【特集】早スポ記者からの転身 千葉洋介

ラグビー男子

『憧れ』を追いかけて

 「早稲田ラグビーとは憧れであり、ラグビーとは最高なスポーツである」と語る千葉洋介(スポ=東京・国学院久我山)。早稲田スポーツ新聞会に3年間所属した後、4年生で早稲田ラグビー蹴球部に入部するという経歴を持つ。進取の精神の体現者、千葉の原点とは。

 ラグビーを始めた中学では友達と部活をすることがただ楽しいばかりで、ラグビー自体に大きな目標を見出すことはなかった。そんな千葉の転機となったのは高校入学後。ラグビー強豪校として知られる国学院久我山高では、全国大会に出場する機会もあった。自分が強くなることの楽しさを実感した一方で、自分から成長する機会を逃していたと振り返る。

 早大進学後もラグビーを続けることを試み、新人練習に参加する。しかし、ケガにより入部を断念。その後、兄の千葉太一(平29教卒=現リコーブラックラムズ東京)の勧めもあり早稲田スポーツ新聞会に所属する。ラグビー部を主な取材先とし、人とのつながりを大切にしながら活動に打ち込んだ。中でも、11年ぶりに早大ラグビー部が優勝した時が一番の思い出だと語る。全国大学選手権優勝の瞬間、『荒ぶる』を聞いた千葉は涙していた。そこには「入部していたら同じ場所に立っていたのだろうかという悔い」と「尊敬している兄が成すことのできなかったことを目の前で見ることのできた喜び」があった。そんな入り交じる思いが千葉の情熱をよみがえらせる。さらに、高校の同期でもある星谷俊輔(令3スポ卒=東京・国学院久我山)の「ラストの1回だから、やれるだけやってみたら」という言葉に背中を押された。「入部したい、赤黒を着たい」その切実な思い以上に、応援してくれた人々への『恩返し』をするため、彼は再びラグビー部の門をたたいたのだった。

 二度目の新人練習では、相当の覚悟をして臨んだ。就活をやめてラグビーに集中するという大きな決断をする。そして見事入部を果たした。大学4年生にしてラグビー部1年生。再び上井草の練習場に立つ日が来た。以前は記者として立っていた場所で再び選手としてラグビーをしている。言葉では表せない思いを抱いたという。さらに、多くの部員が年下であったことから、受け入れてもらえるだろうかという不安もあった。しかし、同期との時間はあっという間に練習や試合後のよりどころとなり、多くの仲間に恵まれた日々を送る。一方で、選手として3年間のブランクを抱える千葉が感覚を取り戻すことは容易ではなかった。それでも、自身の強みとするスクラムでチームに貢献したいと練習に励んだ。時には、兄からの教えを積極的に共有することもあった。特に、昨年の夏合宿の帝京ジュニア戦でのスクラムは忘れられないものとなる。決して押されてはいけないゴール前のスクラムで勝ち切ることができたのだ。敗戦が続き、かつ前戦でのミスによっての重圧を抱えていた中の鮮烈なプレーだったという。

 「(4年生で入部するということは)変な奴じゃないとやらない、それでもやりたいし悔いを残したくない」。入部を決意した千葉の思いはゆるぎないものだった。早大ラグビー部での日々の練習が成長の機会であり、ラグビーの奥深さをより知ることにつながったという。高校でやめていたら味わうことのなかったであろう経験や感情。赤黒を着ることができなかったことには無念が残るが、この2年間に悔いはない。「環境に恵まれているのであれば、自分がやりたいことは一度の人生なのだからやった方がいい。とりあえず挑戦はした方がいい。失敗したとしても、挑戦することは無駄にならないから。やりたいことから目を背けてやらないまま終わらせることこそ、心に残るものはない」。千葉は自身の経験からそう確信している。

スクラムを組もうとする千葉

 千葉はこの春、同期よりも2年早い卒部を迎えた。決して良いことばかりではなかった。それでも家族や仲間との日々を支えに駆け抜けた、何ものにも代えがたい2年間。この経験を糧に社会人として新たなステージに立つ。兄の赤黒姿を追いかけて入部した早稲田ラグビー。これからも千葉にとっての原点であり変わらぬ『憧れ』であり続ける。

(記事 永留琴子、写真 早稲田大学ラグビー蹴球部広報チーム提供)