昨年の日本学生対校選手権(全カレ)男子400メートル障害(ヨンパー)でファイナリストとなった後藤颯汰(スポ4=長崎・五島)、田中天智龍(スポ3=鹿児島南)だが、今シーズン前半は不振が続く。日本学生個人選手権(学生個人)では後藤が予選、田中が準決勝で敗退。関東学生対校選手権(関カレ)では後藤が意地の入賞を見せたものの、田中は予選敗退でレース中にケガと、不完全燃焼に終わった。
しかし、夏にかけて徐々に調子は上向きに。7月17日の国民体育大会(国体)長崎予選では後藤が50秒23の自己ベストをマーク。それに続くように、夏合宿明けすぐ、8月11日の日体大競技会で田中が49秒71と自己ベストを大幅に更新。さらにこの対談実施後の富士北麓ワールドトライアルでは49秒45をマークし、記録をさらに縮めた。
昨年は男女6人が決勝に残り、アベック優勝も成し遂げるなど、全カレの主役となった早大ヨンパーブロック。その再現へ、準備は整ったか。2選手に、苦しんだ前半シーズンや自己ベストを出したレースについて、そして全カレへの思いを伺った。
※この取材は8月25日に行われたものです。
共通点は「ポジティブ」
質問に答える後藤
――競技面、競技以外の面でそれぞれお互いの紹介をお願いします
後藤 彼(田中選手)は競技面から言うと、自分が一度決めた目標に対して、やると決めたら計画性を持ってとことんやりきる選手だと思います。その結果、自分を追い込みすぎてケガをしてしまうこともあるのですが、出場する大会で自分なりの目標を持ち、目標を達成していくところが彼自身の強みだと思います。生活面ではオンとオフのメリハリがついている選手です。練習はしっかり取り組み、オフの時はライブに行ったり、服を買いに行ったりオンオフの切り替えができている選手です。
田中 後藤さんは、高校時代からの先輩なのですが競技面ではチームの先頭に立ってチームを引っ張っていく選手で、声出しや後輩に声をかける姿をよく見ますし、周りがよく見えている選手です。ヨンパーブロック長としても、山内さん(山内大夢、令4スポ卒=現東邦銀行)が抜けて大きな穴が開いたような感じだったのですが、それが全く気にならないぐらい僕らを引き上げて引っ張ってくれてヨンパーブロックを復活させてきました。復活した要因はやはり後藤さんにあると思います。生活面ではよく遊びに行きますけどうるさいですね(笑)。練習中でも遊ぶ時も盛り上げてくれる人です(笑)。
――お二人は高校生の時から知り合いだったと思いますが、その後チームメイトになって、印象が変わった部分はありますか
後藤 特に印象は変わってないですね。
田中 後藤さんは九州のスターでした。早稲田大学に進学を決めた一番の理由も後藤さんがいたからだったので、1、2年の時は憧れという感じだったのですが、今はライバルという感じです。
――お二人の共通点などはありますか
後藤 ポジティブな部分が大きいかなという印象です。前半シーズンであまり結果が出なかった時でも、日本インカレ(日本学生対校選手権)でまた僕らが頑張っていこうと話しているように、きつい時でもポジティブなところが似ているかなと、競技者として思います。
シーズン前半を振り返って
関カレで予選のレースを走る田中
――シーズン前半を振り返るといかがでしたか
後藤 ケガをして、更にコロナに感染して大会も不安ではあった中で、結果としては関東インカレで7位ということで、周りの人からはケガとコロナから復帰して、よくそこまで行けたなという声が多くありましたが、僕の中では、目標としていた学生個人で勝ってユニバ(FISUワールドユニバーシティゲームズ)に行くということや、関東インカレの表彰台に立って勝利に貢献するということができていなかったので、そこはとても悔しいなと思いました。ですが、次は日本インカレということで気持ちを切り替えていけたことで7月の国体(国民体育大会)予選で、国体選考には選ばれなかったのですが、自己ベストを更新できて、順調に来ているのではないかと思います。
田中 冬季練習もケガ無く順調に練習を積めたにも関わらず、前半シーズン思うようにいかなかったので自分の練習の詰めの甘さを実感しました。もっとできただろうなということを今になると感じます。前半シーズンは、ずっとタイムが出ていなかったこともあって、レース前に足の震えと嗚咽が止まらず試合が怖い状態が続いていました。そして、関カレに向けて練習していた時に肉離れをして、また関カレのレース中に肉離れをしてしまい、ケガや不調が重なったのですが、今思うとケガをして気付く部分も結構あったので前向きに捉えることができています。
――前半シーズンは短短の選手が結果を出していたと思うのですが焦りはありましたか
後藤 相当焦っていました。やっぱり一昨年であれば伊東さん(利来也、令3スポ卒=現住友電工)や小久保さん(友裕氏、令3スポ卒)、昨年であれば、山内さん、小竹さん(理恩氏、令4スポ卒)というところが短長を引っ張って、関東インカレで点をたくさん取れていたところが大きかったのですが、今年は偉大な先輩たちが抜けて、新体制で挑んだ対校戦でした。初めて出る選手も短長の中で多くて、プレッシャーや、ちゃんとできるかなという不安がつながって、関東インカレなどでは短長が結果を残せませんでした。そこからは各自がおのおのの課題や、やるべきことをしっかり見つけて徐々にやっていったことで、ヨンパーも含めて短長ブロック全体で、自己ベストを大幅に更新できている選手が多いのかなと思います。
田中 同期から稲毛(碧、スポ3=新潟・東京学館新潟)がユニバに選ばれて、冬季中から2人でユニバを狙おうという話をしていたので稲毛の活躍はうれしかったですけど、自分の中では悔しさや焦りがありました。
――関カレ後に盛岡優喜選手(スポ1=千葉・八千代松陰)が51秒00を出し、金本昌樹選手(スポ2=東京・日大桜丘)も複数回自己ベストを更新しました。どのように感じていましたか
後藤 ちょうどその時、自分が出したシーズンベストが盛岡のベストに抜かれて、それを見た時はうれしいと思ったのですが、二人がしっかりやっている中で、僕が結果を残していないのは、情けないというところと悔しいというところが結構ありました。自分は最上学年ですし、昨年も日本インカレの決勝に残っていて、チームを引っ張らないといけない存在なので、そいつらに負けないように、というよりは、やっぱり自分がしっかり先頭で引っ張って行くべきだなとまた考えさせられました。
田中 6月の時点でシーズンベストが一番速いのが盛岡で、金本も走れてきて、7月に後藤さんがPB更新して、という感じで、全カレに出られないんじゃないかなという危機感しかなかったです。でも逆にそれが自分の中でモチベーションになっていました。
関カレで決勝のレースを走る後藤
――次に自己ベストを更新したレースについてお聞きします。レース前の調子はいかがでしたか。走る前からタイムが出そうな感覚はありましたか
後藤 そうですね。練習から普段では行かないようなタッチダウンで楽に走れていたので、タイムは出るかなと思っていました。地元に帰ると、プレッシャーだったりいろいろあって、その日はあまり動かなかったのですが、いざ走ってみると動かない割には想定内のタッチダウンで走れたなと思っています。その時は50秒30、日本選手権の標準を切るぐらいの目標で行ったらしっかり標準を切れたので、次は49秒台かなと思っています。
――タイムはもっと出そうな感じでしたか
後藤 そうですね、状態的にはもっと出そうな感じではいました。
――田中選手は自己ベストを出した8月の日体大競技会のレースを振り返るといかがですか
田中 レース前の調子はめちゃくちゃ良かったです。自分の中で、自信を持って練習を積めてケガなくできていたので。全カレの選手選考も兼ねていたので、少しプレッシャーもあったのですが、これだけやってダメだったら練習の組み方が悪かったなってまた考え直せるかなと思ったので、自信を持ってスタートラインに立ちました。タイムが出た時は信じられないというか、(機械の)誤作動だと思って、僕本部に一回聞きに行ったんですよ(笑)。「これ誤作動じゃないですか」って言ったら、「いや、正式で49秒71」って言われて。
――体感的には何秒くらいだったのですか
田中 一応51秒を切るという目標でレースに出たので、50秒5は出たなという感じで、10台目降りた時点で、44秒って見えていたので、あとはもうもがこうと思って、50秒前半出たかなと思って見たら、49秒って書いてあったので、「やった!」って思いました。
――お互いの記録を聞いた時はどのように思いましたか
後藤 いや、めちゃくちゃ悔しいですよ。高校の時からお互い結構一緒にレースをやっていて、大学1年目まで勝てていて、彼が2年、僕が3年くらいの冬季練習の時は全然勝てるだろうなと思っていたんですけど、やっぱり彼ハードル跳ぶと人が変わるっぽくて(笑)。それで僕が3年生の最初、ケガをして走れていなかったときに、僕が2年生の時にめちゃくちゃ頑張って出したシーズンベストをいきなり抜かれてしまって。「何これ?」ってずっと思うくらい、ライバル意識をずっと新井(公貴、スポ3=神奈川・逗子開成)と天智龍には持っています。今回の国体予選も、まず自分がトップに立つために、天智龍のタイムを絶対に更新すると意気込んでいたので、それを更新して「よっしゃー、また勝てたわ」って思った矢先に合宿明けにこんなすぐタイムを出されて、「もっと頑張れよ俺」って思っちゃいました。
田中 もううれしかったですね。(後藤選手が)結構前半シーズン苦しんでいたのを見ていたので、関カレはやっぱり意地というか、そういうのを見せてくれましたし、50秒23出して、僕ももっと頑張ろうと思えたので、多分49秒出たのも本当に後藤さんのおかげです(笑)。
後藤 僕らが頑張れているのも、新井とか金本とか盛岡とかそいつらの存在のおかげでもあります。
質問に答える田中
――夏合宿ではどのようなことに意識して取り組みましたか
後藤 夏合宿はやっぱり、全カレ(前)ということもあって、自分ができていないところや、課題点を合宿に行く前に一旦自分の中で整理して、合宿では走りのメニューの中で、自分の課題を克服するというように考えていました。またそれをどうハードルにつなげていくかということを後輩たちともコミュニケーションをとりながらやっていこうかなと思って、そういった点を考えながら僕は今回の合宿に臨みました。
田中 僕は、(関カレ後のケガから)復帰したのが7月1日くらいだったのですが、合宿でガツンと、先頭に立って後ろを引っ張るくらいで行こうと決めていたので、合宿前の解散期間に帰省せずに練習を組みました。それをしっかり消化できれば合宿でみんなの前に出て走れるかなと思っていたので、それがうまく行って、合宿では先頭で走れていたので、合宿というよりは合宿前の練習がうまく行って、合宿につなげられたという感じでした。
――ケガをしていて走れなかった分を合宿の前に積んだという感じですか
田中 そういう感じです。関カレの時に肉離れして、その時はもう気持ちが落ちてしまって、練習行って喋って帰る、みたいなことを繰り返していたのですが、やはり陸上から離れると走りたいな、ハードル跳びたいなって思ったので、そう思えてからガッとやりました。
――夏合宿の消化率や手応えはいかがですか
後藤 僕は今年いい感じで積めていたのですが、最終日前日に足をケガしてしまいました。やっと今週くらいからメニューをしっかり走り始めてはいるのですが、気持ちが先走りすぎて体が追いつかなかったので、何やってるんだろうな、みたいなところは今振り返るとあります。
田中 合宿は手応え十分でした。自分の苦手な部分とか弱いところを考えながら解散期間は練習できていましたし、ケガをした後に、走りを思い切り変えようと思って、指摘されていた部分、アドバイスされた部分や自分の弱い部分をケガ明けに全部詰めてやりました。合宿中も結構坂の練習が多くて、僕は坂が結構苦手だったのですが、お尻周りや腸腰筋周りを鍛えて合宿に挑めていたので、坂も苦手克服できて、合宿は本当に良い練習になったなと思います。
――具体的に大きく変えたのはフォームでしょうか
田中 そうですね。僕は足が後ろで回ってしまう、後ろ回転しているとずっと言われていたので、回転位置を少し前に持ってきて、できるだけ前で脚を捌こうという意識にしました。あとはヨンパーをやっているとハードル間の歩数が決められているので、ストライドが伸びてしまうのですが、それはケガのリスクが大きくて、ハムに負担が来たりしてしまうので、そういったところを、一回ヨンパーではなく一つの走りとして、膝下を伸ばすのをやめて真下につくという意識で練習していました。
――そのことで推進力が変わる感じなのでしょうか
田中 変わりました。一歩一歩の、地面からもらえる反発力とか、確実に進んでいるなという感覚はありました。
「アツい」ヨンパー陣
質問に答える後藤(左)とそれを聞く田中
――全体的に短長勢とヨンパー勢が夏にかけて上がってきている感じがしますが、何か要因はありますか
後藤 やはり関東インカレで短長は全然結果を残せていなくて、僕らも短長と一緒にそこからの練習をやる中で、先輩後輩関係なく、「後藤さんこういうことやった方がいいんじゃないですか」とか、僕からも「こういうとこやろうよ」とか「もうちょっと頑張ろうよ」とか声かけをしたりして、練習の時点から全カレに意識を向けました。そういうところでみんな意識し合えて、声かけもできていたから徐々に短長全体がPBを更新し始めて、僕らも波に乗ってPBを更新できたかなと思います。
――徐々に雰囲気が良くなっていったという感じですか
後藤 そうですね、関カレが終わった時は、シュンとなっていたんですけど、徐々に全体的にみんながやる気を出し始めて、そこからPB祭りが始まったような感じです。
――田中選手はどう感じていますか
田中 走りのメニューとかは短長陣と一緒にやるのですが、ヨンパー陣も絶対短長に負けないようにという感じでやっているので、僕らも隙があればマイルを走れるように準備はしていますし、そういうチーム内競争が結構激化してきたことで、みんな相乗効果で伸びてきているのかなと思います。
――今のヨンパーブロックはどんな選手が多いですか
後藤 昨年の山内さんは結構クール系だったり、一昨年の折田さん(折田歩夢氏、令3スポ卒)も競技で背中を見せてくれるタイプだったのですが、僕らはどちらかというとアツい男が多いなと思います。練習中でもわちゃわちゃ盛り上げながら、走りやハードリングを見て選手間でアドバイスし合うなど、昨年よりコミュニケーションが増えたと思います。前は礒先生(礒繁雄総監督、昭58教卒=栃木・大田原)がいらっしゃって、アドバイスをいただいたりしていたのですが、今年は監督も変わって新体制になって、今も金井さん(金井直氏、令2スポ卒)というコーチがいらっしゃるのですが、金井さんは土日しか来られないので、平日は今まで教えてもらっていたことを、選手間で話し合いながらできているのかなと思います。今のヨンパー陣はしっかり考えながら競技に情熱をそそげているのではないかなと思います。新井、あいつはアツいですね、僕もアツいんですけど(笑)。
田中 (後藤選手の)おっしゃる通りでみんな熱男ですね。練習の時も、後藤さんをはじめ、ヨンパーが元気出して引っ張っているところがあります。金本とか盛岡はまだ遠慮しているように見えるので、もっと元気出してやって欲しいなと思っていますし、言っています。
全カレに向けて
昨年の全カレで3人そろっての決勝進出が決まり、喜びを分かち合う後藤(手前左)、田中(手前右)。奥は山内OB(©︎EKIDEN News)
――全カレのレースで注目してほしいところを教えてください
後藤 個人個人しっかり力は持っているので、みんな自分のレースをちゃんとすれば今年も男女6枚残しできる可能性というのは十分高いと思います。早稲田のヨンパー、エンジの選手が、教えていただいたことをしっかりレースで発揮して、決勝に残るところを見て欲しいと思います。
田中 男女とも今年も力はあって、去年の全カレが終わってから来年も6枚残しと目標立てて今までやってきたので、それをしっかり達成して、僕自身としては後半の伸びを見ていただけたらと思います。
――全カレを迎えるにあたって昨年と比べて気持ちの面などで変化はありますか
後藤 僕は最上級生として、組織に絶対に貢献したいというのがあります。僕らの代の目標が全カレ総合優勝なので、そこに貢献するためには絶対表彰台は必須になってくると思うので、自分の結果で組織に貢献するという思いが強いです。あとはこいつ(田中選手)に負けたくないです。僕は残り1、2カ月しか陸上できなくて、天智龍には最近ずっと負けているので、勝ち逃げして引退したいなと思っています。
田中 後藤さんに勝たないと表彰台は見えないので、勝って気持ちよく終わりたいです(笑)。
――全カレの目標をお願いします
後藤 僕は、49秒3を出して全カレの表彰台に立つというところと、チームの総合優勝に絶対貢献するというところを目標にやりたいと思います。あとは、自分が今まで競技できているのも家族や指導してくださる監督やコーチ陣のおかげだと思っているので、しっかりその人たちに恩返しできるような走りをしたいなと思います。
田中 僕はケガして、たくさんの支えの中で陸上ができているということに改めて気づいたので、その支えと応援に結果で応えたいなと。やはりタイムを出したり、良い走りをしたりすると喜んでくれる人がたくさんいるなと日体大競技会の時も感じたので、次は順位を取って、たくさんの人を喜ばせられたらなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 及川知世、加藤志保、橋本聖)
◆後藤颯汰(ごとう・はやた)(※写真左)
2000(平12)年8月9日生まれ。174センチ。長崎・五島高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:400メートル障害50秒23。小さい頃に、字が汚いことがコンプレックスで習字を習い始めたという後藤選手。色紙に書いたのは、4月に行った対談時と同じ「断固たる決意」という言葉。4月の対談時に書いて持ち帰った色紙は部屋に飾り、結果の出ない時にも眺めて決意を固めていたそうです!
◆田中天智龍(たなか・てんじろう)
2001(平13)年7月17日生まれ。177センチ。鹿児島南高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:400メートル障害49秒45。世間を賑わせた(?)大前監督Twitterの「てんじろう朝コラム」ですが、毎回前日に下調べをして、当日も朝から繰り返し準備をしてカンペ無しで挑んでいたそうです! 色紙に書いた「雑草魂」も合宿中に朝コラムで話した内容とのこと。アスファルトの隙間から生えている雑草は、自分より大きな木が日光を遮って生えにくい森ではなく、他の植物が生えないような所に生えることによって自分の強みを生かしているそう。自分の弱さや課題を克服することはもちろん大切ですが、自分の強みを理解することも大事だというメッセージだそうです!