早稲田から世界へ
東京五輪出場、そして日本学生対校選手権(全カレ)優勝。大きな結果を残した4年目、そして大学での競技生活を終え、山内大夢(スポ=福島・会津)は、「早稲田を選ばなかったら今の自分はいない」と振り返る。躍進を支えたのは「早稲田だからこそ」の練習スタイル、そして早大競走部で磨かれた人間力だった。
東京五輪の400メートル障害予選でガッツポーズをする山内
「レースを解析し、その上で今後どういった練習をしていったら良いかという対策を立てる。その一連の流れを確立し、自分の掲げた目標に向かって4年間取り組めたことが、4年での結果につながった」と山内は話す。言葉通り記録は右肩上がりで伸ばしてきた。
特筆すべきはラストシーズン。「3年までにやってきたことが形になり始めた」と序盤から好調が続く。東京五輪テスト大会で五輪標準記録を破るパーソナルベスト更新、そして関東学生対校選手権(関カレ)で2位。
しかし、日本選手権では緊張とプレッシャーで思うようなレースができず。即内定を逃す4位という結果には、「まだまだだなと感じた」と振り返る。そこでの失敗も成長のステップに。緊張して自分のレースができなかった日本選手権での経験を生かし、五輪では大舞台を楽しむことを第一にレースに臨んだ。その結果、初の五輪という大舞台で、同種目に出場した日本勢で唯一準決勝に進出した。
初の大舞台を終えた後でも、山内はそこで燃え尽きなかった。五輪後はすぐに部の合宿に合流。約1カ月後に迫った、最後の大きい学生大会である全カレに向けさらに練習を積む。「五輪での悔しい気持ちを持ったまますぐに練習に取り組めたことが全カレまでしっかり走れる要因になった」と最後の全カレで悲願の初優勝を飾った。
全カレ決勝でゴールする山内
一方で、山内は成長できた要因に早大競走部の環境も挙げた。競技以外の面、人間性の部分でも監督やコーチ陣、先輩や同期からいろいろなことを学ぶことができたのが、競技力の成長につながったと話す。チームから学び、自分の学びもチームに還元する。その姿勢は山内の五輪後の取り組みからも見て取れた。合宿に合流した山内は自分の五輪での経験を部に伝えた。そしてその山内のチームへの思いは、全カレでのチームメイトの結果というかたちで現れる。男子400メートル障害で優勝を飾った山内に続き、一緒に出場した後藤颯汰(スポ3=長崎・五島)、田中天智龍(スポ2=鹿児島南)も決勝に進出。女子400メートル障害も川村優佳(スポ2=東京・日大桜丘)の優勝をはじめ全員が入賞。早大勢のアベック優勝、そして出場した男女わせて6人全員が決勝に残るという快挙を成し遂げたのだ。
競技面でも人間性面でも、早稲田の競走部だからこそ成長できたと話す山内。卒業後の目標としては、今年の7月にオレゴンで行われる世界選手権で日本代表として出場すること、そして2024年のパリ五輪で、もう一度準決勝で勝負することを挙げた。早稲田で身につけた力を下地に、山内はさらに大きな夢へ羽ばたく。
全カレで一緒に決勝に残ったチームメイトたちと讃え合う山内
(記事 及川知世、写真 共同通信社、EKIDEN News提供)