【連載】『令和3年度卒業記念特集』番外編 引退生特集②小竹理恩×松本朗

陸上競技

 日本学生対校選手権(全カレ)400メートル8位。4×400メートルリレー(マイル)のメンバーとしても活躍した 小竹理恩(スポ4=栃木・佐野)。そして、4年目、東京五輪のテスト大会で200メートル20秒57の記録を叩き出し、全カレ4×100メートルリレー(4継)の2連覇メンバーである松本朗(スポ4=福岡・戸畑)。この2選手も大学をもってスパイクを脱ぐ。ともに仲間の存在が競技をやる上でのモチベーションになった、と話す二人に、リレーのこと、チームへの思いなどを伺った。

※この取材は2月15日に行われたものです。

――引退されてからはどのように過ごされていましたか

小竹 引退してすぐ卒論があったりしたのですが、退寮した後に実家に戻ってきたので、その後は今までできなかったようなのんびりな生活をしています。

――部活をしていた時にはできなかったことで、したことはありますか

小竹 栃木県に住んでいるのですが、車が無いと生活できない場所なので、運転するのが楽しくて、いろいろなところに運転して出かけました。

――松本さんは引退されてからいかがお過ごしですか

松本 特に内容のある生活をしていなくて(笑)。ゲームして映画見てアニメ見てゲームして、たまに勉強して、という感じです。

――全く走っていないですか

松本 この間、駅まで走ってその5分間くらいでもう心臓が痛かったです(笑)。

「(エンジは)お守りみたいなもの」(小竹)

全カレマイルゴール後にアンカーの山内大夢(スポ4=福島・会津に駆け寄る小竹(写真奥)(©︎EKIDEN News)

――競技生活のことをお聞きしていきます。春に行った対談で、お二人とも後悔はあまりしないタイプ、というお話がありました。競技生活や4年間を振り返っても悔いは無いですか

小竹 僕は無いですね。もう少しタイム伸ばしなかったですけど、でもだからと言って戻りたいくらい悔しいとか、そういうのは無くて、いろいろなことが経験できたというのは良かったかなと思っています。

松本 そんなには無いですけど、強いて言うならば関カレ(関東学生対校選手権)あたりでケガをしてしまったことかなと思います。でもまあ仕方無いなという思いもあります。

――競技生活に思い残すことは無いですか

松本 東京五輪に行けなかったことかな、言うたら。

小竹 結構本気で狙ってたからね、READY STEADY (READY STEADY TOKYO)あたり。

松本 そうね、日本選手権ちょっとケガしちゃってて。

――特に4年目はどういったシーズンでしたか

小竹 4年目に関しては、1年生から3年生までの時よりはやらなきゃいけないことが多かったので、陸上に全振りみたいなことは結構不可能だったのですが、その中でも、分配できる最大量の努力はしようということでやっていました。それで結果的には、僕は早稲田に入ってくるにあたってインカレで活躍したいという思いがあって入学したので、インカレで得点できたというところが良かったかなという感じです。

松本 小竹と同じで陸上以外でのやることが多かったかなと思って、効率よく全部に力を入れられるようにできていたかな、と思います。陸上も1、2、3年目でだいたい自分に合った練習というものを把握して、就活とかでそんな長々とできない時ももちろんあったので、必要なことを端的に短く集中して終わらせたりして、別のこと、例えば教育実習や就活、4年生としてのチームに対する考えなども自分だけじゃなくて他の人のことも考えてやらなきゃいけないというのはありました。

――最後だから、という点で3年目までと気持ちの持ち方は違いましたか

松本 そんなに無かったかな。今まで通りでした。

小竹 競走部員として、インカレなどに対してはみんなで士気を高めていかなければいけないので、それに対する気持ちというのは変わらなかったです。4年生だからというのではなくて、早稲田のために頑張ろうという、フラットな考えでした。ただ、4年生の全カレは、インカレもう無いんだな、というのはやっぱり一瞬どこかで思って、こんな気持ちで何かに取り組んで、みたいなのはもうあまり無いのかなというのは思ったりました。

――最後の全カレに絞って振り返ると、どんな大会でしたか

松本 僕は良い思い出にさせていただいたなって(笑)。稲毛(碧、スポ2=新潟・東京学館新潟)と佐野(陽、スポ4=埼玉・立教新座)と三浦(励央奈、スポ3=神奈川・法政二)と澤(大地、スポ3=滋賀・草津東)に感謝ですね。もちろん各指導者にも感謝です。本当に最後に悔いなく終われたのは全カレ優勝できたというのが一番大きいかなと思っています。4人にありがとうという感じです。

――松本さんにとってリレーはどういう存在、位置付けですか

松本 4×100メートルリレーは特にチーム力が大事だと思っていて、チーム力が試されているレースだと思っています。

――小竹さんはいかがですか

小竹 まず全カレに行くにあたって、僕は競技12年間くらいやっている中で本当にケガをしたことがなかったのですが、初めて2カ月近く走れない期間があって、そこでケガして走れないなという中でも、最低限立て直して全カレ走れたなというのは一つ良かったかなと思います。

――マイルリレーについてはいかがですか

小竹 マイルについては、僕は絶対的なエースでは無くて、最低限いた方が良いよねという感じではあったと思うのですが、それでもケガしていて、4年生というのもあって、指導陣の方とか、後輩にやっぱり迷惑をかけてしまったなと。小竹さん走れなくてどうするよ、みたいな状況が起こってしまったことがあったので、そこは迷惑かけたかなと思います。あと、その中で結構印象に残っているのが澤が「小竹さんがおらんのやったら走らん」みたいなことを練習前に言ってくれた日があって、その時に気持ちが落ちかけていたのですが、最後ちゃんとやらなきゃなと思って、残りの期間を過ごすことができました。

――早稲田の代表としてリレーを走ることにプレッシャーはありましたか

松本 プレッシャーはなかったです。仕上がりも良かったですし、いつも通りのことをすれば優勝する力はあると思っていたので自信を持って走ることができました。

小竹 1、2年の頃ぐらいまではいろいろな人に見られていると感じながら大会に出ていました。3,4年生からはエンジを着て走ることが楽しく、誇りもありました。失敗することはないというお守りのようなもので、かえって落ち着きました。

「(陸上は)人生の教養」(松本)

全カレの4継で1位でゴールした松本(©︎EKIDEN News)

――大学で競技引退することを早い時期から決めていたというお話が以前ありました。その気持ちがブレたり、迷ったことはありましたか

松本 礒先生(礒繁雄前監督(昭58教卒=栃木・大田原)がオレゴンでの世界選手権の話をされて、社会人で続けることを勧めていたわけではありませんでしたが、その話を聞いた時は少し気持ちがブレました。今年の大会を目指して頑張るかと言われて続けてもいいのかなと思ったこともありました。しかしオリンピックも行けなかったので続ける価値はないと思い、大学生活で区切りをつけることにしました。それから岳さん(欠畑岳短距離コーチ、平27スポ卒=岩手・盛岡第一)からREADY STEADYの話があったり、母親からの言葉も気になりました。

小竹 その時悩んでいたよね

松本 いや悩んでないよ(笑)

小竹 こんな成績を残してさっぱり学生で引退するなんて日本陸上界でこんな人はいないですよ。

松本 話を戻すと、本当に辞めるのと皆に聞かれたので、言われた時は期待を感じて、やろうかとも迷いました。結局は揺らぐに過ぎませんでしたね。

小竹 私は変化したことはありませんでした。高校では続けるのは確実でしたが、大学で競技続行に迷いが出て、少なくとも大学の先はないと思っていました。

――競技生活を終えましたが全体の中で記憶に残った試合はありますか

松本 全カレの帰り道に4人で話していた時のことをよく覚えています。礒先生が喜んで握手を求めてきた時のことなどを鮮明に覚えています。すごくやってきて良かったと思いました。それが1番印象的でした。

小竹 一つだけ挙げるのは難しいですが、全国一になった事は印象に残っていますね。それ以前の入部した頃はシルバーコレクターみたいな感じだったのでなかなか1位に毎回届かなかったことも覚えています。日本選手権リレーで1年の頃、優勝したことも覚えていますし、中学の頃の全中のリレーで優勝したことも覚えています。やはりリレーに限らずどの試合も印象的でした。

――大学では何が4年間競技を続けるモチベーションになっていましたか

小竹 部員の存在と言いましょうか、仲間の存在です。それ以外には特に思い浮かびません。切磋琢磨や目標、自分が引っ張らなければならない気持ちもありました。特に同期選手の松本と佐野は短距離の3人だったので、種目は違いましたがお互い結果を喜びあったり気にかける存在でした。

松本 佐野や小竹、森戸(信陽主将、スポ4=千葉・市船橋)もそうでしたが、私も仲間ですね。お互い助け合っていきました。後輩の三浦と澤の存在もよかったです。2年の時は全然駄目で、3年になったときに後輩の存在がとても大きかったです。切磋琢磨というよりは支えてくださった方に堂々と感謝の言葉が伝えられるようにやってきました。学生スポーツなので支えられている部分が大きく、そこを還元しなければならない気持ちが強かったです。半端な結果では家族に顔向けできないと感じていました。岳さんや礒先生の存在も大きくて、結果を出して辞めたいと思いました。認めてもらいたい気持ちもあったのかもしれません。

――競技生活を終えて陸上とはどういう存在でしたか

松本 プロフェッショナルみたいですね(笑)小竹からどうぞ。

小竹 ハードルを上げて人に任せるのはよくない(笑)。私は今まで数年周期でとてもはまるものがあって、その中の1つが陸上だったという感じでした。好きなことだから続けてこられました。生活の全てではありませんが、好きで毎日取り組めていました。

松本 人生の教養でした。まだまだ未熟ではありますが、心が育ったと思います。

――早稲田だから成長できたと思う部分はありますか

小竹 いろいろありますが、礒先生とお話しする中で考えに大きく影響を受けました。また、地元ならば皆競技成績で選ばれた人がくる一方で、早稲田競走部に入れば自分より成績が良い人が勉強スポーツ両方でいるわけです。私の場合は父がナイジェリア人でそこを考えてきたのですが、地元では勉強も競技もある程度という部分であまり触れてこられず、アイデンティティーの一部を見失うこともありました。早稲田では勉強や競技以外の部分で目を向けてもらっていた事が大きかったです。礒先生は私が外国にルーツがあることについて触れて気が楽になりました。今まではその部分に触れられないようにしていた部分もあったと感じていましたが、大学では飲み会でも盛り上げ役として自分らしくのびのびとやれました。礒先生の存在が大きかったです。岳さんや野澤さん(啓佑、平26スポ卒=現ミズノ)など皆さんに感謝しています。自由で何でもできるし、何もしなくても過ごすことができるのが大学ですが、競走部という集団に身を置いて競技ができたのはいい経験だったし、早稲田大学はいろいろな部分で評価をされていますがそこで責任感やいろいろな考えに巡り合えました。

松本 色々な人がいて、陸上の成績で来た人や勉強で来た人もいます。今まで中高の陸上競技では適当にやってきた結果でしたが、大学ではそれではうまくいかず、いろいろな人から学びを得て、自分を見つめ直すことができた環境が成長の要になったと思います。自分を客観的に見つめ直すことができて、人格面においては礒先生やOBの方々からマナーの部分や、何かについて様々な見方で多角的な視点を持って考えるようになりました。

チームでやる意義

――次にチームのことについてお伺いします。お二人ともよく「チームのために」や、リレーメンバーのことをおっしゃっていると思います。チームで、仲間で、陸上をする意義はどういったところに感じていますか

松本 モチベーションを保つことができるということです。言っていけばキリがないのですが、客観的な意見をもらうことができたり、自分がモチベーションない時に他人に影響されて自分もモチベーションを保つことができました。また、その逆で自分がモチベーションあって、他の人がない時に「一緒にやろうぜ」と言って、無駄な時間を過ごすことなく同じくらい集中させて練習できることがあるという感じです。
あとは、競ってやることによって試合に近い感覚で、試合に近い状況を生み出して練習することができます。例えば、三浦と澤と僕で、SD(スタートダッシュ)をする時とかに、橋元さん(橋元晃志短距離コーチ、平29スポ卒=鹿児島・川薩清修館)とかもいて、20秒台の競技レベルが高い人の中でやることによって、自分の焦りとか、心理的な練習にもなったかなと思っています。そこはチームさまさまだなという感じです。やる意義はあるのではないかなと。
色々言ったのですが、その中でも1番大きいのはモチベーションですね。自分はモチベーションがない時も結構多いので、そんな時に周りの人がやっているのを見てというか、やる姿勢というのに影響を受けて次第にやる気が出るみたいな。例えば、全体メニューが終わって補強に移るという時に、補強は自由なのですが、そこでちょっと1回帰ろうかなっていう葛藤を挟みながら、他の人を誘って。他の人がやることが、自分がやらないといけないことであれば一緒にやろうということでやって。無理矢理自分を動かすというかその辺も1番大きかったかなと思います。

小竹 チームメイトの存在というのは、自分がどういう風になっていけばいいのかというのの観察とかがたくさんある感覚でした。それは競技で言えば、一つ上の伊東さん(利来也、令3スポ卒=現住友電工)が400メートルで日本選手権(日本陸上競技選手権)優勝するぐらいまで成長されたのですが、入った時は僕と同じくらいのタイムだったので、どういうふうにしたら伊東さんみたいな軌跡を歩めるのか、結局追いつけなかったのですが、かなりロールモデルと言うところでモチベーションにしているところはすごくありました。同期で言えば佐野とかは中学生の時から同じレースを走ったりしていたので、そういう選手が大学でチームメイトになったらいろいろ本人の性格とかあまり知らなかった部分も見えてきて、昔から知っている人と一緒にするのが楽しいなというモチベーションもありました。
あとは、競走部的なことで言えば、他大にはあまりないような、短距離も長距離も一緒にいる環境というのがあって、寮も短距離長距離同じ部屋で生活していたりとかするので、そういう一つ一つの交流っていうところから一体感とかやっぱり強くありました。そういうのでリレーも頑張ろうと思ったし、個人でも得点、自分が決勝に残りたいからっていうのもみんな本当にあったと思うのですが、口をそろえて得点っていうところをみんなが言っていたのは、そういうチームでやる意義を感じていたからかなと思います。

松本 おもしろかったね。みんなでやるの。楽しくできたよね。

小竹 うん。楽しかった。他の大学と違うのは、例えば、インカレの得点とかを計算したり、みんながどのくらい(点数を)取れるかとかを試算してミーティングとかをするところだと思います。例えば中谷(雄飛、スポ4=長野・佐久長聖)が何点取れそうとか、井川(龍人、スポ3=熊本・九州学院)が入賞できそうとか、そういうのも含めて一つのチームだったっていうのがおもしろかったなと僕は思うし、短距離の中だけでもおもしろかったなと思います。

昨年の六大学対校戦のマイルリレーでバトンパスをする松本(奥)と小竹

――大学4年間の競技生活の中で、チームメイトから言われた言葉で一番印象に残っているものはありますか

松本 チームメイトは特にないのですが、監督に全カレかREADY STEADYが終わったあとに、「お前は本物になったな」と言われた時にはうれしいなって思って、刺激的でしたね。本物だなと言われて(礒監督に)握手を求められた時は鮮明に覚えていますね。それこそその、1年前の3年の7月くらい、コロナ明けの1試合目が21秒00で、2試合目は21秒02くらいで、その時には対照的に「やっぱりまだ足りないな」みたいな感じで言われて。それで1年後に「本物だな」と言ってもらったのは、すごく流れ的にも印象的な言葉でしたね。

小竹 3年生の関カレが秋に対校戦ではない形で開催されてそこで3位になった時に、陽性ではないのですがたまたまドーピング検査を受けることになって、すぐに行かなければいけなくて。その場で礒先生に試合結果の報告ができずにお電話したのですが、その時に先生がドーピング会場までわざわざ来てくださって、握手してくださったっていうのはうれしかったですね。
礒先生から言われた言葉はたくさんあるのですが、チームメイトからっていうのであれば、はっきりと覚えているのは澤ですね。澤が「小竹さんがいないなら走らない」みたいなのを去年の8月末くらいに言ったことがありました。その時に僕がケガをしていて、マイルをどうするかとなっていた時だったというのと、そんなに長期でケガしたことなかったので、少し気持ち的にも下がって、半分諦めモードみたいな感じになっていた時に澤が言ってくれました。後輩がそう考えてくれているし、澤も4継も200メートルもある中で、マイルも走らなきゃいけない可能性が出てきて、その中でそう言ってくれたっていうのがあったので。

松本 それ僕にも言ってきたよ。「松本さんが走るんだったら、俺も走る」みたいな。ちょうど西(裕大、教2=埼玉・栄東)が走れるか悩みどころだった時に、山内と小竹と僕と澤で、澤は「走りたい」みたいな。僕も行く気はあったのですが、200の最後のゴールでケガをしてしまったので。

小竹 本当にギリギリまでどうするかって。関カレもそうだったね。

松本 本当にそれはマイルメンバーには申し訳ないなと思いますね。

小竹 和嘉子(石田、商4=静岡・浜松日体)がかなり走り回ってくれたよね。

松本 そうだね。全カレの時なのですが、僕が200の決勝でゴールした時にも気がついたら和嘉子が上にいて。さっきあそこにいたのに、みたいな。それで気づけばもうマイルメンバーのとこ行っているみたいな。

小竹 200のメンバーが3人とも400、ロングスプリントができる選手なので、マイルの切り札として3人を使うかどうかっていうのが関カレ、全カレでありました。その時にサブグラウンドで他のマイルメンバーがアップ中で、200の決勝が終わった選手たちの足の状態を聞かないといけないのですが、誰が走るかっていうオーダー用紙を出すまでに残り10分とか全然時間がない状況で。その時に石田和嘉子マネージャーが、もう本当にかなり往復して、選手の状態を聞いてくれたり、オーダーを聞いて出しに行ってくれたりというのがありましたね。

松本 マネージャーすごいよね。そう考えると。

小竹 マネージャーね。この前も江本(亘、スポ4=愛知・岡崎北)と電話をしたのですが、本当にマネージャーがあっての競走部ですね。

昨年の静岡国際にて 200メートルのレースを走り終わった後の澤(左)と松本

――小竹選手はこの1年間寮長として人を見ることも多かったと思いますが、今年のチームの印象についてはどのように感じていますか

小竹 活気はあったなと思います。箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝)に関していい結果じゃなかったから、最後にあったのがそれだと「今年はそれだろ」というふうに言われちゃうし、そういう意見が集まりやすいのは重々承知しているのですが、別にそういうわけでもなくて、活気はかなりあったんじゃないかなというふうに考えています。僕が活気ある寮にしたいというのは思っていたのですが、寮だけではなくて、先ほど言ったように今までは意見を言わないような感じだった人も、自分が意見を言うことでこうなるだろうというのを判断して発言したりだとか、単に元気がいい人も多かったし、活気はあったのではないかなと思っていますね。

――松本選手は今年の最初の対談で、「後輩に残せるものが無いか考えている」というお話がありましたが、後輩に残せたものはありますか

松本 残せたものとしては、2連覇の結果が一番大きいんじゃないですかね。残したのは僕だけではなくて、みんなで残したのですが、2連覇の結果を残したことによって、それだけで士気は高まるんですよね。3連覇をするという、そういった今残っている後輩の根底にあるモチベーションというか、気持ちとかを高めることができたかなと思います。何か一つでも明確に成し遂げたいことというのが、チーム共通であることによって、それだけで練習とかも頑張れる気がすると思います。実際に短距離ブロックの中で3連覇にすごく燃えているらしくて、そう言ったことを聞くと、やっぱりよかったなと。自分がやったこととか、「こういうことができました」、とかは他人の受け取り方次第でそういう意見はただの自己満足だと思うので、結果という大きなわかりやすいモチベーション、3連覇するぞっていう気持ちにみんながなっていると思うのでそこは大きいんじゃないですかね。それは2連覇したことは揺るぎないものがあるので、多少捉え方は違えど、モチベーションになっているんじゃないかなと思います。

小竹 松本は特に結果が示すものっていうのにこだわっている人だったので、2連覇を達成したという結果が実際に後輩に糧となって、後輩たちが頑張っている姿っていうところに帰結するのだとしたら、その通りだなとすごく思いますね。過程はそれぞれ紆余曲折ありますけど、優勝したという結果というのはどの時代も変わらないので。そう言った結果というものにこだわって、それを残すためにいろいろやってというところが、彼が言うならばその通りだなと思いますね。

――注目、イチオシの後輩はどなたですか

松本 今まで関カレ、全カレとか一回も入賞したことがなくて、もちろん日本選手権とかも入賞したことない後輩で、リレーでは少し映っているけど、そんなあまり世間では有名じゃない選手がいるのですが、これ絶対に来るなと思っていて、澤大地ですね。多分あまり知られていないと思うのですが、澤大地っていう滋賀県出身の人かな、これ絶対くるなと思います。もう彼も、20秒57、僕の記録を抜くと言っていたので。20秒57を絶対に抜けるっていう自信があると言っていたので、これみんな目をつけてないと思いますけど、大穴きます、期待しておいてください。とんでもない記録、僕は日本代表行けるんじゃないかなと思っています。ユニバ(ワールドユニバーシティーゲームズ)ももちろんなのですが、20秒24を切って、世陸(世界陸上競技選手権)、それこそ僕が目指せなかったオレゴンを彼は引き継いでくれると思っています。

小竹 400メートルの後輩、現2年生の4人には特に頑張ってもらいたいっていう思いはやっぱりあります。新上(健太、人2=東京・早実)と藤好(駿太、スポ2=福岡・修猷館)と山西(修矢、人2=香川・高松一)と竹内(彰基、スポ2=愛知・瑞陵)ですかね。元人数がすごく少ない早稲田大学競走部にとって、3人とかまでならあるのですが、同じ種目の同級生が4人いるなんて本当にないんですよね。その中で元々結果を出していた藤好と、他3人という対照的に見えるのですが、みんなそれぞれ力あって、いいところがあります。彼ら4人は、次の4年生に400メートル専門の人がいないので、400メートルブロックの最高学年になるので、本当に頑張ってほしいなって常々思っていますね。

松本 あとは、清水羽菜(スポ2=東京・白梅学園)には頑張ってもらいたいかなと思います。今多分どん底から這い上がっている途中だと思うので、頑張ってほしいですね。

――最後に、後輩に期待することやメッセージをお願いします

松本 楽しく陸上をしてほしいですね。楽しんで練習してください。

小竹 そうだね。自分がやりたいことはやってほしいかなと思います。多分、三浦新主将もずっと「後悔を残すな」というのを言っていて、それを多分今みんなやっていると思うので、その通りかなと思いますね。やりたいなって思ったら自分で頑張って欲しいかなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 有川隼翔、及川知世、加藤志保)


佐野の写真を見せる小竹(写真上)と澤の写真を見せる松本


◆小竹理恩(こたけ・りおん)

1999(平11)年6月21日生まれ。170センチ。栃木・佐野高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:400メートル46秒92。2021年全カレ400メートル8位。

◆松本朗(まつもと・あきら)

1999(平11)年6月1日生まれ。182センチ。福岡・戸畑高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:200メートル20秒57。READY STEADY TOKYO 200メートル2位。