【特別企画】跳躍ブロック対談 平川巧(棒高跳)×八木颯太(走高跳)×山田実来(走高跳)

陸上競技

 『走・跳・投』で構成される陸上競技のうち、多くの人にとって親しみやすいのは『走』かもしれない。しかし、跳躍だって面白い! 今回はその魅力と、早大競走部跳躍ブロックについて知るために、棒高跳の平川巧(スポ3=静岡・磐田南)、走高跳の八木颯太(スポ3=福岡)、山田実来(人3=神奈川・桐光学園)の3人に話を伺った。

※この取材は11月21日に行われたものです。

「(平川を)みんな、めちゃくちゃ頼りにしている」(山田)

対談に応じる3人の様子。左から山田、八木、平川

――他己紹介をお願いします。まずは平川選手から、八木選手の紹介をしていただけますか

平川 八木は、何でもクールにこなします。全ての物事に対して余裕がある感じ。すましている感じかな(笑)

山田 うんうん分かる。器用だよね。

――次に、八木選手から見て山田選手はどのような人ですか

八木 良い意味で、言葉と行動が合っていないというか。練習で「このメニューしんどい」とか「やりたくない」とか言うのですが、いざやったらめっちゃ頑張るんですよね(笑)。人一倍ストイックにやっています。補強も抜かりなくやっていて。ちゃらんぽらんな一面を見せながら、芯の部分はしっかりしていると思います。

山田 自分でも、保険をかけがちだなと思います(笑)

――では、山田選手から平川選手の紹介をお願いします

山田 平川くんは、真面目。組織がノリや勢いで変な方向に行ってしまったときに、絶対に軌道修正をしてくれる人です。みんな、めちゃくちゃ頼りにしていると思います。

八木 平川のことを嫌いな人はいないですよ。みんなのアイドルです(笑)

平川 アイドル(笑)。頼ってくれているのは嬉しいですね。

「バーが高くなるのに合わせて自分の力を出せるかどうか」(平川) 

4月の東京六大学対校大会で棒高跳に挑む平川

――では話題を変えて、それぞれの種目について教えていただこうと思います。まず、平川選手がやっている棒高跳はどのような種目ですか

平川 棒高跳は、ポールを持って走って、ポールを曲げて、より高いバーを跳ぶという種目です。いろいろな要素が必要で、走るのが速いだけでもダメだし、力が強いだけでもダメ。そのバランスをとることが面白さでもあり難しさでもあります。

――走高跳はどのような種目でしょうか

八木 シンプルに、走って踏み切って跳ぶという種目です。高いバーを越えていくダイナミックさや美しさが魅力かなと思います。

山田 高い身体能力を生かして跳ぶ人もいれば、細かな技術を極めて跳ぶ人もいて。戦い方が人によって変わってくる種目です。私自身は不器用な方なので、助走でスピードをつけて、踏切はそれに耐えて跳ぶという戦い方が合っていると思っています。

――棒高跳も走高跳もバーをかける種目ですが、その魅力は何でしょうか

平川 他の跳躍種目(走幅跳や三段跳)と違って、高さが上がっていく。そのプレッシャーの中で自分のパフォーマンスを発揮できるかという部分が面白いと思います。1メートル50センチの位置にバーをかけて2メートル00センチの位置まで体が上がっても、それは1メートル50センチという記録であって。バーが高くなるのに合わせて自分の力を出せるかどうかが重要になってきます。

――走高跳をやっている山田選手から見て、棒高跳はどのような種目ですか

山田 ポールの強さ・硬さ・長さも考えながら跳ばなければいけないとなると、走高跳よりも複雑なのかなと思います。

平川 大胆な競技と思われがちですが、意外と細かいところもありますよ。

――使用するポールはどのように選んでいるのですか

平川 硬さと長さが違うポールが売っていて、そこから選びます。最初は短いものから。そして、短い中でも硬いもの。硬さが最大限まで来たら、より長いもの。またその中で硬いものを選んでいく、という感じです。硬さについては、柔らかすぎると飛距離が出て奥へ跳んでいってしまうので、硬くして頂点が手前に来るようにする、といった選び方をしています。

「一致団結」の跳躍ブロック

――ここからは、競走部の跳躍ブロックについて伺います。現在、何人が所属していますか

平川 走高跳が3人、棒高跳が1人、走幅跳と三段跳で2人。合計6人です。

――練習は一緒にしているのですか

平川 基本的に跳躍の練習をする日は同じです。それぞれ専門の種目に分かれて練習します。

――練習の頻度は

八木 時期によって変わります。出場する試合もそれぞれ違うので。

――練習の雰囲気はいかがですか

平川 仲は良いです。一致団結して頑張っています。

八木 走高跳の僕たちから、棒高跳や走幅跳の人たちにもコミュニケーションをとりにいっていますよ。良い跳躍をしていたら、「今のいいじゃん!」という感じで。

山田 結構お互いに(練習の様子を)見ているよね。「(跳躍の)動画撮ろうか?」とか。

――短距離や長距離など、他のブロックとはどのように関わっていますか

八木 短距離ブロックとはランのメニューを一緒にやったり、その他のブロックとも補強を一緒にしたりします。

――練習のメニューはどのように作っていますか

山田 基本的には、岳さん(欠畑岳短距離コーチ、平27スポ卒=岩手・盛岡第一)が考えてくださったランのメニューを短短(短距離ブロックの中でも100メートルや200メートルを専門にしているブロック)に混じってやります。ランのメニューがない日に、専門練習をやるというかたちが多いです。

――短短と一緒に走るのですね

平川 八木は走るのが得意だから、楽しいんだろうなと思います。

山田 でも平川も結構頑張ってない?(笑)

平川 (走るのが)遅いことを自覚しているし、みんなも知っているから、楽しく頑張れます(笑)

八木 1本目から先手必勝で飛ばすもんね(笑)

――出場する試合はどのように決めているのですか

平川 対校戦などはみんなでそれに向かって練習をしますが、記録会や各都道府県の選手権は各自の判断で出場するかどうか決めています。そういった試合で、グランプリなどに出場するための標準記録の突破を目指しています。

八木 みんなで同じ試合に出ることも多いので、自分の競技が終わったら、例えば平川の棒高跳を応援しに行くということもあります。

陸上・跳躍競技を始めたきっかけ

身振りをつけながら話す八木

――また話題を変えて、みなさんの競技生活を振り返っていただこうと思います。平川選手は、すでに新入生対談でお話をうかがっていますが、陸上競技を始めたきっかけから今一度教えていただけますか

平川 父が棒高跳をやっていて、僕が中学へ入ったときに指導者をしていたので、ほぼやらされる感じで始めました。いざやってみたら楽しかったので、そのまま高校、大学と続けています。

――八木選手はいつから陸上を始めましたか

八木 僕は中学からです。最初はハードルをやっていたのですが、活躍する選手というわけでもなくて。3年生になるとき、ある大会の前に友達が「高跳びの出場枠が1つ空いているから出てみなよ」と言ってくれて。それをきっかけに始めたら、全中(全日本中学校選手権)の決勝まで行きました。「俺、高跳び向いてるじゃん」と思いました(笑)

――もしその友達の鶴の一声がなかったら…

八木 ハードラーになっていたか、陸上を続けていなかったかもしれないですね。

――そして、高校でも走高跳を続けたのですね

八木  はい。高校では、4継(4×100メートルリレー)やマイル(4×400メートルリレー)にも駆り出されました。

――最後に、山田選手は

山田 私も中学から陸上を始めました。最初は200メートルと混成競技をメインにやっていました。中高一貫校に通っていたので、そのままの流れで高校でも陸上をやることになって。中学でやっていた混成競技の中では走高跳が特に良かったので、それに絞ってみたら、初めて関東大会に出場することができました。その嬉しさがあって、(走高跳を)続けることになりました。

――中学・高校の6年間において、印象に残っている試合はありますか

平川  中学3年時に全中に出場したのですが、大会前までの記録のランキングが1位だったんですよ。「絶対に優勝できる」と思って自信満々で臨んだのですが、予選落ちしてしまって。それがすごく悔しくて、高校で頑張ろうと思いました。

――高校ではどのような気持ちで練習に取り組んだのですか

平川 全国の舞台で結果を出せるような選手になりたいという気持ちでしたね。そのために、初心に帰るというか、冷静に競技と向き合うようになりました。

――練習メニューにも変化があったのですか

平川 そうですね。短距離の人たちと一緒に走り込みをしたり、跳躍練習も本数を少なくして集中して取り組むようになったり。「1日に10本以上は絶対に跳ばない」というルールがありました。試合で10本以上は跳ばないから。試合を想定して、10本以内に良い跳躍を出すように練習していました。

――八木選手は、印象に残っている試合はありますか

八木 やっぱりインターハイです。高校2・3年時に、どちらも走高跳と4継とマイルの3種目で出場しましたが、全て予選落ちしてしまって。全国のトップ層との壁みたいなものを感じました。地方大会までは上位に入ることができて、「自分は戦える」と思っていましたが、インターハイで跳ねのけられた。その経験から「大学でリベンジしたい」という気持ちが生まれました。

――山田選手はいかがですか

山田 高2の南関東大会(関東高校大会南関東地区予選会)で6位に入って、初めて全国大会出場を決めたのですが、ノーマーク(記録なし)で終わってしまって。当時は全国大会に出場できた時点で満足していたのですが、高3の南関東大会ではケガをしていたこともあり全国を決められなくて。その時に「このまま終わったら後悔するな」と思って、大学でも競技を続けようと決意しました。

早大進学は父への憧れ そして『大スター』仲野春花さんの存在

一同が「きれい」だと口をそろえたのは仲野春花(平31スポ卒=現ニッパツ)の跳躍。写真は優勝した2017年日本学生対校選手権(全カレ)の女子走高跳での跳躍

――ここからは大学での競技生活について伺います。そもそも、早大を進学先に選んだ理由は何でしょうか

平川 僕は、父が早稲田の競走部出身で。やっぱり憧れがありました。運が良いことに推薦で選んでいただいたのですが、最初は一般で行くつもりでした。

八木 僕は、同じ福岡県出身の仲野春花さんという大スターが早稲田にいたことが大きいです。仲野さんが活躍する姿を見てきたので、そこから早稲田への憧れが芽生えました。

平川 仲野さんの跳躍はきれいだよね。

八木 きれいだし、力強い。

山田 うんうん。美しい。

――山田選手はどうして早大を選んだのですか

山田 中学・高校は陸上に全然力を入れていないところだったので、せっかく(競技を)続けるなら、もっと厳しいというか伝統のあるところでやりたいという気持ちがありました。そして、私も仲野さんの影響が大きくて。全カレで連覇していますよね。自分の専門種目において、大学で一番強い選手がいるということがすごく大きくて、それを受験の面接でも言った覚えがあります。昨年、田島記念(田島直人記念大会)に出たときに仲野さんと直接お話することがあって、「冬季練習、頑張ろうね」と声をかけていただきました。

3年間を振り返ると

早慶戦の男子走高跳に出場した八木

――入学後、1年時の競技生活はいかがでしたか

平川 1年の時は、とりあえずやることに必死。メニューも生活もついていくことに必死でした。

山田 私は、中学・高校は部活が強い学校というわけではなく、むしろ勉強に力を入れる環境だったので、そことのギャップに悩みました。全国や世界を見据えている人たちが集まる中で、実績も意識も違いを感じましたね。

八木 新しい体験ばかりで、毎日が新鮮でした。このようなしっかりした組織に所属することも初めてだったので、それに慣れることに苦労しました。

――記録や調子などはいかがでしたか

平川 1年目はみんな自己ベストを出すこともなかったよね。

八木 ただついていくだけで、練習に自分の色を出すことはできていなかったと思います。

山田 与えられたメニューをこなすのに必死でした。自分に必要な練習を考えてやらなければいけないのに、その余裕がなかった。上級生との意識の差がもろに出ましたね。

八木  僕の高校は補強も全くやらなかったので、メニューが一通り終わった後にもコミュニケーションをとりながら補強をする習慣が新鮮でした。決してネガティブではなく、ポジティブに「頑張ってついていこう」と思っていました。

――2年時はどんな年でしたか

八木  やはりコロナウイルスの影響を受けて、4月から各自散らばって練習するかたちになりました。初めての試合は7月の早大競技会でしたね。いつ試合があるのか不明確な状態が続いていて、モチベーションを保つことが大変でした。

平川  その中で、当時跳躍ブロック長だった漁野さん(​​漁野理子氏、令3政経卒)がZoomで定期的にブロックのミーティングを開いてくれて。毎日の練習メニューや所感を共有したり、10分補強といって決められた時間にみんなで10分間プランクや腹筋をやったりしました。それぞれ遠く離れているのですが、コミュニケーションをとれるようになり、「頑張らなきゃ」と思うきっかけを与えてもらいました。

――素晴らしいですね。他のブロックも同様に集まっていたのでしょうか

平川  いや、僕たちほどやっていないかな。

八木  跳躍ブロック、仲良いんです(笑)

――最終的に、昨年はどのくらい試合に出られましたか

山田  8月と9月に怒涛(どとう)の追い上げをしていたよね(笑)。毎週出る感じ。

八木  試合の数はなんとか確保できていたと思います。

――記録の伸びはありましたか

山田  私は本当にダメでした。学年が上がって少し余裕ができ、その分いろいろと試行錯誤しましたが、どれもうまくハマらず低迷していました。

平川  1年時のシーズン初戦でベストタイを跳ぶことができて、良い感触を得ていました。でも「5メートル00センチも跳べる」という意識を持つと、練習通りの動きができなくなってしまい、結局記録は伸びず。また昨年はポールが折れて手が血だらけになり、縫うことになったという出来事もあって。良い一年とは言えない年でした。

八木  昨年は、5月頃にすごく調子が良くなったんです。でも6月から7月にかけてその調子が落ちて、8月からはまた調子が上がって。と思ったら、忘れもしない8月15日の試合で、足首を捻挫(ねんざ)してしまい、1カ月半くらい走れなくなりました。そして10月に最後の試合に出てシーズンオフ。なかなかうまくいかないというか、波の激しい一年でした。

――2年時はみなさん苦悩されたのですね。では、3年生となった今年はいかがでしたか

平川  僕は「関カレ(関東学生対校選手権)で絶対に入賞しよう」と思いながらずっと練習をしていましたが、結局ダメで。その時に結構落ち込んでしまいました。練習に身が入らなくなった時期も少しありましたが、青栁先輩(青栁柾希、スポ4=千葉・成田)や小野さん(小野想太、スポ4=香川・観音寺一)に支えてもらって、「頑張らなきゃいけない」と思いました。その後、1センチではありますが自己ベストを更新できたので、それは嬉しかったですね。あとは、今年は5メートル00センチに挑戦する機会が何度もあったのですが、全部惜しい跳躍で。成長を感じられたけれど、まだまだだなという一年でした。

八木  平川が落ち込んでいたのは、結構覚えています。普段はそのような面を全く見せないのですが、あの時期は「もうダメかもしれない」とネガティブな発言をしていて。

平川  「跳べる」という自信もあったので、余計につらかったですね。あの時はごめんね。

八木  良いんだよ! そういう時もある!(笑)

――八木選手は

八木  2年時の冬季練習の仕上がりが良かったのですが、4月頃にアキレス腱が悪くなってしまって。練習や試合には出られるのですが、自分のやりたいパフォーマンスができない状態が続きました。ただ、思うように跳躍の練習ができないからこそ、走りや体の使い方を見直す時間をつくることができて。特に菅平合宿でそれをしつこくやったら、地面を捉える・押す感覚を得られました。最終的には、自己ベストを出せたので良かったです。

平川  切り替えが上手だよね。

――どうしてそのようにうまく切り替えられたのですか

八木  中学・高校と、勝負強かったんですよ。だから良いのか悪いのか、ケガがあっても「自分なら最後はうまくまとめられる」と思えるんですよね。冷静に判断できるというか。

山田  本当に淡々としているよね。

平川  落ち着いている人ってやっぱり強いと思います。

――山田選手も、今シーズンを振り返っていただけますか

山田  私は春先に4継を走らせてもらったのですが、短短の練習に参加するとき、今年入ってきてくれた実力のある1年生たちと一緒に走れることが嬉しくて。そこで上級生としての自覚が芽生えました。でもその後ケガをしてしまい、シーズン前半を棒に振ってしまいました。菅平合宿を迎えると、私も八木と一緒で走りにフォーカスして。大坂美乃(文構3=愛知・明和)も含めた走高跳の3人はみんな調子良かったよね。

平川  そうそう。みんな絶好調だった。

山田  その頃から3人で走高跳について話すことが増えて、練習も納得するまで時間をかけてやるようになりました。自分の主観とみんなの客観をすり合わせるというか。あとは、実際に試合に出てみないと分からないことも多いなと思い、シーズン後半は試合数を積むようにしていました。このようなことがあったから、10月の日体大選手権で自己ベストを出せたのかなと思っています。

今後に向けて

質問に答える山田

――それでは、それぞれ今後の目標を教えていただけますか

山田  私は、女子をまとめることが自分の役割だと思っています。今の3年生の女子は誰かが飛び抜けて強いわけではないので、みんなで助け合って4年生としての威厳を出していかなければいけない。それに貢献していきたいです。そして関カレと全カレで入賞して、得点という面でも組織に貢献できたらと思っています。

八木  具体的な数字で言えば、大学入学時から目標にしていた2メートル10センチ台を跳びたいです。ラストシーズンとなるので、1日1日の練習を大事に積み重ねていけたらと思います。また、現時点で跳躍の後輩はいないのですが、後輩に何か遺していけたらと思っています。僕たち、1年生の頃はかなり苦労したので。

山田  そうだね。伝えていきたいね。

――最後に、平川選手の目標は

平川  三浦(三浦励央奈108代目主将、スポ3=神奈川・法政二)が『全カレ総合優勝』という目標を立ててくれて、三浦自身も「絶対に成し遂げたい」と熱い思いを持っているので、そこに自分がどう貢献できるか。具体的には、5メートル20センチを跳んで全カレで入賞することだと思っています。この3年間はうまくいかないことの方が多かったですが、過去は変えられないので。「今、何をするか」「今日に悔いを残さないこと」を大事にしていきたいです。

――平川選手は寮長にもなるということで、その意気込みも聞かせていただけますか

平川  幹部の一員というよりは、当番エクストラモードみたいな存在になるかな(笑)

八木  エクストラモード(笑)

平川  陸上はやっぱり個人競技で、他人に助けてもらうようなことはない。その中でチームの結束力を上げられるように頑張りたいですね。寮生活の結束力が、グラウンドでの結束力につながると思うので。

山田  どんな寮にしたいですか?(笑)

平川  どんな寮?(笑)。調子が悪いときも「こいつらがいるから頑張ろう」と思えるような寮にしたいですね。

――ありがとうございました!

(取材・編集 大滝佐和、布村果暖)

色紙を手に並ぶ3人。左から八木「勇気を出した方が勝ち」、平川「今」、山田「貢献」

◆八木颯太(やぎ・そうた)(※写真左)

1999(平11)年8月29日生まれ。福岡高出身。スポーツ科学部3年。自己ベスト:男子走高跳2メートル00センチ(2021年8月早大競技会)。休日は1人で過ごすことが多いという八木選手。映画館や美術館など非日常的な場所へ行き、心身をリフレッシュしているそうです!

◆平川巧(ひらかわ・たくみ)(※写真中央)

2000(平12)年10月19日生まれ。静岡・磐田南高出身。スポーツ科学部3年。自己ベスト:男子棒高跳4メートル91センチ(2021年7月アストリンケージフェスティバル)。お風呂が大好きだという平川選手。寮のお風呂では種目が異なる選手とも話し、仲を深めているそうです!

◆山田実来(やまだ・みく)

2000(平12)年9月11日生まれ。東京・桐光学園高出身。人間科学部3年。自己ベスト:女子走高跳1メートル70センチ(2021年10月日体大選手権)。お菓子が好きだという山田選手。八木選手に「コンビニスイーツのことなら何でも知っている」と言わしめました!