【連載】『令和3年度卒業記念特集』第60回 河瀬諒介/ラグビー

ラグビー男子

『宝物』と共に

 「トライを取ることが好き」、自身のプレーの原動力を晴れやかな笑顔でそう語る。ボールを持った瞬間に自らゲインし、プレーでチームの士気を高める力を併せ持つ。『世代屈指のFB』として知られ、ダイナミックな攻撃で見る者を魅了するのは、河瀬諒介(スポ=大阪・東海大仰星)だ。ラグビーとは「宝物」という早大のエース河瀬が歩んできた4年間の軌跡をたどる。

 楕円球を追いかけ始めたのは、小学4年生のこと。当時やっていた野球を辞め、新しいスポーツをやろうとラグビースクールに通ったことがきっかけだ。「ただただラグビーが楽しくてやっていた」。高校はラグビーの強豪校としても知られる東海大仰星高に進学し、高校日本代表や花園での『日本一』を経験する。当時の代表経験は、「フィジカル強化やラグビーのゲーム理解度を伸ばさなければいけない」とさらなる高みを目指す機会に。鋭いアタックが光る今の河瀬をつくる原点でもあった。

トライを挙げ笑顔を見せる河瀬

 「憧れの早明戦に出たい」、大学選びの選択肢は早大か明大の二択だった。悩んだ末に、早大の環境や雰囲気が自分に合っていると感じ、早大への進学を決意。入部後は1年時から頭角を現し、15番を背負ってフィールドに立ち続けた。そんな万事順調かと思われた河瀬であるが、1年時の全国大学選手権(大学選手権)の早慶戦で苦い経験をする。自身のミスで奪われたトライから苦しい時間帯が続いた場面だ。チームとしては終了間際の逆転トライでノーサイドを迎えることができたが、「自分はできている」とプレーに自信を持っていたこともあり、この試合は「自分の力不足や不甲斐なさを痛感した経験」として記憶に残った。

 2年生のとき、早大ラグビー蹴球部は『日本一』に輝く。その瞬間を河瀬もフィールドで味わっていた。チームの優勝を喜ぶ反面、「この日本一を4年生で取らなければ意味がない」と身の引き締まる思いを抱いた。決意を新たにし、3年生へ。BKの4年生が少なかったことで主力としての責任を感じるようになる。河瀬は、言葉でチームをけん引することを得意としなかった。だからこそ「自分がプレーで先頭に立っていかなければならない」ということを常に考えていたという。しかし3月に行われたジュニア・ジャパン遠征から帰国後、椎間板ヘルニアが判明。さらに、新型コロナウイルスのまん延によって部活動に制限がかかってしまう。それでも「強い自分になって復帰したい」と日々トレーニングを重ねた。関東大学対抗戦(対抗戦)中盤には復帰を果たし、強気なプレーで続く早大の勝利に大きく貢献。その勢いのまま、チームは大学選手権決勝までたどり着いた。しかし結果は、28ー55。優勝目前で天理大に完敗を喫し、悔し涙を流した。「もうあんな負け方をしたくない」、エースである河瀬にはこの上ない悔しさがこみあげてきた。

  悔しさが残る試合を終え、挑んだラストイヤー。これまで以上に自らの視野を広げ、下級生とコミュニケーションを取ることを意識した。フィールド内外で仲間とのコミュニケーションの量を増やし、リーダー陣とは別の形で自分なりにチームを鼓舞してきたという。万全を期して臨んだ対抗戦、早大は順調に勝ち進み5勝1敗の2位で大学選手権へと駒を進めた。初戦の相手は、対抗戦で破った明大。河瀬にとっては思い入れの強い宿敵を前に、『年越し』をかけて戦うという秋季2度目の早明戦となった。しかし、早大は1トライ差で無念の敗北。『日本一』を目標としていただけに、年を越せない悔しさを残して河瀬の大学ラグビー人生は幕を閉じることとなった。

早明戦でハンドオフを仕掛ける河瀬

 『経験』、早大での4年間のラグビー人生をこう名付けた。5季ぶりの『年越し』を果たした1年目、明大を圧倒し『日本一』をつかみ取った2年目、優勝まであと一歩及ばずとも準優勝を収めた3年目、明大に敗れ惜しくも年を越せなかった4年目。早大不動の15番として、どの瞬間もフィールド上で経験してきた。その過程で味わった喜びや悔しさを糧にしながら、河瀬はより一層強くなったのだ。経験豊富なコーチ陣に、そして共に切磋琢磨(せっさたくま)してきた仲間にも出逢った。「かけがえのない時間」として刻まれた早大ラグビー蹴球部での『経験』は、今後の河瀬にとって大きな財産となるだろう。

 最後に、高校からの同志である長田智希(スポ=大阪・東海大仰星)の存在についても語る。河瀬とは性格が対照的であるという長田は「自分の芯を強く持っている人」。河瀬にとっては、「自分のできる100%の状態よりあと少しだけがんばろう」と自分自身を高めさせてくれる存在でもあった。「自分にはないところを持っている。長田のおかげでちょっとは成長できたのかな」と心の内を明かした。

 幼き頃から夢中になって楕円球を追い続けてきた少年は、いまや大学ラグビー界に名を轟(とどろ)かせた早大の最後の砦(とりで)となった。ラグビーが好きという芯はいつまでもブレない。卒業後は、東京サントリーサンゴリアス(東京SG)に拠点をおいてプレーを継続する。東京SGは、世界のスター選手を含め選手レベルが非常に高く、日本代表クラスの選手も多く所属しているチームだ。「自分自身が成長するうえで一番自分に合った場所」、河瀬はすでに先を見ていた。また、これまでは自身がスター選手に憧れる立場であったからこそ、これからは逆の立場で「色々な人に憧れられる存在でありたい」と笑顔を輝かせた。「W杯で活躍すること」を最終的な目標に。早大から世界を見据え、さらなる進化を誓う。

(記事 谷口花、写真 塩塚梨子氏、橋口遼太郎氏)