【連載】『令和元年度卒業記念特集』第64回 石川将之/スピードスケート

スピードスケート

感謝を忘れずに

 「スケートをやってこられたことに感謝」。石川将之(スポ=山梨・北杜)はこれまでの競技生活を振り返りながら、何度も感謝の気持ちを漏らした。「無我夢中にやれるもの」とスピードスケートの楽しさを語ったが、苦労もあった競技生活。早大で過ごした4年間を中心に、石川が辿ったスケート人生を追う。

 4歳の頃、家族と地元のスケートリンクへ行ったことをきっかけに、遊び感覚で始めたスケート。小学校に上がり、スポーツ少年団のスケート部に入ってからは一段と競技としてのスピードスケートにのめり込むようになった。中学3年生のときには全国3位を獲得。高校は北海道の強豪校に進学するという選択肢もあったが、地元である山梨から全国一を目指す道を選んだ。高校時代には部員が自分1人という環境の中、顧問の先生と二人三脚で練習に励み、3年生では全日本ジュニア選手権で優勝。世界ジュニア選手権への切符を手にし、『一番の恩返し』を果たした。その高校時代の恩師が早大のOBであったこと、早大スケート部スピードスケート部門の『自分のやりたいようにできる』という自由な方針が早大進学への決め手となった。

インカレのチームパシュートで先頭を滑る石川

 高校時代に全国一を達成し、さらなる高みを目指して始まった大学生活だが、決して順風満帆と言い切れるものではなかった。大学1年目は「人生一のスランプ」と語るように、石川にとって苦悩の時期を過ごすことになる。初めての寮生活など、目まぐるしく環境が変化する中で思うような結果を残せず、自分の競技に対する甘さを痛感した。石川は「もっと自分に厳しくするべきだった」と当時を振り返る。1年目の苦しい経験を糧にし、2年目では大きな飛躍を果たす。全日本学生選手権(インカレ)の1500mで2位を獲得したことや、平昌五輪日本代表選手選考会に出場し、自己ベストを叩き出したことは「良い経験になったかな」と振り返る。「悔しい思いをしないようにとずっと考えながら練習につぎ込んだ」と語るように、1年目に感じた挫折がさらなる成長へとつながる年であった。3年目では「2年目が良かったからこそ次の年をどうやっていこう」と考え、初めてウエイトトレーニングに力を入れた。その結果、タイムは伸び悩んだものの、スタート時などのパワー発揮の部分で成長を感じることができた。

  石川は、大学生活で1番印象に残った試合に今年1月のインカレを挙げた。1500mでは悲願の学生タイトルを獲得し、これまでの努力や経験が実を結ぶ大会となった。また、チームパシュートでは「みんなで戦うということを経験できた」とスピードスケートの新たな楽しさを発見した。主将として駆け抜けた4年目。初めは主将を務めることに不安を感じていたが、新しい後輩を迎え、責任感を感じたとき、「より競技にも集中できるようになった」と語る。4年目を終えた石川は、大学生活で「スケートという競技を通して感謝を伝えることと、常に感謝を持って行動するということを学んだ」と答えた。石川にとって早大で過ごした4年間は、選手としてのスタンスに変化をもたらす色濃い時間であっただろう。

 大学生として最後に出場した大会であるジャパンカップ第4戦では、1000mで自己ベストを更新、1500mでは転倒したものの、「今までにない感覚の中で滑れた」と来年へとつながるような手応えを感じるものであった。卒業後は社会人としてより多くの時間をスケートに注ぎ、2022年の北京五輪出場を目標に最後の2年を全うすると語った石川。これまでに培った経験と感謝を胸に、新たなスタートが始まる。

(記事 長尾佳音、写真 青柳香穂)