競走卒業記念特集 『奔走』 主務・東陸央 〜前編〜

陸上競技

 2年時からマネジャー、そしてこの1年間は主務として文字通り『奔走(ほんそう)』した東陸央(社4=東京・早実)。チームの根幹として、数多くの仕事をこなしながらやりがいを感じるとともに、時には壁にぶつかってきた。その中で常にチームのことを第一に考え行動してきた東。卒業を迎えた今、主務として駆け抜けたラストイヤー、そして早大で過ごした4年間を振り返っていただいた。前編では、短距離ブロックのこと、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)のことについて伺った。

※この取材は1月26日にリモートで行われたものです。

「やりきった達成感が大きい」

箱根前の合同取材で笑顔を見せる東

――まずは短距離ブロックのことからお伺いしていきます。東さんから見て、短距離の4年生はどのような学年でしたか

 かなり個性的だったと思います。チームですごくまとまってやるというよりは、主将の三浦(励央奈、スポ4=神奈川・法政二)であったり、後藤(颯汰、スポ4=長崎・五島)や澤(大地、スポ4=滋賀・草津東)といったところが、競技力や主張が激しい学年だったなと思います。ただそれがある意味うまくいっていたというか、後輩からも慕われて、僕はマネジャーとして一緒に活動していて、すごく楽しい同期たちでした。

――短距離は試合数もかなり多かったと思いますが、主務としてどのようなことを心がけていましたか

 マネジャーとして当たり前ですが、全部の試合でミスなく、選手が試合にだけ集中できるような環境を整えてあげることを意識していました。ですが4年生になってからは、自分が一番動くというよりは、後輩にも指示をしながら、自分や望月(那海副務、教4=早大本庄)が抜けた後も円滑にチームが運営できるように、自分が動きたいという気持ちを抑えながら、チーム全体のことを一番に考えて周りに指示を出したりといったところに徹していたかなと思います。

――今年度の短距離の試合で一番印象に残っているものは

 そうですね、たくさんあるのですが、やはり日本選手権ですかね。理由としてはやはり日本最高峰の試合ということもありますし、個人的には主将の三浦が決勝に残り、学生ではなくシニアの日本一を争う大会で、世界陸上の日本代表などを懸けて戦った試合だったので、個人的にはすごく印象に残っています。

――昨年は、監督が大前祐介監督(平17人卒=東京・本郷)に変わりました。東さんから見た就任後のチームの雰囲気の変化はいかがでしたか

 本当にめちゃくちゃ変わりましたね。選手とコーチ陣のコミュニケーションの頻度が圧倒的に増えましたし、いい意味で必要以上の上下関係がなくなりました。どんどん選手の方から大前監督や、先輩に意見を聞いたりするという風潮ができましたし、それが実際の競技成績というか、特に1年生、2年生の自己ベスト更新率というところにも出ています。それまでのすごく厳しくてハツラツとした競走部というよりは、もっといい意味でアットホームで、でもそれが決して緩かったりとかそういうわけではなくて、チーム全体で底上げしていこうという雰囲気がすごく出てきているかなと思います。

――ここからは長距離ブロックについて伺います。前回(2022年)の箱根ではシード落ちを経験。そこからの1年は、東さんの目にどのように映っていましたか

 (シード落ちは)本当にショックの一言でした。悔しさよりも驚きがありました。だからこそ、今回の箱根では、絶対にシードをとって上位を目指そうという気持ちがチーム内でありました。いい意味で危機感が生まれ、主力は主力として、井川(龍人、スポ4=熊本・九州学院)や創士(鈴木創士前駅伝主将、スポ4=静岡・浜松日体)は、エースとしての走りをしなければならないという自覚が生まれたと思います。ギリギリ主力になれないメンバーにも、自分が箱根に出走するレベルにならないとチームは勝てないという思いがありました。たとえ1万メートル27分台の選手が3人いても、結局駅伝は複数人で走ってつなぐものなので、自分たちが活躍しなければならないという自覚が生まれたと思います。最初は難しかったと思いますが、チームに常に危機感があった1年間でした。

――昨年6月には長距離も駅伝監督が変わりました。花田駅伝監督について、第一印象はいかがでしたか

 第一印象は(花田駅伝監督が)スーツで来られたので、怖いなと思いました(笑)。ただ実際会ってみて話すと、そのような印象はすぐに払拭(ふっしょく)されました。花田駅伝監督はティーチングよりもコーチングを重視して、選手やマネジャーと対話して、やりたいこと、考えを引き出して下さる方でした。そういった意味ではマネジャー、選手から信頼が厚い方でした。

――花田駅伝監督から掛けられた言葉で、印象に残っている言葉はありますか

 いろいろありますが、一番に思い出すのは箱根直前に「東が駅伝主務で良かったよ」と言ってくださったことです。僕としては、途中から駅伝に携(たずさ)わらせてもらった中で、自分の仕事ぶりに納得できてない部分があったり、もっとうまくやるべきだった、もっとうまくできたなと思ったりして、本当に自分が駅伝主務で良かったのかなという思いが常にありました。だからこそ花田さんにそのように言っていただけたことは、最後に箱根を頑張る原動力にもなりましたし、(駅伝主務を)させていただけて良かったという気持ちになりました。

――東さんから見て、花田駅伝監督が就任されてから、チームの雰囲気はどのように変化しましたか

 より強くなろうという雰囲気になりました。一方で花田さんは現役時代オリンピックに出場されるなど活躍されたエリートランナーであり、話の節々に競技者としての自分たちの甘さを指摘してくださるところがありました。なので、選手の意識を変えるといったところでは、花田さんが来てから、より競技に向かっていくようになりましたし、なにより生活面も大きく変わりました。花田さんは週に2、3日は寮に宿泊されて、その次の日の朝練やポイント練習を見られてました。一緒に生活していく中で、だらしなさであったり、例えば整理整頓や、休息やケアへの意識といったりした生活面でも選手の意識を変えてくださりました。

12月31日の早大競技会での一コマ。花田駅伝監督の一言は、箱根へのさらなる原動力となった

――続いて駅伝シーズンについて伺います。箱根予選会(東京箱根間往復大学駅伝予選会)、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)を主務として経験されてみていかがでしたか

 すごく緊張しました。初めてでしたし、どちらも早稲田としては絶対に外せないレースだったので、手探りでしたが、選手が不安を感じないように最高のサポートを心掛けて、なんとかできたかなと思います。

――箱根直前期のチームの雰囲気はいかがでしたか

 基本的には主力は練習できていたので、比較的いい状態だったと思います。ただその中でも一部の主力が体調不良であったりとか、そういうところで走れるか分からないという不安な部分がありました。ですが、逆に、井川であれば、エースの走りをしなければいけないし、他のエース格の選手では「自分がチームを引っ張っていかないといけない」というような意識向上の機会にもなりました。ですので、そこはある意味ピンチをチャンスに変えられたというか、いい方向にチームの雰囲気を持っていくことができたのかなと思っています。

――チーム状況はどのように感じていらっしゃいましたか

 練習状況としては、主力に離脱者がいなかったので良かったです。1年の山口(智規、スポ1=福島・学法石川)や創士が体調が良くないところがあり、本当に大丈夫だろうかと思う部分もありました。ただ最後のポイント練習では、井川もしっかりとチームを引っ張る走りができていましたし、最終的には、出走を任された選手は、自分はしっかり走らなければいけないという自覚が生まれました。それ以外のメンバーもサポートとしてチームを引っ張るという気持ちで、選手とサポートのメンバーが全員一致団結して、1つのチームで箱根を迎えられました。

――5位でフィニッシュした往路について振り返っていただけますか

 想定通りでいけたのが大きかったです。花田駅伝監督が選手に共有した想定タイムとほとんど一緒でした。1区のスローペースで(想定タイムと)1分遅れたことは予測できない部分でしたが、それ以外では選手が想定通りに走ってくれました。実は全日本のときもそうだったのですが、花田駅伝監督が常に仰っていた「1=1、練習でやってきたことが試合で出る」というところが出ていました。もちろん、実際にはもうひとつ上にいきたかったかもしれないですが、いい流れで復路につなげることができたので、チームとしていい雰囲気だったと思います。

――往路を終えて、東さんから復路の選手に言葉はかけられましたか

 全員に声をかける機会はありませんでしたが、7区を走る鈴木創士とは話しました。本人も不安がある状態でしたが、後輩がいい位置でつないで来てくれたので、もちろんそのタスキをつないでほしかったですし、創士自身が4年間で最後の舞台なので、悔いなく自信を持ってやってきてほしいと伝えました。

――最終的には、総合6位でのフィニッシュとなりました。復路についてはどのように見ていらっしゃいましたか

 復路も花田さんの想定通りで、花田さんはすごいなと思いました。ただ8、9、10区が箱根未経験の選手だったので、監督車から見て内心すごくハラハラするような展開でした。8区から9区にかけて後半は集団走になっていて、大丈夫かなというところがありましたが、選手たちは、今までやってきた練習量に自信を持って、みんな落ち着いて淡々と自分のペースで走っていました。見ていた僕以上に走っている選手は冷静で、やってきた練習を信じて堂々としていました。最後にあのメンバーで、競り負けず、集団の中の最後尾ではなく、6位でゴールできたことは来年にも生きてくると思います。ハラハラしましたが、見ていて熱くなりました。特に伊福(陽太、政経2=京都・洛南)はチームで一番練習してきた中で、箱根予選会、全日本ともに出走できず悔しさもあったと思います。菖蒲(敦司、スポ3=山口・西京も3年目にして初めて箱根を走れて、菅野(雄太、教2=埼玉・西武文理)も初の駅伝でした。今まで頑張ってきたところを見てきた分、自分としても熱くなった時間でした。北村(光、スポ3=群馬・樹徳)は、やはりさすがだったなと思います。

――総合6位でゴールしたときは率直にどう感じましたか

 6位でシードを取れて正直なところ、ほっとした安堵(あんど)感がありました。ここで満足してはいけないチームですが、決して上級生が多いチームではない中で6位を取れたことは間違いなく来年につながり、来年、再来年、本当に優勝だけを目指せるチームになれるのではないかといった今後に対する期待もに感じました。

――箱根駅伝を監督車から見ていて、印象に残ったことはありますか

 いろいろと印象に残りましたが、チーム以外のことでは箱根駅伝が片道100キロある中で、(沿道の)人の列が途切れないところに規模の大きさを実感しました。早稲田の応援は選手だけではなく、運営監督車に対しても「頑張れ」といった言葉をかけていただいて、応援されているチームだと思いました。だからこそ、駅伝に関わらずトラックの短距離も、ただ大会に出るだけでは駄目で、期待がある分レースに勝たなければいけないという一つの責任感も感じました。チームのことでは、みんな堂々と自信を持って走っており、練習してきた分を出せばいいという感じで、突っ込み過ぎる選手もいなかったです。みんな自信を持って堂々と走って、その日できる最高のパフォーマンスができていたのは良かったと思います。後は単純に、20キロ走る選手はすごいなと思っていました。

――同期である4年生の走りはどのように感じましたか

 井川はエースの走りを見せてくれたと思います。最初はなかなかペースが上がりきらなくて大丈夫かなと思ったのですが、前のチームの背中が見えてきてからの走りには圧倒されました。最終的に往路5位、総合6位で終えられたのは3区の井川の走りがあったからだと思います。同期でもありますが、4年間見てきた中でやっぱり井川がエースだなというところが印象に残っています。創士に関しては、なかなか思うように練習が積めてなかったので、不安もあったと思います。ですが、1年間駅伝主将としてチームを引っ張ってきてくれて最後苦しい中でも、もがいている創士を見て僕も熱くなりました。最後きつくなってからも大崩れせず、大きく順位を落とすことなくタスキをつなげたところは、創士の強さを感じて、1年間ありがとうという気持ちになりました。井川も創士も4年間チームを引っ張ってきてくれてありがとう、という感謝の気持ちが大きかったです。

――箱根が終わった時の率直な思いをお聞かせください

 率直な思いとしてはやりきったなという思いがすごく強いです。僕は秋から長距離のチームに合流し、活動していました。その中で分からないなりにも周り、特にマネジャーの相川(賢人、スポ2=神奈川・生田)、白石(幸誠、人1=愛媛・八幡浜)にも助けてもらいながら、僕もチームと一緒に成長できたなと思います。ただ、やはり駅伝前はすごく忙しかったりとか、慣れていないところで気を使う部分が多かったので、率直に疲れたなとかそういう気持ちもあります(笑)。ですが、まずはやりきった達成感の方がすごく大きかったです。

(取材・編集 加藤志保、廣野一眞)

後編(3月31日公開)では、東が臙脂を志した理由から、競走部で過ごしたこの4年を振り返って語っていただいた。主務として心がけていたこと、そして後輩に伝えたいメッセージとはーー。必見です!