはり4年生が上にいるのといないのでは全然違って、いないと自分が色々なことをやらなくてはいけない。やった方がチームがうまく回る。4年生になると違うんだなと思いました。
——では、そのころからチームのことを考えて行動していたと
島本 僕は今まで言うだけ言っていただけでした。櫛田さん(佳佑、平26社卒=東京・早大学院)や三ツ木さん(駿、平25スポ卒=東京・明学東村山)などの上級生がいたときは、チームのことを考えていたつもりでしたがチームのことを考えて何かを決めるということはしていませんでした。最上級生となった今、本当にチームを考えるようになりましたね。
——お互いの階級(470級、スナイプ級)の印象は
小泉 ぼくは1年のときも2年のときも、自分より速い人がチームにいました。だから自分がなんとかしなければというより、その人たちに自分が追いつけばそれが勝利につながると思っていました。それで上がいなくなってから考えたんです。スナイプは、(同期の)島本は大変だろうなあと。自分が4年生になってから、そのときの上級生の気持ちが分かりました。
島本 470級には小松さん(一憲コーチ、元470級日本代表監督)という世界のトップを知っている人がいます。もちろんスナイプ級もどんどん話を聞いているんですけど、そのクラスのプロフェッショナルがいるというのは大きいです。ぼくが2年の夏に小松さんが来てくれたんですけど、そのときにぼくは470級にいれば良かったと思いました(笑)。おそらく日本で1番良い環境です。
小泉 そうだな。それまでは苦しんでいたけど、そこから強くなった。
島本 スナイプ級も、関口さん(功志監督、平18人卒)や鈴木さん(恵詞コーチ、平22スポ卒)など、江ノ島で社会人として活動されている方がいるので、ぼくらもその輪の中に入って、色々と情報をもらえます。
「自信を持ってレースに臨めるようになった」(島本)
今季を振り返る島本
——ヨットを始めたきっかけは
小泉 親に体験教室に連れて行かれて、そのまま入りました(笑)
——みなさんほとんどそんな感じですね
小泉 ジュニアから始めている人はほぼそうじゃないですか?おそらく。
——島本さんは高校から
島本 ぼくは高校からです。僕が入学した高校にヨット部があって、新入生の半分くらいは試乗会に行きました。高校から歩いて1分くらいのところにハーバーがあり、行きやすかったので。受験した段階でヨット部があるのは知っていたので、気になって友達と行ったんです。そのときにすごいな、いいなと思って始めました。
——それ以前は何かされていました
島本 サッカーをしていました。
——サッカー経験者は多いですね
小泉 ぼくも中学まではサッカーも並行してて。ぼくらの代は県大会に進んで、頑張っていました。
——そのヨットをなぜワセダで続けようと思ったのですか
小泉 中学校のときにジュニアの合宿があって、コーチがワセダのキャプテンだったんです。それで幼いながらにワセダってかっこいいなと思いました。スポーツ推薦で行くしかないと思っていたので光高校にいる時点でスポーツ推薦を目指すことは決めていました。また、ぼくたちが入る前の年まで全日本インカレを3連覇していて、当時一番強い代でした。そこも魅力でしたね。
——では、中学時よりワセダというのは
小泉 漠然とではありますけどね。
——島本さんはいつ頃から
島本 ぼくは高1の冬に大学を意識し始めました。その時は本当に下手だったのですか、まだ初めて7か月とかだったのに、ヨットで大学に行こうと。大学でも続けたかったですし。僕の高校のヨット部顧問が、関口さんと同期のワセダのヨット部の人でした。僕はその先生に憧れていたのもあって、先生の大学に行きたいという気持ちもありました。
——あらかじめヨットで大学に行こうと
島本 勉強はムリなので(笑)。ヨット部の中でぼくがいちばん勉強できないので(笑)
——普段の練習はどのようにされているのですか
小泉 学校があるときは、金曜日に集合して、土日練習します。夏休みは週1オフで6日は練習していましたね。春と冬は週2オフの週5練習です。
——ずっと合宿ですか
小泉 ずっと合宿のようなものです。
——メニューとしては
小泉 春くらいからヨットに乗って普段はコース練習とか。レース前はスピード練習もします。
――スナイプは個々で課題を克服されたそうですが
島本 スナイプ級はずっと軽風が苦手でした。僕らも強風なら前を走れるのですが、軽風だと皆が走れてしまうので。そこでのギャップが埋められていなかったのですが、徐々に良くなってきて、夏にはもう結構自信を持ってレースに臨めるようになりました。
——470級は
小泉 470は苦手風域などがなく、スナイプほど差が出ないので、逆に得意な風でもスナイプほど圧倒的に勝ちはしないです。スナイプと違ういちばんの点はメンバーが半分変わっていることです。スナイプは同じメンバーで1年間かけて苦手を克服するのに対して、470は新メンバーを迎えた中で、苦手も克服しました。他の艇の課題に合わせて練習するような形です。予想以上に市川(夏未、社3=埼玉・早大本庄)が春の関東大学女子選手権で抜け出して、3番手艇の地位を確保しましたね。今は3艇とも全国でそれなりに走れるところまで来ていると思いますし、総合でスナイプと足して、日本一をとれるところまで470は来ています。あとは、スナイプみたいに秋の関東大学選手権(関東インカレ)で圧勝したわけではなく、他校の失格や転覆で勝ったような面もあります。その、スナイプで言う1年前の状態がまだある。もちろん優勝はできると思いますが、安心感はあまりないです。470がしっかりすればより優勝へ近づけるでしょう。
——今季で一番印象に残っているレースは
小泉 最初は五大学戦、六大学戦、早慶戦と全部2位だったんです。個人的には大して走っていなかったんですけど、同志社定期戦でチームとしては初白星でした。うれしいというか、やっと結果に出せたという気持ちでした。
島本 どの大会も印象深くはあるんですけど、やっぱり同志社戦です。同志社はぼくらが2年生のときに全日本インカレ1位で、きょねんも2位で。その大学に勝てたというのは結構大きいです。
「4年間の集大成」(小泉・島本)
2人は下級生のころから主力を張ってきた
――ワセダのヨット部とは
小泉 『大学生活のすべて』ですね。早大に入るために、ではなく早大のヨット部に入るためにという意識で高校までは過ごしてきました。もう、ヨット部の生活なしにはぼくの大学生活はないですね。
島本 勝ちたくてワセダのヨット部に入ったので、『勝つための場所』ですね。勝てないと意味がないとまでは言わないですが、そこでの活動に意味がないと今までの人生はなんだったのだろうと思ってしまうくらいにヨットに賭けています。
――最後に全日本インカレに向けての意気込みをお願いします
小泉 4年間の集大成でもあり、特に4年目はチームということを意識してきて、その中で結果が出なかったり結果は出ても自分は走れなかったりと苦しみました。今までは自分が勝ちたいからという理由だけでしたが、最終学年を迎えて自分以外の多くの人の思いを受けて頑張ろうと思うようになりました。レースに出られない部員もチームのために動いていて、特に同期の大堀(裕太郎、文構4=東京・早大学院)は病気からマネージャーとして復帰してくれて、そこから本当に助かっているので、レギュラーの12人以外のメンバーや両親、監督、OB・OGのみなさんに勝ちを届けたいと思います。
島本 ぼくにとって最後のインカレですし、2連覇もかかっている最も重要な大会です。ぼくが入学する前なのですが、ずっとワセダが連覇している時代があって、関口さんの代でワセダは江ノ島でのインカレで優勝を逃しています。だから、ぼくたちは江ノ島の地で完全優勝できるように、残り少なくはなりましたがひとつひとつ練習をしていって、その日に備えようと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 菖蒲貴司、丸山美帆)
頼れるリーダーのおふたり
◆小泉颯作(こいずみ・そうさく)(※写真左)
1993年(平5)9月7日生まれのA型。身長163センチ、体重55キロ。山口・光高出身。スポーツ科学部4年。1年時より早スポの特集取材を受けてきて、今回でもう3度目だという小泉主将。色紙の扱いや撮影時の振る舞いなども慣れたご様子でした。百戦錬磨の大スターがエンジを背負うのもことしで最後。2年連続での総合優勝で、ワセダでの有終の美を飾ってください!
◆島本拓哉(しまもと・たくや)(※写真右)
1994年(平6)3月15日生まれのO型。身長169センチ。体重61キロ。千葉・磯辺高出身。スポーツ科学部4年。頼もしいスナイプリーダーの島本選手。大会後のインタビューでは真面目にレースを振り返るようですが、対談形式の取材となると、普段見せないようなお茶目な一面も。勝手ながら厳しく怖そうなイメージを持っていましたが、本取材でそのイメージは大きく取り払われました。総合優勝した際には、とびっきりの笑顔を見せてください!