【連載】箱根事前特集『RE:』 第4回 宮岡凜太

駅伝

 ルーキーながら東京箱根間往復大学駅伝(箱根)のエントリーメンバー入りをつかみ取った宮岡凜太(商1=神奈川・鎌倉学園)。大学生活1年目で味わった苦悩、自身にとっては慣れ親しんだ地元の地であり、憧れの夢舞台でもある箱根に向けての思いなどを赤裸々に語ってもらった。

※この取材は12月11日に行われたものです。

心臓に手を当ててバクバクしているのが分かった

5月の早大競技会を走る宮岡

――メンバーに選ばれた率直な感想を教えてください

 最初は自分でも心臓に手を当ててバクバクしているのが分かるくらいでした(笑)。それまでの練習の中で、今の感じだと16人の中に入りそうだなというのはありましたけど、いざその場で言われるとホッとしました。ただその反面、同じくらいの練習のグループで頑張ってきた先輩で選ばれなかった人もいるので、その人たちのためにもしっかり頑張らないとなという気持ちがありました。

――メンバー入りに向けての手応えは日頃の練習からありましたか

 自分は夏合宿の前にケガをしてしまって、夏合宿には参加できなかったので、その時には1年は下積みの年になるかなと思っていました。けど、この前の上尾(上尾ハーフマラソン)で割と良いタイムで走ることができて、それが花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)からも好感触だったので、少し近づいたのかなという感じはありました。

――ご自身の現在の調子はいかがですか

 今の調子だけで言えば、上尾で1回ピークを持ってきていたので、若干落ちてきているかなというところはあります。ただ、まだ(箱根まで)3週間ある中で、16人に入ったからには自分も走るつもりで準備しなければならないと思っているので、もう一回調子を上げられればなという感じです。

――春シーズンから早大競技会に出場し続けていましたが、その頃の手応えはいかがでしたか

 自分は(高校)3年生の夏からケガをせずに練習をやってきていました。しかし最初は大学に入ったことで少し空回りをしていたというか。大学になったら練習の質も上がって、それでも自分は周りに負けたくないという気持ちで練習をどんどんやってしまっていたので、うまくポイント練習で調子が合わせられないことがありました。今の5000メートルの自己ベストは高3の春に出したタイムなので、もう1年半近く更新していなくて、できれば大学に入って最初の春に更新できるかなと思っていたのが、練習が空回りして貧血気味になってできませんでした。シーズンの総括の意味で言うと、春シーズンは思ったようにいかなかったなという気持ちが強いです。

――練習で空回りしていたとありましたが、そういった時はどのように切り替えていたのですか

 空回りしていて、先輩も気にしてくれていました。一番大きなアドバイスだったのは、鈴木創士さん(スポ4=静岡・浜松日体)がお風呂でくつろぎながら話している時に「休むことも大切だよ」とおっしゃっていたことです。自分はどうしても周りに遅れちゃいけないとか、周りより自分はダメだというコンプレックスを感じているから、ポイント練習以外の日にも頑張りすぎちゃうところがありました。そのために疲労に自分の回復力が追いつかなくなって、練習が逆にできなくなってしまう負のサイクルに入っていました。その創士さんの休むということも大切なんだよという、キャプテンの速い存在の人から休んでもいいんだよと言われた時に、そういった速い人たちもずっとやっているわけではなくて、緩急をつけているんだというのを学んだところから、少しメリハリをつけて、休むところは休む、頑張るところは頑張るというふうにしようとなって、少しずつ調子が戻ってきた感じがありました。

――大学に来てから高校の時と一番ギャップを感じた部分はどこですか

 一番は寮生活になったというところです。もちろん同級生には高校の時から寮にいたという選手もいる中、自分は高校の時は実家から通っていたため、練習が終わって寮でもあまりリラックスできないことがあります。後は通学時間も今までの倍近くに伸びているのでそこの負担もあったかなと思います。

――先ほど鈴木主将からのアドバイスの話もありましたが、他に影響を受けた先輩はいらっしゃいましたか

 早稲田の競走部にはお付きという制度があって、最初の2週間は2年生の先輩が1人ついてくれて、競走部や寮のルールについて教えてくれる期間があります。その時が僕は大志さんでした。春の早スポの取材の時に大志さんに話し方が似ていると言われましたが、まずは若干似ている感じの大志さんであったことで、早稲田にうまくなじめました。そして創士さんというキャプテンが推薦でもない一般の僕に気にかけてくださって、今、本格的な駅伝シーズンに入ってからは、菅野さん(菅野雄太、教2=埼玉・西武文理)や伊福さん(伊福陽太、政経2=京都・洛南)みたいな同じ一般組の人たちが頑張っているのを見て、自分も頑張れば箱根メンバーに食い込めたり、成績を出せたりするんだなと思いました。大きく挙げると大志さんから始まって、創士さん、後は菅野さん、伊福さんが自分が大きく影響を受けた先輩なのかなと思います。

――大学の授業との両立の面ではいかがでしたか

 商学部の必修は自動登録じゃないですか。僕はラッキーでほぼ全部2限に(必修が)固まりました。1限だと朝練を早くやる早練というのをやらなきゃいけないので、そうすると寮を7:30に出なきゃいけないんですよ。ただ、自分は自動登録のおかげで(必修が)2限辺りに固まってくれたので、そこは助かったなという感じです。

地道に取り組んできたことが一つ実を結んだ

上尾ハーフマラソンを走る宮岡

――シーズン前半の結果を受けて、そこから先の目標をどのように設定しましたか

 トラックシーズンが終わって節目になるのが夏合宿だと思うのですが、自分はそこの最初でケガをしてしまってこけているので、先程も言ったみたいに今年は(メンバー入りは)無理かなというところからのスタートでした。でも逆にケガをしたことで、自分の走り方とか筋肉とかを見直すきっかけになって、ケガの期間2、3週間走れなかったのですが、その間に筋トレとかをすごくやりました。そのためケガから直った時によりうまく走れるようになったというか、そこからうまくサイクルが回り初めて、夏合宿は結局1回もできなかったのですが、所沢で自分でコツコツと練習を頑張りました。それで上尾に向けて頑張るという目標が一つでき、上尾に向かってしっかり練習ができて、ある程度のタイムが出せたという感じでした。春の空回りして何もできなかったとこからすると、秋は一つ手応えをつかめたのかなと思います。

――ケガの時の練習メニューは自分で組まれたのですか

 今、グーグルのスプレッドシートが日記みたいになっていて、監督が個人が書いてあるものを見られるようになっています。花田さんが出してくれた練習内容とか予定に対して、自分が実際どういうことをやった、それで今日はどうでしたみたいな感想を書いて、それを監督が見てフィードバックしてくれます。だからケガの最中は自分で考えることも多かったのですが、その後の復帰してから上尾に向かってという時は、花田さんが僕のレベルに合わせてメニューを考えてくれていたので、自分としてはそこにうまく合わせてやったらその流れに乗れました。

――花田監督から具体的にもらったアドバイスや言葉などはありましたか

 具体的に言うと、僕はどちらかというとコツコツ人より多くというタイプなので、そこに対して「時には無理しないように」ということとか、後は「最近はいい流れができてるね」みたいにうまく励ましてくれたりしました。後はアドバイスをくれたりという感じで、支えてくれるようなコメントが多かったので、夏合宿ができなくて、精神的に周りに置いてかれているような気持ちがあったのですが、花田さんのそういった支えがあったからここまで頑張れたかなというのはあります。

――ケガもありながら夏以降、照準を合わせていた上尾ハーフマラソンのレースを振り返ってください

 上尾の直前に花田さんと直接話した時に「大体65分30秒~66分を切るくらいで走れるといいね」と言われていたので、僕の中でもひとまずその辺りが目標かなというふうに思っていました。ただやはり、65分だとメンバーに食い込めるようなタイムではないので、本音ではもう少し速く走りたいなという思いはありました。でも花田さんはその人の練習の内容を見て、タイムの予想をされるのがすごくうまい人なので、なおさら65分と言われた時に、「まあそんなもんかな」と思いながらスタートしました。いざ実際に走ってみると、それより速く走っていても楽だったというか、今日案外いけるなという流れもあって、出たのが64分35秒だったので、手応えとしては夏にケガをしてから地道に取り組んできたことが一つ実を結んだな、方向性は間違ってなかったなというふうに捉えられました。

――前回の対談の際にロードを走るのが好きとおっしゃっていた中、初めてのハーフマラソンを走った感触はいかがでしたか

 早大記録会で何回も5000メートルや1万メートルをやっていましたが、やはり僕の中では同じところを何回も回るのがあまり好きではなくて、そこからするとロードで実際の公道を走れた上尾は箱根駅伝みたいに、規制されて本来は走ることのできない道を走ることができるという点で、大学に入ったなという高揚感みたいなものがありました。どんどん景色が流れていくし、沿道にも応援している人たちがいたので、ロードで走るのは楽しいなという感じがありました。

――今はコロナの影響もあり規制されている部分もありますが、沿道の応援などがあった方が気分が上がっていくタイプですか

 自分が中学生や高校1年生の時はコロナ前で、高校1年生の時に全国高校駅伝のアンカーを走ったのですが、その時は自分の学校名を呼んで応援してくれる人がいました。やはりその前を通ると頑張ろうという気持ちになり、僕の中では沿道の応援というのは一つ大きな要素だと思います。

――ハーフマラソンの距離は箱根駅伝の一区間の距離と同じくらいですが、そういった距離への得意または苦手意識みたいなものはありましたか

 逆に僕としては21キロくらいあった方が良いというか、自分の中だと5000メートルや1万メートルはあまり休めるイメージがなくて、ずっと全力で走るみたいなイメージがあります。一方でハーフはその中でも序盤少し速めに入って、中盤維持して、後半上げるみたいな、レースの中に緩急があるので、僕としてはそちらの方がリラックスして走れます。それで確かにこの前の上尾は箱根に近い距離で、この前が初めてだったので、1時間走り続けることに対しては緊張はあったのですが、調子が良かったこともあって楽しく走れたので、こういった感じで箱根も走れたら良いなと思います。

――ここまでのご自身の大学での競技生活を振り返って、点数をつけるとしたら何点ですか

 前半こけて後半少し上がってきたというのもありますけど、目指していたのはもう少し上だったというのもあるので、半分の50点くらいかなと思います。

――やはりそこはもう少しやれたなという部分がありますか

 そうですね。やはり序盤空回りしていたところが、逆にもう少しできていたらもう少し上にいっていたと思いますし、逆に思うのは序盤空回りしていたからこそ後半持ち直すことができたかなとも思います。ただもう少し良い波に乗れていたらもう少し上にいけていたと思います。

4年間で一度は地元を走りたい

質問に答える宮岡

――改めて、1年目から箱根メンバー入りを果たしました。春には鈴木主将から1年目からメンバー入りを狙っていけという話があった中でメンバーの座をつかみましたが、ご自身としてどうとらえていますか

 春先に発破をかけていただいた時は、天下の早稲田だからそういわれても心の中では厳しいだろうなという気持ちがありました。ただこの1年自分なりに頑張ってきて、とりあえず16人の際々をつかむことができたというのは、ホッとしていて頑張ってよかったなと思っていますし、創士さんに発破をかけられて実行できたことは良かったなと思います。

――メンバー入りが決まった中で練習の厳しさもいっそう増したと思いますが、最近の練習についてはいかがですか

 やはり練習は箱根に出る人たちがメインとなっているので、そこからすると僕にとってまだレベルが高いというか、昨日もポイント練習があったのですが自分は離れてしまう場面があったので、そこからするとまだ未熟なんだなというのを確認できました。逆に先輩たちくらい走ることができれば箱根の本番を走れるんだなということもつかめました。ただやはり今の自分にとってはこの今の練習は厳しいなというのはありました。

――今回初めてのメンバー入りとなりますが、東京箱根間往復大学駅伝競走予選会(箱根予選会)や全日本大学駅伝対校選手権(全日本)を経たチームの雰囲気はどのように感じていますか

 正直、春先に入ってきた時は、まだ相楽さん(相楽豊前駅伝監督、平15人卒=福島・安積)の体制で、先輩含めたくさんケガ人もいた中で、1年生の新鮮な目で見た時に、少し心配だった部分はありました。ただ花田さんの体制になって、練習方針とか普段の生活の仕方が変わってきて、箱根予選会を突破して全日本もシードを取って、すごく変わったなと思います。

――1年生が今回は多くメンバー入りを果たしていますが、1年生の雰囲気はいかがですか

 やっぱり山口(山口智規、スポ1=福島・学法石川)と間瀬田(間瀬田純平、スポ1=佐賀・鳥栖工)の2人が抜きん出ていて、もう一人の須山(須山向陽、スポ1=鹿児島城西)も含めこの3人が推薦組で入ってきた人たちなので、まだ僕が適わないなというところがあります。この3人は今勢いがあるので、すごく頼もしいなと思います。

――全日本のメンバーと比べて、須山選手と宮岡選手が今回新たにメンバー入りとなりましたが、何か話されたことはありましたか

 箱根予選会とか全日本から調子が落ちてきた先輩に代わって自分とか須山が入ったかたちになると思います。須山と僕は上尾から(調子が)上がってきたメンバーだと思うので、お互いのことを意識しながら、時には「良い感じだね」と話してきたという感じです。

――今の自分の一番の強みは何だと感じていますか

 僕は地元が箱根のコースから近いので、小さい頃から見てきた分、人より箱根への思い入れは絶対に強いです。やっぱり長距離は精神的なところが強いと思うので、そういった意味では小さい頃から憧れとして見てきて、絶対に走りたいという気持ちは人より強いと思うので、そこが今後の僕の強みになっていくと思います。

――前回の対談でも地元である3区、8区を走りたいとおっしゃっていましたが、その区間を走りたいという気持ちは変わらないですか

 そうですね。もちろんチームの戦略的にここを走ってほしいと言われればその区間を走るつもりではいますけど、やっぱり4年間で一度は地元を走りたいという気持ちがすごくあります。

――3区と8区ならより走りたいのはどちらですか

 現実的なのは8区かなと思っていて、最近は3区も準エースの方が走っていることが多くて、やっぱり花の2区からきた重要な区間なので、そこは推薦組とかスピードのある選手が担っていくことになるかなと思います。逆に8区は途中に遊行寺の坂とかがあって結構タフなコースなんですよ。だから地道に走り込みをしている自分が、そういったタフなところを強みとして出せればいいかなということで、走るとしたら8区の方かなと思っています。

――往路と復路では集団走や個人走といった違いもあると思いますが、どちらの方が得意ですか

 最近の練習の中では集団の中で走り、先輩に引っ張ってもらった方が気持ちは楽だなということがあったのですが、この前の上尾を走った時は1人になったり、数人の集団の前を走ったりすることが多い中でもあまりペースを落とさずに走れたので、案外調子が良ければ自分は個人でも走れるのかなと思っています。8区になってくるとかなりばらけているのかなと思うのですが、逆に地元なのでコースも知っているというかそこも強みになってくると思うので、復路の個人で走らなければいけない場面になっても頑張れるのかなと思います。

――アップダウンの多いコースに対してはどのような手応えを感じていますか

 もちろん平坦の方が楽だというのはあって、あまり自分の中で得意という意識はないです。ただ、この前の上尾もどちらかというと平坦なコースなのですが、時々電車の高架とか後は田んぼ道みたいなところでアップダウンがあって、そこで自分は人を抜かせることが多かったので、案外人と比較すると得意な方なのかなと思っています。もちろん箱根の方がタフだとは思いますが、そこはうまくやればできるのかなと思っています。

――箱根に出場することになったらどのような走りを見せたいですか

 中学生の時から長距離をやってきて、親とか顧問の先生とか友達や地域の人にも見てきてもらっていて、やっぱり箱根は今まで自分が頑張ってきた成果を直接見せることができる機会だと思っているので、力強い感動させる走りをしたいです。やはり走るからには早稲田が上位に食い込んだり、優勝したりするために貢献できるような走りをしたいと思っているので、もし走るとなったら区間上位で走らないといけないなと思っています。

――最後に箱根駅伝を含む大学三大駅伝への思いを教えてください

 今年は分からないですけど、4年間で一度は出場したい、特に箱根は地元で走りたいという気持ちがあるので、そこに向けて今後も頑張っていければなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 髙田凜太郎)

◆宮岡凜太(みやおか・りんた)

2003(平15)年10月7日生まれ。165センチ。神奈川・鎌倉学園高出身。商学部1年。自己記録:5000メートル14分16秒96、1万メートル30分18秒01、ハーフマラソン1時間4分35秒。大学に入り寮で暮らしている宮岡選手。自炊をするためにスーパーのセールの情報をいつも把握しているそうです!