2月28日に開催されたびわ湖毎日マラソンに、昨年末の漢祭りを史上最速タイムで制し『漢』に輝いた河合陽平(スポ3=愛知・時習館)が出場した。 3年生での初マラソン挑戦。どんな思いで臨み、このレースでどんなことを得たのか。1年間の振り返りとともにお話を伺った。
※この取材は3月5日にリモートで行われたものです。
「けがせずに練習が積めて、距離をコンスタントに走り込めるのは自分の強み」
昨年末の漢祭りにて1位でゴールする河合
――マラソンお疲れ様でした。今、練習は始めていますか
終わって月火水くらいはほとんど走らず、今週中くらいは走っても30~40分くらいのジョグでした。来週もジョグペースのジョグという感じで、2週間くらいはしっかり休んでという感じで監督に言われているので、あまり走っていないです。
――終わった後の疲労感はいかがですか
直後は筋肉痛が結構あって、歩いたりするのも足に痛みがあったんですが、今は筋肉痛とかは取れていて、軽いジョグなら全然できるくらい走れているのでだいぶ疲労も取れています。でもやっぱり長い距離走っているので奥の方というか、筋肉とかじゃない奥に、芯に残っている疲労は感じています。
――今回のマラソン挑戦は、いつ頃、どういう経緯で決まったのですか
監督から勧められたのは箱根(東京箱根間往復大学駅伝)後の解散が終わった頃なので、1月19日とかでしたね。なんでマラソンをやろうかとなったかというと、まず立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)に今年は標準記録が設けられて、それを僕は切っていなくて。1万メートルもハーフも1月30日までに標準を切ってないと出れないのですが切っていなくて、次の試合どうしようかなとなった時に、監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)から「びわ湖出てみないか」と言われました。年間を通して走り込めているというのは自分でも分かってるし、監督もそこは評価してくれてたので、マラソンいけるんじゃないかという考えで。あとは1月、2月は走り込みが重要な時期なので、マラソンを利用して練習量をしっかり積めるんだったらやってみたらどうかと言われてやりました。トラックシーズンに向けてスピード強化をする方向でもいいかなと思ったのですが、僕はそこまでスピードがあるタイプでもないし、長い距離の方が自分の持ち味を出せるかなと思ったので、マラソン挑戦にはすごく興味もあったし、というところでした。
――では監督から提案されて、その場で出場を決めたんですか
はい、そうですね。マラソンやらないかと言われて、「はい、出たいです」ってその場で言いました。監督も結構やらせるつもりでいたと思うので、驚いてはいないかなと。僕は即決でしたね。
――3年生での挑戦は早い方かなと感じるのですが、もともとマラソンを走ってみようとは思っていたんですか
特に早いかなとは思ってなくて。けがせずに練習が積めて、距離をコンスタントに走り込めるというのは自分の強みだと思っていたので、マラソン挑戦というのはそこまで抵抗はなく。どっちかというとやらせてもらえて、挑戦させてもらえて結構うれしかったですね。
――走り込めているというのは今年度でしょうか、大学に入ってからでしょうか
練習自体はずっと走り込みはできていたと思います。1、2年生の時は無理して距離を走り込んで疲労を溜めたりして、レースで結果を残せなかったり、というのがありました。でも3年生になって自分の体も追いついて、走り込みに耐えられるようになってきて、それでトラックや秋シーズンで記録が出たりしていたので。
――マラソンに挑戦する上で不安などはなかったのですか
最初から結構ワクワク感の方が強かったですね。
――40キロという距離は長く感じないのですか
長いっちゃ長いんですけど(笑)。マラソンの練習を始めて最初の頃とかは、長い時間、2時間以上とか走るというときに結構体がきつかったんですが、最後の方というか2月に入ってからは慣れてきていて。40キロ走とかもわりと余裕を持ってできたので、距離に対してはそこまで抵抗はなかったですね。なかったというかなくなったという感じですね。
この1年間を振り返って
――ここからは昨年の振り返りをしていきます。自粛期間はどのような練習をしていましたか
自粛期間は実家に帰って練習していて、ほとんど自分に練習メニューが任されていたので、あまり(練習を)変えないようにというのは意識していました。大きく変わったのは一回一回のポイント練習の質を少しずつ高めることができたところですね。というのは自分一人でやっているので疲労のコントロールとか、休むところは休むとかはこっちにいるよりもわりと簡単にできたので、ポイント練習の質を高めつつ長く走れるときは長く走ってという感じでした。一言で言えば練習のメリハリが付けやすかったのが大きいかなと思いますね。
――では一人での練習でもかなりしっかりできていたという感じですかね
そうですね。自粛期間中はしっかり練習できてました。あとは隣の市に後輩の白井(航平、文構2=愛知・豊橋東)がいるので、たまに一緒に競技場に行って練習したりしていました。でも基本は一人でしたね。
――夏合宿は所沢で行われました。走り込みの量で満足のいかない部分もあったかと思うのですが、いかがでしたか
夏はむしろ例年より走れてるんじゃないかなと思います。詳しい距離までは分からないんですが、そこまで走り込めなかったという印象はなくて、わりとできてましたね。最後9月に妙高に行けたのでそこでもしっかり走り込めて。所沢は暑かったですが言い訳にはならないので、暑いからという理由で距離を減らさないようにはしていました。
――夏の時期などで重点的に取り組んだことはありましたか
動きの改善とか体の使い方というのは、夏というか自粛期間中に少し意識していました。自粛期間中は今思い返すと五味さん(五味宏生氏、平19スポ卒)に、体の使い方の点で今までとは違う取り組みをしたり、変化を求めてやっていました。夏合宿はそれを継続したり、周りの人に聞いてやっていましたね。個人的に夏合宿で一番大きかったのは山口(賢助、文3=鹿児島・鶴丸)と一緒に練習させてもらっていたことで。山口も力のある選手で、Aチームに匹敵するような力を持っている同期がいたので、そこに食らいついてやれたというのは大きかったなと思います。
――駒野亮太長距離コーチ(平20教卒=東京・早実)からもAチームに肉薄するような練習ができていたと伺いました
春とか早い段階からずっとAチームに上がるというのは言い続けていましたが、夏前の記録会でそこまでインパクトのある記録が出せなかったので夏合宿はそのままBチームでした。でもそこに偶然山口がけがでいたので、一緒にやらせてもらって。結局Aチームに上がったのは秋の集中練習の前くらいだったんですが、そこで一緒に練習できたというのは大きかったですね。
――マラソンの挑戦が決まるまで、秋冬の練習も継続的に積めていたのですか
そうですね。秋冬もけがせず継続的に練習が積めていました。距離の設定とかは基本的に示されないのですが、日々の練習で人より多く走るとか、朝練習のペース走を多少疲労があっても続けるとかいうところを意識してやってました。それは結構ずっとなんですけどね。
――今年は早大競技会や漢祭りでも立て続けに自己ベストを更新していました。そうした結果からも、地力がついたということは感じますか
やっと走り込みの成果が出てきたというのが今年の秋冬だったので、コツコツ練習を継続してきた結果が出せたんじゃないかなと思います。集中練習も例年だとBチームから上がった選手は早々に疲労やけがで離脱することが多いと相楽さんからも言われたのですが、そこでもしっかり最後までつけたので、その要因はやっぱり年間を通してコツコツ練習を積めていたというところが大きいかなと思います。
――自分でそうした練習を積む、けがをしないために何か取り組んでいることはあるのですか
毎日ケアをするとか、セルフマッサージやストレッチとか、温泉や治療で疲労を溜めないように、というのは常に意識してますね。
――秋はチームとしても上向きの状態になっていましたが、そうした状況をどのように捉えていましたか
山口が5000メートルで14分0で走ったレース(9月30日第6回早大競技会)があったんですね。僕は介護体験実習があったので出られなかったのですが、そこで夏一緒にやってきた山口が記録を出したので、僕もできるんじゃないかという自信は持ってました。全日本(全日本大学駅伝対校選手権)とかはたしかに強かったですね(笑)。全日本でもやっぱり個人的には山口がアンカー走ったのが結構大きくて、「山口ができるんなら」と。でもさすがに(1万メートル)28分20秒は速いなと(笑)。
――かなり山口選手の存在が大きかったんですね
そうですね。普段もわりと仲良くしてるので。基本山口はAチームにいるので、一緒の練習になったのは今年の夏ですが。向井(悠介、スポ3=香川・小豆島中央)とか室伏(祐吾、商3=東京・早実)とかも記録を出していて、そこに早く追いつきたいなというのは思っていました。室伏とかも全日本のメンバーに入ってたりしたので、自分も早くAチームに追いつかなきゃとは思ってました。
――自己ベストのタイムには満足されていますか
タイムは(5000メートル)14分22秒は練習の状況からしたらそれくらいは出るだろうなと思っていたので、そんなものかなという感じですね。1万メートルの記録(29分33秒10)も練習通りかなという感じですね。練習が積めていたので、練習通りの力が発揮できればベストは出るかなという感じでした。まだチームのトップとはちょっと差があって、そこは全然満足していないので、4年目もう少しトラックでも記録を求めていかなきゃとは思っています。
――マラソンに向けての話になりますが、メニューは一人別で行っていたのですか
そうですね。1月の最終週くらいは解散明けということもあって、立川(ハーフ)組と練習を立ち上げるところで一緒にやっていたときもあったのですが、2月に入ってからは一人でポイント練習をやることが多かったです。
――部員日記で江本亘(スポ3=愛知・岡崎北)マネジャーからも「心配になるくらい走り込んでいた」と言われていましたが、どのくらい走り込んでいたんですか
週に200キロは超えるように、というのを解散明けてからの4週間くらいはやっていました。ここまで走り込んだのは初めてだったので、体がきついところもあったんですが、なんとかけがせずに耐えられました。
――マラソンに向けての練習とそれ以外の練習の違いはありますか
マラソンのための練習は、設定がマラソンを走るペース、目標が2時間15分で大体1キロ3分12秒くらいのペースなので、それより速い練習はあまりせず、基本的にはそれくらいかそれより遅いペースでじっくり長く走るという練習の方が多くありましたね。
――学生時代からマラソンを走るということで、過去の先輩の例を参考にしたり、経験者からアドバイスを聞いたりはしましたか
相楽さんから過去の安井さん(安井雄一、平30スポ卒=現トヨタ自動車)とか井戸さん(井戸浩貴氏、平29商卒)とかの月間、各週の走行距離や、ラップタイムを見せてもらったりしました。あとは安井さんに連絡を取れる筋があったので、安井さんがスペシャルドリンクで何を入れてるのかを教えてもらって参考にしました。それくらいですかね。練習内容とかは聞いたりせず、監督と相談してという感じでした。
マラソン挑戦は「すごく楽しみだった」
笑顔で記録証を見せてくれた河合
――レースについて、どのようなレースプランを想定して臨みましたか
最初から設定どおり3分12秒くらいで、最後まで5キロ16分くらいで押していこうというプランでやっていました。前半に体が動いたら設定より少し速いペースで行って、体を動かしてそこから落ち着かせてイーブンでいこうというレースプランでした。練習もそんな感じで、特にペース変化はさせないようにと思ってスタートしました。
――2時間15分の目標というのは、1キロあたりのペースから計算したのか、あるいはゴールタイムを先に決めたのかどちらですか
監督からは2時間15分イーブンでいけば走れるんじゃないかとは言われていて。遅くとも2時間18分の安井さんの記録は抜いて早稲田の歴代10傑に入ろうというのを言われてマラソン練習をスタートしたので、どっちかというとゴールタイムを意識してそこからそのペースで走り切れるようにという練習が多かったですね。
――前日や当日の調子はいかがでしたか
体もすごく軽くて、マラソン練習の疲労も取れていてかなり調子は良かったです。
――メンタル面での調子はどうでしたか
ずっとワクワクしていたというのは変わりなくて、すごく楽しみでしたね走る前は。
――普段から大事な試合前は緊張しないタイプですか
そうですね、あまり緊張はしないですね。今回は特にマラソンで長いので、最初から緊張していても力が入ってしまってよくないかなと思っていて。緊張しないように意識して、楽しめるところまで楽しもうと思っていました。
――実際にスタートしてからはどのようにレースが進んでいきましたか
最初は集団なので、自分のペースに合う集団や人を見つけようというところで、最初の5キロくらいは、自分の走りやすいペースというか余裕をもって動かせるペースで集団を探すことを意識して走っていました。そしたら結構体も軽くて動いて、15分30秒ちょいくらいで入れました。設定より速いなとは思ったのですが、そこまでタイムも気にすることなく5キロまでは行ってました。
――自分に合う集団をうまく見つけられたという感じですか
数人の集団だったのですが、わりと常に周りに人がいて、そこをペースメーカーで使ってという感じで走っていました。前から落ちてきて追いついたり、後ろから抜かれたりというのはあったのですが、自分のペースはそこまで大きく変えず走れていました。
――中間点もハーフマラソンの自己ベストより速く通過していましたが、ハーフのタイムに関してはいかがですか
ハーフを通過するときに時計見て、「あ、ベストだ」とは思ったのですが、もともとハーフのベストがそんなに速くないし、3年の時も上尾(上尾シティマラソン)と立川がなくなってハーフを走る機会がなかったので。一応ベストではあるんですが、自分のハーフの持ちタイムが遅かっただけなのかなとは思っています。
――30キロ以降はどうでしたか
30キロ過ぎたくらいでも少し余裕があったので、集団から抜け出して単独走にしました。前から落ちてくる選手もいたので拾いつつではあったのですが、33~34キロあたりでちょっときつくなってきて、そこでタイムも16分24秒くらいかかってました。集団から抜け出して自分では切り替えたつもりなのですが、あまりペースが変わっていなかったという感じですね。
――30キロ過ぎても余裕があったというのは、なぜだと思いますか
30キロ手前とか25キロくらいできつくなるんじゃないかなと思っていたのですが、それ以降もわりと余裕があって、ここまで余裕あるとは思っていなかったですね。レースペースとか、ちょっと遅いぺースでの25キロ走とか30キロ走はあったのですが、そこで結構きつい思いをしていたので、その分練習の成果が出たのかなと思っています。
――マラソンは30キロ以降足が棒になるというような話を聞いたことがありますが、いかがでしたか
35キロ以降は本当にきつくて、動かしてもなかなか思うように進まないような状況でしたね。35~40キロが17分ちょっとかかってしまって、そこであまり動かせずに耐えられなくて、それは実力というかさすがにきつくなってしまいました。最後の2キロも全然ペースが上がらなくて、周りに結構人がいて、ゴールでも結構密集してたんですが、そこで競り勝てず勝ち切れなかったというのは課題かなと思います。
――タイムについてはご自身ではどう捉えていますか
最低限安井さんの記録が達成できたのはよかったのですが、目標である2時間15分には届かなかったというのと、あとはあれだけ前の方は記録が出ていて、コンディションも天気も良いレースの中での2時間16分というのは、走った直後はうれしかったですが、今は結構悔しくて、もう少しいけたんじゃないかなと感じています。
――マラソンに向けた練習過程やこの挑戦で得たことを、今後にどうつなげていきたいですか
箱根は20キロと少し、ハーフの距離なので、それは余裕を持って通過できていて。(マラソンを経験したことで)距離に対する不安も20キロくらいの距離にはなくなったし、箱根の距離に対する印象はガラッと変わりました。これからハーフとかをメインに戦っていくうえで自信にはなりました。
――今まで20キロやハーフの距離への印象はどんなものだったのですか
ハーフの距離で後半失速してしまうことがあったので、今までは結構ハーフでも長いなというイメージはありました。
――今後の話に移りますが、次の試合予定は決まっていますか
直近の予定はまだ決まってないですね。自分の疲労状態との兼ね合いもあるので、次にトラックでどの試合に出るのかは未定です。春は関東インカレ(関東学生対校選手権)のハーフを狙っているので、そこはトラックシーズンの一つの大きな目標ですね。
――マラソンにまた挑戦したいという思いは
この2時間16分という記録は在学中にマラソンもう一度やらない限り超えられないというはなんとなく分かるので、最後ちょうど来年、1年後もう一度走って、今回の記録を超えることを狙える機会があるならやってみたいなとは思います。でも正直箱根が終わってからそこまでモチベーションがもつか分からないので、まだはっきりとは決めてないですけど、という感じですね。
――最後に、ラストイヤーへの抱負をお願いします
今年は3冠を狙うというのを言っていて、3冠を狙うチームで箱根を走ってチームに貢献するというのが一番大きい目標だと思っています。チームの実力的には3冠は全然狙えると思いますが、僕自身そのメンバーに絡めるかというとまだまだだと思っています。強い同期とか後輩に一秒でも速く追いついて追い抜いて、というのを日々意識して練習して、結果を求めていけたらいいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 朝岡里奈、布村果暖)
結果
▽マラソン
河合陽平(スポ3=愛知・時習館) 2時間16分49秒(119位)自己新記録
◆河合陽平(かわい・ようへい)
1999(平11)年4月19日生まれ。160センチ、50キロ。愛知・時習館高出身。スポーツ科学部3年。自己記録・5000メートル14分22秒74、1万メートル29分33秒10、ハーフマラソン1時間8分12秒。マラソン日本新記録が樹立された今大会。折り返しで先頭集団の速さを肌で感じ、録画を見た感想は「めちゃくちゃ速いなと思いましたね。録画見て引きました」とのこと。普段はJリーグの試合を見て過ごしていて、推しはJ2のジュビロ磐田。練習のない時には半澤黎斗選手(スポ3=福島・学法石川)、千明龍之佑駅伝主将(スポ3=群馬・東農大二)とボールを蹴ったりして、部内のサッカー大会に向けて準備中だそうです!