【連載】『平成29年度卒業記念特集』第72回 黒木健人/ラグビー

ラグビー男子

今までも、これからも

 地道に泥臭く——。早大をけん引してきた副将・黒木健人(教=宮崎・高鍋)を象徴する言葉だ。華々しい代表歴はないものの、低く確実なタックルはディフェンスの要と言える。1、2年次はFBとして、3年次からは山下大悟前監督(平15人卒=神奈川・桐蔭学園)のもとでCTBとして、常にチームのために体を張り続けた。今年度の早大ラグビー蹴球部は、年越しはまたしても叶わず、全国大学選手権は3回戦敗退となった。しかしながら、黒木が4年生として、そして副将として、後輩たちに残したものは多いだろう。

 5歳から楕円球を追い始めた少年は、高鍋高校時代はキャプテンとしてチームを花園出場に導くなど活躍。その後大学でもラグビーを続けるかどうか迷っていた。その時、後藤禎和元監督(平2人卒=現ワセダクラブ)に声をかけられ参加した早大のスプリングスクールで、出会った先輩たちが明るく、そして親身になって話をしてくれたことから受験を決意。「高校生の時は、自分が行くようなところじゃないと勝手に思い込んでいた」と語るが、入学後は、1年次からスタメンとして出場するなど活躍を見せる。順風満帆な滑り出しかと思われたが、そこから相次ぐケガに悩まされる日々が続いた。特に3年生の春シーズンは、チームが勢いに乗れない中、何も出来ない自分にもどかしさを感じずにはいられなかった。しかし、苦しい期間に体づくりにフォーカスを当て、復活までの長い道を乗り越えたからこそ、いまの黒木がある。当時のことを黒木は「ケガして戻ってきた時ってやっぱりラグビーの楽しさを感じられるので、そこを感じられたことはよかった」と振り返る。

日体大戦で積極的なゲインを見せる黒木

 大学ラストイヤーは、加藤広人主将(スポ=秋田工)とともにチームを引っ張っていった。黒木は高校時代にキャプテンを経験していたこともあり、主将の苦しさも理解していた。そのため、時にはチームメイトに厳しく言わなければならない役割を担う孤独になりやすい主将を一人にさせないよう、主将とチームの間をうまく繋げることを意識。両方に寄り添い、チームを一つにしていった。背中で引っ張る主将と、言うときはしっかり言う頼もしい副将という風に、バランスが取れていた。

 「本気で日本一を目指せるいいところだったと思います」。全国大学選手権の東海大戦後のインタビューで、黒木はこう答えた。高校時代、口では言えたが無理だと思っていた『日本一』を、早大では強くて明るい先輩や仲間に囲まれ心の底から目指すことができた。そのような思いからだった。同期は、一緒に試合に出れば頼もしく、プライベートでは程よく距離感があり心地いい。楽しいときもしんどいときも、苦しいときだって全部仲間とともに上井草で過ごした。黒木にとって大学生活の9割5分だったラグビー部は、自分と向き合える場所だったのだ。

  この春、黒木は新たなステージへ進む。トップチャレンジリーグの九州電力キューデンヴォルテクスに所属し、地元・九州でラグビーを続ける。一度始めたからにはラグビーをとことん続けよう、そして日本一を目指すよりは、自身がお世話になった宮崎のチームや人に還元したいとの思いからだ。今後の目標は、母校・高鍋高校の選手が早大を目指したり、早大から九州に帰ってきたい選手の手助けをしたりしていくこと。キューデンヴォルテクスのユニフォームは、「えんじ色」だ。早大カラーと同じである。早大は「自分が行くようなところではない」と思っていた少年は、九州の地でも再び『エンジ』に身を包む。黒木にとって『エンジ』は、きっと運命なのだ。

(記事 石名遥、写真 曽祢真衣氏)