【連載】ルーキー特集『START LINE』第2回 平川巧

陸上競技

 昨年の青柳柾希(スポ2=千葉・成田)に引き続き、期待のルーキーが跳躍ブロックに仲間入りをした。名前は平川巧(スポ1=静岡・磐田南)。U18日本選手権4位、U20日本室内大阪6位という実績を持つ彼は、父親が競走部のOBでもある。そんな平川に、新生活についてや今までの競技生活についてを振り返りつつ、最後には四年間の目標について語っていただいた。

※この取材は4月10日に行われたものです。

早大での新生活が始まる

身振りを添えて丁寧に取材に応じる平川

――入学式はどうでしたか

 人数がすごい多くて、早稲田はすごいなあと思いました。

――早稲田アリーナでの合同の入学式でしたが

 自分は公立の田舎の出身なので、人数に圧倒をされたというか。

――授業が始まりましたが、生活はどうですか

 まだ見習いなのですが、寮に当番があって。当番の日は朝の4時からずっと動きっ放しで、それが大変だなと感じます。

――高校まではそのような習慣はなかったのですか

 実家でずっと暮らしていましたのでないです。

――早大の競走部に入部して雰囲気はいかがですか

 やはり、雰囲気は違うところは違います。やはり強い理由があるというか、一人一人の取り組み方や練習態度が違くて強いんだなと思います。

――寮にはいつ頃入られましたか

 寮には3月2日に入寮をしました。

――どなたと同部屋ですか

 折田さん(歩夢、スポ3=鹿児島・甲南)と渕田さん(拓臣、スポ3=京都・桂)などです。

――どのような先輩ですか

 僕の同部屋の方は皆が静かというか、結構部屋では物音をたてずというか。それぞれが自分のやりたいことをやってる感じです。

――部屋会はまだやっていない感じですか

 今度しようと、折田さんの方から声を掛けてくれました。

――仲良くなられた同期はおられますか

 僕の次に入寮してきた東陸央(スポ1=東京・早実)で、早実からの内部進学です。東君は、3月7日に入寮してきました。その時、短距離メンバーは合宿に行っていて、同期でいるのが東君と自分だけだったので、一緒にご飯を食べに行って、たわいもない話をしたりしました。

――特に優しくしてくださる先輩は

 入寮した際に担当してくださったのが青柳先輩(柾希、スポ2=千葉・成田)で、最初は色々と面倒を見てくれて。寮内では最初の2週間は先輩と一緒に行動しないといけないルールがあるのですが、2週間一緒にいてくださりました。

――青柳選手はどのような先輩ですか

 青柳さんは最初背が高くて怖いなと思ったのですが、話かけやすくて優しい先輩です。

――現在オフの日はどのように過ごされていますか

 授業が始まる前は、オフの日は東君と焼肉に行ったり、寮の生活で必要なものを近くのスーパーや池袋などに買いに行きました。

――上京されて間もないと思いますが都会の雰囲気はいかがですか

 圧倒されています。

――現在競走部ではどのような練習を積まれていますか

 普段は短短で短距離の人と同じメニューをこなして、週に一回か二回くらい各自でという時があるので、その時に跳躍練習をする感じです。

――どの先輩と練習をされていますか

 棒高跳で一個上に小野想太先輩(スポ2=香川・観音寺一)がいるので、小野先輩と日にちを合わせて跳躍練習をしています。

――一人で授業後に練習をされていたりはしますか

 一人で練習するというのは今のところなくて。試合前の調整で跳躍練習をしたことはありますが、普段はあまりないです。

――先生からはどのような指導を受けられていますか

 今は具体的に言うと助走です。最後の6歩でテンポを上げる段階で、足を回して腰を乗せていけないというアドバイスを何度も頂いているので、その改善する練習をしてます。

――練習において、高校との違いはどの辺りに感じてますか

 高校までは先生から与えられるメニューがほとんどだったのですが、大学に来たら各自の日には自分で考えたり、補強も自分が足りないところを考えてやるというのが、高校との違いだなと思いました。

――高校時代、年々記録を伸ばされているように感じたのですが、指導が良かった点はどの辺りでしたか

 高校の時は、自分の父が高校の外部講師的な感じで教えてくれていて。家でも動画を一緒に見てアドバイスをくれて、指導をしてくださったのが良かったなあと思います。

――中学の時もお父様のご指導を受けていたのですか

 大会も付きっきりで指導を受けていました。

――高校を磐田南に選んだ経緯は

 高校は自分が住んでいるところからだったら進学校だったし、棒高跳のピットがあったというのもあるし、父の母校というのもあって選びました。

――進学校に入られたのは大学の進学までを見据えてですか

 大学でも競技を続けたいと思っていて選びました。

――どのような大学で競技をしようと考えていたのですか

 やはり早大も考えていたのですが、関東の方の大学で関カレ(関東学生対校選手権)に出たいなあというのがありました。早稲田に行きたいという気持ちもすごくありました。

――お父様の母校も早大ですか

 父も早稲田で、競走部としてやっていました。

――デビュー戦となった、4月6日の東京六大学対校大会で好記録を残されていますが

 今出せる力はとりあえず出せたかなという感じです。

――調子は良い感じですか

 今けがをしているところもないので、いい感じで取り組めています。

悔しい思い

東京六大学対校大会では4メートル80で3位に入賞した平川。早大としては5年ぶりの入賞だった

――棒高跳を始めた経緯は

 やはり父が棒高跳の選手だったというのもあって、中一から。小学校の時から、父が教員をやっていたのですが、父の部活に小学生の頃から付いていって、高校のお兄さんと遊んでもらっていて、陸上部が身近にあったというのがあって、中学に入って棒高跳を始めたという感じです。

――父の学校に進学しようという考えはなかったですか

 それはちょっとやめとこうと(苦笑)。さすがにそれだと少し気が休まらないというか、磐田南高校の方がちょうど良い距離感かなあと思って。

――印象に残っている大会はありますか

 いくつかあるのですが、一つは中学3年時の全中(全日本中学選手権)です。

――どこのあたりが印象に残っていますか

 良いイメージではないのですが、忘れられないという意味で。全国ランキングトップで試合に入ったのですが、予選落ちをしてしまって、その時の悔しい思いがあったので、高校でも頑張ろうという気持ちになれたので、忘れられない試合です。

――他に印象に残っている大会は

 高校2年時のU18日本選手権とかです。

――印象に残っている理由は

 やはり4位入賞できたというのもあるし、その日は雨が降っていて、雨の中で試合をするのが楽しくなってきました。

――ご自身にとって悪コンディションの方が得意ですか

 悪コンディションだと周りがやる気がなくなってくるので逆にチャンスだなというのはありました。雨の中で試合をするというのはあまりない経験なので、印象に残っています。そういうコンディションの中でも力を出せる選手になりたいと思いでやってきたので良かったかなと思います。

――反面、悔いが残っている試合はありますか

 やはり、全中と高3時のインターハイの予選落ちです。U18日本選手権や大阪室内では入賞している中で、メインの全中やインターハイで入賞をできていなくて、悔しい思いがあるからです。

――高校時代、良かったと感じる部分は他にもありますか

 結構自分の意見を尊重してくれたというか、自分の意見を持てという指導でした。普通の周りの高校は「今のはこうだったからこうしろ」という指導者の指導ですが、自分の場合は今のどうだったと思うと聞いてくれてから、例えば棒高跳なら、少しポールが流れたからアップライトをしたい、ポールを変えたいと言って、そうだよね、そうしようという返事が返ってきたので、自分の考える力がついたのは良かったと思います。

――これはどなたからの指導ですか

 これは父の指導です。顧問の先生はとても優しくて、顧問三人全員優しかったです。自分は、高校1年時の4月にマットの外に落ちて腰の骨を折って、高校1年時はずっとけがをしていました。その時に声を掛けてくれたり、ストレッチを教えてくれたりと毎日のように教えてくれたのはうれしかったです。

――今までの競技生活で大けがは大きな出来事ですか

 そうですね。

――リハビリはどのようでしたか

 腰の骨を折って、二カ月くらいは何も出来なくて。動けるようになってからは、腰の骨が折れていて筋肉が固まっていたので、ハムストリングスなども全部つながっているので、少し動くとすぐにけがをする状態で。その時に針治療などに行って、結局体がまともになったのが一年後くらいです。

――その後、後遺症に苦しむ事はありましたか

 治ったかなと思って9月の新人戦に出場したのですが、そこでハムストロングの大きな肉離れをしてしまって、そういうのはありました。

――進学先を早大にした理由は

 父が早稲田というのもあって興味があったこともあるし、早稲田の卒業生でもある同じ棒高跳の笹瀬弘樹選手(平24スポ卒=現静岡陸協)がいて、同じ静岡の合宿で一緒にしたり、アドバイスもらったりして、早稲田っていいなというふうに思っていました。

――笹瀬選手からはどのような学校と早稲田のことを聞きましたか

 早稲田のマットは世界選手権で使ったどデカイマットだよと。環境も整っているし、ここなら強くなれるなあと思いました。

――目指している先輩やOBはおられますか

 OBなら、やはり早稲田記録も持っていられますし、笹瀬選手を超したいという思いはあります。

――笹瀬選手はご自身にとってはどのような選手ですか

 小学生の時から知っているので憧れでもありますし、大会の動画を見て参考にしたり、目標ですね。

――笹瀬選手との交流は今もありますか

 高校生になって県の合宿に出るようになって、そのコーチとして笹瀬さんがいらっしゃった時に話したり、そういう時などにお話をしたりはします。

「5メートル50の記録を超えたい」

――現在、ライバル選手はおられますか

 今年中京大学に入った愛知出身の増田智也選手や榊原圭悟選手です。東海大会などで戦ってきた相手なのでちょっと意識しています。

――どのような対戦成績ですか

 増田君は全中やU18日本選手権や東海大会、さらにインターハイも出ているので、五分五分くらいですね。二人とも5メートルを跳んでいるので、力は向こうの方が上ですね。

――現在目標とされている記録はありますか

 今シーズン中に5メートルは確実に、5メートル20は自分は狙えると思っているので、今シーズン中に。6日の試合も全助走では出ていなくて、自分の全助走はもう二歩多いので、スピードが上がるというのはあります。礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)からもアドバイスがあって、まだ改善できるところや伸びしろがあるなと思うので。

――棒高跳をする上でのご自身の強みは

 自分的には、減速せずにそのまま踏み切れることだと思います。

――それは他の選手と比べてか、自分が競技をしているうえでですか

 そこは他の人には負けてないなと自分でも思っています。

――現時点ででの一番大きな課題はどこですか

 最後まで乗せて踏み切る、走ることです。

―― ご自身の感じる棒高跳の醍醐味は

 走る要素と飛ぶ要素と、空中動作も体操のようになるので。自分で言うのもあれですが、陸上競技の中で一番難しいと思っていて、それをサーカスみたいだなと。それをサーカスのようにパフォーマンスするのが醍醐味かなと思います。

――次レースの予定は決まっていますか

 とりあえず決まっているのは5月1日の日体大記録会です。その次は、おそらく関カレになると思います。

――今シーズン、勝ち取りたい記録はありますか

 早慶戦(早慶対抗競技会)優勝と関カレ入賞という二つはあります。チームに貢献できる団体戦であるというのが大きいです。関カレはレベルが高いというか、高校時代から出場してみたいというのがあったので入賞したいです。

――関カレで意識されてる選手は

 絶対今の力では勝ち目はないのですが、法政大学の竹川倖生さん。同じ静岡が地元なので声を掛けてくださいました。強すぎて勝つというのはまだ現実味がないのですが、意識はしています。

――早大での四年間での目標は

 対校戦でしっかり点を稼いでチームに貢献したいのはもちろんのこと、しっかりとチームに貢献できる選手になりたいです。

――最後に、目指す記録と高さを教えてください

 5メートル50の記録を超えたい。それが、一番の大きな目標です。

――ありがとうございました!

(取材・編集 大島悠希)

色紙を持って一枚。長いポールを使って見せる、高く、そして美しい跳躍を披露してくれることでしょう!

◆平川巧(ひらかわ・たくみ)

2000(平12)年10月19日生まれ。167センチ。静岡・磐田南高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:棒高跳4メートル90。棒高跳をサーカスのようだと表現する、ご自身の跳躍に注目です!