ことしの長距離チームには、3000メートル障害の選手が加入した。吉田匠(スポ1=京都・洛南)、渕田拓臣(スポ1=京都・桂)、森田将平(スポ1=広島・修道)の3人は高め合いながら、どんな景色を見るのだろうか。直近に控えた関東学生対校選手権(関カレ)、そして4年間の目標について語っていただいた。
※この取材は5月18日に行われたものです。
「自分のしたい勉強ができている」(森田)
真面目に質問に答える森田
――きょうの練習はなにをされましたか
森田 自分は故障中なので、補強を行わせていただきました。
渕田 僕は昨日ポイント練習をしたというのと、関カレに出場させていただくということで、試合までのつなぎのジョグを軽いペースでやりました。
吉田 練習が始まってストレッチしてから軽いジョグをしました。
――大学に入学して1カ月ほど経ちましたが、大学生活には慣れましたか
森田 学校生活についてはだいぶ慣れたと思います。トレーニングで東京に行かせていただいて「都会だな」とギャップを感じていました(笑)。
渕田 高校は去年とかだと1番上の学年だったのですが、大学に入ったことで一番下の学年になって、やらなきゃいけないことが増えて、そこが一番の変化だったと思います。
吉田 高校時代は家から高校が遠くて、朝早くに出て夜も遅いので家での自由な時間が少なかったのですが、大学に入って寮が(キャンパスの)近場になったということで、自由な時間が増えました。自分の好きなことやケアの時間が増えたなと感じます。
――自由な時間で何をされているのでしょうか
吉田 最近は先輩の部屋に行ってゲームをしたりしています。(先輩には)良くしてもらっているというか、仲良くしていただいています。
――1年生は寮の当番があるとお聞きしました。大変なことはありますか
森田 ルールとかの当番が、高校は自由で何もなかったので。もともとみんなが持っている当たり前がない状態なので、覚えることが大変ですね。
渕田 僕はもともと朝起きるのが得意な方ではないので、当番に入ったときは早い時間から掃除などをして、起きるのがまだ少し苦手です。1限に入っていないときはその時間に寝て、寝溜めしています。
吉田 当番は1日中なにかしらあって、1日中気を張らなくてはいけなくて、時間もそれぞれ決まっているのでその時間にしっかりやらなければいけないなと考えて気疲れするというのは正直あります。
――では、早大の授業を受けてみていかがでしょうか
森田 自分は興味のあるスポーツ科学を学びたいと思ってこの大学を選んだので、自分がしたい勉強ができて充実しています。
渕田 筋肉のこととか神経のこととか、自身の競技にもつながってくることを勉強して取り入れていくことができるので、そういう面でプラスになるのかなと思います。
吉田 渕田も言っているのですが、筋肉や細胞学、トレーニング科学などを学んで、自分の競技の方に生かしていけると思うので、国語や算数ではなくて自分の競技に役立っていると思います。
――新入生同士の仲はいかがですか
森田 学年全体だとまとまって動くこともありますので、仲は良いのではないかと思います。
「(大学では)結果を残していきたい」(渕田)
しっかりとした口ぶりで語る渕田
――では競技のお話をさせていただきます。みなさんが陸上を始めたきっかけというのは
森田 自分は小学校からテニスをやっていて、中学2年生で学校のマラソン大会で優勝して、そこから陸上部に入って活動しました。
渕田 僕は出身が京都なのですが、京都市の小学校では駅伝大会で実際に皇道(都大路)を走って、タスキをつなぐ機会がありました。それで2つ上の兄が小学校6年生のときにそれを走っているのを見て、憧れではないですが自分も走りたいと思いました。そこから小学校4年生で陸上を始めました。
吉田 渕田のとは違う小さな駅伝大会が(京都に)あるのですが、その大会がきっかけで中学の時に顧問の先生から「陸上やってみないか」と言われました。もともと小学校、中学校はサッカーをしていて、中学校ではサッカーと両立して陸上も始めたので本格的に始めたのは中学1年の途中からですね。
――高校の競技生活を振り返ってみていかがでしょうか
森田 自分は高校3年生の時はシーズンを通してケガをしていて。一番大事な年に結果が出せなかったので、いまもケガはしているのですが大学ではひと花咲かせたいと思っています。
渕田 自分は中学校のときはそんなに競技力があったわけではないので、それと比較すると高校は自分なりに結果を残せたと思うのですが、もっと上を目指すと考えるとなると、まだ結果を出し切れなかった部分があります。大学ではリベンジではないですがしっかり結果を残していきたいです。
吉田 高校3年間を振り返ったら、僕としては年々いい感じに大会のレベルも上がっていて、力も付いてきたと思います。高校1年のときはあまり結果が出なかったのですが、高校2年生から全国に出させてもらって、高3では入賞することができました。どんどんいい結果が付いてきて、上の大会も知ることができたので、そういう経験も生かして、大学では勝ち切って1年目からしっかり結果を求めてやりたいです。
――渕田選手と吉田選手は同じ京都出身で、駅伝の京都予選でも1、2位という関係ですが、現在ライバル意識などはありますか
渕田 僕は中学のときは吉田のことを知らなくて、高校1年の夏のユース大会で初めて知りました。そこから同じ競技ということで切磋琢磨(せっさたくま)ではないですが意識してやってきて、大学も同じ。負けたくないという気持ちも大きいのですが、ゆくゆくは一緒にタスキをつないで走れたらなと思います。
――では進学先を早大にした理由は
森田 自分はスポーツ科学の勉強がしたくて、スポーツ科学の勉強をするにあたって環境が充実している早大にしました。学業の面で早大はすごくいいと思ったので。
渕田 僕は高校2年生のくらいのときに関東で陸上をしたいと思いはじめて、そこからだんだんと競技力も上がってきて、上のレベルで勝負したいという気持ちが芽生えてきました。森田も言っていたようにスポーツについて学べるということで、自身の競技にもつなげることができると思い、決めました。
吉田 2人が言ってた学業の面でももちろんそうなのですが、やはり早稲田は関東の大学で言っても陸上だけなくいろいろな面で名門ということで、ブランドと言ったらいい方は悪いかもしれませんが、憧れはありました。それで誘っていただいて、そういう勉強の面も考えたとき、競技でも勉強でも伴っていると思ったので、行きたいなと思い選ばせていただきました。
――早大の相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)、駒野亮太長距離コーチ(平20教卒=東京・早実)は3000メートル障害をされていた方ということですが、そちらに対してはいかがでしょうか
森田 自分が相楽駅伝監督と話をさせていただいたときに、「3000メートル障害で強くするノウハウは持っている」とおっしゃってくださいました。強くしてくださるのであれば付いていきたいと思いました。
吉田 指摘してもらえるという利点が多いと思うのですが、他の大学の監督とは違い3000メートル障害をされていたということは、やっぱり他の種目と違って自分がされていたということもあり、けっこう注目して見てもらえるのではないかという気持ちもありました。他の大学だったらどうしても5000メートルや1万メートルがメインで、3000メートル障害はサブ的なイメージが強いのですが、その中でも経験者が監督をされていたら、サブの扱いではなくメインに近い扱いで見てもらえて。そういう面から駅伝などにも適用される選手も中にはいると思うので、そういう部分ではしっかり見てもらえている感じはします。
渕田 自分がやっている競技をもともとされていたということで、アドバイスが的確であったり、競技の面で尊敬できる面があったりだとか、そういうことが多いです。
――実際のアドバイスで印象的だったのは
渕田 走り終わったときに「障害はもう少しこういうかけ方をした方がいい」だとか細かい部分まで指摘してくださるので、自分にとってはプラスになっています。
――高校と大学の部活の違いはありますか
森田 僕は高校ではだれも止めてくれないというか、自分ですべて管理しなければいけないという環境だったのですが、そうなるといまみたいにケガした時も多少の痛みなら練習を継続していたので、昨年のようにシーズンを通してケガをしてしまうこともありました。こちらに来て痛みがあったときに、監督やコーチから練習を止めてくれるというか、いいあんばいで練習をさせてくれているのかなと思います。
渕田 高校は決められたメニューを監督から言われてそれをこなすという感じだったのですが、大学はポイント練習以外は自分で考える練習がほとんどなので、そういう意味では自分の体と相談しながらできるのは良い面です。あと流されたら練習としての意味がなくなってしまうというか、自分で自分を追い込まないといけないというのはあるので、自分に厳しくやっていかないと強くなっていけないのかなと思います。
吉田 高校の時もでしたが、練習の感じが似ていて、曜日の予定が一緒なので、僕としてはやりやすいなというのがあります。でも高校の時はジョグがメニューとして決められていたのですが、こっちではフリーということで、ポイントとポイントのつなぎのジョグを自分で考えて、足の状態と相談して落としたり上げたりするというのが自分でできるというのは、高校と比べてやりやすくなったなと思います。
――現在の、先輩との練習はいかがでしょうか
森田 僕は練習できてないのですが、補強のときに先輩にどういう補強がいいのかなど教えていただいています。
渕田 僕は競技も同じで関カレへの調整メニューも同じの大木先輩(皓太、スポ2=千葉・成田)と一緒のことが多いんですが、練習後のダウンもいろいろお話をしてくださいます。大木さんは去年関カレ入賞だったり結果も残している方で、ことし自分も出るということで、雰囲気だったりどういう風に走ればいいのかだったりを聞いています。
吉田 渕田が言った大木さんは僕にとっても同じ種目の先輩で、アドバイスを頂いたりしていますし、他の方にも別の練習とかでお話を聞かせていただいて生かしたりしています。箱根(東京箱根間往復大学駅伝)に出ていた先輩のお話も聞けるので、先を見据えてこの時期からどういう風にしていけばいいかお話を聞きます。
――吉田選手と渕田選手は大学初レースを経験されましたが、手ごたえなど振り返ってみていかがでしょうか
渕田 僕はレースを迎えるにあたってあまり調子が良くなく、調子を上げることができずに不安を抱えたまま走ってしまいました。結果も良くなかったですし、目の前で吉田が良い結果を残したのでそこは悔しかったです。あと経験として出させていただいたというのがあって、それをつなげていこうと思えたので、これから出る結果につなられたらと思います。
吉田 僕は2試合出たのですが、2試合ともベストタイムで走れているので、そのベストタイムで走ってから日付は経っているのですが、試合の流れとしては良い流れでいけたので、その流れをつないで行けるように関カレではもっと上を目指して、先輩相手にもびびらずに、積極的にいきたいです。
森田 やっぱり率直に、同期が活躍するのは悔しい気持ちはあるので、自分が走るときはしっかり存在感を出せるようにしよう、と活躍を見るたびに思います。
「毎年1つずつ世界に出たい」(吉田)
しっかりとした将来の計画を語る吉田
――ではご自身のレースの強みはなんだと思われますか
吉田 僕の強みだと思っているのは、安定感です。高校時代のレースでも初戦が1番遅くて、そこからずーっとタイムが上がっていって、大切な試合も8分台でいくことができたので。大学に入ってからも2本ともベストタイムで走れているので、その安定感というので、どういう試合でもある程度まとめられる自信はあります。そういったどういった状況でもできるというのは強みではないかと思います。
渕田 僕はラストスパートですかね。3000メートル障害は少し特殊なので上げきれない部分もあるのですが、5000メートルだとここ最近のレース全て上げて終われているので、そういうところです。
森田 自分の長所としてはレースでビビらないところです。最初から突っ込んでいってつぶれちゃうときも多いのですが、そこを監督に言っていただけたので、しっかり最初から突っ込んで行こうと思います。
――みなさん駅伝の経験はおありだと思いますが、トラックとロードはどちらが得意でしょうか
森田 僕の高校は短距離とか投てきとか、混成の選手を使って駅伝に出ているようなところなので、駅伝という駅伝の経験は少ないです。ですのでどちらが得意か分からないのですが、自分としてはトラックで走っている感覚は好きです。
渕田 僕は走るのは駅伝のほうが好きなのですが、結果としてはトラックのほうがいいとは思いますね。いろいろな景色とかも(駅伝の)醍醐味なので、駅伝で違う景色の中で走れるのが好きです。
吉田 僕も駅伝のほうが好きです。1区はヨーイドンでスタートして、(区間)順位が結果につながってしまうのですが、2区以降だったらスタートのタイムが違うので、後ろだったら前の人を抜いていくということもできますし、逆に抜かれていったらタスキをつなぐときに順位を落としてしまうというのがあります。トラックと違って駅伝はチーム競技で責任も重大なのですが、走っている中では自分の力だけではなくて周りの力も必要で、チームとして喜び合える駅伝は好きです。結果としてはトラックでもそこそこ出せてて、駅伝もそこそこなので得意不得意はそんなに大差はないと思います。
――みなさん学生三大駅伝に対する意気込みはありますか
森田 自分は出身が広島なので出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)は割と近い大会で。自分自身高校のときの大会で島根のものも多くて、出雲大社に行ったこともあったので、そこで走ってみたい思いもあります。箱根駅伝はやっぱりテレビで見ているので、そこで活躍して地元の人にも見てもらいたいと思います。自分はここで頑張っているんだと見せられるので、学生三大駅伝は出たいです。
渕田 小さい時からテレビで見ていてやはり憧れの場でもあるので。そういった学生三大駅駅伝で走ることで、いままで関わってくれた人たちへの恩返しだとか、自分が頑張っていることを走りで伝えることができるので、ゆくゆくは走りたいと思います。
吉田 欲を言えば全部走りたいと思っていて。簡単なことではないと思っているのですが、こんな言い方は良くないかもしれませんが、ただことしは去年の4年生が強かったと言われてきて、その代が抜けてチームとしては力が下がったと周りからも言われています。そういう中でチャンスは逆にあると思うので、1年目で出ることができたら2、3、4年目への大きな経験にもなると思います。1年目からどの駅伝でも走れたらいいなではなくて、全部走りたいくらいの欲をもって頑張りたいと思います。
――3000メートル障害の選手は箱根の特殊区間である5、6区に適性がある者が多いと言われますが、ご自身ではいかがでしょうか
森田 坂道でのレースというのがあまり走れていないのですが、自分自身のフォームとしてはバネのあるフォームだと自分でも思っているので、しっかり練習できれば坂道にも対応できるんじゃないかと思っています。
渕田 僕も自分はバネがある方だと思っていて、上りはあまり好きというか得意ではないのですが、ただ下りは走っていて1番スピードを体感できるというか、そういう面ではゆくゆくは箱根の6区を走れる選手になりたいと思います。
吉田 僕自身は大学でそう言われる前から高校の先生に「お前は上りに強い走り方をしている」と決めつけられたというか(笑)、言われていました。駅伝では、チームに僕より強い選手が1人いたので1区はその人に任せて、3、4区を担当していました。その2つの中でもきつい方に選ばれていましたし、全国高校駅伝は上りがある3区を走っていました。箱根レベルの上りになると走ったことがないので何とも言えないのですが、上りというのに高校時代から意識はしていたので、一度5区は走ってみたいです。
――4年生に昨年5区を走られた安井雄一駅伝主将(スポ4=千葉・市船橋)がいらっしゃいますが、そちらはいかがですか
吉田 安井さんが5区に行かれるか他の区間に行かれるかは、まだ箱根の時期でないので全然分からないのですが、安井さんを5区に使っていたら他の区間に負担がかかるというか、安井さんを5区以外に使った方がいいような、力を持っている方なので。僕が5区を走って安井さんが他の区間を走れる方がチームとしてもいいと思います。安井さんよりお前のほうがいい、と言われるくらいまで5区を走れる適正を付けれたらと思います。
――森田選手は箱根で走りたい区間はありますか
森田 やはり『華の2区』というくらいですから、2区は大事だと思いますし、自分としては2区を走りたいと思います。
――では、みなさん大学で競技生活を始めたということで、現時点での手ごたえはありますか
森田 (ケガのため)手ごたえはないのですが、他の人とは違うトレーニングをさせていただいて、人とは違うアプローチで、違う視点で行くしか今はないと思うので、そこはしっかり考えてやっていければ、いまの1、2カ月の練習が上手くできなくても、人とは違う成長ができるとは思います。
渕田 僕は4月の時点で不調が続いていたのですが、5月に入ってようやく自分の走りに手ごたえがつかめてきたので、そういったことも感じながら、関カレまでに調子を上げていって、本番で良いパフォーマンスができるようにしたいです。
吉田 レースを通してもですが、練習の中でも高校時代に比べて設定ペースが速い練習など、スピード的にもレベルの高い練習になっているのですが、それを無理ではなく余裕をもってできてきているので手ごたえとして感じています。本番で結果が出せなければそのてごたえも意味がないと思うので、それを自信にしてこの先の大会につなげていきたいと思います。
――吉田選手、渕田選手は1週間後に関カレを控えています。意気込みは
渕田 僕は持ちタイム的にも予選を通るかどうかくらいなのですが、先ほども言ったように最近調子が上がっていて手ごたえもつかめてきているので、(予選は)速い選手に付いていって決勝に残って、決勝でもいい走りをするのが今の目標です。まずは1日1日を大切にして自分と相談してやっていきたいと思います。
吉田 先ほども言ったように1年生だからといって先輩たちにビビるのではなく入賞を目指したいと思うのですが、その中でも予選で手を抜いていいわけではないですし、一つ一つのレースが大事になると思います。高校時代から言われているのですが、予選から全力で行くくらいの気持ちでいって、油断、隙を見せず予選を勝ち上がって決勝でも結果を残す意気込みで、準備していきたいと思います。
――では、具体的な順位の目標はありますか
渕田 僕は決勝に残るのが一番の目標なのですが、決勝に残ってからも8位入賞を目標にやっていきたいです。
吉田 僕は入賞は入賞でも上位で入賞を目指します。あと8分50秒が日本選手権の参加標準記録で、日本選手権に1年目から出ることができたらいい経験になる大会だとは思うので、8分50秒を意識します。少し高い目標には成尾ですが、これが切れたら3位入賞というのも目指せるので、できるだけ入賞の中でも上位を目指します。
――関カレでのレースプランは
渕田 僕は最初付いていって、ラストスパートで勝ち切るというのをイメージして練習もやっています。
吉田 僕はラストスパートにそこまで強い自信はないのですが、どういったレースになるか分からない中でマイペースというか。それが自分の中で安定感を保っている要因だと思うので、レースが遅かったら引っ張るくらいの気持ちで。レースの主導権を他の人に奪われるのではなくて、握っていたいと思います。
――みなさん他大で気になる選手はいらっしゃいますか
渕田 僕は日大の川上瑠美梨という選手なのですが、高校1年生のときから同じレースを走ったり、高校2、3年生で近畿総体を走ったりしていまして、仲良くしているのですが負けたくない相手の1人です。それが一番気になる選手です。
吉田 種目は違うのですが、同じ高校出身の清水颯大(順大)です。高校時代も記録会とかで走っても1回以外全然勝てたことがなくて。負け続けている選手です。種目も違うので一緒に走る機会はかなり少ないとは思うのですが、何かの縁があって記録会や大会で一緒に走るときは、意識して勝ちたいというのはあります。
――尊敬する選手や目標にしている選手は
森田 短距離なんですが、自分は同じ修道高校出身の山縣亮太選手(セイコーホールディングス)です。自分で考えてやってらっしゃる先輩なので、自分の芯をもってやっていくというスタイルをリスペクトしているので、そこを目標にしたいです。
渕田 2つ上の永山さん(博基、スポ3=鹿児島実)です。大学の先輩で身近なんですが、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)、箱根2区と上の大会で結果を残しているということで、そこは見て学んだり、肌で感じたりすることがあると思います。
吉田 僕も永山さんです。渕田に取られちゃったんですけど(笑)。永山さんは直属の早大の先輩で、1万メートルもかなりいいタイムをお持ちで、結果も残されている方なので。他にも安井さんだとかいて1番というわけではないのですが、挙げるならば永山さんです。
――みなさんが4年生の年に東京五輪が開催されます。東京五輪に限らず競技の最終的なビジョンはありますか
森田 五輪は国の一大イベントだと思いますし、自分たちの世代は恵まれていると思います。やっぱり東京五輪には出たいと思います。いまの時点だと自分より吉田の方が近いところこらのスタートにはなるのですが、出たいとは思いますね。
渕田 東京五輪に出場するかしないかは置いておいて、関わるものだと思っています。いままでの競技力やこれからのことを考えるとそう大きなことは言えないのですが、まずは肌で感じたことを4年後や、違う大会で生かしていこうと思います。
吉田 僕としては、大人になってくると強くなるとは思うのですが、大学4年生という1番旬な時期に五輪が東京で開催されるのは巡り合わせだと思うし、目指したいと思います。最大目標と言っても過言ではないのですが、まずことしは日本選手権、あと来年に世界ジュニアがあります。世界ジュニアは大学2年生の早生まれまでが出場できるのですが、僕は早生まれなので。来年世界ジュニアに出て、再来年は8分40秒を切ってユニバーシアードに出場したいです。かなり高い目標だとは思うのですが、去年順天堂大学の塩尻和也さんがリオ五輪に出場されましたし、不可能なことではないと考えます。
――では最後に、早大での4年間の目標を教えてください
森田 五輪の話がありましたが、僕はこの4年間で世界を知りたいと思います。世界を知った上で箱根を走るときに、引っ張っていければと。日本だけじゃなくて世界を知った状態で走りたいと思います。
渕田 1年を通して主要大会に出場して、入賞、学生三大駅伝ならば区間賞を獲りたいです。それで箱根に関しては自分たちの代で総合優勝をできるようにしたいです。
吉田 駅伝の面に関しては学生三大駅伝が大事になってきて、その中でも区間賞やチームとしての優勝などかたちは様々だと思います。僕たちが4年生のときに1、2、3年生にどんな人がいるのかまだ分からないので断言はできないのですが、学生三大駅伝のうちどれか1つ、できれば箱根がいいですが、優勝できるようなチーム作りをしたいです。トラックの面に関しては、毎年1つずつ世界に出て、4年後は東京五輪で勝負したいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 朝賀祐菜)
最後はみなさんでサンショ―ポーズをしてくださいました!
◆森田将平(もりた・しょうへい)(※写真左)
1999(平11)年1月16日生まれのA型。162センチ。53キロ。広島・修道高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:3000メートル障害9分07秒78。東京に都会を感じると地方出身者ならではの感想を持っていた森田選手。話の中では、今の自分の現状をただマイナスにとらえるのではない姿勢が見受けられました。今後訪れるデビュー戦の走りが待ち遠しいですね。
◆渕田拓臣(ふちた・たくみ)(※写真中央)
1998(平10)年5月12日生まれのA型。175センチ。55キロ。京都・桂高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:3000メートル障害9分07秒85。最近は空き時間で睡眠をとり苦手な早起き対策をしている渕田選手。対談では素敵な京都弁で話してくださいました。不調であった4月とは打って変わり、現在は調子が上がってきてるそう。得意なラストスパートを生かした走りに注目です。
◆吉田匠(よしだ・たくみ)(※写真右)
1999(平10)年3月25日生まれのO型。172センチ。56キロ。京都・洛南出身。スポーツ科学部1年。自己記録:3000メートル障害8分51秒66。自由な時間には先輩の部屋でゲームをしてリラックスしている吉田選手。デビュー戦以降、自己ベストを2回連続で更新しています。話の中では将来を見据えたプランを教えてくださいました。これからの活躍に目が離せません。