【連載】ルーキー特集『START LINE』第1回 後藤颯汰×澤大地×三浦励央奈

陸上競技

 数々の有名選手を輩出する早大に、今年も強力なメンバーが加入した。長崎県大会の400メートル障害決勝で51秒37をマークし、全国高校総体(インターハイ)6位の実績のある後藤颯汰(スポ1=長崎・五島)、昨年に大躍進を遂げ、インターハイや国民体育大会(国体)で結果を残した澤大地(スポ1=滋賀・草津東)、そして大学生も出場するU20日本選手権で昨年、200メートル7位に入賞した三浦励央奈(スポ1=神奈川・法政二)の三人だ。後藤と澤は昨年7月のU20世界選手権に出場し、世界のレベルを肌で感じた。三浦も負けじと4月の東京六大学対校大会100メートルで優勝を遂げている。そんな三人がこれまで歩んできた競技生活とは。そして早大での四年間で見据えるものとは――。

※この取材は4月11日に行われたものです。

早大での新生活は?

取材は終始笑顔の絶えない中で行われた

――きょうの練習は何をしましたか

三浦 短短は坂道に行って200メートルをやって、そのあとは各自補強をしました。

後藤 短長はSD(スタートダッシュ)からの150メートルを3本やったあとに、速いペースで行きたい人と、自分のペースで行きたい人で分かれて250メートルを1本やりました。

――後藤選手は障害ブロックではなくて、短長ブロックで練習しているのですか

後藤 走るメニューは短長ブロックに入って練習するという感じです。

――現在の調子はいかがですか

三浦 今ですか!?今は最悪です。僕は試合のあとに結構体にダメージが来るタイプで、練習で走れなくなっちゃうんですよ。なので、試合後は調子が悪くなるというのと、次の試合が静岡国際で、みんなは関カレ(関東学生対校選手権)に向けて鍛錬期で練習をガチガチにやっているのもあって、今の調子は良くないですね。

後藤 僕も…最悪ですね。冬季練習をけがしてあまり積めていなくて、けが続きで3月の鹿児島合宿もけがしてしまって走れていないので、そんなに調子は良くないかなという感じです。

 僕はこの二人より最悪です。高3の冬くらいから脚に違和感があったところが、合宿で痛くなってしまいました。

――寮生活が始まって間もないと思いますがいかがですか

三浦 僕はとても楽しいなと思いながら生活させていただいてます。

 ご飯が毎日楽しみです。夜ご飯が楽しみです。

――好きな寮飯はありますか

 カレーです。きょうカレーなんですけど、それが楽しみですね。

三浦 匂いが確実に。

 でも嫌いな食べ物が入っているときもあって、きょうはナス?ナスが入ってるらしい。

三浦 そうなの!?それはキツイわ。

――ナス嫌いなんですか

 僕結構嫌いなもの多くて。

三浦 僕も駄目ですね〜。

――後藤選手は高校時代から寮だったと思いますが

後藤 僕はもともと島内の方にいたんですけど、長崎県には離島留学制度というのがあって、スポーツコースが五島高校にあったので離島留学というかたちで入学させていただきました。他にも衛生看護科というコースがあって、そのコースに入って来た人たちが集まった寮があります。

――そちらの寮とこちらの合宿所との違いはありましたか

後藤 こっちは当番があって、いろいろやらなくてはいけない仕事が決まっています。高校時代はそういったものがなくて何時から何時までが掃除、みたいな感じだったので、その面できついなというのはあります。

――当番の話が出ましたが、当番の日は朝も早いと伺いました

三浦 普通の日は4時で、日曜日が3時55分とかだっけ?日曜日が早くて、月曜日が6時50分という感じですね。

――朝の早起きは得意ですか

 めちゃめちゃ苦手ですね。

三浦 僕はめっちゃ得意です。

後藤 僕も得意です。

――澤選手はやはり苦手そうですか

三浦 こいつは、ポンコツなので(笑)。

一同 (笑)。

 でもまだ全然寝坊はしてないです。

――生活で高校と大きく変わったことはありますか

 早寝早起きですね。高校の時は不規則で、12時過ぎに寝ることもありました。寮に入った今では消灯時間もあるので、10時台とか早いときは9時台に寝ますね。

後藤 僕は寮生活から寮生活なので、そんなに変わらないんですけど、澤と一緒で朝起きる時間や寝る時間が変わりました。僕も高校の時は11時くらいには寮の点呼があって、11時半くらいには寝ていたんですけど、最近は当番でない日は9時半には寝るようにしてます。

三浦 練習スタイルは法政二高と似ている部分があって、この二人に比べると生活リズムも比較的規則正しい方で、あまり変わったということはないですね。ただ、高校3年生で一番上から大学1年生と一番下になったということで、今まで一年間やってこなかった、例えば先輩に対する気遣いだったり、率先して手伝いをするというのがまだ慣れきっていない部分があるので、そこの変化に対応していきたいという感じですね。

――大学の授業を受けてみていかがですか

三浦 意外と90分は短いなと。

 めちゃめちゃ長いですよ。

三浦 うそだ!

後藤 めちゃめちゃ長いです(笑)。

――授業はまだガイダンスという感じですか

後藤 そうですね。きょうちょっと武士道のやつがあったかな。教育基礎論は最初からガッツリでした。

三浦 教育基礎論は面白かったよ。

後藤 あれ面白かったね。

――東京はいかがですか

 一番は電車が多いことですね。急がなくてもすぐ来るのでいいですね。地元の方は30分に1本くらいなので。

後藤 僕はたまに向こう(東京)に行くと、満員電車とか人混みが多いところでたまに人酔いしてしまって。しかも埼玉県は海に面していないので、僕の趣味の釣りができなくて、そこはちょっとつらいですね。

――どこかに遊びに行ったりされたのですか

三浦、後藤 いや全然行ってないですね。

――三浦選手、二人に勧めるおすすめの東京の場所はありますか

三浦 おすすめの場所ですか(笑)。自由が丘にあるケバブに連れて行ってあげたいなというのはあります。

 ケバブ!?

後藤 うまいの?

三浦 めちゃくちゃうめえ。自由が丘に500円のケバブがあってそれがマジでうまいんだ。高校の時から僕ずっと行ってたんですけど、高1の頃に同期の益田海聖に勧められて、それで一緒に行って。これはおいしいということで、三年間行ってました。

後藤 マジか!

――今度ぜひご一緒に行ってみてください!

「陸上って楽しいな」――後藤

しっかりとした口調で話す後藤

――皆さんが陸上競技を始めたきっかけは何ですか

三浦 僕は幼稚園の頃から小6までずっとサッカーをやっていて、中学でもサッカー部に入ろうと思ったんですけど、いまいちサッカー部が強い学校ではなかったのでどうしようかなと思っていたときに、僕の二個上の陸上部に入っていた先輩がオラオラ系で、「おまえ陸上部に入らなかったら覚えておけよ」と言われて。それがちょっと怖くて陸上部に入ったのがはじまりです。

――その先輩がいなかったら陸上をしていなかった

三浦 そうですね。サッカーか剣道をやってました。

後藤 剣道なの?(笑)

――後藤選手はいかがですか

後藤 僕は小学校の頃から野球をやっていて、中学1年生の冬頃まで続けていたんですけど、肩を痛めてしまって、もう野球をやめようかなと思っていました。その時に陸上部の顧問の先生からずっと誘われていたので、見学に行きました。そこで陸上って楽しいなと思って、陸上部に入りました。

 僕は小4から始めました。小学校時代には陸上、サッカー、水泳を掛け持ちしていました。小4に始めたきっかけは、両親が陸上をやっていて、陸上雑誌が家に置いてあってそれをよく見ていたのでその影響があったのと、仲良い友達が陸上部に入っていたので、それで始めました。

――小学校から、というのはクラブチームに入っていたのですか

 市内の陸上教室のようなものでした。友達が小3から入ってて、一年間やってて楽しそうだったので入りました。

――皆さん高校2年生から3年生で記録が急上昇した印象がありますが、躍進のきっかけは何かありましたか

 僕は朝練習です。僕の学校は朝練習がメインというところがあって、朝から200メートルを3本走ったり400メートルを走ったりしていました。それを続けてきたのが、三年目で記録が伸びたのかなと思います。

三浦 僕は完全にメンバーのおかげというのがありますね。自分で言うのも何ですけど法政二高は強豪校で、一緒に練習するメンバーも全国で活躍するような選手が集まっています。練習のレベルがとても高いし、さらにそのメンバー全員が全国で優勝するという目標を持って練習してきました。毎週あるきつい練習を一切妥協することなく、3セット4セットあるメニューでもしっかり最初から全力を出し切っていこうと練習できて、春ごろには間違いなく強くなっているなという確信がありましたね。僕が強くなることができたのは一緒に練習して支え合ってきたチームメイトのおかげかなと思います。

後藤 僕も三浦と一緒です。高校2年生のブロック大会で、インターハイを決める大会だったんですけど、そのマイルリレー(4×400メートルリレー)で同期がバトンを落としてしまって。僕たちのチームは2年生三人と3年生一人で、先輩をインターハイに連れて行ってあげることができなかったというのが僕たちの中ですごくあって、来年は絶対にこのメンバーで行くぞというのを目標にしていたことがひとつです。あと僕はもともと長い方のハードル種目が専門ではなくて、短いハードル(110メートル障害)をやっていたんですけど、秋くらいになって、短いのだと身長も低いので通用しないなと思ってきました。先生からもヨンパーをやってみないかと言われたのもあって、ヨンパーを始めました。

――400メートル障害に対する練習のシフトはうまく行きましたか

後藤 その次の年はトッパー(110メートル障害)にはそんなにかけなくて、マイルメンバーと一緒に長い距離をずっと走ったり、ハードルでも長い距離を走っていました。

――澤選手と後藤選手は高校時代にU20世界選手権に出場しました。初めての世界大会はいかがでしたか

後藤 日本は400メートルトラックがアップ会場としてあったんですけど、向こうは80メートルくらいのレースが5本くらいしかなくて、「ここで試合前にアップするのか」と思いましたね。世界大会と比べて、日本は恵まれているなというのを実感しました。しかも外国人にはいかつい選手がいたり、タトゥーが入っている選手がいたりで、最初は結構怖かったです。

 僕は全国大会に出る前に、近畿大会、世界、全国という流れだったんですよ。だから何をしていいのかよくわからなかったんです。それでジャマイカとかアメリカとかのいろいろな選手を見ていました。レース前なんか楽しそうなんですよね。日本の選手は緊張してて、僕なんかガチガチに固まっちゃって。結果が求められているという感じだったんですけど、強い国は陸上そのものを楽しんでいるなという感じがしました。

――後藤選手はご自身のレース内容はいかがでしたか

後藤 僕は前半飛ばすタイプなので、走ってみて意外といけるんだなと前半思っていたら、その次の瞬間に気が抜けてしまったかわからないんですけど、ハードルにぶつけてしまいました。そこから減速してしまったのが悔しかったという思いが今あります。

――大会で逆に楽しいことはありましたか

後藤、澤 マイルは楽しかったです。

 日本チームのコーチ陣が全力で後押ししてくれて気楽に走れました。

――三浦選手もU20世界選手権を狙っていましたか

三浦 そうですね。なんで俺も連れて行かないんだって。ただ、関東大会あたりが最後の選考で、そこでちょっと調子を崩していたので、それが大きかったかなと思っています。

――二人の活躍は見ていましたか

三浦 いや、見ていないです。結果どうだったの?

後藤、澤 いや、悪かった。

――三浦選手は結果についてもよくわからないという感じで

三浦 そうですね。泉谷さん(駿介、順大)のハードルと秋山(裕樹、当時川崎橘高、現法大)の三段跳は見たんですけど、他は知らないです。

――出場できなかった心残りはありますか

三浦 そうですね。今年はユニバーシアードがあってそれに向けて体をつくっているので、そこには僕が出ている気持ちでがんばります。

「マイルでは絶対に優勝しようという思いで走りました」――三浦

場を盛り上げてくれた三浦

――では、その後にはインターハイがありましたが、振り返るといかがですか

三浦 僕は関東の時にかなり調子を崩してしまって、21秒6もかかってしまって、インターハイまでに戻りきりませんでした。(後藤、澤を指して)彼らは決勝に残ったんですけど、僕は準決勝組5着で21秒34までには戻せましたが、自分のベストの調子に持っていくことができませんでした。4継も1日目のレースで失格してしまったりで、法政二高の流れ的には非常に悪かったんですけど、800メートルの二人(松本純弥、現法大と石川昌樹、現横浜国大)が2位、6位と、内田(隼太、現法大)が5000メートルで日本人4位と結果を残してくれて、俺も負けてられないぞと思って。須田(竜一)と僕と山本(祐大、現法大)はまだ何もしてないぞということで、絶対に優勝しようという思いでマイルを走って優勝することができました。悔しさが残る大会ではありましたけど、マイルの優勝に結び付けられたのは良かったと思います。

後藤 僕はU20世界選手権からインターハイまでは調子が良かったんですけど、インターハイの予選が終わった後、熱中症で倒れてしまって、準決勝の時も若干熱中症ぽくなっていたので、悔しかったです。ちゃんと体調管理をしておけばよかったと思っています。

 僕もU20世界選手権から帰ってきたら体重が落ちてしまって、筋力も落ちて夏バテ気味だったので僕も調子が良くありませんでした。準決勝をギリギリで通過する感じで、悔しかったですね。

――インターハイ、とても暑かったですよね

三浦 マジで暑かった。

後藤 本当に暑かったです。

――後藤選手は、熱中症になっても決勝に残るとは…

後藤 予選が昼くらいで、倒れてすぐホテルに戻って休んでいたので、次の日も結構きつかったんですけど、準決勝では絶対決勝に残ろうと思って挑みました。決勝はボロボロだったんですけど、準決勝まで持っていけたのは良かったと思います。

――これまでの試合で最も印象に残っている試合はありますか

三浦 その問いを受けた時にまず思い浮かぶのはやはりインターハイですね。

後藤 僕もインターハイですね。

 僕は福井国体ですね。僕は初めての滋賀県代表だったので、すごく緊張していました。しかも400メートルの全国大会が初めてでより緊張していたんですけど、滋賀県の先生はとても良い人ばかりで、みんなが後押ししてくれて、すごく楽しい大会でした。

三浦 国体は楽しかったよね。

 ホテルとか、試合がない日の競技場の雰囲気だったり。

三浦 お祭りみたいな感じだったよね。

後藤 俺は楽しくなかった。予想外に予選落ちしたから、テントに帰ってマジで申し訳なかった。その時長崎県の高校生のキャプテンみたいな感じだったんだよ。

三浦 そうなの?

後藤 それで、俺がいきなりやらかしたけ。そこから流れが悪くなった。それも嫌な思い出ですね。

――後藤選手、良い思い出はありますか

後藤 良い思い出は、ブロック大会のヨンパーです。インターハイで優勝した出口(晴翔、東福岡高3年)を大差で勝つことができました。しかも連覇を防ぐこともできたのでうれしかったです。

お互いの印象は?

――皆さん、お互いに面識はあったんですか

三浦 いや、面識はなかったですね。後藤は知らなかったです。澤は名前だけ知っていました。

後藤 澤とはU20世界選手権で知り合ったくらいです。

 三浦に関しては、県で20秒台を出して、「なんやこいつ」と思って調べてました。

――初めて会ったのはいつでしたか

三浦 合宿です。鴨川の。

 12月ですね。

後藤 僕は3月の鹿児島合宿です。

――結構遅かったんですね

後藤 鴨川合宿は別の合宿があって、そっちの方に参加しないといけなくて行けなかったんです。あまり面識はなかったですね。

――お互いの第一印象はいかがですか。まず三浦選手に対する印象は

三浦 正直に言えよ。

後藤 正直に言うぞ(笑)。

 鴨川の時でしょ。あんましゃべらんなと思ったんですよ、最初は。バスの中で隣になっても全然しゃべらないんですよ。

三浦 バスの中でベラベラしゃべる方がおかしいでしょ(笑)。

 なんか無口なんかなって思いました。

三浦 今は?

 むちゃくちゃしゃべるやん(笑)。寮で一番しゃべりますよ。

――ムードメーカー的な感じですか

 そうですね。

後藤 場の盛り上げ役みたいな。

――なるほど。後藤選手は

後藤 僕第一印象、最初ゴリラだなって(笑)。

一同 (笑)。

三浦 結構言われますよ。先生たちにも言われましたね。「お〜い、ゴリラだな〜」って。

――それだけですか

後藤 僕はそれだけです(笑)。しゃべってみたら、めちゃくちゃ面白くて、さすが法政二高だなと思いました。

三浦 法政二高マジで面白いからな。

――では後藤選手に対する印象は

三浦 訛りと方言がきついので、何を言っているのか全然わからないんですよ。見た目の印象は普通の少年だなという感じだったんですけど、特に印象はなかったです。口開いた途端に、何を言ってるの?って感じで。

 僕はU20世界選手権の時ですね。初日で、まだ日本にいる時に寝坊したんですよ。

後藤 これにはちゃんとした理由があるんですよ(笑)。

 飛行機の時間があるのに寝坊したんですよ。こいつやばいやつや、めちゃくちゃ度胸あるなって思ったのが第一印象です。

三浦 度胸あるっていうか、アホなだけだろ(笑)。

――では澤選手に対する印象はいかがですか

三浦 無口だなと思いました。

後藤 そうそう思った。U20世界選手権の時もしゃべりづらいな、しゃべりかけたらどんななんやろって思った。しゃべったらめちゃくちゃ関西弁のクセが強いやつでした。

三浦 こいつからしゃべりかけてくることはあんまりなかったなと思います。

 人見知りなので…。クラスで僕から一人もしゃべりかけてなくて、まだクラスでしゃべったの二人なので。

三浦 俺四人くらいだよ。

 あんまり変わらんやんけ(笑)。

後藤 俺もそれくらい。一人か二人くらい。

――では今の印象は。後藤選手に対してはいかがでしょうか

三浦 ポンコツですね。

 後藤は足が臭い。

一同 (笑)。

――第一印象がそれというのは…

後藤 仕方ないです。僕自身もそういう人だと思っているので。ポンコツで足臭い。

三浦 最悪だな(笑)。

後藤 それで足遅い。

――それはないと思いますよ

後藤 今本当に遅いんですよ。

三浦 めちゃくちゃ遅いです(笑)。

――澤選手は他に後藤選手に対してはいかがですか

 1年生がよく気を利かせて荷物とか準備とかやるんですけど、こう見えて意外と動けているんですよね。

三浦 一番頑張ってる説ある。

後藤 ポンコツなんでなるべく。結構ぼーっとしていることが多いのですが、やはりここに来たら組織として動いているので、周りを見て、先輩が持っているものを持つとか、いろいろしっかりとしていかないとなと思っています。

――最後に、澤選手に対しては

三浦 ないわ!マジで。

後藤 俺もないわ。

 悲しいです。

三浦 若干鴨川の時に比べると、人見知り感はなくなってきたと思うんですけど、他になんかあるかと言われるとないですね

後藤 意外と合間時間に寝てて。僕がたまたま呼びに行ったら寝てるんで、それで結構起こしてます。そのあとの寝覚めが「うぅ…」という感じで、朝弱いんだなという印象です。

 なんやその印象(笑)。

「世界を見据えた進学です」――澤

笑顔で質問に答える澤

――早大を進学先として選んだ理由を教えてください

 世界を見据えた進学ですね。かっこよく言いましたけど…。加藤修也さん(平29スポ卒=現HULFT)がアジア大会のマイルの決勝で走っているのを見て、カッコイイなと思って調べたら早稲田と書いてあって、早稲田っていいなと思いました。高2くらいから一番早稲田に行きたかったんですけど、絶対に勉強では無理だなと思って。競技力でも推薦が来ないと思っていたんですけど、高3のインターハイで声を掛けてもらった時はすごくうれしかったです。あと、滋賀県の先生で県の合宿の400メートルの担当をしている先生が早稲田で、あと棒高跳でオリンピックに出ている近藤高代先生(平10卒)がいるんですけど、その人も早稲田で、いろいろ早稲田の話は聞いていました。また顧問の息子の小澤直人さん(平31スポ卒)が僕の先輩で、そのつながりもありますね。

後藤 僕は中学2年生の時のジュニアオリンピックに出場した時に、その時日本選手権リレーも一緒に開催されていたので、ちょうど早稲田のマイルのアップから試合まで見ていて、このエンジでマイル走るのめっちゃかっこいいなと思いました。僕の中学校の顧問の先生も礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)の先輩で、自分も顧問の先生みたいに早稲田で競技をして活躍したかったので、早稲田に決めました。

三浦 志望理由書には、競技と学問を高いレベルで両立させたいと書きました。でも本当は少し違っていて…。須田隼人さん(平29スポ卒=現フォルテ、神奈川・橘高出身)がいて、その時の橘の先生が原先生(原恵美子氏)で、僕が法政二高に入学するときにちょうど橘で定年を迎えた原先生が法政二高に体育教員というかたちで来て、そういう縁もあって須田さんと練習する機会が何度かありました。そこで「早稲田ってどんな環境なんですか」ということを聞いていて、早稲田っていいのかなと思って原先生に相談したら、「励央奈と礒先生はとても合うと思うから、ぜひ早稲田に行っていただきたい」ということで、「原先生が言うなら」、ということで。僕も早稲田に行きたい気持ちがあったので、須田さんなどと相談して、礒先生とも何度か直接お話をして、ここに決めました。

――礒監督の指導を受けるときもあると思いますが、どのような方ですか

三浦 むちゃくちゃ頭が良い方だなと思います。本当に優しい先生と思ってます。僕は礒先生めっちゃ好きです。

 何度かお話させていただいたことがあるのですが、絶対に間違ってないことを言ってるし、素晴らしい先生だと思います。

――直接指導を受けたこともありますか

後藤 礒先生もハードルが専門で、試合前などにこういう走りで行くように、リズムをとっていくように、などともらっています。

――他にも指導を受けて印象に残っていること、焼きついていることはありますか

 僕はヨンパーの野澤さん(啓佑、平26スポ卒=現ミズノ)に合宿中に言われたことですね。合宿中に足を痛めて、練習の横でストレッチや体幹をやってたんですけど、そのときに野澤さんが「足を痛めるときには理由があるし、なんでそういうふうになったのかには絶対に理由があるから、それをしっかり考えて、どこかにまとめて、次起こらなければいいから」と言われて、確かにそうだなと思いました。

三浦 僕はOBの須田さんと練習させていただく機会があったと言いましたが、高3になってだいぶ良くなったんですけど、高2の時までスタートがめちゃくちゃ遅い選手でいつも出遅れていました。対照的に須田さんはスタートがすごく速くて上手な選手だったので、原先生から「励央奈にスタート教えて!」という感じで高2の冬につきっきりで教えてもらいました。高3になってだいぶ遅れをとらないレースができるようになったので、あの期間は今僕がレースをする上でとても大切な時間だったかなと思えますね。

後藤 僕も澤と似てて、コーチの岳さん(欠畑岳短距離コーチ、平27スポ卒=岩手・盛岡一)から言われたことです。僕も澤と一緒でその時けがをしていて、「自分がけがしたときに、なぜそうなるのかをしっかり考えて、今後の走りも自分で考えてからやっていこう」と言われたのが一番印象に残ってます。

――練習で高校と大きく違ったことはありますか

三浦 僕はあまりないですね。

後藤 高校では質という部分を大事にしていたので、そんなに冬もあまり走り込みというよりは本数はこなさずに長いのを1本や外周走1本で終わっていたんですけど、こっち来てからは走る本数も多くなって、自分より速い選手もいてさらに質も上がったという印象があります。

 僕は練習環境で、高校は土だったんですけど、毎日トラックで走れるようになったことですね。また、早稲田の選手は一人ひとりがしっかり考えて練習している印象があります。高校のときはただこのメニューをこなすだけ、走るだけだったんですけど、何を意識して走っているのかとか、一人ひとり考えられていて、それがすごいなと思います。

――自身の持ち味にしている点、強みはありますか

三浦 自分のレースが出来たときは抜け目ないレースができたなという感じはあります。持ち味はどちらかというと後半です。中盤から後半にかけての伸びがいいですね。みんな落ちてくるあたりで伸びていけるので。

後藤 僕のレースパターンは前半からかっ飛ばして最後まで逃げ切るというパターンなので、300メートルまでが自分の持ち味かなと思います。

 僕も後半型なんですけど、一番200メートルで得意なのはコーナーから直線に抜けるところが一番得意かなと思います

――コーナーから直線に抜けるというのは、具体的にはどういうことでしょうか

 どういうこと…。

三浦 うまくいくと、コーナーから直線に出るときに誰かが背中を押しているような感じで進むんですよ。だからうまい選手と並ぶとカーブ出るまで一緒だけど、カーブを出たときに離されてしまうんですよ。だから彼はそういうことを言ってるんだと思います。

 そういう感じですね。

――逆に今改善したいと考えていることはありますか

後藤 僕のレースパターンは最初に飛ばしてしまって、最後にタレてしまうんですけど、競走部の400メートルハードルというのは、全部一定のリズムでハードルを跳んでいきます。僕はそういうリズムを使ってテンポで走ることができていなくて、さらに後半もタレてしまうので、リズムをつくって走ることと後半タレないようにするところです。

 僕はスタートですね。スタートがすごく遅いのでそれを改善するのと、あといろんな先生方やOBさんから言われるのが脚が流れるということで、そこも改善していきたいと思います。

三浦 僕はレースにおいての改善点というよりはシーズン全体を見てという感じなんですけど、レースによって走りがばらつくというか、動きが違ってしまって、それによって当然タイムも異なってきます。良い動きができたときは良いタイムだけど、ちょっとずれたときはタイムが良くないというのをなくして、採算性があって安定したタイムを常に出せるようなシーズンを送りたいかなと思っています。

それぞれが描く、早大での四年間

――三浦選手と後藤選手は東京六大学対校大会に出場しました。初めての大学の試合はいかがでしたか

三浦 僕は記録が良かったので、楽しいなと思えたのはよかったなと思いますね。調子が悪くなっちゃうと陸上が本当に楽しくなくて。関東大会とかインターハイの時も試合に出たくないとか、そういう思いが強かったんですけど、今回は良いスタートを切れたのでよかったと思います。

後藤 僕はけが明けの初レースが六大学の対抗ということで点数も入ってくるので、なるべく1点でも稼ぎたいな思っていたんですけど、決勝の8台目で歩数が合わずに転倒しかけてしまいました。そこが悔しいし、先輩たちにも迷惑をかけてしまったなと思っています。

――エンジのユニホームを着ましたがいかがでしたか。すごく似合っていたと思います

三浦 そうですか?僕は高校のやつらにあんまり似合わないって言われるんですけど。「なんか、違うよ」、みたいに。

後藤 僕は自分の中でプレッシャーを抱え込んでいて、ユニホームを着た時は重かったです。

――澤選手は何をされていましたか

 僕はマイルの補欠でした。マイルのアップを一緒にして、メンバーのサポートなどをしていました。

――対校戦の雰囲気はこれまでの試合と違いましたか

後藤 高校と全然違いました。長崎はレベルが低いので気楽に走れたんですけど、点数が入る試合で自分より速い選手がたくさんいて、これはすごいなと思いましたね。

――早大はリレーも強いですが、リレーに対する考えは

三浦 僕は中学の時から4継がすごく好きで、4継でインターハイで優勝するために法政二高に入りましたが、それは果たせませんでした。そのリベンジに大学のインカレを使うのもどうかと思いますけど、いつになっても全国で優勝したいなという気持ちが変わったことはないので、絶対に優勝できるようにという思いを燃やし続けていきたいと思います。

 早稲田はマイルが強い印象がずっとあります。去年はあまり結果は良くなかったですが、400メートルで伊東さんが日本代表になって、早稲田の400メートルのレベルも上がってきていると思うので、そこに僕も入って、早稲田新記録や学生新記録をつくれるようなマイルメンバーの一員になりたいと思います。

――後藤選手は障害ブロックではありますが、特にマイルには興味がありますか

後藤 やはり高校の時からマイルには4継よりも気持ちが入る部分があって。早稲田大学はマイルが有名で、僕もマイルを見て早稲田ってカッコイイなと思ったので、3年生までには一回マイルに出場してみたいと考えています。

――現時点でライバル選手はいますか

後藤 僕は城西大学の伊奈颯太と、東海大学に行った岩渕颯耶、去年インターハイで優勝した出口晴翔ですね。今年はその三人には絶対負けたくないと考えています。

三浦 僕はいっぱいいるんですけど…。法政だったら山本とか。個人的に関東圏で西武台千葉出身の瀬尾(英明、順大)に勝ちたいですね。同じレースを走って勝ったことがないと思うので、100メートルでも200メートルでも。しかも彼は冬季練習をしっかり積んできていて、僕も冬季はしっかり積んできた身なので、負けられないですね。

 僕は…(三浦を指す)。今全然走れていないので、ライバルにしていいのかわからないんですけど、やはり200のベストも近いし。短短と短長ではあるんですけど、200メートル専門ということは同じで、しかも学年も同じなので、ライバル視はしていますね。

――三浦選手は聞いてみてどうですか

三浦 僕もここに来る前までは思っていたんですけど、けがしてるしスピードも出ていないし。だから早く本調子に戻って勝負できるように一緒にがんばろう。

――早大の四年間での目標はありますか

三浦 僕は200メートルで日本選手権に優勝したいなと思っています。

後藤 僕は全カレ(日本学生対校選手権)と関カレで優勝して、日本選手権でも野澤さんに勝てるような選手になりたいと思っています。

 僕はユニバーシアードですね。今年のナポリは厳しいと思うので、2年後の中国で行われる時に出場したいです。

――では、ルーキーイヤーとなる今年はどんな一年にしたいですか

三浦 高3の時よりも背負っているものがあまりないなと感じていて、チャレンジャーなうちに行けるところまで行きたいなと思います。みんなの前では全カレ表彰台と公言したんですけど、ユニバーシアードも狙っているので、次の静岡国際で一発かましてユニバーシアードの代表に選んでいただけるように、まず今年一年はそれに向けてがんばっていきたいと思います。

後藤 けがとかで練習が積めていないので、8月までにしっかりと体をつくって、10月にあるU20日本選手権で優勝することが目標です。

 僕もしっかり走れる体をつくって、全カレでしっかり走って、決勝に進出します!

――ありがとうございました!

(取材・編集 岡部稜)

三人のコンビ、最高でした!きっと今後の学生短距離界を引っ張っていく存在になることでしょう!

◆澤大地(さわ・だいち)(※写真左)

2000(平12)年6月29日生まれ。175センチ、60キロ。滋賀・草津東高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:200メートル20秒96、400メートル47秒69。人見知りとのことですが、キレキレの関西弁で楽しそうにお話ししてくださいました。最近はEDMにハマっているそうです。草津東高では朝練習の積み重ねで着々と力を付け、高校3年生で急成長。一躍U20世界選手権の代表にまで上り詰めました。20秒台の自己記録を持つ200メートルでは後半を得意とする澤選手。コーナーを出たあとの伸びに注目です!

◆後藤颯汰(ごとう・はやた)(※写真中央)

2000(平12)年8月9日生まれ。174センチ、67キロ。長崎・五島高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:110メートル障害14秒73、400メートル障害51秒37。海に面した長崎県出身ということもあり、趣味は釣りだという後藤選手。イカをさばくこともできるそうです。そんな後藤選手は400メートル障害を始めてまだ一年半ほどと伸びしろは十分。持ち味とする前半から攻めていく走りと「同じリズムで跳んでいく」という早大の400メートル障害の方針がどのように融合していくのか、これからが楽しみです!

◆三浦励央奈(みうら・れおな)(※写真右)

2000(平12)年5月10日生まれ。181センチ、74キロ。神奈川・法政二高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:100メートル10秒45、200メートル20秒91。合宿所ではムードメーカー的な存在だそうで、対談中も場を盛り上げてくださいました。自由が丘にあるケバブがオススメだそうです。体格を生かしたダイナミックな走りが魅力で、レース中盤から後半の追い上げを長所とする三浦選手。東京六大学対校大会ではさっそく100メートルで自己記録を大きく更新しました。最速を追求し、早大での四年間を駆け抜けていきます!