元旦競歩で小林が優勝!あすの箱根に勢い付ける

陸上競技

 新年を迎えたきょう、伝統ある元旦競歩が開催された。今大会は神宮外苑・絵画館周辺の1周1.325キロの周回コースで行われる。早大からは小林快(社4=秋田工)が大学・一般男子20キロメートルに出場した。積極的なレースを展開し、見事初優勝を達成。故障明けと万全とは言えない中でもしっかりと結果を残し、あすから始まる第91回東京箱根間往復大学駅伝(箱根)悲願の優勝に向け、長距離ブロックの一員として大きな弾みを付けた。

序盤から攻めの歩きを見せた小林

 北京五輪7位入賞のベテラン山崎勇喜(自衛隊体育学校)や20キロ競歩日本記録保持者の鈴木雄介(富士通)など強豪が集った今大会。「後ろから様子を見て後半に勝てればと思っていたが、それでは他の人に行かれてしまう」と小林はスタート直前に作戦を切り替え、序盤から積極的なレースを展開する。周回コース3周目には野田明宏(明大)との一騎討ちとなるが、4キロ過ぎに交わし単独トップに立つと、見る見るうちにその差を広げていく。終盤苦しい表情を浮かべながらも何とかリードを守り抜き、力強いガッツポーズで優勝のゴールテープを切った。記録は1時間22分39秒をマーク。大会記録にあと2秒届かず悔しさもにじませたが、故障明けであることを感じさせない堂々とした歩きで勝利への執念を見せつけた。

 「箱根に少しでも勢いを付けたかった」。競歩をやめて長距離に転向していた時期もある小林にとって、もちろん箱根は走ることを夢見ていた舞台だ。「まだ自分自身が(箱根を走ることに)諦め切れていない部分があるので、あすあさってで自分じゃ駄目だったんだと諦められるよう、とにかく優勝してほしい」。小林は元旦競歩優勝という最高の結果と共に、長距離ブロックの一員として箱根を走るメンバーに精いっぱいのエールを送った。今大会には前々回の箱根で6区を務めたOB相原将仁(平26教卒=東京・早実)の姿もあり、「当時6区で相原さんの付き添いをしていたので、その借りを返しにきてくれた」という。先輩からの激励も、小林の大きな原動力となったことは間違いないだろう。

堂々とゴールテープを切った

 「競歩でやらなければという覚悟ができた年だった」。そう振り返る昨年は、日本学生20キロメートル競歩、日本学生個人選手権1万メートルでタイトルを勝ち取ると、その後も大幅に自己ベストを更新するなど、日本トップレベルの選手と肩を並べるまでに大躍進を遂げた一年だった。2015年元旦から好スタートを切った小林が、新たに掲げるは「世界へ」。まだ一度も国際大会の経験がない小林にとって、ことしは次なるステージに挑む年となる。まずは2月の日本選手権20キロメートルで3位以内に入ると同時に、世界選手権派遣設定記録Aである1時間20分12秒の突破を狙う。いま持つ記録からは1分ほど離れているが、この一年地道に練習を積み、結果を残してきた小林なら不可能ではないはずだ。強い覚悟のもと、小林の歩みはとどまることを知らない。

(記事 加藤万理子、写真 目良夕貴)

優勝した小林

結果

▽男子大学・一般20キロ

小林快(社4=秋田工) 1時間21分39秒(優勝)

コメント

小林快(社4=秋田工)

――優勝おめでとうございます。いまのお気持ちはいかがですか

ありがとうございます。やはり故障明けで調子も良くなかったので、勝てるかどうかなというところだったのですが、無事に勝つことができて安心しています。

――いつ故障されてしまったのですか

11月の中旬ぐらいに体力づくりの一貫で走ろうと思ったんです。そしたら、それが負担になってしまったみたいで故障をしてしまいました。大体12月の頭まで故障していたので、結構ギリギリに間に合わせた感じですね。

――では、きょうのレースは不安も大きかったですか

そうですね、でも不安というか、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)の前日の大会ということもありますので。正直どこかの大会で僕が負けるということでしたら僕の責任というか僕が勝てなかっただけの話になるんですが、今回に関してはやはり箱根にちょっとでも勢いを付けたいと思っていました。僕の結果がどれくらい影響を与えることができるかは分かりませんが、少しでもいい流れをと思っていたので、不安というよりは、勝たないとなという気持ちが大きかったです。

――前回大会を振り返っていかがでしたか

きょねんは2位で、非常に強い方に負けてしまったんですけど、その時の印象としてやはりここのコースがあんまり好きじゃないなと思ったので。少し今回もその印象があったので、正直この大会には良いイメージがないですね。

――それは、どのようなところにありますか

ほんのちょっと起伏があるんですけど、それがリズムをつかみにくいというか。やはりフォームが大切な競技ですので、フォームが崩れやすいコースだなという印象がありました。

――きょうはどのようなレース展開を考えていましたか

明大の野田(明宏)という選手が、きょう2位だったと思うんですけど、一番の強敵かなと思っていました。本当は後ろから行って様子を見て後半勝てればなというように思っていたんですけど、エントリーリストがきょう出たんですね。そしたら思ったよりもいろんな方が出場されていて、これで後ろから行くと逆に他の人に行かれてしまうぞと思ったので、前半から行こうとスタート直前に作戦を切り替えました。

――富士通の鈴木雄介選手など意識されていましたか

そうですね。スタート前はやばいぞという感じだったのですが、スタートしてみたら多分、練習なんだなという感じだったので途中からは安心しましたけど。スタート前は結構意識しましたね。

――実際スタートしてみてご自身の調子はどう感じましたか

やはり万全ではなくて、歩いていてきついなという感じはあったんですけど、ただきのうまでの練習の感覚よりは良い感じで歩けたので、そこは良かったなと思います。

――大会記録まであと少しだったとお聞きしました

そうですね。あと2秒だったみたいです。僕、大会記録を勘違いしていたみたいで。10秒くらい更新したなと思ってゴールして、そしたら足りないよと言われてもうちょっと頑張れば良かったと思って。もう少しちゃんとプログラム見ておけば良かったです(笑)。

――OBの相原将仁(平26教卒=東京・早実)さんも応援に駆けつけられていました

そうですね。僕が前々回の6区で相原さんの付き添いをしていたので、その借りを返しにきてくれたました(笑)。

――2014年を振り返ると、どのような一年でしたか

やはり、競歩でやらなきゃと覚悟できた年でした。その覚悟できたことがきっかけというか、覚悟できたからこそだと思うんですけど、その分飛躍できた1年ではないかと思います。

――一万メートルより20キロのレースで勝ちたいと以前おっしゃっていましたが20キロのレースは特別意識していますか

そうですね。特別というか、やはりオリンピック種目に一万メートルがなくて、20キロ、50キロとなってくるので。あとは一般になると一万メートルはほとんど歩かないんです。この距離で勝たないと世界でも戦えないですし、日本でも認めてもらえないので。そういう意味ではやらなければならない距離という感じです。

――夏にフォームが良くなっているとおっしゃっていましたが、そういった成長は感じていますか

そうですね。夏に結構良くなって、その結果が国体であったりその1週間後の高畠競歩という大会で20キロメートルで優勝できたんですけど、結構ベストも大幅に20キロは更新できまして一万メートルの方も良いレース展開で歩けたので。そこではすごくフォームが固まってきていると思ったんですけど、故障してちょっと崩れてしまったので。いまはちょっと…きょねんに比べたらいいかもしれないですけど、もっと改善点があるなという感じですね。満足はしていないです。

――あしたから箱根が始まりますが、どのようなことを期待したいですか

優勝です。正直誰が区間賞とか良いレースをとか、そんなのは二の次で、どんなに格好悪くてもいいのでどんなにギリギリでもいいので、とにかく優勝してほしいです。

――部員日記も拝見しましたが、やはり箱根を走りたいという思いは強かったですか

そうですね。この前の部員日記の1つ前に書いたと思うんですけど、おじいさんがすごく箱根が好きで。もう亡くなってしまったんですけどそのおじいさんにお前は箱根走るんだぞと言われたのがきっかけで。勝手に僕は箱根を走るんだと思っていたんですね。走りたいというより、走るんだと思っていたので、それが途絶えたというか。3年生の時に絶対走れないという状態になった時は悔しいというか、何のために陸上をやるんだという感じだったので。走りたかったです。

――競歩と向き合っている現在はいかがですか

やはり箱根には特別な思い入れがありますし、走れなかったというのは一生悔しいのかなとは思うんですけど、競歩をやっている仲間たちが温かく迎え入れてくれているというのもありますし。いまは真剣に競歩に向き合えていますし、ただやはりいま一つもうちょっと諦め切れないところがあるので。そこは逆にあしたあさってで諦めさせてほしいなと思います。やはり僕じゃ無理だと思わせてほしいなと。そしたら箱根にも悔いなく大学生活を終われると思うので、そう勝手に思っています。

――次は2月の日本選手権だと思いますが具体的な目標を教えてください

目標は世界陸上の派遣設定記録Aが1時間20分12秒、あとベスト1分くらい更新しないといけないんですけど。いけるような練習は、いまはできていないですけどケガをする前は積めていたので。それを更新するというのと、結局はその記録を切りたいというのは世界陸上に出たいというのがあるので。世界選手権は3人まで出られるので、そこで3番以内に入るとすごく近付いててくるのかなと思います。その記録を切りつつ3番以内。世界選手権に出るために日本陸連に認められるように、結果を求めていきたいと思っています。

――2015年のテーマなどは決まっていますか

とりあえず一度も国際大会に出たことがないので。もちろん世界選手権に出たいというのはあるんですけど、そうじゃなくても少なくとも1回は世界を経験したいなと思います。やはりそれが2016年のリオ五輪や、2020年の東京五輪にもつながってくると思うので。少なくとも1回は世界を経験したいので、「世界へ」でお願いします。