【連載】『Infinity』第3回 障害 池田海

陸上競技

 インカレ決勝の常連とも言える早稲田の男子110メートル障害に、3年ぶりに逸材が加入した。2018年秋に当時の高1歴代1位の記録(14秒32)をたたき出し、20年には14秒07をマークして年間高校ランキング4位に入っている池田海(スポ1=愛媛・松山北) だ。数々の種目を経験した今までの陸上人生、そして大学、その先まで見据えたお話をしていただいた。

※この取材は4月27日に行われたものです。

スペイン生まれ、愛媛育ち

穏やかな口調で、丁寧に質問に答える池田

――今日の練習はどんな内容でしたか

 今週末に早大競技会があるので、それに向けた刺激、調整の意味が強い練習をしていました。

――寮生活は初めてですか

 初めてです。ずっと地元から出たことがなかったので。

――当番等には慣れましたか

 だいぶ慣れてきました。

――寮の同部屋はどなたですか

 2年生の新上(健太、人2=東京・早実)さんと3年生の井川(龍人、スポ3=熊本・九州学院)さんです。

――どんな部屋ですか

 基本他と変わりはないのですが、井川さんがだいぶお広く(笑)、使われています。

――長距離の上級生は結構出入りしてますか

 そうですね、結構いらっしゃっています(笑)。

――雰囲気はどんな感じですか

 会ったりしたら喋る感じです。お二人とも優しいのでありがたいです。

――ご出身は

 生まれたのはスペインのマドリードで、小学1年生までそこで過ごしていました。その後はずっと愛媛に住んでいました。もともと実家が愛媛で、そこに移ったという感じです。

――スペインから愛媛ということで変化が大きかったと思うのですが

 変化は大きかったのですが、まだ小1だったのでなんとなく過ごしたら慣れたという感じでした(笑)。

――さらに愛媛から上京して、それも環境の変化が大きかったと思うのですが、こちらの生活には慣れましたか

 結構慣れました。もともと親戚が東京方面にいてよく来てはいたので問題なく過ごせています。

――地元スペインと愛媛それぞれの良いところを教えてください

 愛媛の中では一番栄えている松山市に住んでいましたが、所沢駅ほど栄えてはいなかったので、程よく便利でそこまで騒がしくないという感じの過ごしやすい環境でした。スペインはマドリードに住んでいました。そこはかなり都会でしたが、それも嫌いではなかったです。どちらもそれぞれの良さがあって楽しく、生活には困らない、といったところです。

――大学生活には慣れましたか

 結構今のところ順調にいっています。対面やリアルタイムの授業は問題ないのですが、オンデマンドの授業は気がついたら溜まっているので、気をつけないといけないなと思っています。

――スポーツ科学部で競走部以外の友達はできましたか

 数名できましたが、基本競走部の人と授業がかぶることも多いので一緒に動いていました。慣れてからは一人で行動することも多くなったので、そこから少しずつ友達ができました。

――競走部で特に仲が良い人はいますか

 寮内の短距離の1年生、自分含めての4人は特に仲が良いです。

――オフの日にはどんな息抜きをしていますか

 どこかに行こうとするにも時間が必要だと思うのですが、チュートリ(英語の授業)がオフの月曜日の3限に入ってしまっていて、どこにも行けないです。絵を描いたりもするのですが、基本的にはぼーっと過ごしています。

――もともとインドア派ですか

 どちらも好きです。誘われたら行くし、自分で行くこともあるという感じです。

――絵はどんな絵を描くのですか

 色々です。何か見て描いたりもしますし、自分で考えて描いたりもします。生き物とかよく描きます。

――絵を描くのは小さい頃から好きなのですか

 そうですね。

 

「(高1で)知らない間にハードルにもエントリーされていて」

3月27日の早大競技会で110メートル障害に出場した池田

――競走部にもともとの知り合いはいましたか

 一つ歳上の田中天智龍(スポ2=鹿児島南)さんは高校1年生の時に合宿で一緒になったことがあり、そこから仲良くさせていただいています。

――よく話をする先輩はいますか

 同じ部屋の新上さんや、天智龍さんなど、基本2年生と話すことが多いです。

――日野斗馬(商1=愛媛・松山東)選手も同じ愛媛出身だと思いますが、大学入学までに関わりはありましたか

 家が本当に近くて、小中一緒で、高校は別でしたが、高校自体も近いのでずっと仲は良いです。

――日野選手が早稲田に入学するのは知っていましたか

 中2くらいの時から早稲田に行きたいと言っていたので、知っていました。

――陸上を始めたきっかけは何ですか

 自分はもともと何も運動をしていなくて、小学校のころは遊ぶのが一番という感じでした。でも小学5年生の時に、よく遊んでいた友達がみんな、学校で秋の時期だけできる陸上クラブに入ってしまって。それでそのクラブに入ったのがきっかけです。

――では陸上以外にはスポーツは全くやっていなかったのですか

 そうですね、何も触れてきていないです。

――やってみたいスポーツはありますか

 小さい頃から新しくどこかに入るのが苦手で、サッカーやバスケをやってみたいなとは思ったりはしたのですが、それよりも新しく入るのが恥ずかしいというのが勝ってしまったので、入ろうとまでは思いませんでした。

――種目は現在は110メートル障害が中心だと思いますが、中学の頃は四種競技もやっていましたよね

 小学校の頃に身長が高かったということもあり、高跳びをやっていて、そこそこ跳べていたのでそこからずっと高跳びをやっていました。中3の時に体が大きかったのである程度全部の種目ができるという点で、四種競技もやりました。幅跳びもハードルも少しずつやってはいたのですが、メインは高跳びでした。

――ジュニアオリンピックにも出場していますよね

 中2の時に幅跳びで出て、中3で高跳びで出ました。

――もともとスポーツをほとんどやっていなかったのに、跳ぶ競技もできたのですか

 はい、なんかできちゃって(笑)。

――高跳びを始めたきっかけはなんですか

 コーチに何をしたら良いか聞いたら、「高跳びだろ」と言われたので、「やります」と言いました。

――それで跳んでみたら結構いけたと

 そうですね、その時の県の大会で一番になれたくらいだったので、ちょっと調子に乗るくらいでした(笑)。

――ということは種目は最初は高跳びですか

 基本ずっと高跳びですね。そこから少し幅跳びもやって、四種もやってという感じです。全中(全日本中学選手権)の標準を幅跳び、高跳び、ハードル、四種で切っていました。その時はどれも楽しいと思っていたのですが、一番飛び抜けていたのが高跳びだったので高校に入ってもずっと高跳びをやろうと思っていました。

 ですが、ちょうど中学から高校に上がる春休みにスペインに行くことになったので、その間に高校最初の記録会の申し込みを先輩に頼んでいたんです。そうしたら、高跳びだけ頼んでいたのに知らない間にハードルにもエントリーされていて。練習したこともないのに、「お前出たことあるやろー」って(笑)。それでスペインから帰ってその記録会に出たら、高跳びもそこそこ良かったのですがハードルで思ったよりも良い結果が出て。どちらもインターハイ(総体)を狙える、となり、そこから両方やろうとなりました。

――すごいですね(笑) その先輩がきっかけで

 今となってはありがたいです(笑)。

 

――それからは110メートル障害に絞ったのですか

 もともと中学ハードルでバランスを崩しがちだったのですが、高校に入ってハードルが高くなったことで楽に跳べるようになり、レースに出る度に記録が伸びていくようになりました。それでもまだ高跳びをやるつもりだったのですが、学校に高跳びをやるスペースがなく、走ることや補強をやることがメインであまり練習はできませんでした。ハードルでは高1の時に総体の準決勝まで行けて、その次の週の記録会でも当時の高1歴代1位の記録(14秒43)が出て。そしてその頃から高跳びもあまり跳べなくなってしまい、ハードルに移行しました。

――高校は体育に特化した学校というわけではなく、一般の公立高校ですか

 はい、地元の県立高校に進みました。陸上は強かったのですが、体育に特化していたというわけではありませんでした。

――陸上やハードル競技の好きなところはどんなところですか

 シンプルに走ること自体は好きではあるのですが、何本もできるわけではなくてすぐ飽きたりしんどくなってしまいます。でも跳ぶ系の競技だと一回の浮遊感が気持ち良いです。また、高跳びとなると毎回、一回を跳ぶのに全力で集中して跳ばなければならないのがしんどかったのですが、ハードルは気楽に何台も跳べたり、高跳びと比べて間合いだったり距離感がつかみやすくて、自由にフォームを変えることができるので、そこが本当に楽しいです。

――将来的には指導者という道も考えているのですか

 体育の教師になりたいわけではないのですが、競技を続ける続けないに関わらず、陸上に関わっていたくて。できれば将来はクラブチームで陸上を教えたいな、とずっと思っています。もともと絵を描くのが好きで、中学時代は陸上よりも絵を描くことの方が楽しかったので美術の先生になりたいと思っていました。後にそれは難しいと分かりましたが、教えることは好きだったので、高校に入ってどんどん陸上にはまっていくにつれ、陸上を教えたいと思うようになっていきました。

――高校の時で印象に残っているレースはありますか

 自己ベストが出たレースは楽しい印象が残っているのですが、自分の中で大きな変化があった試合が高1の総体です。

 それまでの大会は順調にきていたのですが、その途中で股関節を痛めてしまって。もともと体が柔らかい分、無駄な可動域で抜き足を持ってきてしまっていて、それが原因で痛めてしまい、一時期気持ちが落ち込んでいた時がありました。でもその総体の直前、向こうに着いてからの練習で一人で試していた時に、きっかけは覚えていないのですが急に感覚がはまって。痛みの無い跳び方が分かったということがありました。そこでがらっと感覚が変わって、すごく自由が効くようになったので、そこが印象深いです。

 ただその後高2はどの試合に出てもどんどん記録が落ちて、最終的にタイムが15秒2台くらいまで落ちてしまって。そこで1年の時にできた感覚が全てなくなってしまうような、すごくスランプになってしまいました。3年になってからの試合は、全部印象に残っているような濃い内容でした。そもそも大会数が少なかったのもありますが、それぞれに課題や良さがあったので、全体的に見ると高3のシーズンが濃かったです。

――3年目のシーズンというとかなりコロナの影響も受けたと思うのですが、それでも濃い一年だったということですか

 そうです。

――どんな経緯で早稲田への進学を決めましたか

 大学でも陸上は続けたいと思っていたので、強豪チームに行きたいと思っていました。高1の冬に早稲田を知って、でもハードルを始めたばかりでどこが強いのかも、他に大学をたくさん知っていた訳でもなかったので、まず一つの選択肢として早稲田大学がありました。

 それから、同じ愛媛県出身で早稲田を卒業している野本周成選手(平30スポ卒=愛媛陸協)と一緒に練習させていただくようになり、周成選手の練習スタイルや考え方、競技力などに感銘を受け、気持ちが強くなっていきました。実際に早稲田の練習にも参加させていただきましたが、施設も整っていますし、礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)の教え方もシンプルで自分に入りやすくて。そのことを、直接指導を受けても、周成選手経由でも感じたので、そこが決め手になり早稲田に来たいという決意をしました。

――早稲田を意識した後、他の大学への進学を考えたりはしましたか

 徐々にいろいろ調べるようになって、筑波大や法大、順大に興味を持ったりしました。また、いろいろな選手の進路情報を見たり、練習スタイルも考えながら過ごしていく中で、練習の日程やメニュー、やり方などが一番はっきりとしていて自分に一番合うと思った早稲田を強く意識するようになりました。

――早稲田はO Bも現役学生も強い方が多いと思いますが、野本選手以外の先輩の活躍は見ていましたか

 調べていく中で、進学している選手も知っていきました。本当に全員が強い方々で、自分からすると憧れの選手ばかりだったので、さらに憧れは強くなっていきました。

――早稲田の練習に本格的に参加したのはいつからですか

 3月25日にこちらに来たので、それからです。

――その前にも何度か来ているかとは思うのですが、早稲田に初めて練習に来たときの印象はどうでしたか

 練習に参加させていただいたときは、全体練習に参加したのではなかったので雰囲気は分からなかったのですが、先生にお話を聞いたり、野本選手に聞いたり、またTwitterに上がっている動画を見ていく中で、自分で考えて練習が組めるのだな、ということは感じていました。

――高校の部活との違いはどんな点が大きいですか

 まず周りの競技力の高さももちろん大きいのですが、それだけではなく、各個人で、練習に対しても人間的にもしっかり考えを持っている人が多く、それを自分だけに留めずそれぞれで発信し合っていることが当たり前の環境で、そこが大きく違いました。

――障害ブロックの森戸信陽主将(スポ4=千葉・市船橋)、勝田築選手(スポ4=島根・開星)と一緒に練習しているのですか

 一緒に練習させていただいています。お二人とも優しくて、僕ともアウトプットのし合いをしてくれますし、助けていただいています。

――早大競技会では森戸選手、勝田選手と同じレースでしたが、その感覚はどうでしたか

 こちらに来るまで練習はずっと続けていて、大阪室内(日本室内陸上大阪大会)にも出場していたので、体が動かないことはなかったのですが、レースを振り返ると感覚自体はあまり良くはなかったです。結果的にタイムは例年の自分のこの時期のパフォーマンスとしてはかなり良く、向かい風が強い中でのタイムだったので、悪くはないなという感じでしたが、まだ技術面ではばらつきがあったり、修正するところはあったので、全体的な内容としてはあまり良くなかったです。

――ご自身の走りの強みはどのようなところですか

 自由が効くというか、感覚をすぐ体に出せるところは強みだと思っています。また僕の体型が身長の割に足が短いので、それがハードルに向いているとはよく先生に言われます。限られた4歩のインターバルをしっかり走ることができるということで。ただ、それを今自分ができているかと言われると全くできていないので、実際にそれが僕自身の強みになるように今後練習していきたいと思っています。

――今シーズンの目標は

 練習はもちろんですが試合で得られるものは多いと思っているので、出られる大会にはできる限り出て、そこでどんどん感覚を研ぎ澄ましていきたいです。タイムとしては、高校時代から13秒台というタイムを、出せる自信を持ちながら目標としてきたので、まずはそこを超えて13秒8台に届くような走りをしていきたいと思っています。

――大学4年間の大きな目標は

 高校時代に高めの目標として13秒5台を出すというものを持っていたので、まずはそこを目標にしたいです。その記録は早稲田記録でもあり、一つの中間点となると思うので、まずはそこを超えて最終的には13秒3台を超えられるような選手になりたいと考えています。

 タイム自体はこのような目標にしているのですが、大学卒業後に続ける、続けないに関わらず、後の、クラブを作ったりする目標にはやはり経験も必要になってくると思います。なのでそういったタイムを出して日本代表になることで、後の自分の人生にプラスになるような大学生活を送りたいと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 及川知世、布村果暖)

星などのかわいいイラストに囲まれた、『たのしむ』という目標を描いてくださりました!

◆池田海(いけだ・かい)

2002(平14)年4月26日生まれ。187センチ。愛媛・松山北高出身。スポーツ科学部1年。絵を描くことが好きだという池田選手。色紙をお願いしたら、さらさらとペンを運びその場でイラストを披露してくださりました。ポテンシャルが高く、変化にも柔軟に対応できる池田選手。大学という新たな環境でのさらなる飛躍に期待が高まります!