毎年恒例の大みそかの早大競技会・通称『漢祭り』が行われた。1万メートルで学内最高タイムを記録した選手が、その年の『漢』の称号を手にする。新型コロナウイルスの影響で無観客で開催された今回は、5000メートル1組、1万メートル2組の計3レースが行われ、早大からは8人の選手が出場。1万メートル2組に出場した3年生の河合陽平(スポ3=愛知・時習館)が自己ベストを更新する29分33秒10をマークし、大会史上最速タイムで見事2020年の『漢』の称号を手にした。
1万メートル2組には、早大からは5人が出場。中盤まで黒田賢(スポ4=東京・早実)、栁本匡哉(スポ1=愛知・豊川)、河合が先頭集団の中でレースを進める。7000メートル付近で先頭が河合と他大の選手2人に絞られると、そのまま交代で先頭を引っ張りラスト一周へ。「勝つ自信はありました」という河合がスパートをかけ、中大の選手をホームストレートで突き放して組1着でゴール。29分33秒10と自己ベストを更新し、漢祭り史上最速のタイムでゴールした。「12月10日のエントリーで16人から外れてすごく悔しい思いをしましたが、そこから再来年の箱根に向けてのスタートは始まっていると思ってこの20日間くらいやってきた」と河合。最終学年こそは夢の舞台で活躍すると誓った。
ガッツポーズでゴールする河合
今大会が引退レースとなる4年生からは、1万メートル1組に本郷が出場。けががあったが「最後のレースだったのでスタートラインには立とう」という思いで、3000メートルまでと決めて出場。今日も痛みがあったと言うが、設定通りに一周73秒で後輩を引っ張り、引退レースを終えた。2組には黒田、住吉宙樹(政経4=東京・早大学院)の2名が出場。黒田は中盤までは自己ベストを更新するペースでレースを進め、中盤以降先頭集団からは離れたが30分27秒46の組11着と力を出し切った。部員の応援が耳に入り、「頑張ってきて良かったなという気持ちでなんとか最後頑張れた」という。住吉は2000メートル付近で集団から遅れ、その後単独走に。状態が良くない中、出るからには先頭集団で勝負をしたいという気持ちで挑んだが、自己ベストよりも3分以上遅い32分40秒22の22着でゴール。「エントリーに入って箱根を走るのが一番だったのですがそれが叶わず、漢祭りはそれに代わる舞台だったのですがこういう結果になって、今は悔しい気持ちしかない」と振り返った。
先頭集団から離れてからも粘りの走りを見せた黒田
漢祭りに出場した選手をはじめ、箱根にエントリーされなかった選手たちはこれからエントリーされた選手の付き添いやサポートに回る。「チームで戦う1月2日・3日が一番大事」(黒田)、「今日がいい刺激になったので後はサポートに全力を尽くしたい」(住吉)というように、箱根で良い結果を残すためにはメンバー外の選手のサポートも重要となる。箱根では出走する選手、控えの選手共に一丸となり、第87回大会以来10年ぶりの栄冠を目指す。
(記事 及川知世、写真 布村果暖、星合和美)
★もうひとつの漢祭りは武士が連覇!
好タイムでゴールする武士
漢祭り終了後には、学生スタッフと指導陣によるエキシビションマッチ『裏漢祭り』が行われた。学生は1000メートル、指導陣は800メートルで勝負。スタート時の200メートル差はみるみるうちに縮まり、最後は武士文哉主務(文4=群馬・高崎)が指導陣全員をかわしてトップでゴールラインを駆け抜けた。一昨年に続き優勝を果たした武士のタイムは、マネジャーとしては驚異的な2分34秒。「他大学の方にだけは負けたくない」と、力強い走りを見せた姿に選手たちも熱い声援を送っていた。4年目の冬、駆け抜けた場所は夢見た箱根路ではなかった。それでも『箱根0区』での武士の激走は、まるでタスキを渡すかのように、1区以降の選手の背中を後押しするに違いない。
(記事 町田華子、写真 朝岡里奈)
結果
▽一般男子1万メートル
1組
白井航平(文構2=愛知・豊橋東)31分23秒92(10着)自己新記録
本郷諒(商4=岡山城東)途中棄権
牧瀬雄佑(人1=京都・西京)途中棄権
2組
河合陽平(スポ3=愛知・時習館)29分33秒10(1着)自己新記録
栁本匡哉(スポ1=愛知・豊川)30分05秒86(9着)
黒田賢(スポ4=東京・早実)30分27秒46(11着)
茂木凜平(スポ3=東京・早実)31分19秒85(17着)
住吉宙樹(政経4=東京・早大学院)32分40秒22(22着)
コメント
黒田賢(スポ4=東京・早実)
――まず今日の目標を教えてください
去年、一昨年と4年生が漢祭りで優勝して、エントリーメンバーに入れなくても最後意地を見せていて、そのおかげで自分たちもまた頑張ろうと思えた部分もあったので、自分もそんな走りができるようにと思ってまずはやはり漢をしっかり狙っていこうと思って走りました。
――今日のレースプランなどはありましたか。
漢は1番でなければ獲れないものなので、とにかく先頭でレースを進めていけるところまでいくという、それだけでした。
――箱根のメンバー発表があった後、心持ちはどのようなものでしたか
僕は集中練習自体に入れなかったので、11月の時点でエントリーメンバーに入れないことは分かっていました。なので、12月10日を前にしっかり漢祭りに向けて切り替えられており、最後やるしか無いと切り替わった状態で頑張れたと思います。
――今日のレースまではどのように過ごしてきましたか
Bチームで最後まで練習していましたが、とにかく最後は自分の走りでチームを引っ張りながら諦めないでやりきる姿勢を見せられるようにと思って練習をしてきました。
――5000メートル付近では部員さんの応援も聞こえたと思いますが、それはどのように感じましたか
昨日先輩の岡田望さん(平31政経卒=東京・国学院久我山)から連絡が来て、「明日1万メートル走っている中で聞こえてくる応援がお前の4年間そのものだ」というような話があったので、それを思い出して頑張ってきて良かったなという気持ちでなんとか最後頑張れました。
――ラストは絞り出すような走りも見られましたが、意識することはありましたか
出し切るということだけですね。自分の集大成のレースだったので7年間分の想いを乗せて最後スパートしました。
――ラストレースを終えて今の心境はいかがですか
チームで戦う1月2日・3日が一番大事なレースなので、そこに向けて切り替えてやっていくしかないです。
――レース後監督とお話されていたと思うのですが、監督からはどのような言葉をかけられましたか
監督からは特に個人的なコメントはありませんでしたが、駒野コーチなどからは「やりきったでしょ」という話でした。駒野コーチからも4年間たたき上げられてここまで来たので感謝の気持ちを僕も伝えさせてもらいました。
――早大での陸上人生を振り返っていかがでしたか
中学の時からずっと早稲田で箱根を走るのが夢で、早実から7年間計画を立ててここまでやってきました。結果的に夢は叶わなかったですが、その過程ややりきったものは今後の糧になっていくと思うので、早稲田で目指した7年間が意味あるものだったのだと思えるようにこれからまた頑張っていきたいと思います。
住吉宙樹(政経4=東京・早大学院)
――12月10日のエントリー発表後どのような気持ちで過ごしてきましたか
気持ちを切らさないようにしていましたが、正直切れてしまった部分もあったと思います。
――10日時点の調子と、箱根メンバーに入れなかった要因をどのように考えていますか
21.1キロのタイムトライアルの結果が悪かったことと、集中練習の初っ端、取材に来てもらった日(11月28日)の5000メートル3本の練習で、1キロ3分のペースですら押し切れなかったことだと自分でも思いますし、相楽さん(豊駅伝監督・平15人卒=福島・安積)に聞いてもそういうことを言われました。
――今日のレースにはどのような思いで臨みましたか
最後だし、後悔のないようにという気持ちでした。
――今日の走りを振り返っていかがですか
先頭集団で勝負したかったけど何もできなかったです。でも結局自分がやってきたことしか出せないので、ここまでやってきたことを考えればある意味では当然の結果だったのかもしれないなと思います。
――ラストレースを終えて今の気持ちは
エントリーに入って箱根を走るのが一番だったのですがそれが叶わず、漢祭りはそれに代わる舞台だったのですがこういう結果になって、今は悔しい気持ちしかないです。箱根では、付き添いを全力でやって選手が最高の結果を出せるように少しでも尽力したいです。
武士文哉主務(文4=群馬・高崎)
――このレースに対してはどのようにアプローチをしましたか
2ヶ月ぐらい前に漢祭りでこういったかたちのレースをやることが決まって、選手を引退してから自分自身走りに関してはだらけてしまった部分があったので、ダイエットも兼ねて本格的に走り始めました。朝練習の前にみんなより早くグラウンドに来て20分ぐらい走るということを毎日続けていて、11月に入ってからは週に1回スピード系のポイントをやっていました。
――靴も気合が入ってますね
はい、買いました(笑)。モチベーションをあげたくて。走っていて楽しいなと、純粋に陸上競技の楽しさに向き合った2ヶ月間だったかなと思います。
――このレースに出走した他のマネジャーの方で意識していた方はいらっしゃいましたか
辻本活哉(人4=大阪・早稲田摂稜)ですね。現役時代も僕の方が持ちタイムはよかったのですが、同じ時期にマネジャーに転向してからは、辻本の走りはどんどん良くなっていて。特にスピードが伸びていて。選手たちも含めて一緒に走った時があって、最後に流しした時も速いなって実感して。そこから気になっていて、このレースに向けた練習でも影で見ていていい走りをしていたので、ダークホースだったかなと(笑)
――タイムに関しては
実戦向きのトレーニングはここ2年間やってこなくて体も戻ってない感じでしたが、練習やっていくうちに徐々にいい感じになってきていて、2分40秒は最低でも切りたいなと思っていました。2年前の同じレースでは2分37秒ぐらいだったので、それを上回ればいいかなと、そこが最低限の目標でした。一昨日、600メートルの刺激走を行ったのですが、そのタイムが1分28秒で(笑)。それが速すぎて、高校の時800メートルをやっていたのですが、その時の感覚に近くて(笑)。まあもう少しいけたらな更によかったかなと思います。
――箱根駅伝ではどのように選手をサポートしますか
僕は選手のサポートをしよう、というよりかは、役割が違うだけであって同じ土俵で戦う、組織を動かしていこうと考えていましたし、むしろ率先して動くべきポジションだと考えています。裏方として働く部分は当たり前のこととして、自分にしか出来ないこと、選手をやっていたからこそ分かる部分、見えないところで選手に活力を与えられたらなと。また、このレースには他大のマネジャー達も出場することが分かっていたので、箱根の前哨戦として、個人としてトップに立ちたい思いに加えて、他大の方にだけは負けたくないなと。それこそ、辻本に負けても他大には絶対負けたくないなと(笑)。しっかり勝ち切れて、選手を勢いづけられたかなと思います。
――気が早いかもしれませんが競走部で過ごした4年間の振り返りをお願いします
箱根駅伝を目指して小学生のころからやっていたので、選手として4年間駆け抜けることが出来なかったのは本当に悔しいです。ですが、マネジャーという立場でもここまでやってこれたのは、信頼しあえる仲間に出会えたからかなと思えます。コンディション不良でこの漢祭りを迎えた住吉も、最後いいかたちで終えて欲しかったのですが、今日のレースを見ていて自分も涙が出そうになっていて。その部分で、本当にいい仲間に巡り会えたかなと思います。この4年間はかけがえのない時間だったなと。人生いろいろな選択をしていく中で、これ以上熱意を持って取り組めることがまだ見つからないのですが、4年間取り組んだことや出会えた仲間たちのことを振り返れば、この先も頑張れるかなと今思えているので、本当に貴重な時間を過ごせました。仲間と早稲田大学競走部に心から感謝しています。
本郷諒(商4=岡山城東)
――3000メートルで途中棄権することは元々決めていたのですか
2ヶ月ほど前に疲労骨折をしてしまって、3週間前くらいから練習を始めたのですが結構痛みがありました。でもこれが最後のレースだったのでスタートラインには立とうということで、3000メートルまで引っ張りという形で出場しました。
――今日も痛みはあったのですか
レース中も4周目くらいから結構痛くて、体力的にも3000メートルで結構ギリギリだったのでそこで終わりにしました。
――設定ペースは
1周73秒で刻んで後輩を引っ張って終わろうと決めていました。引退レースとしてはどうかなという部分はあるのですが、残り1か月の取り組みとか、けがの中最後に向けてやってきたことについては、最後いいかたちで終わることができたかなと思います。
――ラストレースを終えて今のお気持ちを教えてください
やっと終わったなと(笑)。4年間長くてきついことばかりだったのですが、最後までやってこうして終えることができて良かったです。
河合陽平(スポ3=愛知・時習館)
――今年の漢となりましたが、今のお気持ちはいかがですか
毎年やってきて今年が3回目なんですけど、やっと取れて素直にうれしいです。自己ベストも出たし、チームの勢いをつけるという『箱根0区』の役割を果たせたのではないかと思います。
――本日のご自身の調子はいかがでしたか。
11月に5000メートル、1万メートルでベストが出て、集中練習も今までにないくらい良い調子でこなせていたので、状態はすごく良かったです。
――暖かく記録も出やすいコンディションのように感じましたがいかがだったでしょうか
本当に天気も良くて、ちょっと寒いかなと思っていたんですけど、日が当たっているときは暖かくて記録会日和だったかなと思います。
――昨年の漢のタイムを上回りましたが、昨年越えのタイムは狙っていたのですか
タイムはそこまで意識していなくて、今日は勝ち切って1番を取る、漢を取るというのを目指してやっていたので、勝負にこだわって(その結果)タイムが付いてきたという感じだと思います。
――レース序盤は先頭集団で力を温存しているように思えましたが、どのようなことを意識して走っていましたか
もう本当に1番取って勝ち切ることだけを考えていたので、力を使わずに周りの力を使って、余裕をもって最後まで勝ち切れるように力を溜めていました。
――先頭集団の人数が少なくなり、レース後半は3人で走る時間が長かったですが、どのようなことを意識していましたか
周りの2人の余裕度を見ながら自分の余裕度も考えて、最後勝ちきるにはどこから前出ればいいかを考えながら走っていました。
――ラスト1周を2人で争っていた時はどのようなことを考えていましたか
残り2周から前に出て2人になって中央の選手が付いてきたんですけど、最後もう1回切り替えれば勝てるのではないかと思っていました。勝つ自信はありました。
――最後に来年の目標を教えてください
12月10日で16人から外れてとても悔しい思いをしましたが、そこから再来年の箱根に向けてのスタートは始まっていると思ってこの20日間くらいやってきました。ひとまず結果が出たので、このままここが最後の年のスタートラインだと思って、再来年は絶対箱根を走って順位に貢献するというのが目標です。