昨年は春から夏にかけて長期の故障に苦しむなど、波乱のシーズンを送った鈴木創士(スポ3=静岡・浜松日体)。次期駅伝主将に、今回の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)について、そして新チームのことについてお話を伺った。
※この取材は1月29日にリモートで行われたものです。
「もどかしさと悔しさ」
7区を走る鈴木(©︎関東学連/月刊陸上競技)
――解散期間はどのように過ごしていましたか
前半、3日4日休んで、後半からは都道府県駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝)がある予定だったので、そこに向けて練習をしていかないとなという感じでした。しかし、12日に無くなってしまったので、そこからは完全に休み、グダグダしていたわけではないですが、釣りやゴルフなどをしていました。
――箱根での走りに対して周囲からどのような反響がありましたか
やはり厳しい声をいただく事もありました。それでも僕は今年主将をやらせていただくので、頑張ってくれという言葉をいただくことが多かったです。
――箱根についてお聞きしていきます。7区への出走が決まったのはいつですか
割と直前でした。1日前、2日前くらいですね。
――7区以外にも出走する可能性のあった区間はありましたか
4区か2区です。
――1月2日のツイートに小田原中継所の位置情報が入ってるのが話題になっていたのはご存知でしたか
はい。もう別にもうここまできたら仕方ないかなと。もう誰か分かっているだろ、とは思っていましたが、小田原しか僕は走らないと思われているので、多分それは良いかなと思いました。
――うっかりというわけではないということですか
そうですね。別に区間が出るのは分かっていましたし、ここで伏せても、青山学院大学なんてメンバーが出ていましたし(笑)。
――前日の往路は13位という結果でした。改めて振り返り、往路のレースを見て、どんな心境でしたか
僕が緊張していると周りからは言われていました。ですが、個人的には緊張はそんなにしていなくて、でも緊張に似たような感情で、なんでこの順位なんだよというもどかしさみたいなものはありました。ですが、当たり前ですけど誰が悪いという訳でもないですし、どこにぶつけることもできない感じでした。
――相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)から出走前に指示などはありしましたか
特に詳しい指示はなかったです。しかし、1年生の時も走ったというのも大きいと思うのですが、「いつも通りの走りをしてきてくれ」ということを指示としては受けました。
――「追い上げなければ」という状況だったと思います。焦りから生じた精神面への影響はありましたか
もちろん焦りましたね。本当に。まさか栁本(匡哉、スポ2=愛知・豊川)があそこまで落としてくるとは思いませんでした。状況が状況で、1分間に5チームくらいいるような状況で、本来僕の走りであればそのような状況に関係なく自分の走りができるというところが自分の強みではあったと思います。ですが、ただその中で今回は次主将になるという面や、いろいろな面があり、結構感情的な走りで最初突っ込んでしまったかなと思います。
――一昨年と似たような状況でタスキを受け取ったと思いますが、当時と比べて感じた違いなどはありますか
一昨年は、良くも悪くも箱根のことをよく分かっていなくて、かつ立場も違いますし、正直言って一昨年はチームのために走ろうと思っていませんでした。ただ今年はここで僕が(順位を)上げなければシード権を落としてしまうだとか、そういうチームのためにもっと頑張らないといけないというところが大きかったです。一昨年は最初は別に突っ込まず、後半上げていったという感じなのですが、今年はそういうところができなかったというところと、自分の力を少し過信していたという面がありました。
――前半から突っ込んで入られた状況で、ご自身の感覚と実際のタイムに違いは感じましたか
自分が走っている感覚としては、最初に突っ込んでも後半も足がもつだろうという感じで算段を立てて途中までいきました。結果的にはもうラスト10キロくらいから足が止まってしまいました。今まで足が止まるという経験をしたことがなかったので、自分としては初経験で、すごく悔しい思いをしました。
――後半に足が止まってしまったというのは、夏場に故障で走り込むことがあまりできなかったというのも関係しているのですか
そこはあまり関係ないと思います。関係があるといえばあるかもしれないのですが、それより体調が悪くなってしまい箱根の1カ月から2週間前まで全く走れなかったところだと思います。毎年そこの集中練習で僕は強いというイメージを持っている仲間が多いと思うのですが、今年は全くそれができませんでした。そこで走り込めなかったというところで、身体的にもメンタル的にもきつかったなという感じです。
――レース中に監督から何か指示はありましたか
結構指示はあったのですが、あまり覚えてないですね。去年も一昨年ももちろん苦しかったのですが、今年はより苦しかったです。そのうえ冷静ではなかった感じがして、あまり覚えてないですね。強いていうのであれば、今年僕は3月から7月まで一切走れていなかったので、中盤10キロぐらいで、「その時の走れていなかった経験からしたら、今苦しくても楽しいだろ、もっと楽しめ」と言われたのは覚えています。涙が出ました。
――給水の時の半澤黎斗副将(スポ4=福島・学法石川)や、太田直希選手(スポ4=静岡・浜松日体)からの印象に残っている言葉はありますか
お二方ともすごく良い言葉をかけてくださり、本当に泣きそうになったのは覚えています。
――レース中の風や気温といったコンディション面はいかがでしたか
そんなに何も気にならなかったです。去年の4区は向かい風だったと感じるので、それに比べたら向かい風でもなかったです。でも(風が)追ってるなという印象もなかったので、どうなんでしょうね。走っていてもちょっと分からなかったです。
――レース後、監督やチームメイトから何か声を掛けられましたか
少なくとも「お疲れ様」や「よくやったな」という感じではなかったです。次のキャプテンですし、1月4日には新体制のミーティングをして、今後どうしていくかというところを話しました。個人的なところでいったら自分のレースの振り返りを軽くして、あとは前を向く感じのことをしたという感じですね。
――収穫はありましたか
個人としては、苦しんだ中でもこのような走りはできるのだというキャパシティは広がったと思います。チームとしては、来年につなげるとしたら、石塚(陽士、教1=東京・早実)が4区であれだけ走ってくれたのは収穫かと思います。また、大志(伊藤大志、スポ1=長野・佐久長聖)も1年生ながら山をしのいでくれたというのは、来年また期待できるところだと思います。
「これから何十年も強い早稲田に」
千明龍之佑駅伝主将(スポ4=群馬・東農大二)にタスキを渡す鈴木(左)(©︎関東学連/月刊陸上競技)
――これから駅伝主将としてチームを率いていく立場になるにあたって、意識が変わったことはありますか
当たり前ですが、自分自身がしっかりしないとなという部分はあります。やはり、僕の背中を見てついてきてほしいというところへの意識は芽生えました。かつ、自分の世代になったので、やはりチームを変えたいという視点で、チーム全体を見たときに、チームのいい加減なところをなくすようにしています。
――理想のキャプテン像や、憧れのキャプテンはいますか
智樹さん(太田智樹、令2スポ卒=現トヨタ自動車)みたいな、何か語ってやるタイプではなくて、練習で背中だけ見せて、お前らついてこいってやるタイプはかっこいいなというふうに思いますが、(自分には)無理だと思います。僕が中学1年生の時の中学3年生の先輩で、青学で神林さん(神林勇太氏)の代の時に副キャプテンをやっていた松葉先輩(松葉慶太氏)という方がいるのですが、その先輩が当時キャプテンをしていて、その先輩が僕の理想像です。
――松葉氏も背中で引っ張るタイプなのですか
背中で引っ張るタイプでももちろんあります。ただ、何か分からないのですがひきつけられる魅力がありました。ひきつけられる魅力や、人を動かす力がありました。僕が中学1年生から陸上を始めたので、多分あの先輩のもとで陸上をしていなかったら今も陸上を続けていなかったなと思うくらい、すごく偉大なキャプテンだったと思います。
――どんなキャプテンになっていきたいですか
自分には田澤(廉、駒大)みたいな圧倒的な力がある訳ではないので、その分チームのマネジメントの勉強をしないといけないなと思いました。また、自分はある程度、チームビルディング、マネジメントなどは、陸上ではなく経営やビジネスなどという面ですが、勉強はしていました。それが生かせたらいいなと思っています
――どんなチームづくりをしていきたいと考えていますか
まず大きな目標としては、この1年ではなくて、これから先何十年と強い早稲田を作るチームの仕組みづくりをしていきたいというところと、今年は箱根駅伝優勝というところを目標として掲げています。僕的には予選会からスタートだからと言って、箱根3位などと甘えると、3位すらも取れないのではないのかなと思っています。箱根優勝は優勝を目指したチームだけが達成できると思っているので、その夢だけは諦めていません。そこに向かってみんなでしっかり頑張っていこうというところで、一人一人が主体性を持って、陸上に対する意欲があふれているチームにしていきたいです。
――これから何十年も強い早稲田を作っていくシステムを構築していくなかで、何か新しい取り組みはされていますか
そうですね。結構ガラッと変えました。わかりやすいところで言うと、声を出すという当たり前のところです。今までだったら朝はあまり声を出さないこともありましたが、そうした風潮をまずガラッと変えて、しっかり声を出すようにしました。あとは朝練習をサボる人がいたので、そういうサボりとかを徹底的に排除して、絶対にサボらせないようにしました。あとは体系などですね。僕がキャプテンになって、各学年のトップを作りました。今までだったらキャプテンと副キャプテンだけでしたが、学年キャプテンを作って、僕からはそんなに個人個人に言わないようにしました。そのほかにも変えたところは色々ありますね。
――学年リーダーを作り、新3年生の代を菖蒲選手(敦司、スポ2=山口・西京)にしたと伺いました。指名の理由、菖蒲選手に求める役割を教えてください。
元々は菖蒲を副キャプテンに置きたいと思っていました。ほかにも駒野コーチ(駒野亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)などとも、僕が「誰か副キャプテンをつけようと思っているのですが」という相談をしました。僕は菖蒲と井川(龍人、スポ3=熊本・九州学院)で迷っていましたが、「別に一人じゃなくても良いんじゃない?」って言われたので、あっ確かにそうだなと思い今このかたちにしました。それで、菖蒲はきっと来年キャプテンになるだろうというところを思い、指名したのが大きいです。そのためにはまず自分の学年を菖蒲がまとめてほしい、それは来年にもつながる。それがどんどんつながっていって、それが先ほど言った10年先もずっと強いチームのシステム作りといったところにつながっていくと思っています。あとはキャプテンをやるというのであれば、例えば僕が菖蒲に「栁本がこういうことできてないんだけど、しっかりできてるか聞いて」と言った時に、言えませんというような状況であれば、来年以降キャプテンもできないだろうなというそういうところを見て、そこは競技力うんぬんの問題ではなくて、人に注意できる、そういう人を選んで菖蒲にしました。
――新2年生の代の学年キャプテンはどなたにしましたか
大志にしました。
――そこは高校時代にキャプテン経験があるところも関係していますか
新2年生は、誰にするかすごく迷って、大志にしたというかたちです。別にここを固定化するつもりはないですし、例えば大志が誰かに言えないという状況であれば変えるという状況をまず伝えました。そのなかで現状として大志は人に素直に意見ができる、学年関係なく意見が言えるのではないかと思って大志にしました。新3年生だと菖蒲しかいないかなと。あとは辻(文哉、政経2=東京・早実)も少しは言えるかなと思っていました。ですが、逆に新2年生の代だと石塚も結構しっかり言えますし、あとは中田(歩夢、人1=埼玉・所沢北)という、寮外の一般入試で入ってきた選手もしっかり自分の信念を持っていて、陸上に対する熱量もスポーツ推薦組に負けてないと思っています。新2年生は誰でもありかなといったところで、まずは無難に大志にしました。
――新チームで、主将として飛躍を期待しているチームメイトはいますか
キャプテンとしてはみんなです。誰一人期待していないという人はいないです。強いていうなら、速い人では井川ですね。今は競技力が高くなくても、これから先伸びてほしいなというところでいえばたくさんいます。それこそ先程挙げた中田や、日野(斗馬、商1=愛媛・松山東)、和田(悠都、先進1=東京・早実)、あとは僕の同級生の白井(航平、文構3=愛知・豊橋東)は、まだBチームにいる選手たちですが、その選手たちはもちろん良い走りをしていますし、その選手たちが頑張ることによって、チームに競争力が生まれ、活性化していくのではないかと思って期待しています。
――現時点でのチームとしての伸びしろや良い点はどんなところだと捉えていますか
新チームになって、僕が常々人に頼るなというところを言っています。去年のチームは完全に直希さん、中谷さん(中谷雄飛、スポ4=長野・佐久長聖)、千明さん(千明龍之佑駅伝主将、スポ4=群馬・東農大二)の3人に本当に全部頼りっきりでした。それをやってしまうと、自分はいいやと思ってしまう人が出きてしまいます。それをするなという話はしていて、それに対して、次の3年生の熱量がちょっと薄い気ががしています。新3年生は、個性的というわけではないのですが、少しバラけている感じがまだあります。それは多分新2年生もそうです。ですが、次の2年生は競技に対する思いはすごく強いのではないかと思っていて、そういう面では新2年生はしっかり底上げをしてくれているのではないかと思っています。伸びしろという面では本当に競技力がこれから上がると思います。今現在、5000メートルのタイムで言えば、16人が走ったら、14分30秒くらいの選手が16番目ぐらいだと思うのですが、そこが14分一桁とかになる見込みはあると考えます。
――今シーズンの目標を教えてください
もちろん箱根以外のトラックのレースはないがしろにするつもりはありません。ですが、大きいところは箱根優勝になっています。
――新チームのスローガンはありますか
スローガンは『覚悟』です。
――昨年の箱根前の対談時に、大学卒業と同時に競技引退される予定だと仰っていたと聞きました。今、その気持ちに変わりはありませんか
まだまとまっていない状況です。ただ就職はないですね。就職だけはないです。実業団に行くか、起業するか、バックパッカーなどをするか。就職だけは絶対にないです。
――大学ラストイヤーへの意気込みをお願いします
本当にあっという間ですね。もう高校だったら終わっていたと思うとゾッとします。もうラストイヤーなので、やはり箱根駅伝は優勝したい、何よりそれに尽きますかね。例えば立川(日本学生ハーフマラソン選手権)でユニバ(ワールドユニバーシティゲームズ)の出場権を獲得したいなど細かい目標は色々あります。しかし、やはり最後に達成して一番嬉しいなと思うのは、チーム全体で箱根駅伝の(優勝の)ゴールテープを切って終わるというというところです。
――今シーズンの個人課題はどのようなものになりますか
今年の箱根駅伝で、足が動かなくなってしまったという経験をしたのは、今まで走れてきていたからこそ、そうした経験をしていなかったわけです。しっかりけがをせずに、コツコツ距離を積み、まず走るというところを大前提にしています。競技力の向上に対しては、トラックでも勝負できるようなスピードをつけていけたらなと思います。
――今後出場する予定の大会での目標を教えてください
立川です。目標は3位以内ですね。
――ありがとうございました!
(取材・編集 戸祭華子)
◆鈴木創士(すずき・そうし)
2001(平13)年3月27日生まれ。175センチ。静岡・浜松日体出身。スポーツ科学部3年。第98回箱根7区1時間3分48秒(区間5位)。次期駅伝主将として長距離ブロックの改革を実行している鈴木選手。箱根で感じた悔しさにしっかり向き合い、冷静かつ熱い思いを持って前を向いている姿が印象的でした!