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早稲田スポーツ新聞会が取材した写真のフォルダを見返すと、FW杉本華唯主将(スポ=北海道・駒大苫小牧)の写真が数多く並ぶ。それはアイスタイムの長さだけが原因ではない。カメラを追わせ、自然とシャッターを切らせる杉本のスケートが氷上で咲いているからだ。華やかで泥臭い主将として部を引っ張ってきた、杉本のスケート人生とこれからに迫る。
日本屈指のアイスホッケーどころ、青森県八戸市出身の杉本。アイスホッケーを始めたのはプレーしていた父親の影響だ。「やんちゃ坊主」だった杉本は小学生、中学生時代を地元の八戸で過ごした。中学3年生の全日本中学校大会では、大半の得点に絡み、チームを3位に押し上げた。高校は北海道の名門・駒大苫小牧に進学。「一番楽しかった」と語るのは高校3年生時の全国高等学校選手権の決勝だ。互いに点が多く挙がる展開の末、PS(ペナルティ・シュート)で白樺学園に惜しくも敗北した。卒業後は憧れていた早大に進学。小学校高学年のときに見たエンジのユニフォームのかっこよさが忘れられなかったからだった。
入学後は1年目から充実したシーズンとなった。「付いていかなければいけない存在」と、尊敬の眼差しを向ける鈴木ロイ(平31スポ卒=現横浜GRITS)が主将を務めた当時の早大。エンジを身にまとった最初の公式戦から、杉本は頼もしい上級生に囲まれて1セット目で出場した。関東大学選手権(春大会)初戦、専大との戦いで2得点3アシストを飾るなど、のびのびとプレーした。そんな功績が認められ、2年生からは、同じく駒大苫小牧高出身の矢島雄吾氏(平31スポ卒)からエースナンバー「21」を受け継いだ。はじめは重荷に感じた背番号も、徐々に誇りへと変わっていった。
そして、さらなる活躍が期待された3年時。新型コロナウイルスのまん延により、大会は相次いで中止となっていった。杉本の唯一の支えは、自分だけではなくチームみんなが辛さを抱えている、と思えたことだった。試合の無い中でも、いつ始まるか分からないホッケーのために、ただひたすらにトレーニングを積んだ。
集中を高める杉本
引退試合となる早慶戦では、主将としての努力を称えられ、MVP賞が贈られた。「(チームで)一番苦労したのは彼」(内藤正樹監督、平3二文卒=北海道・釧路湖陵)。「結構(な部分で)華唯に頼っていた」(DF住友愛斗副将、教4=東京・早実)。周囲から称賛される一方、インタビューで杉本は自身の苦労の多くを語らなかった。4年間のたくさんの写真から選んだお気に入りの2枚は、自分ではなく、チームメイトが多く写っているもの。「みんなで戦ってる感があるので」。そう語る杉本の表情は優しい。ひたむきな早大アイスホッケーへの愛が、主将としての杉本の原動力だった。
春から、杉本は新たな場所で氷上に立つ。憧れから誇りに変わったエンジのユニホームを脱ぎ、次の色へ。早大スケート部ホッケー部門での経験を肥料に、さらにたくましく、唯一無二の華となる。
副賞を掲げる杉本と4年生たち
(記事・写真 田島璃子)