多くの陸上競技ファンは、『EKIDEN News』という名前を耳にしたことがあるだろう。SNSで選手の写真をアップしたり、大会結果を発信したりしているアカウントの名前だ。だがその正体を知る人は少ないかもしれない。『EKIDEN News』とは何者なのか、どんな思いで発信を続けているのか。代表を務める西本武司氏にお話を伺った。
※この取材は12月7日にオンラインで行ったものです。
箱根が他人事ではなくなった瞬間
EKIDEN News代表の西本武司氏(写真は本人提供)
――西本さんが陸上競技に出会ったきっかけは
2008年、ちょうど北京五輪をやっている頃にランニングを始めました。その頃は箱根(東京箱根間往復大学駅伝)に興味がなかったんです。北京五輪には早大から竹澤健介さん(平21スポ卒・兵庫=報徳学園)が出ているのですが、当時は竹澤さんすら知らなかった。その頃に引っ越したのが世田谷・砧公園のあたりで、五輪もやってるし、東京マラソンにもエントリーしたので走り出してみたんです。砧公園って走ってみると、「あの人日本記録保持者じゃない?」っていうような人がたくさんいるんですよ。さすがに駅伝に興味はなくても高岡寿成さん(男子マラソン前日本記録保持者)くらいは知っていますから(笑)。そのうちどうやら駒大の選手も走っているらしいと分かり始めたんです。駒大って言ったら駒沢公園を走っていると思うじゃないですか。あれここなのかと(笑)。その頃ちょうど『風が強く吹いている』という小説に出会って、「箱根を走る人たちは、真夏のこの時期もどこかで走っているんだ」ということを認識したんですね。砧公園を走っている人たちはこういう人たちなんだと結びついたわけです。
――西本さんが箱根に関心を持ったきっかけは、『肉離れ事件』だと聞いたことがあります
長距離ってはたから見ると速そうに見えないじゃないですか(笑)。ある時、砧公園を走っていたら後ろから来た駒大の選手にスッと抜かれたので、付いていってみたら肉離れを起こしたんです。
毎年正月は保土ヶ谷の妻の実家で過ごしていたので、1月2日は家族で箱根を見ると決まっていました。妻は早大出身、義理の弟は中大出身でそれぞれ母校を応援しているのですが、僕は生まれが福岡で九州国際大学出身なので全く縁もゆかりもなくて、すごく冷めた目で毎年箱根を見ていたんです(笑)。ところが2009年、保土ヶ谷で箱根2区を見ていたら、あの時の肉離れの人が走ってきたんですよ。それが宇賀地さん(強、現コニカミノルタコーチ)。その時駒大は1区で大幅に出遅れて、2区のまだ序盤なのにエースの宇賀地さんは猛烈な勢いで走ってきた。それを見て、箱根が他人事じゃなくなったような気がしたんです。
広がる大会観戦の輪
――トラックレースを追いかけるようになった経緯は
宇賀地さんの走りを見てから箱根をもう少し見たいなと思って、来年まで待てないなと思った時に、『風が強く吹いている』を読むと、インカレや記録会というものがあるらしいとわかったんですね。ちょっと見てみたいなと思うようになって。それでその年に初めて関東インカレ(関東学生対校選手権)に行きました。そこで、「あ、山の神もいつもはトラックで走ってるんだ」と知ったんです。山の神は箱根しか走らないものだと思ってたんですよ(笑)。彼らは1年に1回しか活躍しないと思っていたけど、1年間を通じてトラックで活躍しているんだと知って、もう少し見てみたいなと思ってどんどん大会に通うようになりました。
――SNSでの発信を始めたのはなぜですか
確かその頃(2009年頃)にツイッターを始めたんです。関東インカレの会場に行って『#関東インカレ』で調べたらラップタイムをダンダン打っている人がいるんですよ。それが『EKIDEN MANIA』さんという人でした。会場を見渡してパソコンを開いて打っているような人はいないんですけど、でもラップタイムがどんどん降ってくる。後からひも解くと、ガラケーで打っていたらしいんですけど(笑)。目の前で起こっていることと、ツイッターのMANIAさんの実況がリンクし始める。それを面白いと感じました。
自分が走るからランナーの人とはツイッター上で繋がるんですよね。全カレ(日本学生対校選手権)に一人で行ってみたら、ツイッターで「そっちに行っていいですか?」という人が現れ始めた。そうやって大会観戦を通して輪が広がっていくうちに、「日体大(日体大長距離競技会)っていうのにも行ってみたいね」となって、その年の秋くらいに行き始めるんですね。レースを見て面白いなと思ったから、スマホで撮ってUstreamというサービスで生配信を始めたんです。配信を見た人たちが「日体大って見に行っていいんだ」と知って会場に来るようになった結果、さらに輪が広がっていきました。
『EKIDEN News』誕生
――EKIDEN News代表になった経緯は
ある年の正月に横浜にホテルを取ることにして、箱根の往路が終わってから復路まで集まってビールでも飲もうというふうにしたんです。そしたらMANIAさんからネットを通じて「行きます」と返事が来て。その頃MANIAさんは、ネット上の人で誰も正体を知らなかったから、ファンがMANIAさん見たさに集まったんですよ(笑)。確か30人くらい集まりましたね。さらにそこに、少し年配の男性が来て「大迫です」って言ったりしてね(笑)。大迫君(傑・平26スポ卒・現ナイキ)のお父さんだったんですよ。その年は大迫君が1年生にして1区で区間賞を取って、早大が大学駅伝3冠を達成した年でした。MANIAさんが来るわ大迫君のお父さんが来るわで盛り上がって、それからその時に知り合った人たちと連れ立ってはレースを見に行って、終わった後飲みながらあれやこれや話をしているうちにどんどん観戦友達が増えていったんです。静岡国際に行ってみようかとか、千葉クロスカントリーに行ってみようとか、そのうち延岡(ゴールデンゲームズ in のべおか)もホクレン(ホクレン・ディスタンスチャレンジ)も行ってみようとかね。レースは結構電車の少ない地域でやることが多いのですが、MANIAさんが免許を持っていないから僕が運転手として一緒に日本中を回りました。道中はMANIAさんが詳しいから色々教えてもらいながら。お互いツイッターのアカウントを持っていたのですが、共通のアカウントを持っていたほうがお互いカバーができるんじゃない?ということで、何人かで『EKIDEN News』という共通のアカウントとサイトを作ったのが始まりなんですよ。動画を上げる人もいれば写真を上げる人もいる。行ったよという報告を上げる人もいる。そういうふうに、みんなで色々上げてそこにアーカイブとして残そうということで始めました。いつしかツイッターは僕がずっとやるようになって。みんなそんなに出たがりじゃないんですけど、誰かが矢面に立たないと窓口すらない正体不明団体になってしまうということで、僕が形式上代表として顔を出すということになったんです。
ネットメディアとして地位を確立するまで
――ネットメディアとして地位を確立できた要因はどんなところだと思いますか
熱心に会場に出向いているくらいで、特になにかしているわけではないんですが、僕はもともとコンテンツ産業にいたんですよ。吉本興業で明石家さんまさんのマネージャーをやったりした後に、糸井重里さんのところに転職して『ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)』というウェブ新聞に15年くらい携わりました。だからほぼ日でネット上で試してみたことをEKIDEN Newsで生かしてみたり、EKIDEN Newsで配信してみたのをほぼ日に生かしてみたり。インターネットの実験場所として仕事をしながら試してみた部分がありましたね。そういう目から見ると、箱根駅伝はすでにコンテンツとして仕上がっていた部分があったんですけど、陸上競技というのはコンテンツにもっとできるくらい魅力的なのにもったいないと思ったんです。コンテンツが持つ実力よりも世の中からは過小評価されていると感じました。だから、箱根駅伝のようにたくさんの人が楽しめるようなものにできないかなと思ったんですよね。写真だって3着くらいまでしか出てこないけど、現地にいるカメラマンはもっとたくさん撮っているはずなのにと思って。そういうのもどんどん出せればいいのにと思って、MANIAさんと一緒に写真を撮ってアップするというようなことを始めた。コンテンツとしてすごくいいのに、結果だけでしか評価されないのがもったいないし、ホクレンディスタンスで早稲田の学生が5000メートルを13分台で走ったということを書かせてくれる新聞や雑誌はありませんから、ツイッターやブログくらいしか書く場所がなかったから、必然的に活動の場はネットだっただけなんです。
陸上競技と市民ランナーを繋ぎたい
東京陸協ミドルディスタンス・チャレンジにて、レースを終えた東陸央(社2=東京・早実)にインタビューする西本氏
――陸上競技のどんなところにコンテンツとしての魅力を覚えたのですか
市民ランナーだから、すごくレベルが高いんだなってわかったんですよ。でも一方で当時の市民ランナーの人たちって陸上とか箱根駅伝にさほど興味を持っていなかった。それがもったいないなと思って、陸上競技と市民ランナーを間に立って繋ぐことができる存在になれば、関東インカレも日本選手権ももっと人が来るだろうなと思ったんです。それもこの活動を始めた一つのきっかけですね。『風が強く吹いている』に寛政大学って出てくるじゃないですか。あのユニフォームを作ったんですよ。それで部員をネットで募集してみんなでマラソンとか駅伝とかに出始めたんです。そうやって市民ランナーとして走ることと、箱根を見ること、陸上を応援することをセットで遊ぼうということを始めたんですよね。
市民ランナーの人たちが集まって飲んでるところに選手が合流して一緒にご飯食べたりとか、そういう交流の場もできたりして、学生も学生で「どうして市民ランナーの人たちがこんなに走るんだろう?」ってわからなかったりして面白がって来てくれた。そのうち、例えば世田谷246マラソンとか走っていると箱根の選手たちがペースメーカーとして走っているわけですけど、お互い応援し合うようになったんです。 その延長として、のちにOTT(オトナのタイムトライアル)という大会が出来上がったのだと思います。市民ランナーと箱根選手が一緒に走る大会。大学生がペースメーカーとして走るわけですけど、1秒の誤差もなく設定タイム通りに押していける技術があるなんてこと、市民ランナーは知らないんですよ。市民ランナーの人たちが「箱根に出られない選手でもこんなに能力があるのか」ということを知って感動する機会を作ったり、世界陸上やオリンピックのパブリックビューイングを企画して市民ランナーや選手、そして陸上関係者たちといった今まで交流のなかった人たちをクロスオーバーさせながら、1年中みんなで陸上と箱根とマラソンを楽しめるものにしようということで遊び始めたら、今に至るという感じですね。
――アスリートと市民ランナーや陸上ファンを繋げてきたのが西本さんの功績ですが、それぞれと関係を構築できたのはどうしてでしょうか
スポーツって『する・見る・支える・調べる』の4つの要素から成るらしいんですよ。大体の人は一つ、良くて二つだけなんです。僕は4つとも広く浅くかもしれないですけど好きだったんですよね。だからすべての領域に首を突っ込んだのがポイントだったんじゃないですかね。あとは多少なりとも社会人としての経験があったっていうことも理由かもしれないです。本業がコンテンツを企画したりイベントを作ることだったりしたので、予算はこれくらいだなとかこの設備は会社から借りてくればいいなとか募集のページはこう作ればいいやとか、多少なりとも経験を生かすことができたんですよ。
――選手とプライベートでお話したり、取材したりする機会があると思いますが、心掛けていることは
僕から行かないことですね。選手が向こうから来た場合だけ行く。あくまで僕は『最前列の観客』なんですよ。無理に話聞きに行ってもいい話を聞けるはずがないし。あとは悪かった時は何も触れないことですかね。僕が職業的なカメラマンとかジャーナリストだったら行くと思いますけど、僕はそうじゃないからやらないです。数字は取れるだろうけど、そこで取った数字なんて大したことないから。例えばドーハのアジア選手権の後、新谷さん(仁美・積水化学)が誰もいないところで号泣している場面にでくわしました。職業的カメラマンとしては失格ですが、僕は写真を撮らずに、いつかこの人が納得できるレースをして笑顔でゴールする時を待とうと思いました。その結果、去年は新谷さんのハーフマラソンと1万メートルの日本記録を出した瞬間、いの一番に僕をみつけて「やりましたよ!」という最高の笑顔を見せてくれた。取材する側も選手とともに世界と戦うという楽しさを新谷さんが教えてくれたんです。
日本選手権がガラガラだった日
――陸上界が一番変わったと思う点はどんなところですか
EKIDEN Newsを頑張ろうと思ったのが2013年の日本選手権。客席をいっぱいにしたいなと思ったんですよ。桐生選手(祥秀・日本生命)がまだ洛南高校にいたんだけどすごいタイムを出したという年で、100メートルの予選が終わったらお客さんがほとんど帰ったんです。最終種目は女子の1万メートル、新谷さんが全員を周回遅れにして優勝して、モスクワ世界陸上出場を決めたレースでした。その時にこれじゃダメだろと思ったんですよね。新谷さんはモスクワ世界陸上で5位入賞を果たした。つまり彼女の方が当時の桐生選手より世界で戦えているわけです。でも彼女のレースの時、客席はガラガラだった。それをいっぱいにしたいと思ったんです。だから客席が埋まってきた時、達成感がありました。日本選手権はテレビで観るもので、現地までわざわざ遠くまで行くっていうことは今まで酔狂なことだったと思うんですよ。でも僕たちが行ってSNSに上げたりしていくうちに、「現地のほうが楽しそう」「来年は絶対行きたい」という認識が生まれてきて、段々と人が増えてくるわけです。それを感じたのが2016年、リオデジャネイロ五輪の出場権を賭けた名古屋での日本選手権です。それでもまだまだだと思いますけど、2013年東京でやっていたのにガラガラだったことを思えば、だいぶ変わったなと。2013年の東京での日本選手権と、2020年の大阪での日本選手権(長距離)と比べてどうですかって新谷さんに聞いたら、「お客さんの声がたくさん聞こえて嬉しかった」って。「7年前と全然違う」って。新谷さんは3000メートル以降は独走で一人旅をしていたわけだけど、みんなが応援してくれいる中で、一人じゃないと思いながら走っていい記録を出せた。こういう話を僕は伝えていきたいですね。
――最後に一つ。競技とほぼ無関係な人生を送っていた西本さんが、なぜ陸上競技にここまで惹きつけられたのだと思いますか
吉本にいて、最初にさんまさんっていう有名人、天才の最たる例に会っちゃったことで、その後、どんな仕事をしてても、あのときほどの刺激や魅力を感じるものに出会えなかったんです。どちらかというとメディアのど真ん中にいたせいで、何を観ても、ちょっと斜に構えて分析するようなところがあって、あらゆるコンテンツを見ても、素直に笑ったり感情を動かされたりすることがなくなっていたんです。だから、いまだにM-1を観てても笑えません。だって、さんまさんの次に担当になったのがM-1を作った島田紳助さんでしたから。彼のそばにいたおかげで漫才ですらも仕組みで観ちゃう癖がついちゃってるんですよ。それは仕事としてはとっても役立つんですけどね。でも、箱根駅伝や陸上を間近で見た時、そして『風が強く吹いている』を読んだ時にボロボロと泣けたんですよね。陸上がすごくシンプルなものとして心にグサッと刺さったんだと思います。「あ、自分の感情ってここにあったんだ」と思って。そのときの感動を追い求めるようにして今ここにいますね。
――ありがとうございました!
(取材・編集 町田華子)
◆西本・武司(にしもと・たけし)
EKIDEN News代表として、陸上競技や駅伝の情報をSNS等で発信している。昨年12月に発売した『あまりに細かすぎる箱根駅伝ガイド!2021』は駅伝ファンの間で話題を呼んだ。