自分を知るための『鏡』
個性的な部員が多いスケート部ホッケー部門の中でも際立つ個性を持った矢島雄吾(スポ=北海道・駒大苫小牧)。ひょうひょうとした受け答えに、こちらの意表をつく発言。アイスホッケーだけに集中する選手が多いホッケー界において、好奇心旺盛で常に外にアンテナを張り、発信を続ける矢島は異色の選手だ。ホッケー面でもトリッキーなプレーで相手ゴールを脅かし、勝負所で絶対に決めるゴールハンターとして早大の勝利に貢献してきた。そんな矢島もついに20年間の競技人生の幕を閉じることとなる。物心つく前からずっと継続してきたアイスホッケーは矢島にとってどのようなものだったのだろうか。
アイスホッケーの盛んな氷都・苫小牧で生まれ育った矢島。実業団でアイスホッケー選手としてプレーしていた父の影響あってか、3歳でアイスホッケーを始めた。高校はアイスホッケーの名門・駒大苫小牧(駒澤)に進学。一見、王道ルートを歩んでいるようだが、その胸の内は違った。「日本一になりたいから駒澤を選んだわけではないです。アイスホッケーを手段として使ってスポーツ推薦で早稲田に入りたいと思って駒澤を選びました」。高校進学の際、勉強をしたいという思いが強く、札幌や市内の進学校に進むか悩んだ時期もあったという。しかし、中学時代にアイスホッケーのエリートキャンプに選ばれたことから、アイスホッケーでチャンスがあると思い、スポーツ推薦で早大を狙う事に決めた。
インカレで同点ゴールを決めガッツポーズを見せた
そのように手段として駒大苫小牧を選んだとはいえ、高校3年間は矢島にとって非常に価値あるものとなる。実に30回もの全国高等学校選手権(インターハイ)での優勝を誇る駒大苫小牧だが、そのモットーはただ勝つことではない。「大事なのは優勝に至ったプロセス」。その教えが矢島に深く浸透していることを表す印象的なエピソードがある。矢島が大学4年時の春の早慶定期戦(早慶戦)、42大会ぶりに慶大に春の早慶戦で敗北を喫し、試合後の早大の選手たちには未だかつてなく重い空気が漂った。その時に矢島はこう感じた。「早慶戦に負けて落ち込むんだったら、もっと普段の春の大会で負けた時や、練習の1対1でパックを取られた時に落ち込めよって思って。プロセスの部分で勝ち負けにこだわらないから、それが積み重なって最後に負けという結果になるわけだから」。厳しい言葉だが、この言葉に矢島の考え方が凝縮されている。
「2年目が終わるまでは、自分の好きなプレー、ただ走るだけのプレーができればいいなと思っていた」。のびのび自分のやりたいプレーをやらせてもらったというルーキーイヤー、2年目のシーズンを終えた頃、矢島に心境の変化があった。就活なども重なり自分を見つめ直す機会があり、自分は結局アイスホッケーを通して何がしたいのだろうか、と深く考えた。出た結論は「アイスホッケーを楽しくやるために、自分が得点を決めて、誰かを喜ばせたい」。そのために強みであった『スピード』へのこだわりを捨て、弱みであったシュートにフォーカスして練習を重ねるようになる。得点も取らなければいけないという思いが芽生え始めた時期にちょうど矢島は早稲田のエースナンバーである『21』を引き継ぐこととなる。チームに求められることと、自分のやりたいことが合致したように思い、背中に付けた『21』は矢島にとって大きなモチベーションになったという。
インカレ準々決勝、GWSに挑む直前に笑みを浮かべる矢島
副将として迎えた4年目、秋の関東大学リーグ戦(リーグ戦)で早大は優勝を懸けた明大との一騎打ちに敗れ惜しくも優勝を逃した。1か月後の全日本大学選手権(インカレ)は地元・苫小牧で行われ、リベンジの舞台は整えられた。準々決勝で明大との対戦を迎えた早大。ハイレベルで拮抗した試合が展開され、2-3と1点差を追いかける展開となる。なんとしてでも同点に追いつきたい終盤、矢島がノーマークシュートを鮮やかに決める。勝負所に強い男の得点で試合はゲームウィニングショット(GWS)戦へ。3人目に抜擢されたのは矢島だった。決めなければ日本一への挑戦が終わる局面で、笑みを浮かべる矢島。しかし「今考えると緊張していた」といつもよりわずかに早めに打たれたパックは、通常よりほんの少しだけ高い軌道を描きポストに当たって跳ね返った。カンっという音とともに早大の敗戦が決まり、矢島は大学で一度もタイトルを獲得できないまま4年間の戦いを終えた。
『鏡』。矢島はアイスホッケーをこう表現する。人は何かを通してでなければ、その人がどのような人かわからない。「アイスホッケーを通じて自分のエゴや主張、嫌なところも良いところも学びました」。矢島はアイスホッケーを通して、自分らしさや自分はどのような人間なのかを知ったという。卒業後は一般企業に就職することが決まっているが、「大学卒業後も会社とかにこだわらず、自己表現を常にしていきたい」と新しいステージでの意気込みを語ってくれた。自分がどのような人間であるかを映す『鏡』でありながらも、同時に自己を表現するための道具であったアイスホッケー。その代わりに、今度はどのようなもので矢島は自己表現をしていくのだろうか。これからの矢島の生き様が楽しみでならない。
(記事 小林理沙子、写真 細井万里男)