【特別企画】マネジャー特集 石田和嘉子×江本亘

陸上競技

 選手とともに、雨の日も風の日もグラウンドに立ち続けるのがマネジャーたち。今回は、4年間早大競走部を支え続けた石田和嘉子(商4=静岡・浜松日体)マネジャーと江本亘(スポ4=愛知・岡崎北)マネジャーのインタビュー。入部したきっかけや、やりがい、日々心がけていること。そして4年間の集大成となる箱根に向けてもお話を伺った

※この取材は12月15日に行われたものです。

「良いところも悪いところも補い合えている」(江本)

質問に答える江本(左)と石田

――まず初めに、他己紹介をお願いします

江本 石田は入部当初からマネジャーとして一緒にやってきて、僕と石田と前の主務の佐藤(恵介、政経4=東京・早実)の3人で良いところも悪いところも補い合えているなと思います。その中でも特に石田は、選手とのコミュニケーションとか、盛り上がり過ぎているところややんちゃな子を抑えてくれるとか、僕たちができないところをよくやってくれています。

 仕事の部分では、大会の交通手段の手配や当日の選手の動きを管理してくれてくれているのですが、大きなところから選手一人一人の動きを把握して手配してくれていて。そこに関してはすごく長けているなと思っています。競走部の伝統的な部分を大事にしながらも新しいものを生み出してくれているという、僕と佐藤にはなかなかできないところがあるなと思っていて本当に頼りにしています。

石田 3人とも性格が違って、私と多分対極にいると思うんです(笑)。自分は、自分が仕事をするというよりは仕事を分配する役割で。(江本は)本当に仕事にこだわりがあって、頼んだことをとことん追求してくれるので、すごく信頼して任せられるなと思っています。一番選手思いだなと感じています。

――どのような仕事があるのですか

石田 私は競技会係で、(外部の)大会や早大競技会のことをやっていて、佐藤が合宿や主務の役割を担っています。

江本 僕は結構こじんまりとまとまる仕事が多くて、例えばスポンサーとのやり取りや部のお金の管理だったり。あとこれはマネジャーの仕事ではないのですが、YouTubeの仕事も少しやっていました。

マネジャーになったきっかけ

笑顔で話す石田

――なぜ早大競走部のマネジャーになろうと思ったのですか

石田 実は元々、入る気は全くなくて。兄が4つ上にいるのですが、その代のマネジャーさんに話を聞いて、やりがいもすごく聞きましたがそれ以上に大変そうで、覚悟が必要だなと。でもサークルとかを色々巡ったときに、雰囲気が自分とは合わなくて、(部に)とりあえず見学だけ行ってみるかと思いました。そしたら(自分の出身である)浜松日体の人も多かったり。あとは、自分は「人のために」とかがあまり得意ではなかったのでそういうのを変えたいなと思って入りました。

江本 僕は小学校5年生のときに早大が駅伝3冠を達成して、それを見て憧れました。中高で長距離をやっていたので、エンジを着て駅伝やインカレに出たいという思いがあり、ギリギリまで選手として入りたいという気持ちはありましたが、実際に練習を見学して自分にはできないという諦めをつけて。元々支える側には後々なりたいと思っていたこともありマネジャーとして入部しました。

――マネジャーとして一番大変なことは

石田 大会などで選手の動きや全体の動きを考えるときに色々なことが起こり得るので、そのリスクに対応していかないといけないところです。想定の範囲外でトラブルが起こってもすぐに対応していかないといけなくて、難しいなと思います。あとはマネジャーという立場なので、選手の普段の練習などを見ていて、「これはもっとこうすればいいのに」「今チームの雰囲気がそんなに良くない」と思ったときに、自分がズバッと言っていいのかというのは葛藤があって、そこは苦戦しました。

江本 僕は割とこだわりを持って仕事に取り組むタイプで、本当に小さなことでも可能性のあるものは全て、それに対処できるように全部準備して臨んでいます。なので1つの仕事に対しての労力が自分にとっては大きくて、バランスがうまく取れない時期もありました。

 あとは人とのコミュニケーションという部分では、マネジャーが選手の身の周りのことを全部やろうと思えばやれるのですが、それは選手のためにはならなくて。『ここは自分たちがやる、やらない』という範囲が自分の中でずれている時期がありました。そこの価値観をうまく自分の中でまとめるというのが大変だったなというのはあります。

石田  私と江本がめっちゃ価値観違うもんね。

江本  自分が「ここはやったらいいんじゃないか」と言うと「それはやりすぎじゃない?」と止められることが多いので。ここ(石田と江本)は違うと分かっているので、必ず1回相談します。

石田  でもだいたい間をとっています(笑)。

マネジャーのやりがいは

――やりがいはどんなところですか

石田  めっちゃありますね。一番は大会に出た選手が活躍したり、やり切った、ベスト出た、とかがうれしいです。先輩方やコーチングスタッフの方々や選手もそうですが、「ありがとう」「こういうところ良かったよ」と声を掛けられたとき、やっていて良かったなと思います。

江本  僕もほとんど同じで、選手が自己ベストを出したりした時です。一番印象的だったのは全日本インカレ(日本学生対校選手権)で4継(4×100メートルリレー)が優勝したり、4パー(400メートル障害)で男女アベック優勝した時。あとは同期が自己ベストを4年目で更新した時は本当に自分のことのように喜びましたし、すごくやりがいを感じました。

 あとは自分が担当している仕事が選手の目に触れないところが多いので、なかなか周りから評価されることはないのですが、でもやっぱり見てくれている人がいて。10月の幹部交代で一旦僕たちの代が終わったのですが、そのときコーチングスタッフや同期から「本当にやってくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えられたときは、やってきて良かったなと感じました。

――やりがいは日々感じるのでしょうか。それとも大会などの瞬間に感じることが多いですか

江本  僕はネガティブな人間なので気分の浮き沈みが激しいのですが、気分の良いときは「今関われているな、良かったな」と感じます。気分が沈んでいるときはつらいことの方が多くて、試合や声をかけられたときにやりがいを感じることの方が多いです。なので、常に感じているというよりは、試合など出来事があってやりがいを感じることの方が近いかなと思います。

石田  大会はやりがいを感じる一番大きいところです。私は結構ポジティブなので、練習でも計測するだけで自己肯定感が上がるというか(笑)。練習後必ず「計測ありがとうございました」と選手が言ってくれるので、それに対してもやりがいを感じています。

選手とマネジャーの関係性

質問に答える江本

――マネジャーとして、部の内外で選手とどんな距離感で接していますか

石田  私は結構みんなと仲良くしているつもりなので、フランクな感じです。ちょっと違うなと思ったら、仲良い人でも指導はするようにしています。

江本  大人数でいるところで話すというよりは、1対1で深いところまで話して、気づきがあれば背中を押してあげるようなコミュニケーションをしたいと思っています。たとえば短距離で1人で補強をしている選手がいたら、一緒に補強をしながら話をしたり。仲良くというよりは選手とマネジャーとして深い話ができるように、答えを出すというよりは『答えを一緒に導き出す』というイメージでやっています。石田のように全員と平等に仲良くというよりは、困っていそうな人や悩み出すと止まらないような人とコミュニケーションをとるという意識は持っています。

――その中で仲の良い選手、話すことが多かった選手は

江本 僕は同期で言えば、寮長だった小竹理恩(スポ4=栃木・佐野)や幅跳びの青栁柾希(スポ4=千葉・成田)は特に仲が良いです。長距離だと佐藤皓星(人4=千葉・幕張総合)とか山口賢助(文4=鹿児島・鶴丸)とかとはよく趣味の話をしたり。選手とマネジャーというよりは普通に友達として仲が良いかなと思っています。

――石田さんはいかがですか

石田 同期の女子と、先輩と後輩とも結構仲良くて。たぶん創士(鈴木創士、スポ3=静岡・浜松日体)がいるのでその関係で下の学年とは誰とでも仲がよくて、ご飯も後輩と行く方が多いです。あと松本(朗、スポ4=福岡・戸畑)も仲がいいです。

――鈴木選手とは同じ浜松日体高出身ですが、高校生のときから交流があったのですか

石田 創士は中学校から浜松日体なので、創士が中3のとき私が高1で、そこで関わっていました。創士が小学生のときに入っていたクラブで私も中3から参加したので、そのつながりもあります。浜松市は中学生のころから割と仲良くやっていました。直希(太田直希、スポ4=静岡・浜松日体)のことは分かりきっているのですが、創士はやんちゃなので、弟みたいな感じです。

――石田さんは商学部で本キャンに通われていますが、所沢との行き来で大変なことはありましたか

石田  下級生のころは授業が運悪く土曜日とか、4限や5限の遅い時間帯に入ってしまって、全然練習に出られなくて。ひどいときは週1来られて週1遅刻、2回来られたらいい方みたいな感じでした。江本とかはスポ科なので毎日来られていたので、1年生は覚えることがたくさんあるのですが差ができてしまったと思います。

『仕事をする』だけではなく 選手とのコミュニケーションやチームマネジメントが大事

――どんなことを意識してマネジャーの仕事に取り組んでいますか

江本  『仕事をする』だけなら誰でもいいので、選手とのコミュニケーションやチームマネジメントがすごく大事だと思っています。僕であれば1対1のコミュニケーションを大切にしていますし、チームを俯瞰したときに何が問題かというところはなるべく自分の中で意見を持つように意識していました。

石田 自分はポジティブな方なので、練習や大会のときなど大変なときは選手に元気を与えられるように、常に前向きでいるように心がけていました。マネジャー業務としては後輩にも口酸っぱく言っているのですが、報・連・相を一番こだわっていました。

――マネジャーブロックの雰囲気はいかがですか

石田  1年生のころは人数が多かったのですが、2、3年生のときは人数が少なくて、それくらいから連絡を密にとるようになって一体感が生まれました。

江本  そうだね。もともと2、3年生のときは、僕たちの学年が佐藤、石田、僕で、久保は武士さん(武士文哉氏、令3文卒)と一緒に動いていて。下に望月(那海、教3=早大本庄)がいて、東(陸央、社3=東京・早実)がマネジャーになる前はこの4人でやっていました。よくこの4人で回っているなという感覚はありました。

石田 3年のときからほぼ短距離は私たちの代の3人が中心になってやっていたので、最初は(後輩が)望月しかいなくて4人で(笑)。

江本  大変だったと思います。特に望月は。

マネジャーは雑務・裏方ではなく、『組織を管理する一員』

――4年間マネジャーをやって良かったことはどんなことですか

石田 マネジメントというのを学んだなと思います。中高のときに結構練習というより私生活のことを口うるさく言われてきたので、そのときは自分の中で処理しきれていない部分があったのですが、大学に入ってマネジャーをやったときに、それらが本当に大切だったのだと改めて学んだというか、自分の中に落とし込めました。

江本 僕は競走部に長年憧れてきたので、関われたことがすごく良かったなと思います。マネジャーとして実践的な仕事が多いので、その経験をさせてもらえたのもすごく良かったなと思います。あとは時代の流れはありつつも、上下関係や体育会系と呼ばれる体制ではあるので、目上の方への報・連・相など、1つの物事にどれだけの人が関わっているのかを想像して色々なことを考えられるようになったというのは、礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)がよく仰っている人間性の部分を自分の中ではうまく伸ばせたのかなと思っています。

――どんな思いで4年間やってきましたか

石田  元々入る気はなかったし、マネジャーは向いていないと思っていたのですが、礒先生から1年の冬くらいにマネジメントに関して「人のためになることは結果的に組織のためだし、自分のためになってくる」というお話があって、そこから自分のマインドが変わりました。マネジャーは雑務とか裏方とか脇役という感じで言われがちですが、そうではなくて、組織を管理する一員であるという思いです。選手が主役ではあるのですが、自分たちも自分の中で主役だと、組織の一員としての役割を果たすという思いを持ってやってきました。その結果やりがいもあって、入って良かったなと思います。

江本 僕が入寮したタイミングが結構早くて、先輩のマネジャーさん達が抜けて寮にいるマネジャーが僕だけというタイミングがあって。そのときに寮にいる先輩方から話をもらうことが多くて、マネジャーとしてというよりも一部員として、2年生あたりから「自分はこの組織の一員なんだ」という自覚を持つようになりました。言葉にすると準幹部というか。幹部ではないのですが、幹部並に意見を持ったり意見を出したり、組織を見て行動するべきだという意識でこれまで過ごしてきたつもりです。

最後の箱根に向けて 

――東京箱根間往復大学駅伝(箱根)の話に移ります。箱根ではマネジャーとしてどんな役割を担いたいですか

石田  (当日は)2年連続で直希の付き添いをします。お互い分かりきっている仲なので、普段はクールな感じなのですが、箱根の何日か前から緊張が分かるんですよね。前回2区を走ったときも、自分の中では直希がいつもと違って緊張しているというのが分かっていたのですが、そこで自分の良さである前向きさや元気を与えるというのがあまりできなくて。もうちょっとできたかなというのが自分の中でも悔しさがありました。次もやらせてもらえるので、そこでしっかりリベンジできたらなというのは思います。久保(広季駅伝主務、人4=早稲田佐賀)と考えをシェアしながらうまくやって、このチームでずっと言い続けてきた『優勝』に貢献したいなと思います。

江本 箱根当日は付き添いをする予定で、こだわりを持って、色々なことを調べてインプットするという僕の強みを生かして、選手の不安要素をなくしたいです。(全体としては)まだ日があるのでチームの課題を見て、総合優勝に貢献したいなと思っています。

――箱根に向けて、意気込みをお願いします

江本  あまり外部のことは気にしたくないのですが、1年生のときから僕たちの代は強い代だと言われてきて、中谷(雄飛、スポ4=長野・佐久長聖)や千明(龍之佑駅伝主将、スポ4=群馬・東農大二)を筆頭に、下級生にも井川(龍人、スポ3=熊本・九州学院)や菖蒲(敦司、スポ2=山口・西京)など強いメンバーがそろっています。1年生のときから3冠を目指してきたのですが、やはり出雲と全日本はそう甘くはなくて。選手とチーム全員が本当に悔しい思いをしてきたので、「本当にこの箱根だけは」という思いがあります。千明と久保を筆頭に、相楽さん(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)を胴上げしたいので、箱根総合優勝を目指して残り日数少ないですが、頑張っていきたいと思います。

石田  さっきもありましたが、1年生のころから私たちが4年生のときは「絶対に3冠しよう」と言ってきて、1個下の代も3冠したいという強い思いを持って、2年生も菖蒲とかを中心に98回大会での優勝に対して強い思いを持って来ています。それに相楽さんも応えてくれて、優勝のために色々考えてくださっています。そういったコーチングスタッフやファンの方々への恩返しの意味を込めて、絶対に優勝したいと思っているので、自分ができることをこだわりを持ってやっていきたいなと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 朝岡里奈、布村果暖、湯口賢人)

色紙に『信』と書いた石田マネジャー(左)と『利他の精神』と書いた江本マネジャー

◆石田和嘉子(いしだ・わかこ)

2000(平12)年3月25日生まれ。静岡・浜松日体高出身。商学部4年。出身高校は太田直希選手や鈴木創士選手と同じ浜松日体。そのつながりもあり、元気がいい3年生とは姉弟のような関係だそう。長距離の4年生からは「3年の面倒任せたよ」と頼まれています! 

◆江本亘(えもと・わたる)

2000(平12)年1月10日生まれ。愛知・岡崎北高出身。スポーツ科学部4年。特に仲が良い選手として名前が挙がった小竹理恩(スポ4=栃木・佐野)選手とは、笑いのツボが一緒で、山口賢助(文4=鹿児島・鶴丸)選手とは好きな芸能人が一緒だそう。佐藤選手とはご飯を食べに行った時に話が合い、結局4時間も過ぎていたそうです!