人生の彩り
三浦励央奈(スポ=神奈川・法政二)の4年間は意外な展開から始まった。法大の付属高出身である三浦は、高校で競技生活を終え、「そのまま大学に上がり、興味のある学部に行って、一般学生としてやっていく」つもりだった。しかし、礒繁雄総監督(昭58教卒=栃木・大田原)の熱い勧誘を受けた三浦。礒総監督の雰囲気、カリスマ性に「ビビッときた」。また、スポーツ科学部という学部での学びを競技に直接生かすことができる、スポーツする上でこれ以上ない環境に惹(ひ)かれ、早大へ。しかし、当時の早大は、全カレ(日本学生対校選手権)の4×100メートルリレーで予選落ちと、低迷。不安でいっぱいだった。
大学入学後、三浦が心掛けていたことは、日々練習し重ね、試合へ臨むこと。そこで出た課題とともにまた練習へ、というサイクルを淡々とこなすのみ。なんとも身体一つで戦う陸上選手らしい、シンプルさだ。そして、日々走りのアップデートを繰り返す中で、過去の失敗の原因が自ずと見えてきた。「いまだに映像を見れない」高3時の苦い記憶。現在も残る200メートル20秒91の神奈川県高校記録を引っ提げて挑んだ南関東大会でまさかの6位に。インターハイでも決勝に残ることができなかった。そこから得た経験を糧に、大学での4年間はシンプルに、淡々と毎日やるべきことをこなした。そして、実際に個人種目でベストを出し続けるなど、常に結果を残してきた。
本職の200メートルを走る三浦
主将として戦ったこの1年間、チームに言い続けたことがある。「(対校戦の際のみ着用が許可される)エンジのユニホームを大事に」。ある日、下平健正氏(令3文構卒)の家に行った三浦。最後の対校戦を控えメンバーとして戦った下平氏の家の壁にかかっていたのは、出番が無くタグのついたままのエンジのユニホームだった。卒業してもそれを追う人がいる。それくらいエンジのユニホームの存在は大きいのである。エンジのユニホームをまとい、早大の代表として戦うからには、簡単に負けてはならない。自覚と臙脂(えんじ)の誇りが強くなった。だからこそ、チームメートにも責任感を持ち、結果を追求する姿勢を求めた。
三浦にとって陸上競技とはーー『人生の彩り』
主将として、チームの最前線でいたかったという三浦。今年は、ユニバ、世界陸上出場を目指し海外遠征も敢行。常に、強く、そして陸上選手として美しくなることを念頭に背中でチームを率いた。迎えた最後の日本インカレ。100メートルで準決勝敗退、出場選手持ちタイムトップで迎えた200メートルでは3位だった。それでも、レース内容への反省より先に出てきた言葉は「良い競技、良い種目に出会えたな」。続く日本選手権リレーでは、4×100メートルリレーで3位。悔しさを残しつつも、「自分の競技人生の終わりを4継(で終われたのも非常に幸せ」と語った。また、同大会で早大は、男子4×400メートルリレーで日本一に。エンジに『W』が躍動した。表彰台の頂点に立つ後輩たちを見て、「頼もしくなったなあ」としみじみ。この1年間を振り返って、「目標には届かなかったけど、作りたいチーム像になれたかなあ」。4年間『エンジ』を全うした男は、清々しくエンジのユニホームに別れを告げた。
(記事 戸祭華子 写真 及川知世、坂田真彩)