全国高校総体(インターハイ)5000メートル日本人1位、国民体育大会5000メートル日本人1位――。高校時代、臙脂のユニホームで世代のトップを走り続けた井川龍人(スポ1=熊本・九州学院)。エリート街道を突き進む大型新人は、胸の文字を『KG』から『W』へと変え、再び臙脂のユニフォームで走り出す。その胸に秘めた思いとは。
※この取材は4月9日に行われたものです。
「世界の壁を実感した」
ハキハキと質問に答えてくれた井川
――高校卒業から大学入学までどのように過ごされましたか
井川 正直、結構遊びましたね(笑)。中学や高校の時に仲良かった友達と会いました。
――高校で言うと、強豪九州学院高出身ですがルールなど厳しいところはありましたか
井川 やはり1年生の時は厳しかったですね。
――先日は世界選手権クロカンに出場しました
井川 初めての国際大会だったのですが、走るからにはしっかりと結果を残したいという思いで行きましたが実際には世界の壁というか強さを実感して、自分に足りないところ部分が多いということを感じました。
――世界クロカンはかなり特異なコンディションのコースでした
井川 日本のクロカンコースとはレベルが違うというか、かなりアップダウンばかりのコースで、水が張ってあるところもあってかなり走りにくいコースでしたね。
――実際に国際大会に出場されてみて考え方に変化はありましたか
井川 正直、これまでは少し世界を甘く見ていたのかなと思わされました。実際に出場してみて56位ということで全く歯が立たなかったのでまだまだこれから努力していかないといけないと感じました。
――その大会に至るまでの体の状態はいかがでしたか
井川 高校の一番状態が良かった時に比べると体重の面でも少し増えていたりしたので、完全にベストなコンディションで走ることはできませんでした。
――高校卒業から大学の練習に移るまではどのように練習していましたか
井川 実家に帰っていたので、自分で練習したりもしていました。
――大学ではいつから練習をしていましたか
井川 3月の上旬に入寮して、それから鴨川の合宿から練習に合流しました。
――高校では記録会にはあまり出場せず、大きな大会での結果を重視していたように見えました
井川 高校の考え方が、インターハイと全国高校駅伝で一番に良い結果を残すという考え方で活動を行っていて、記録会などに出たとしてもあくまで練習の一環という事で、全てを出し切らずに終わるということが言われていました。そこで出し切ってしまうと、大きな大会に向けたピーキングがずれてしまうという考えだったので。大学では今年は予選会もありますしトラックレースも多くなってきて、高校までのやり方のとおりではできないと思うので何度も全力で走れるようなタフな力をつけたいと思います。
――正直、記録の狙いたさもありましたか
井川 やはり13分台を出せずに終わってしまったので、出したい気持ちはありましたが記録よりも結果だと思っていました。日本人1位というところは絶対にどの大会でも死守しようと思ってやってきました。
――全国高校駅伝では万全の状態で臨めなかったという話も伺いましたが、それも含め昨シーズン1年を通して体の状態はいかがでしたか
井川 まず3年生になってすぐに肉離れを起こしてしまって、県総体もかなり出場がギリギリの状態でそこからなんとか状態を急ピッチで上げて行ってインターハイを迎えた感じだったので、あまりインターハイはベストな状態ではありませんでした。その中でも他の日本人選手たちに勝ち切れたのは良かったです。実は都大路の1週間前にも左足首をけがしてしまって、ずっと痛み止めを飲んだりしていて、かなりテーピングで固めて走りました。
――3区を希望されていたということも伺いました
井川 監督からも1区か3区の候補だった自分ともう一人の子(入田優希、現九州学院高3年)と話し合って決めるように言われていました。個人的にはやはり3区を走りたい気持ちがあったのですがチームとして結果を残すには1区でしっかりと流れをつくれないと駄目だということで1区になりました。
――各校のエースが集う1区ではなく3区を希望していた理由は何かありますか
井川 少しずつ他校の留学生との力の差も縮まってきているように感じていて、結果的には足首をけがしてしまったのでどうなったかはわからないですけど万全の状態であれば駅伝でもいい勝負ができると思っていたので3区に挑戦したいという思いがありました。
――井川選手は粘りのレースが印象的ですが、その1区では前半から集団を引くレースをしました
井川 チームとして優勝を目指していたので前半からできるだけハイペースな展開に持っていけば他チームとの差が広がると考えていましたし、特に倉敷高校との差を考えていて、1区で離したいという思いがあったので前半からかなり行きました。本来であればそのまま行けたと思うのですが、下りに入った途端にやはり足首に力が入らなくなってしまってそこから急に体も動かなくなってしまいました。
――1区では2年時には中谷雄飛選手(スポ2=長野・佐久長聖)と先頭争いも印象が強いですが、ご自身は前年のレースの意識はしていましたか
井川 そうですね、2年生の時のタイムは最低でも越えて28分台に近いタイムで走りたいと思っていました。
「2年生の時のインターハイが印象に残っている」
2月の日本選手権クロスカントリーで3位に入賞し、世界クロスカントリー選手権の切符を手にした
――これまでの競技人生で印象に残っている大会はありますか
井川 2年生の時のインターハイがとても印象に残っていますね。
――その理由というのは
井川 その年は、1500メートルと5000メートルで出場していて、初めの1500メートルでは予選落ちしてしまいました。その時、正直、気持ち的に5000メートルで頑張りたいという気持ちがあって、監督にそれを見抜かれていたようで予選落ちの後に監督に「本当に強い選手になりたいなら両方で本気で走らないと駄目だ」とかなり怒られてしまいました。その後の5000メートルの予選では何とか予選を突破できて個人的にはかなりそれが嬉しくて少し満足してしまっているところがああり、また「予選通過はあくまで通過点だから、明日の決勝でしっかり走らないと」と怒られてしまって。決勝ではずっと中谷さんにずっと付いて行っていたのですが、一回苦しくなって離れそうになった時にスタンドから監督の「ここを粘ればいい結果が出るからここを苦しくても付け」という声が聞こえて、自分自身気持ちが入ったというか、そのまま中谷さんについて行ったらゴールした時には日本人では中谷さんしか自分より上位にいませんでした。そのインターハイでは怒られ続けていた監督から、ゴール後に呼ばれて「よくやった」と頭をなでられて(笑)。高校に入学後初めて褒められたのでとてもうれしかったのを覚えています。
――特に負けたくない選手、ライバルはいますか
井川 田澤(廉、駒大)や松崎(咲人、東海大)はずっとライバルだったので二人には負けたくない思いが強くあります。
――早大の同期とは仲は良くなりましたか
井川 良くなりましたね。もともと面識はありましたがみんなと仲良くなりましたね。
――先輩とは面識はありましたか
井川 1つ上の先輩方とは全国大会で同じレースも走ったこともあったので面識はありました。
――数ある大学の中から早大を選んだ理由は
井川 箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝)とか昔から見ていて、伝統校であるのですごく憧れもありましたし、大迫選手(傑、平26スポ卒、現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)や竹澤選手(健介、平21スポ卒)など学生のうちから世界に出ている選手が多い印象なので、そういう環境に身を置いて練習していけばさらに上を目指せるのではないかと思い早稲田大学に決めました。
――いつからその思いを持っていましたか
井川 1年生の時から将来は早稲田で走りたいという気持ちはありましたが他大学よりもレベルが高く、スポーツ推薦で入学するにはかなりレベルが高くないと厳しいということも聞いていたので半分無理かなと思っていたので他の強豪大学への進学を考えていましたが、2年生の終わりにお話をいただいて、すぐに早稲田進学を決めました。即決でしたね。
――高校の禿雄進監督からはどのように送り出されましたか
井川 「しっかり大学の環境でも努力していけば将来日の丸を背負えるポテンシャルがあるから、調子が悪い時もあるかもしれないけど折れずにできることを継続していくことが大切だ」、ということを言っていただきました。
――陸上一本に絞ったのは高校からということですが
井川 中学3年生の時まではサッカー部で、陸上は土日だけで父親が休みだったので一緒に練習をしてもらったりしていました。トラックがあるところまで連れて行ってもらってマンツーマンで指導してもらっていました。
――サッカーではなく陸上を選択した理由は
井川 陸上は頑張った結果が目に見えてわかるし、もちろん陸上の方が練習はキツイことが多いですが、その分大会で結果がタイムとして出るとそれ以上のうれしさやそのやりがいが感じられるので陸上をしようと考えました。
――昨シーズンはけがもありましたが今の状態はいかがですか
井川 今はもう全て元気です(笑)。
――記録的には高校2年時の全国高校総体で約30秒近く一気に伸びましたがその要因は何と考えていますか
井川 何であんなに伸びたんですかね(笑)。正直、2年生の時のインターハイは結果が出たのはまぐれだというような感覚が強くて、国体では(インターハイの時ほど)走れないかもしれないと思っていたのですが、国体でも結果が出たので、そこからは自分の自信になりました。表彰台に登るなんて想像もしていなかったですね。
――九州学院高の練習はどのような特徴がありましたか
井川 高校の時はしっかり長い距離を走って基礎的な体力をつけて、大学に入ってから筋力系やスピード系も上げていこうという考えの練習でやってきていたので90分のジョグなど長い距離のジョグがかなり多かったですね。
――高校と大学の練習の違いをどのようなところに感じていますか
井川 高校までは監督がつきっきりで見てくださってどちらかというと受動的な練習が多かったようなイメージなのですが、大学では基本的には自分で考えてタイムから計画して、主体的に練習することが求められるのでそこの差を強く実感しています。
――ほとんどが自分たちで考えて行う内容なのでしょうか
井川 ポイント練習以外の日は各自のジョグになるのでそこでいかに考えて練習するかが大切だと思っています。
――今日のメニューは何でしたか
井川 今日は40分ちょっとだったのですが結構ペースを上げて、4人(他に小指卓也、鈴木創士、安田博登)で行いました。
――その4人で行うことは多いですか
井川 各自練習の時は今のところ結構この4人で行うことは多いですね。
――趣味やハマっていることはありますか
井川 今は寮の当番とかも色々あってこの環境に慣れるのに必死で大変なので、時間があれば結構寝ていることが多いですね(笑)。
――ご自身の性格はどのように分析していますか
井川 これをやろうと自分で決めたことに関してはとことん突き詰めて行うタイプだと思っています。逆に自分の興味のない事に関しては全くやる気が起こらないのでそこが短所でもあります(笑)。
――競技面以外で大学でやりたいことは何かありますか
井川 せっかく関東に来て関東の環境が新鮮なので、少し堪能してみたい気持ちもあります(笑)。
――逆に競技面も含め、大学で不安なことはありますか
井川 ポイント練習の質は1回1回かなり高いので、故障さえしなければ記録は伸びてくると思うので、なるべく故障をしたくないです。
――今年に入ってシューズも新しくされました
井川 今は三村さん(三村仁司氏)にシューズを作っていただくようになって、オーダーメイドのような形で作っていただいているので足にフィットしていてけがも少し減るのではないかと思っています。
――目標にしている方はいますか
井川 身近で言えば、中谷さんを目標にしています。
――どのようなところを目標にしていますか
井川 やはり絶対的な強さですかね。
――ポイント練習など、中谷選手と同じ練習は行いましたか
井川 まだやったことはないですね。
――競技面でのご自身の強みはどのようなところにありますか
井川 ラストスパートの勝負では絶対に負けない自信は持っています。
――逆に大学で強化していきたいポイントはありますか
井川 大学に入ってトラックレースもやろうとは思っているのですが、ロードのレースや長い距離のレースが好きなのでハーフマラソンなどに挑戦してみたい気持ちが強いです。その中で、5000メートルや1万メートルでもそうですが、中間走で中だるみしてしまうレースも多いので、粘りのあるレースができるように力を付けたいと思っています。
――将来的にはトラックとマラソンのどちらで勝負したいですか
井川 そうですね、最終的にはマラソンを走ってみたい気持ちがあります。大学4年生の時に1度くらいは挑戦してみたいですね。
――長距離ブロックにとって東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を一年間目標にしていくことになると思いますが、走ってみたい区間はありますか
井川 往路で前半区間を走ってみたいと思います。
――箱根にはどのような印象を持っていますか
井川 テレビで小さな頃から見ていたので憧れがありました。
――大学4年間での目標は何か考えていますか
井川 将来的に世界陸上やオリンピックなど国際大会に出場したい気持ちがあるので、大学でもユニバーシアードなどの国際大会をひとつでも多く経験したいです。また、チームでも昨年は箱根駅伝であまり成績が良くなかったのですが、これからは僕たちの世代で早稲田の時代をつくっていきたいと思っています。
――今季の目標を教えてください
井川 近いところで言うと、来月ゴールデンゲームズ(inのべおか)があるのでそこで5000メートルで13分55秒を切るタイムを出してインカレの標準を切りたいと思います。5000メートルでは13分50秒、1万メートルで28分40秒台を出したいと考えています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 斉藤俊幸)
無限の可能性を秘めた井川選手の飛躍に期待です!
◆井川龍人(いがわ・りゅうと)
2000(平12)年9月5日生まれ。178センチ、62キロ。熊本・九州学院高出身。スポーツ科学部1年。井川選手と言えば、17年全国高校駅伝の1区で当時絶対王者として君臨していた中谷雄飛選手(スポ2=長野・佐久長聖)との熱い区間賞争いが思い出されます。そんな井川選手と中谷選手は春からチームメイトに。インタビュー時までには、まだ中谷選手と一緒に練習を行う機会はなかったそうですが、2世代のエースで切磋琢磨し早大黄金時代を築いてほしいものです。