3年時に急成長してからはチームの主軸となり、特に長い距離で結果を残してきた山口賢助(文4=鹿児島・鶴丸)。最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)は昨年に引き続き10区を任されたが、優勝はおろかシード権からも程遠い13位でフィニッシュ。出場した大学駅伝の全てでアンカーを務めた山口にとって最も悔しいゴールとなった。「はまれば優勝できる」チームの歯車が噛み合わなかった理由は何か。そして競走部での4年間を振り返って今、何を思うのか。
※この取材は1月27日にリモートで行われたものです。
「箱根駅伝の影響力の大きさを感じた」
ゴールする山口(©︎関東学連/月刊陸上競技)
――箱根駅伝が終わってからは鹿児島へ帰省などしていらしたと思うのですが、現在どのように過ごされていますか
自分も走る予定だった全国都道府県対抗男子駅伝競走大会が23日にあるつもりで、箱根駅伝後はそれに向けて準備をしていたのですが、12日に中止が決まってからはまだしばらく試合もないのでゆっくりしている状況です。
――鹿児島には山口さんを応援している方がたくさんいらっしゃると思うのですが、地元の様子はどのような感じでしょうか
地元に帰ってからは友達から連絡が結構来ていますね。コロナ禍なので気軽に遠くへ行くということはあまりできなかったのですが、大学4年で卒業のタイミングだったので軽くご飯くらいはいろいろな友達と行けました。あと今までは歩いていて声を掛けられる機会は一度もなかったのですが、今回は3回くらい知らない人から声を掛けられることがあって。そういったところでやはり箱根駅伝の影響力の大きさを感じました。
――箱根駅伝が終わってから3週間ほど経ちましたが、競技面はどのような状況でしょうか
全国都道府県対抗男子駅伝に向けて練習してきた段階で、少し脚の方に負担が出てきてしまっています。2週間ほど、歩くだけでも痛い状況で全く走れていません。
――怪我に関しては箱根駅伝前にも多少あったと聞きましたが、やはりそういった怪我が影響しているのでしょうか
そうですね。どっちも左足なのですが2か所痛いところがあって。1か所はシンスプリントの所です。そこはもともと長い間痛めていた所で、(症状が)良くなったり悪くなったりを繰り返していて、今はちょっと痛いくらいです。2か所目は足裏の外側、アーチの土踏まずの骨のあたりなのですが、そこは歩いていてズキンとしびれるような痛みが最近あります。この先も陸上を続けることを考えると、今は試合がないのである意味いいかもしれませんが、また早く走り始めないとな、という思いがあります。
――事前取材の際に、箱根駅伝が終わったら太田直希選手(スポ4=静岡・浜松日体)とジャンクフードを食べに行きたいとお話されていました。実際に食べに行きましたか
結局1月3日の夜は反省会などがあって疲れてしまったので、マクドナルドに行って食べただけでした。
「後悔しかない」伝統へのこだわりが招いた視野の狭さ
――箱根から3週間が経ちました。自身の走りを振り返って、新たに分かってきたことはありますか
結果は上手くいかなかったのですが、色々振り返る中で正直自分の調子の合わせ方に問題があったというよりはシンプルにまだまだ自分の実力が思った以上になかったかなと感じています。
――先ほど話されていたケガについては、レース中には影響はなかったのですか
そうですね。本番の時は脚の不調は全くなかったです。
――箱根当日のチームの状態はどうでしたか
正直シードを落とす結果になるとは思っていなかったのですが…はまれば優勝できる状態ではあったと思います。それ位の走りができるチームだと考えると70%くらいの状態だったのかなと思います。
――本番ではまるかどうか、やはり賭けの要素が強かったのでしょうか
今年は冬の練習を見ても100%の練習を積んで本番を迎えた選手が少なくて、本番でどれだけ行けるか未知数な部分の方が強かったですね。はまれば行けるだろうとは思っていたのですが賭けの部分が大きかったですね。
――箱根後にチームで振り返る機会があったと思います。そうした機会を通して分かってきたことはありますか
「ウチはウチ、他所は他所」みたいな感じで、チームのやり方にすごくこだわっていて、革新的な取り組みや他の大学がやっていて良いなと思う取り組みもあまり取り入れていませんでした。時代に合わせることなく「今まで練習でこういう結果が出てきたから、今回もここまで行けるだろう」という感じで、今までの伝統にこだわりすぎていたと思います。 また人数が少ないこともありますが、チーム内での競争が甘かったとも思います。エントリーメンバーの16人が決まった時点で正直スタートラインに立てるレベルの選手が11人ぐらいで、出走メンバーが固定されていました。自分は必ず走れるから残りの期間は調整して、強度を落としたい時は落とせるような雰囲気があったと思いますね。
――過度な競争は逆にピークアウトなどのリスクもありますが、やはり競争はあった方が良いのでしょうか
他の人が補強やジョグをプラスアルファで取り組んでいることに対して「あいつがこれだけ頑張ってるから自分もこれぐらいやろう」となる風潮がうちのチームにはあまりにもなさすぎたと思います。自主性の大切さについては今までたくさん言われてきましたが、他の人に影響を与えたり受けたりする雰囲気がなかったですね。
――今大会を通して、他大から取り入れたり真似してみたいと思ったことはありますか
特に箱根で言えば、何年も言われているように山の対策がすごく下手で。毎年「山(候補)がいない」と言われていながら試走に行ったりしていませんでした。他大であれば5区のためだけに1年を捧げるような選手もいて、具体的にどれだけ準備すればいいかは分からないのですが、そこは遅れているなと感じました。あとは本番のように単独走で速いペースを作る練習を全然してこなかったですね。今振り返ってみると、1人で1キロ3分で20キロ走る練習は一度もやったことがなかったのですが、箱根関連の番組を見ると青学は1人で30キロ走などもしていました。うちのチームはただ一定のタイムで一定の距離まで行けたことを良しとしていて、実際に駅伝で戦うには具体的な練習内容を突き詰められていなかったなと思いました。
――チームメイトからもそういった話は出ましたか
4日の夜に主務の久保(広季、人4=早稲田佐賀)と2人でご飯に行ったのですが、1日経ってからも彼は選手以上にずっと悔しがっていて、食べている時も「悔しいな」「こうしておけば良かったな」という話で持ちきりでした。実家に帰って親と話をした時にも「もっとあんな練習した方が良かったんじゃない?」と言われました。周りの人からは「走れてよかったね」と言われたのですが、内輪では後悔の思いしか出てこなかったですね。
――今回の箱根で印象的だったことはありますか
青学の3区の太田(蒼生)くんが出雲も全日本も走っていないのにいきなり起用されたことです。エントリーを見た時は当て馬だろうなと思ったのですが、そのまま出場してなおかつあれだけすごい走りをしていたのを見て、うちではそういった大胆さがなく、絶対ありえないなと思いましたね。うちは安定に拘りすぎていたので、従来の常識から外れた取り組みや采配も含めて結構衝撃でしたね。
――太田選手のような爆発力はトップ校と早大にある差の一つではないかと思います。その点を改善するためには
コロナで仕方ない部分もあったのですが、3年以降は記録会がいつも学内の競技会だけでした。それだと参加する大学も限られているので、他の大学と競り合う機会がなかったなと感じています。新チームからは他大ともっとガツガツ競る経験を一年通して積んでいくことが必要なのではないかと思います。
――新チームにはこれからどのように変化してほしいですか
チーム内での競争が不足していたと感じたのですが、予選会はある意味Bチーム以下の選手が他大の選手と一緒にハーフマラソンの距離を走るいい機会でもあると思います。チーム内の競争を考えるとBチーム以下の選手については箱根の前にそこで12人の枠を勝ち取って、チームの出場権をつかむことはもちろん、Aチームの選手を倒して這い上がるチャンスだと思うのでそれを意識してほしいです。箱根を走ったメンバーについては、チーム内で主力と言われていても箱根で納得いく走りをできた選手は一人もいなかったですし、「これくらいで走れるだろう」という気持ちを取っ払って、上を目指す意識でやってほしいなと思います。
箱根駅伝は「大学生活そのもの」
10区を走る山口(©︎関東学連/月刊陸上競技)
――トラック、ロードの両方において入学時からかなり伸びた印象があるのですが、4年間で成長した要因はどんなところにあると思いますか
4年間かけて自分が成長できたのは、1年生の頃から人より練習の量とか日頃の生活とかで陸上のために気を使えるところは使おうという意識を守って取り組めてきたことが一番の要因かなと思っています。人よりもプラスで、という意識でやってきました。
――その4年間で1番印象に残った試合は何ですか
1番と言われると悩みますが、やっぱりある意味今年の箱根駅伝かな、と思います。4年間1番時間をかけて準備してきたので正直本当に悔しい気持ちしかないです。しかしこの先も自分が陸上を続けていく上で今回の悔しさを思い出すことは何度もあると思うし、この悔しさが晴れるようなことはないかもしれませんが、いつかの持ち舞台で自分はリベンジしている、と思えるきっかけになる試合であったと思っています。
――文武両道の秘訣を教えてください
文武両道と言えるほどのことはないので秘訣ではないのですが、勉強も陸上も1番になりたい、負けたくないという気持ちが自分の中にぶれずにありました。ぶれなかったからこそ勝手に自分の行動がついてきたような感じです。自分はそんなに器用な人間ではないので、具体的に何をやったから上手くいった、ということは特にありません。むしろ失敗も多かったのでパッとは出てこないのですが、勉強も陸上も頑張りたいという気持ちをぶれずに持てたと思います。
――4年生が後輩に残せたと思うものは何かありますか
自分たちの学年は入学時から1番強い世代だと言われてきたのですが、最後の大事な箱根駅伝でこういう結果になったことを考えると、反面教師といいますか、自分たちにこれくらいの実力があってこれくらいの取り組みをしたけど結局はこんな結果だった、という失敗経験をできたことですね。ネガティブなことになってしまうのですが、それが後輩たちがこれから1年間で強くなっていき、また失敗しないようにするために残せたものなんじゃないかと思います。
――山口さんが在籍していた4年間でチームの雰囲気が変わった印象があります。4年生が変えてきた部分もあると思うのですが、いかがでしょうか
自分たちの学年にはそんなにおちゃらけたようなメンバーはいなくて。ある意味真面目な人が多い学年だったので練習に取り組む姿勢も真剣で、そういった面ではチームの雰囲気を崩さないためにいい姿勢を見せられたかなと思います。
――後輩にこれから期待したいことはありますか
やっぱり1番は来年の箱根駅伝で優勝して欲しいです。あと自分はBチームで練習していた時期が長かったので、自分のようにずっとBチームでやってた選手がAチームの選手を凌ぐくらい活躍してくれたらなと思います。
――同期や後輩は山口さんにとってどのような存在ですか
同期は仲がいい学年でありながら、悪いことはしっかり悪いと指摘し合える学年だったので自分としては最高のメンバーだなと思っています。後輩たちについても、各学年のカラーがだいぶ違うのですが、自分に対してはすごく親しく、かわいげな姿を見せてくれるような後輩たちだったので、正直後輩たちのもとを離れるのが寂しいです。
――今振り返ってみて、箱根駅伝とはどのような大会でしょうか
一言でいうと、僕にとっては大学生活イコール箱根駅伝というような感じです。本当に4年間、毎年毎年箱根駅伝を中心に生活が回っていたような感じがするので、まさに大学生活そのものだったなと思います。
悩んで決めた競技継続、その先に目指すもの
――一時期は一般企業への就職も視野に入れていたとのことですが、競技継続を決めたのはなぜですか
将来働くイメージを持ちながらインターンなどに取り組む中で、率直にやっててあまり楽しくないなと感じることが多くて。自己分析をしていく中で本当に自分がやりたいことは何だろうと考えると、一番は走ることだなと思いました。正直現実を考えて将来食べていけるかという不安もありましたし、結局(競技を)続けた所で中途半端な選手で終わってしまうなら一般企業に入った方が絶対いいと思っていました。ですが、就職活動をする中で陸上が一番大事だと思ったことと、シンプルに3年の秋ぐらいから自分の結果が徐々に出始めて、陸上の方でも少し自信が出てきたことの2つが(競技継続を決めた)要因です。決めたのは3年の11月頃ですね。
――トヨタ自動車九州を選んだ理由はなんですか
理由はいくつかあるのですが、自分は将来マラソンをやっていきたいので、オリンピックのマラソンでメダルを取った森下広一さんの指導を受けられることが1つ目です。あと高校時代にお世話になっていた鹿児島工業高校の東村先生とトヨタ自動車九州の森下さんが仲が良くて、それで東村先生を通じてトヨタ自動車九州から勧誘していただいたことがあります。東村先生には高校時代にずっと練習を見てもらっていて本当にお世話になったので、恩情があったことも大きな決め手となりました。他にも自分の同期で高校から直接トヨタ自動車九州に進んだ志水選手(佑守)の存在も大きいですね。
――志水選手とは高校時代の同期なのですか
そうですね。鹿児島の指宿商業高校出身で、高校時代はいつも競り合ってきたライバルだったのでその存在は大きいです。
――先ほどマラソンをやりたいとの話がありましたが、実業団ではどんな選手になりたいですか
マラソンで世界大会に出場してメダルを取ることが1番大きな目標ではあるのですが、結果だけではなく色々な方に自分のことを認知してもらったり、自分のこれまでの取り組みを知ってもらった上で陸上界だけではなく色々なスポーツに影響を与えられるような選手を目指していきたいです。あまりイメージは出来ていませんが、大迫傑さんみたいな選手が理想像です。
――今年から実業団へと環境が大きく変わりますが、1年目の目標はなんですか
1年目からまずはニューイヤー駅伝に出場して、そこでチームの入賞に貢献できるような走りをすることと、マラソンにもできれば一年目から挑戦したいなと思っています。2024年にオリンピックが控えていて、オリンピックに挑戦できる機会は競技人生でも限られているので、経験することは大事だなと思います。まだ自分は全然実力がないですし挑戦する舞台に出場できるとも思いませんが、怪我なく練習を積んでその舞台に立てればと思います。
――トヨタ自動車九州といえば森下監督に加えて今井正人さんもマラソンで活躍されていますが
そうですね。マラソンで結果を出している先輩方がかなりいらっしゃるので、まずは早くその先輩方に追いつけるようにしていきたいと思います。
――最後に、競走部のファンの方々や早スポ読者の方へ一言お願いします
これまで4年間応援していただいて本当にありがとうございました。最後いい形で応援していただいた皆さんに恩返しすることは叶わなかったのですが、これから先も僕自身は実業団で陸上を続けていくので、そこでしっかり結果を出してみなさんの元へ良い報告ができるように頑張りたいと思います。早稲田大学は卒業してしまいますが、これからも少しでも注目してもらえたらと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 名倉由夏、池上楓佳)
◆山口賢助(やまぐち・けんすけ)
1999(平11)年5月3日生まれ。174センチ。鹿児島・鶴丸出身。文学部4年 。第98回箱根10区1時間10分42秒(区間13位)。5000メートル14分01秒15。1万メートル28分20秒40。試合以外で印象的だったこととして、同部屋の部員が部屋でテレビや音楽を大音量で聴いていることに耐えかねて本気で怒ってしまったことを挙げていました。なんと礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)の耳にも届く大事になってしまったとのこと。ですが、チームに厳しいことを言えないという悩みがあった山口選手にとっては度胸をつけるいい機会になったそうです!