一般組として入部しながらも、2年時で東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に出走するなど一気にチームの主力へと成長した伊福陽太(政経3=京都・洛南)。しかし上級生となり更なる飛躍が期待された今シーズンは、思ったような結果が残せない日々が続いた。苦しんだ1年間を振り返りながら、復活を誓う箱根への熱い思いを伺った。
※この取材は12月14日に行われたものです。
「何一つうまくいかなかった」トラックシーズン
関カレのレースを走る伊福
――まず、今年上級生になり変わったことや意識していたことはありますか
変わったことは特にないですね。(これまでよりも)結果が求められるようになったと感じています。去年卒業した代よりも下からの突き上げのほうが大きいですし、菅野(雄太、教3=埼玉・西武文理)や自分といった一般組が、スポーツ推薦で入ってきた子たちと戦える、そのレベルまでいくことが求められるということを、下の一般で入ってきた子たちに見せることが一つ重要なことなのかなとは意識していました。
――今年の箱根の後、青梅マラソン(青梅)と日本学生ハーフマラソン選手権(学生ハーフ)に出場されました。振り返っていかがですか
青梅の30キロに関しては、ゆくゆくのマラソンへの過程の一つとして出たレースでした。実業団の選手にどれだけ食らいつけるかというところでしたが、25キロくらいから徐々に離されてしまいました。ハーフ以上の距離が初めてだったので、まだまだ自分との実力の差を見せつけられたレースだったと思います。学生ハーフに関しては、青梅の後、1カ月ないくらいで控えていた大会で、ユニバ(ワールドユニバーシティゲームズ)の選考レースでしたが、自分の今の力的にトップのレベルと戦えるかというとそうではなかったので、30キロ走った後にしっかりまとめられるかというところと、あとは他大学とどれだけ勝負できるかというところを意識していました。(早大から)あのレース(学生ハーフ)に出ていたのが一般の人たちだけだったので、そこで一般の自分たちがどれだけ勝負できるのかというのも意識して走りました。
――春シーズンに入る前に立てていた目標と達成度を教えてください
前半シーズン最大の目標は関カレ(関東学生対校選手権)でのハーフ入賞でした。そこからしっかり練習を積んで三大駅伝につなげるという感じでした。ただ学生ハーフが終わり、練習がスピード練習に移行したタイミングで、冬の疲労が一気にきてオーバートレーニングになってしまいました。六大学(東京六大学対校)の5000メートルが14分20秒くらいでしたが、そのあたりくらいから自分の中で走りの感覚が狂いだしていました。ズルズルと悪い流れを引きずったまま関カレを迎えてしまい、思うようなタイムを残せず、レース中に脚を痛めるなどのアクシデントもあり、その後しばらく走れなくなってしまいました。オーバートレーニングとケガと診断されて、しばらく休んでから次の函館ハーマラソン(函館ハーフ)に向けて練習していました。復帰戦の函館ハーフはどれだけできるかの確認でしたが、65分10秒とかであまり納得はできませんでした。夏合宿までの間で自分の自信になるというか、求めていた結果が得られていたかというと全くそんなことはなくて、むしろ一つもうまくいかなかったという前半シーズンでした。
――春の不調の主な原因は冬の疲労とオーバートレーニングだったのですね
冬の疲労が一番だと思います。やっぱりあれだけ(負荷が)上がった分のひずみがどこかで来ることは分かっていました。ただ、あれだけ大きくて悪い波が来るのは想定外だったので、しんどかったといえばしんどかったです。
――結果が出ないことへの焦りなどはありましたか
春の時点で石塚(陽士、教3=東京・早実)などが良いタイムを出したのもあり、焦りはありました。ですが、現状を受け入れないといけないなと春シーズンは割り切ってました。耐える時期だと思っていました。
――春の経験を生かして夏以降はどのような気持ちで走られていたのですか
去年の春もコロナ明けでケガをしていたので、それを考えたら夏から立て直せると思っていました。函館ハーフでは練習できていなかった中で65分くらいで走れたので、大丈夫だと思っていました。とにかく夏頑張ろうと、まずはやれることやろうと思っていました。
――夏合宿はどういった気持ちで入りましたか。また、全体的に振り返っていかがですか
やはり練習しないといけないとは思っていたので、頑張ろうとただただ意気込んで入りました。夏合宿に入って、最初の尾瀬から菅平までの合宿はうまく走れましたが、妙高の一次合宿で前半の距離走が終わってから足を痛めてしまい全然走れなくなってしまいました。今年の夏は全体的に何もできなくて、練習の参加率が40%ほどになっていました。妙高の一次合宿で前半は走れましたが、後半はケガで何もできず、次の紋別に行ってからは初日にストレスで蕁麻疹が出てしまい、三分の二くらい全く走れず最後のポイント練習を一回だけやって帰ることになってしまいました。最後の妙高も貧血にあって、ポイント練習も一回か二回しかできず、夏が終わった時点で、「大丈夫かな?」といった感じでした。
――夏が終わった段階で不安のほうが大きかったですか
不安というか最後の合宿の時点で貧血などで走れなさすぎたので、半分あきらめていたというか、ここまで練習できなかったら冬は厳しいと思っていました。「もう無理だ」と思ってトボトボと歩いてました。そんな夏合宿でした。
――そんな中で合宿明けの早大記録会では5000メートルの自己ベストを記録しました
それに関してはだいぶ予想外でした。春シーズンと妙高、紋別、妙高の合宿で全く何もできていなくて、焦って何もできない状態が続いていたので、最後の妙高が終わってからは自分のペースでやろうと思いました。そこから少し気持ちが楽になって、「時間がかかってもいいから自分のペースでやろう」と切り替えて、妙高から帰ってきて2週間後ぐらいの記録会に臨みました。あの日は14分10秒の設定で一本走ってから、時間をおいて記録会といったスケジュールで、練習の一環だったので、その一本目もうまく利用しながら悪くても「14分20秒台でまとめて」と花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)から指示を受けてました。それくらいならいけるかなと思って走っていましたが、思っていたより走れたというか、気持ちが楽だったので流れにうまいこと乗って、気付いたら14分7秒で自己ベストが出てたという感じですね。
――調子が上向いているという感覚でしたか
この5000のレースをきっかけに良い方向に向けたのかなと思います。
――駅伝シーズンに向けてはどのような気持ちで入りましたか
夏合宿前は、出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)も全日本(全日本大学駅伝対校選手権)も箱根もしっかり区間上位で走れるように力をつけようと思っていましたが、夏合宿の段階で箱根まで間に合うかどうか分からない状態だったので、とりあえず駅伝のことは意識せずに自分のペースで練習しようと思っていました。初めの出雲はエントリーもされなかったですが、それに関してはそうだろうなといった感じで。箱根だけは間に合わせようと思っていました。
――箱根経験者として迎える今シーズンは、昨年との違いを感じていましたか
去年は走るだけという感じで結果は奮わなかったです。走れたことはうれしかったのですが、走ったからこその悔しさもありましたし、今年は去年以上のものを求められると思っていました。周りのレベルが上がっていることも箱根で感じたところだったので、そこ(去年以上のもの)は意識してました。自分のレベルも、もっと上げないとと思っていました。
――全日本や箱根に向けてはどのような感触で準備をしていましたか
出雲が終わって、そのあと東京レガシーハーフマラソンがありました。そこで63分フラットくらいで走って、調子が戻ったなとは思っていました。全日本も意識しつつ、自分が一番重きを置いてる箱根に向けてというところで、レガシーというのはいいきっかけになったのかなと思います。全日本も後半区間をしっかりと走れる準備をしていた感じです。
――全日本に初めて出場しましたが、8区を任されたことに関していかがでしたか
昨シーズンの箱根が終わってから今年は全日本を走ろうと思っていたので、素直にうれしかったです。8区というエントリーに関しては、一番距離も長いし、一人で走ることになるので、走るとしたら8区だと思っていたので驚きなどはなかったです。
――緊張はありましたか
緊張はありましたね。シードぎりぎりで大志(伊藤、スポ3=長野・佐久長聖)が持ってきたので、自分で決まるというのもあり緊張はしていました。
「最後はしっかり締めくくりたい」
エントリーされた一般組の同期と共に笑顔を見せる伊福(写真中央)
――全日本では、アクシデントもあり悔しい結果となりましたが、周りからかけられた言葉などはありますか
花田さんを含めて「お前のせいじゃない」というのは言ってくれました。ただ、やっぱり自分のせいだとは思っていましたし、今も思っています。レースの記憶はほぼないので悔しさとかはないのですが、シードを落としてしまったのでそこは本当に申し訳ないです。当時、点滴を打たれながら、頭が回るようになってきて状況を理解しました。「うわー」と思って。枕元にタスキだけ置いてあったのですが、「本当にやばい、もうどうしようか、もう無理だな」と思いました。夏合宿を超える「もう無理だ」という感覚だったので、仮に戻ったとしても箱根を走れる自信もないなと思いました。とりあえずやばかったです。
――冷静になってから全日本の結果に関してはどのように向き合ったり、切り替えたりしましたか
切り替えたか、切り替えていないかで言ったら、まだそんなに切り替えることはできていないと思います。しょうがなかったのはしょうがなかったですし、いくらレース前からいろんな想定をしていたとしても、大ブレーキする想定は絶対にしていないので、走って足に力が入らなくなったあたりから結構テンパっていたと思いますし、レースが終わってからも気持ちを立て直すにはかなり時間がかかりました。日曜の深夜に帰ってきてから、木曜までベットから立ち上がれなかったです。体がきつくて立ち上がれなかったのもありますけど、気持ちもしんどくて、何もする気力が湧きませんでした。食事も一日に1食か1.5食くらいしか食べられなくて、トイレ以外ほとんど立ち上がらずにぼーっとしていました。とりあえずしんどかったです。
――次は、箱根に向けてのお話を伺います。12月2日に日体大記録会に出場しました。これはどういった立ち位置で出場されたのですか
とりあえず全日本の悪い流れを断ち切ろうと出場を決めました。他の選手は上尾(上尾シティハーフマラソン)に出ていて、全日本の後、このまま何も試合を経験しないまま箱根に行くのもさすがに怖かったので、花田さんと相談して出ると決めました。位置づけとしてはタイムを狙うというよりも悪い流れを断ち切ろうという狙いが大きくて、設定も29分10秒~30秒くらいでした。2組目で周りもそんなに強い選手はいなかったので、「自分のレースをつくった中で設定タイムをクリアしよう」というのが監督から出された指示でした。
――結果的には自己ベストでした。その要因は何ですか
全日本が終わってぐったりしていた期間を経て、周りのいろんな人と話したりして自分の中で整理がついてきた中で、周りに頑張れと言われたり、少しずつ、「まあ頑張るか」となってきていたところでした。その中で記録が出ればいいと思っていました。練習自体はそこそこ戻せてはいたので、設定自体はクリアできるのではと思っていました。自分の中ではもう一回ちゃんと走れるきっかけが欲しかったので、そのきっかけの一つが28分台になるのかなとスタート前に思っていました。今回はペースライトがついていて、ペースライトの一番前が29分ちょうどの設定だったので、その力を借りながら自分のペースで組み立てようと思っていて、その中で28分台で走れたらだいぶ自信にはなるだろうと思っていました。とにかく全日本の悪いイメージをなくしたいという思いだけでした。
――周りから声をかけられたと話がありましたが、具体的にかけられた言葉で覚えているものはありますか
何人にも「生きていて良かったね」と言われましたし、周りの仲がいい人たちから「頑張れ」と言われたのはありがたかったです。
――箱根まであと少しですが、この後の調整はどのようなものを想定していますか
正直今からできることは体調管理くらいしかないので、残り数回のポイントを抑えつつ、去年の経験を生かして本番に向けていいイメージを持ちたいなと思っています。
――気をつけていることはありますか
変に気負いすぎないことです。変に意識しすぎて、もう一回全日本みたいな感じになるのも怖いので。正直1万を走ったとはいえ、駅伝の怖さがぬぐい切れていない部分はあります。ですが、そこはどうしようもないところですし、切り替えてやるしかないと思っています。全日本でタスキの重みというのはかなり感じたので、残り3週間で自分にできることというか、自分の力を最大限出せるように調整するだけかなと思っています。
――この1年間で成長を感じる部分はありますか
単純にタイムは伸びていますが、波がすごい1年だったなと思います。ほぼ悪かったというか、これまでのシーズンでタイムを出したりはしていますが、正直望んだ結果は今のところ一つも得られていないです。全日本も出るには出られましたが、出ていないんじゃないかといった感じなので。ここまで自分の思った通りにはいっていないので、終わり良ければすべて良しというような感じで、箱根でしっかり最後締めくくれればいいかなと思います。今回、16人の中に同期で和田(悠都、先理3=東京・早実)と草野(洸正、商3=埼玉・浦和)が外れてしまいました。彼らが頑張って16人に入りたいとやっていたことは知っているし、草野は特に同部屋なので、二人が外れたことで自分の中でもっと頑張らないといけないなと思いました。最後しっかりと箱根で結果を出して、一般組でも結果を残せるというのを自分が示さないといけないというのはこの一年思っていたことなので、最後にしっかり結果を出したいです。
――前回大会の事後対談では8区をもう一度走りたいと言っていましたが、希望区間はありますか
8区は去年の自分を超えたいというか、早稲田記録というのを狙いたいと思っています。8区は去年初めて走ったので、思い入れは強いですし、特徴もある程度分かっているので、そこは走りたいと思っています。ものすごくこの区間を走りたいというのはなくて、任された区間でしっかり結果を出すのが一番なのかなと思っています。個人というよりチームとしてみた時に出雲、全日本と本当に悪い結果で終わってるので、最後箱根では個人の結果もそうですが、チームの結果に貢献できるようにしたいです。
――駅伝で見せることができる自分のストロングポイントはどこですか
やっぱり僕は本来、単独走で自分のペースを刻むというのが得意です。全日本を経て「本当かよ」と思う部分もあると思いますが、そこが自分の強みです。後半、一人であっても淡々と自分のペースでいけるのが強みかなと思います。
――箱根での個人目標はありますか
区間順位で3位から5位。区間賞は狙いたいですが、力的に厳しいので、最低でも区間5位で走りたいですね。
――ファンの方へのメッセージをお願いします
ファンがいるのか分からないですが(笑)。全日本から箱根で取り返すというのは自分の中で一つ目標にしてやってきました。日体大記録会で元気になったというのは示せたと思うので、次はしっかりレースで、エンジを着て走っている姿を見せることができればいいなと思っています。あとは個人の記録やチームの目標を達成できて、いい100回大会にできればと思います。
――最後に改めて箱根への意気込みをお願いします
1年間うまくいかないことしかなかったですが、最後いいかたちで締めくくって、何より一般組でもやれるよというのを示せればいいかなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 出口啓貴)
◆伊福陽太(いふく・ようた)
2002(平14)年12月23日生まれ。172センチ。京都・洛南高出身。政治経済学部3年。まじめで努力家の伊福選手は歯磨きが大好き。持ち歩くリュックの中に歯磨きセットを常備する徹底ぶりで「歯並びだけが自慢!」とキラースマイルで教えてくださいました!今シーズンは数々の試練を乗り越え、昨年よりも一回り強くなった姿で自身2度目の箱根駅伝に挑みます。様々な思いを背負いリベンジを誓う伊福選手の今年を締めくくる力走に期待です!