往路11位での折り返しとなった今年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。巻き返しの復路へ、スタート区間の6区を任されたのは、これが駅伝初出走となった栁本匡哉(スポ2=愛知・豊川)。しかし、シード権を死守すべく覚悟を決めて臨んだ大舞台で突きつけられたのは、区間19位という厳しい結果だった。緊張と焦り、後悔と反省。1つ大きな経験を積んだ今、栁本が見据える今後とは。
※この取材は1月28日にリモートで行われたものです。
「考えすぎて緊張してしまった」
6区を走る栁本(©︎関東学連/月刊陸上競技)
――箱根が終わって解散期間はどのように過ごされましたか
2週間あったのですが、ほとんど走りから離れてとりあえず休みに専念しようという感じでした。
――帰省されてゆっくりできましたか
そうですね、成人式もあって久々に会う人たちもいたので、そういう人たちと遊びながらリラックスしました。
――ご友人などからの反響はありましたか
結構成人式とかでも見たよと言ってくれたので、それはうれしかったです。
――ランフェス豊橋にも出られていましたが、近藤幸太郎選手(青学大)や吉居大和選手(中大)も参加されていたと思います。何か箱根に関する話はされましたか
特に箱根に関しては話していないですが、2人を見ていて小学校低学年の子から大人まで写真撮影の長蛇の列ができていて、それはうらましいなと思いました。自分自身もそれを見て、負けられないなというのはとても感じました。
――お2人とは以前から交流はあったのですか
そうですね。中学時代からずっと一緒にレースに出ているので、仲良くしてきました。
――事前取材では、1年間で今が最も調子が良いとおっしゃっていましたが、最終的な集中練習の消化率はいかがでしたか
箱根までしっかり集中練習をこなしていて、自分自身も結構自信はあったのですが、いざ走ってみるとまだまだ力不足だなというのは感じました。
――下りや長距離に対応した練習は間に合ったという感触でしたか
最低限は走れるという状態には持っていけたと思います。
――6区出走を知らされたのは前日の夕方だったと伺っております。希望されていた区間での駅伝初出走、決まった時の心境はいかがでしたか
決まった瞬間はかなり緊張して、旅館では無言であったりして、結構ガチガチになってしまったというのが走りにつながったのかなと思います。緊張しすぎたというのはあります。
――その緊張はどういった要素からですか
往路が終わって11位で、シードラインでのスタートだったので、自分が大事だなというのを色々考えすぎて緊張してしまったと思います。
――では、他の選手ともそんなに話したりせず、という感じでしたか
そうですね。半澤さん(黎斗、スポ4=福島・学法石川)とか付き添いの人たちは結構喋ってくれていたのですが、自分自身はそれに応えられなくて。ガチガチになってしまいました。
――付き添いは菅野雄太選手(教1=埼玉・西武文理)でしたか
そうです。
――それはどういった経緯で
菅野が入ってきた時にお付きで2週間くらい担当したので、いいかなと思いました。
――往路はどのようにご覧になっていましたか
寮でみんなで見ていました。
――往路の結果も踏まえて、当日どのようなお気持ちでスタートされましたか
緊張もありつつ、ここでいいスタートを切りたいなというのもあって。直前は、もうやるしかないなと覚悟を決めてスタートラインには立てたかなと思います。
――シード権を争っていく位置でのスタートとなりましたが、どこに目標を置いていましたか
前に東海大が1秒差でいて、それについていけばタイム自体も良くなるかなと思っていたので、10位、できれば9位くらいで渡したかったのですが、それも厳しかったなと思います。
――目標タイムは
59分前半からできれば58分台というのを目標にしていました。
――監督やコーチからはどのような指示がありましたか
特に目標タイムの設定というよりは自分の個性を生かしてほしいと言われました。東海大にずっと付きっきりではなく、しっかりと自分の個性を使って出せる時は出せ、という感じで自分の走りをしてこいという指示がありました。
――低温でのレースになりましたが、どんな対策をされていましたか
ずっとカイロを当てたり足冷やさずに厚着してとかはしていたのですが、いざスタートして上り切った後ですかね、一番上のところに行くと汗も冷えてきて、下る頃には若干冷えてという感じでした。もう少し考えたら上手く対応できたのかなと思っています。
――では寒さも走りに影響した部分はありましたか
そうですね。上った時や下っている最中に若干寒さを感じた部分はありました。
――続いてレース展開について伺います。夏の取材で上りが苦手というお話がありましたが、その上りで一気に差を詰めたのはどういった意図だったのでしょうか
上りは苦手意識があったのですが、今回周りから上り自体は悪くはなかったと言われました。逆に下りでいけるというのがあったのですが、思ったより良くなかったかなと。自分の中では、全力で上って、下りを休みながらもしっかり速いペースで維持したいというのがあったのですが、それがうまくいかなかったかなという感じです。
――下り特有の難しさからですか
そうですね。後はやはり下りで後ろから神奈川大が追いついてきた時に自分の中で焦った部分もあって、結構体が固まった感じはありました。リラックスできていなかったかなというのはあります。
――周りの東海大や法大は結果的にもハイペースになっていましたが、他の選手の走りから来る影響はありましたか
下る時自体は抜かれる度に結構自分の中で焦ってしまい、冷静な判断ができなかったことが走りにつながったのかなと思います。
――上りから下りへの走りの切り替えはうまくいきましたか
そうですね。切り替え自体はうまくいった感じはするのですが、追いつかれてから自分の中で制御してしまったというか、少し焦ってしまった部分があって、下りの中でも少しブレーキかけてしまったかなというのは感じます。
――前の選手の姿は見えていましたか
見えたり見えなかったりという状況が続いていました。ぐねぐねしている分、上から下は若干見えるのですが、近くに見えるというのは無かったので、どんどん離されている感じはあって。やばいなとは思っていたのですが、思うように体も動かずって感じでした。
――最後の平地での走りはいかがでしたか
そこまで大きくペースダウンするってことはなかったのでよかったのですが、そこをもう少しペース上げられたら、1個、2個順位が前だったりして次の走者に渡せたのかもしれないと思うと、ちょっと悔しい部分もあります
――最終的には14位でのタスキリレーとなりました。タスキを渡し終わった時のお気持ちはいかがでしたか
正直やってしまったなというのは感じていて。これでシード外でゴールしたらどうしよう、自分のせいでもあるし、と色々考えてしまいました。あとはこれで半澤さんが走ってたらどうなっていただろうというのも結構ずっと考えていました。
――7区鈴木選手との間で何か声掛けはありましたか
もう声を掛けることがなかったので、そのまま渡したという感じです
――改めて、結果含め走り全体を振り返られるといかがでしたか
やはりいざ走ってみると、他大の選手の方が力はあり、自分でいけると思っていても、まだ上には上がいるというのをとても強く感じました。
――要因についてはどうお考えですか
要因としては、練習が夏合宿明けからうまくできていないというのはあったのかなと。最低限の仕上がりにしかできていなかったので、そこが1年通しての反省かなと思います。
――これからも下りを頑張っていきたいですか
下りでリベンジしたいという気持ちはありますが、できれば往路だったり下り以外の部分で活躍したいと思っています。
――レース前でも後でも、周りの人から掛けられた言葉で記憶に残っているものはありますか
特にないですね。結構疲れも大きかったので。お前のせいじゃないよとかは言ってもらえて、それは励みになったのですが、やはり申し訳なかったかなと思います。
――ご自身が走り終えた後は、どのようにチームをご覧になっていましたか
車で寮に帰る途中、ラジオを聞きながらです。自分がすぐ車酔いしてしまうので、映像が見れなくて。ラジオで聞くくらいしかできなかったです。
――結果は総合13位となりました。チームとしてどのように受け止めていますか
やってしまったという感じです。この4年生が強い代でシードを落としたというのは悔しいです。終わった後も暗い雰囲気が続いていました。
――初駅伝を経験されて、駅伝に対する気持ちで何か変わったことはありましたか
今回チームの足を引っ張ったというのもあるので、今後チームに貢献できるような走りができるようにより一層頑張りたいなと思います。
トラックでも駅伝でも結果を
箱根湯本駅前を走る栁本(©︎関東学連/月刊陸上競技)
――箱根を終えて、改めてシーズン全体を振り返るとどんな1年間でしたか
去年はケガも多くて、トラックシーズンのレースの数も少なくて、1万メートルも走っていないですし、ケガに苦しんだ部分もあったので、今年は1年ケガをせずに練習を積んで、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)・箱根でしっかりチームに貢献できるように頑張りたいと思います。
――代交代後のチームの雰囲気はいかがですか
雰囲気は結構変わって、みんなが勝ちたいという気持ちを持つようになって、そこに関しては去年のチームよりいい雰囲気だと思います。
――学年が上がり、チーム内でどのような役割を担っていきたいですか
スポーツ推薦で入っていますし、上級生にもなるので、後輩たちを言葉では厳しいかもしれないですが走りなどで引っ張っていける存在になれたらいいなと思います。
――事前取材時に、今後や1500メートルよりも長距離で、というお話が出ましたが、来シーズンからはそういった流れで試合に出場されていくのでしょうか
できれば5000メートル、1万メートルで戦っていきたいというのはあるのですが、関カレ(関東学生対校選手権)あたりまでは恐らく1500メートルをやることになると思うので、距離も踏みつつ1500メートルをやっていこうと思います。1500のためだけのスピード練習ではなくて、距離も踏みながら戦っていきたいです。
――では関カレや全カレ(日本学生対校選手権)の出場にあたっては、ご自身としては1500メートルよりも、というところなんですね
1500メートルではない方がいいのですが、5000メートルや1万メートルだとまだ他の選手の方が速いので、出れる種目で出れたらいいなと思っていますが、1500メートルに特化した練習をしすぎるとまた箱根で距離に対応できなくなるので、距離も走りつつ1500メートルで勝てる体にして、スピードをつけていきたいです。
――現在の練習では何を目標に据えていますか
今は特に目標は無いですが、予選会(東京箱根間往復大学駅伝予選会)もあるので、早い段階でハーフ、20キロに対応しなければならないという点で、しっかり走りこんでいます。
――次のレース予定は
多分立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)です。
――そこでの目標は
初ハーフになりますが、63分台あたりでは走りたいと思っています。
――では最後に、今年の目標と意気込みをお願いします
今年はケガなく1年通してしっかりと練習を積んで、トラックと駅伝両方でしっかり結果を残して、チームに貢献できる走りをしたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 中村凜々子)
◆栁本匡哉(やなぎもと・まさや)
2002(平14)年1月11日生まれ。167センチ。愛知・豊川高出身。スポーツ科学部2年。第98回箱根6区1時間0分13秒(区間19位)。昨年のトラックシーズンは1500メートルをメインに取り組み、その中で地道にジョグを重ね長距離への対応を磨いてきた栁本選手。初の箱根で悔しさを味わい、より一層駅伝への気持ちが強くなった今年は、スピードスターの姿はそのままにさらなる飛躍を見せてくれることでしょう!