花田新駅伝監督就任 相楽前駅伝監督はチーム戦略アドバイザーに

駅伝

 6月1日付けで競走部の駅伝監督に就任した花田勝彦氏(平6人卒=滋賀・彦根東)。その就任会見が2日、早稲田大学大隈会館にて行われた。会見には、花田新駅伝監督と相楽豊前駅伝監督(平15人卒=福島・安積)が登壇。順に就任の経緯や、今後担う役目などを説明した。

花田新駅伝監督(左)と相楽前駅伝監督

 花田新駅伝監督は冒頭の挨拶で、母校の監督拝命にあたり光栄に思う旨と、多くの早稲田ファンの期待に応えられるようなチーム作りをしていくという意気込みをまず口にした。駅伝監督就任の背景には、恩師の瀬古利彦氏(昭55教卒=現日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー)からの誘いがあったという。今年初めまで務めたGMOアスリーツの監督退任の報告を瀬古氏にした際に、一緒に早大の練習を見に行くこととなり、その後、藤本浩志部長(平元理学院卒=現人間科学部教授)からのオファーもあって就任に至ったということだ。

質問に答える花田新駅伝監督

 就任後の部の指導にあたっては、相楽前駅伝監督が指揮を取ってきた時と同様、「箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝)に向けてチームを強くするだけでなく、個人として世界で戦える選手の育成」に力を入れるという方針が語られた。また、競技以外の面でも、以前同様に文武両道、そして競技者としてだけでなく社会人としても通用するような学生の育成を目指すという。

 今後相楽前駅伝監督は、チーム戦略アドバイザーとして新しい形でチームに関わっていく。まだ細かくは決まっていないそうだが、コーチ、監督時代とは違った目線で、チームに様々な提案をする、先進的な役目を担う予定だ。

質問に答える相楽前駅伝監督

 フォトセッションの際にも「監督交代」(タスキを渡す)ではなく「一緒にやっていく」(タスキを一緒に持つ)ということを強調した新旧駅伝監督。2月に大前祐介監督(平17人卒=東京・本郷)が就任し、6月に花田駅伝監督が就任、と競走部の体制が大きく変わった今年。来たる駅伝シーズンで長距離ブロックがどういった結果を残していくのか、注目して見ていきたい。そして、相楽前駅伝監督が挨拶の中で述べた「『令和版』の強くて魅力ある早稲田大学競走部」と言う言葉。今後その言葉通りのチームが実現することを期待したい。

(記事 及川知世、加藤志保 写真 芦沢拓海)

タスキをつなぐ相楽前駅伝監督(左)と花田新駅伝監督

◆花田勝彦(はなだ・かつひこ)

1971(昭46)年6月12日生まれ。滋賀・彦根東出身。平6人間科学部卒。1994年日本選手権5000メートル優勝。アトランタ、シドニー五輪日本代表。2004〜2016年上武大学駅伝部監督、2016〜2022年GMOインターネットグループ・アスリーツ監督。2022年〜早稲田大学競走部駅伝監督。

◆相楽豊(さがら・ゆたか)

1980(昭55)年5月2日生まれ。福島・安積出身。平15人間科学部卒。2005〜2015年早稲田大学競走部コーチ。2015〜2022年早稲田大学競走部監督。

コメント

※代表質問、質疑応答より抜粋

――個の育成に力を入れるということですが、具体的に、例えば在学中に世界大会を目指したいとか、そういったプランを思い描かれることはありますでしょうか

花田 今は本当に学生のうちから日本代表に出てくる選手が、近年では順天の三浦くんがいますので、そういう選手をつくるのも一つの目標にはなりますけれど、ただそれが早熟ではなくて、卒業後もつながっていくようなものであれば一番良いと思っております。まずは早稲田出身者で日本代表を出すような基礎作り、もちろん私たちが指導している中でそこがいければ一番いいと思っております。そういう形で個人の能力を伸ばしていくような指導、その中で個が一体になってチームとして戦えるようなチーム作りをしていきたいなと思っています。


――最初に見学に行った時にはチームに対してどのような印象を持たれたのでしょうか

花田 みんな指導に飢えているというか、やはり相楽くんもなかなか手が回らなくて、チームが少しバラバラになっている感じもありました。能力の高い選手もなかなか競技に集中できないような環境だったり、うまく自分自身をコントロールできない選手が非常に多くて、行った時は本当に故障者が半分以上いるような状況でした。ちょうどその日見に行った時も、ポイント練習というスピード練習の日だったのですが、やれる選手が本当に10人に満たないような感じだったので、非常に危機的というか、非常に大変だなというふうには思いました。ただ一方でそれぞれ個別に話をすると、みんなすごく競技に対して熱い思いを持っていたり、強くなりたいとか、上達したいとか、いろいろなことを学びたいとかすごく熱心な学生が多かったので、そういった意味ではすごくうれしかったです。また、やはり自分自身がそこのフィールドで育ったので、すごく水にあうというか、故郷に戻ってきた、そんなすごく懐かしさというか、瀬古さんと一緒に行ったのもありましたけど、そのグラウンドに瀬古さんと自分がいて、学生がいるというのがちょっと不思議な気持ちではありました。


――箱根駅伝が今年は予選会からの出場となりますが、現時点で対策や取り組みなど考えていることはありますか

花田 私が監督になるということで、メディアなんかで「花田さん予選会は得意だ」とか(言われている)ことがありましたけれど、自分自身上武大学で12年間箱根駅伝を目指してチーム作りはやっていましたので、そのノウハウはあるかなと思っています。そこは生かしつつも、ただやはり非常に高速化していますので、いろいろなものをミックスしながら、なかなか予選会では早稲田らしさを出せるかはちょっと分からないですけど、確実に通るようなチーム作りをしていきたいなと思っています。


――相楽前監督はチーム戦略アドバイザーという肩書きになりますが、具体的にどんなことをするかは決まっているのでしょうか

相楽 まだその辺りの細かい役割分担というのは詰め切れていないところはあります。先ほど私の挨拶で申し上げた通り、コーチとしてこのチームに携わってきて、監督として携わってきたという時に、いろいろな視点でこのチームの指導に携わってきて、チームの優勝経験もあれば、近年の中では苦しい経験もしていますので、そういった観点から監督の下について、現場の指導をしているコーチとも監督とも違う視点でいろいろご意見を申し上げたりとか、そういったことができる役割ではないかなと、自分は名前のところからイメージしています。その辺りも今後監督と相談していきながら、役割分担をしていきたいなと考えております。


――先ほど花田監督から早稲田らしさという言葉があったと思うのですが、新体制に引き継いでいって欲しいことはどんなことがありますか

相楽 そこは花田さんが申したところと、重複しますけれど、考えは一緒で、私も個性を重視している中では「強い個」というものを大事にしていました。早稲田らしさというのは、その人それぞれが持っていらして世界で目指す選手がいるところも魅力の一つですし、一般入試等で入ってきまして努力を積み上げて高学年になった時に箱根駅伝で活躍する選手なんていうのも早稲田の魅力だったりします。なので、そういった早稲田が持っている独自の魅力というものは引き続き花田監督とも共有していきながら指導していきたいなと考えています。


――早稲田らしさというところにも共通すると思うのですが、早稲田ならではの強みと、現時点で克服するべき弱点、課題を花田監督からお願いします

花田 強みはそれぞれが本当に高いところを目指してやっている、意識の高さという面だと思います。一方で課題は、周りは非常に強い大学が多いですけれども、その辺りの自分達の今の位置をしっかり把握できていないというか。強くなるためには何をするのと言った時に、本人たちから案は出てくるのですが、それだったら自分達が目指しているところに届かないよというようなことがあるので、そこの穴埋めというか足りない部分もこれから私の方では指導していきたいなと思います。


――相楽さんはいかがですか

相楽 今のお話と重ならない部分で言えば強みは伝統だと思っています。他大学と比べて違うところと言えば、例えば短距離トラックアンドフィールドと同じグラウンドで練習して、同じ寮で生活していますし、短距離も日本を代表する選手もいる環境の中なので高い意識を持った選手たちがいる中で揉まれるというのは強みだと思います。課題としては、逆にそういった引き継がれてきた伝統が、一昨年のコロナから一旦リセットされてしまって、引き継がれるべき基礎的なものが引き継がれていない部分なんかもあったりします。今生活のスタイルの見直しなんかも基礎から見直していますけど、そういったものが今の課題なのかなと認識しています。


――花田新監督に質問なのですが、箱根駅伝が終わった後にチームが新体制になって、チーム目標が新たに立った後での就任だったと思うのですが、就任以後でチーム内の目標などを聞いて修正したりとか変えたりしたところはありますでしょうか

花田 正直なところ、そこがまだじっくり選手たちと話せていないところがあります。選手たちの中では今年も3大駅伝優勝という高い目標を掲げているのですが、今は果たして、先ほどの本人たちの高い目標と現在の位置であったり、そこを目指す過程がどうなのかというところを私も見ている状況です。この後夏合宿等で全体で話していく機会が出てきますので、その時にもう一度改めてじっくりチームとしての目標を立てていければいいのかなというふうに考えています。


――相楽さんに、監督期の7年間で一番思い出に残っていることをお聞かせ願います

相楽 やはり7年間の中でその年その年でインパクトのある出来事が多かったので、挙げるとキリがないのですが、7年という時間を追って考えた時に、一番直近でインパクトがあった出来事と言えば、5月にあった日本選手権の1万メートルです。理由というのは、12年前に駅伝三冠した後に、実は日本選手権に長距離の選手が一人も出れない年がありまして、その時にこの日本のトップを目指すというチームの中で、日本のトップを争う日本選手権に出る選手がいないという時に、早稲田らしくないなというふうに感じました。なので、駅伝で勝つことも重要ですが、やはり強い個というのを考えた時に、日本選手権で活躍する選手を育成したいなという思いがあったときに、冒頭に申した当該レースの中で、一万メートルAレースの方に、卒業生も含めて4人出場者がおりまして、現役の井川(龍人、スポ4=熊本・九州学院)と卒業生が肩を並べて競うという姿を見たときに、卒業した後の成長と、もちろんそれは行った先の実業団のチームの監督のおかげでもあるのですが、そういったところを見た時に、日本のトップを目指す道というものが、現役の時から卒業する時までつながっているなという出来事が今一番印象に残っているかなと思います。


――レベルが上がってきている中で世界と戦える個人をつくっていきたいと、学生の間に結果を出すだけではなくて卒業後も、とおっしゃっていますが、結果以外のプロセスの部分で学生の間に、4年間の間にやっておかなければならないことがありましたら教えてください

花田 最初に来た時に感じたのは、非常に早稲田も強い選手はいるんですけど、記録に見合った精神的な成長だったりとか、食事のことなんかもそうですど、基礎的なことが抜けている選手が多いなと感じました。これは多分他のチームも同じだと思うのですが、想像していたよりもバーンと予想外の記録が出てしまっている選手が非常に今学生界は多いのかなと。今その時点だけを見ると、いいんですけど、やはり精神的な面だったり、肉体的な面だったりの成長が伴っての記録が出ていかないと、やはりどこかで、特に社会人になって1、2年目に行き詰まるところが出てくるので、私自身はそこの部分も見合った成長、まずやはり基礎的なこと、藤本部長からも言われていましたが、人間力もつけた上での競技力が伴っていかないといけないのかなと。だからもちろん大学のうちに日本代表になる選手をつくることももちろん素晴らしいことだと思うのですが、その選手がそこで終わってしまったら意味がないので、そこからさらにもう一段、二段と大迫くん(大迫傑、平26スポ卒=現Nike)のように高いレベルで、世界大会に出るだけじゃなくて、入賞できる選手をつくるとなると、4年間での基礎づくり、肉体的にも精神的にもそこの部分はきっちり2人というか、競走部全体で短長含めてやっていかないといけないかなと思っています。


――GMO(アスリーツ)でのご指導が今度また新たな早稲田というところで生かされるということは何かありますでしょうか

花田 GMOに限らず、上武大学での12年間というのは本当に基礎的な、能力の高くない選手というかいわゆる早稲田で言う一般入試組のような選手をコツコツ育てていって、下から上に上げていくという指導ができましたし、逆にGMOでは本当にトップレベルの選手をさらにトップに引き上げるというような指導を求められていました。上と下両方を経験できたというところは、早稲田は真ん中くらいというか、いい意味で両方知ることができましたので、私自身は本当にいい経験だったかなと。あとはもちろん箱根駅伝と、大学生だとやはりトラックからハーフマラソンが中心になると思うのですが、私自身は本当に学生のやる気があって、チャンスがあればぜひマラソンにもトライさせたいなというふうに思っています。