駅伝主将としてチームを率いる千明龍之佑(スポ4=群馬・東農大二)。入学時から『最強世代』の一人として期待され続け、ケガに苦しみながらも4年ではチームの先頭に立ってきた。今年は箱根後から順調に練習を積み、記録も勝負強さも文句なしでトラックシーズンを終えた。しかし駅伝開幕直前に昨年同様ケガに襲われ、出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)と全日本大学駅伝対校選手権(全日本)はともに出場ならず。「失うものはない」。学生最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を間近に控えた千明の思いに迫る。
※この取材は12月12日に行われたものです。
トラックシーズンは「90点」 他大学のエースと戦える自信がついた
日本選手権は5000メートルで8位入賞を果たした
――まず、トラックシーズンはどう振り返りますか
ユニバ―シアード(ワールドユニバーシティゲームズ)があったのでハーフマラソンをまず狙って立川(日本学生ハーフマラソン選手権)に出場しました。3番以内にはなれなかったですが、自分としては手応えをつかめました。ユニバーシアードは中止になってしまいましたが、うまくトラックシーズンに移行できたと思います。トラックシーズンの目標は特に決めていませんでしたが、自己ベストを大幅に更新したいとは思っていました。その目標は5000メートルで更新できたので、そこはよかったですが、1万メートルを走る機会がなくて大学2年生の記録のまま止まってしまったのは結構心残りです。
――トラックシーズンに点数をつけるとしたら
出た試合では毎回いい走りができましたし、思い描いた通りに走れたことが多く、そこは3年生までとは違って他大学のエースと戦える自信は持っていたので、そういう意味で90点くらいかなと思います。
――4年間比べても今年は特によかったと
そうですね。4月から好記録を出せるのは少なかったので。今までは故障で箱根の後走れなかったりしたのですが、(今年は)しっかり練習できて立川の後も走れたことが、いいシーズンにつながったのかなと思います。
――日本選手権後、夏合宿にかけてケガや不調が続いたと思います。到達したかった水準と比べてどう評価していますか
本格的に練習を始めたのが菅平後、妙高に入ってからなので半分くらいしかしっかり積めていなくて、夏合宿を終えた時点では、半分くらいかなと思っていました。でも9月に入って出雲直前に5000メートルを13分台で走れた時は、80パーセントくらいまでは戻ってきていたかなと。でもそれでケガしてしまったので、もったいなかったなと思います。
最後の駅伝シーズン直前にケガ 「本当につらかった」
――ケガをした当時の状況を教えていただけますか
出雲1週間前の朝練習で、起伏のある外周コースを走ったのですが、1周目くらいでお尻の張りというか痛みがあって。でも走れないほどではなかったのでそのまま走った後、午後から走れなくなってしまいました。最初はお尻の筋肉的なものかなと思っていて、走れなくなるようなケガだとは思っていなかったのですが、検査してみたら仙骨を骨折していました。
――その瞬間は特に重大なケガだとは気づかなかったと
走っていて(痛みが)消えることもあるので、その時は全然分かっていなかったです。お尻の痛みも初めてでした。それ以前から張り感はあったのかもしれないですし、予兆はあったけど気づかなかったかもしれないのですが、そこはちゃんとリスク管理しておくべきだったのかな思います。
――出雲が走れないと決まったのは、診断のときですか
診断を受けて、無理かなって思いました。出雲の週の火曜日とかだったので。それまでは走る気でした。
――走れなくなってしまったとき、自分としての気持ちは
あからさまには落ち込んだりしなかったですが、練習に出ても何もできないですし、補強するにも上半身しかできなかったので、部屋にいることが多くなったり。人と会うのがなくなったり、ちょっといやになったのはありますかね。
――去年までも夏にケガをして全日本に出られないことがありましたが、そのときのつらさとは、また違いましたか
そうですね。最後だったので、出られないとなったときは本当につらかったですし、去年よりもやっぱり今年にかける思いは強かったので。出雲に出られなくなったときは結構つらかったです。
――その時点では、全日本に間に合うかは見えていましたか
間に合わせるつもりではあったのですが、その後の経過があまりよくなく。その間にちょこちょこ走ったりして確認していたのですが、そのせいで長引いてしまったのはあります。
――走れないつらさがある中でも、主将という立場。気持ちはどう保っていましたか
そうですね…チームにそういう雰囲気を出さないようにしていましたし、みんなが出雲に向かっていくのをサポートする気持ちは持っていたので、結構みんなに声をかけたりはしていました。
――人と話すのがいやになったという話もありましたが、誰かに相談するのではなく、一人の時間を作りたいという気持ちだったのですか
そうですね、人にはあまり言わないです。
――誰かから声をかけられたりはしましたか
結構家族からとかは、ケガをしていることとか伝わるので連絡はきました。
出雲と全日本を振り返って 目標を再確認
質問に答える千明
――出雲のレースを見て、どんなことを感じましたか
優勝を狙える位置で走っていたのでうれしかったですが、やっぱり悔しさのほうが強かったです。
――悔しさは自分が出られなかったことと、チームの結果の両方ですか
そうですね。
――当初から掲げていた3冠が消えてしまいましたが、そこはどう受け止めましたか
手の届かなかった、本当に可能性がなかったわけではないので、残り二つ(全日本と箱根)を狙っていくという気持ちは変わりませんでした。
――出雲を終えてチームの雰囲気はいかがでしたか
結構大志(伊藤大志、スポ1=長野・佐久長聖)とかは悔しがっていましたし、走ったメンバーは特に悔しさを感じていました。
――出雲のメンバー以外も含めたチームづくりは、どうされていましたか
出雲に出られなかったメンバーは次の全日本に向けてしっかりやっていこうと話していましたし、みんなで寮のテレビで出雲でも戦える姿を見て、「全日本では絶対勝ちたい」という思いをみんなで持ち、全員で全日本を勝ちに行こうと考えていました。
――太田直希(スポ4=静岡・浜松日体)選手も走れなくなってしまいましたが、チームの様子はいかがでしたか
結構きつい感じの雰囲気が出ていましたね。出雲より走る区間も多いですし、直希が走らないことで主要な区間に1年生が入らなくてはいけなくなって。結構戦略的にも変わっていった部分もあります。それでも十分戦えるとは思いましたが、戦力は落ちたという感じはしました。
――出雲・全日本と優勝に届かない中で、気持ちが切れそうなことはなかったですか
箱根はまだ残されていたので、本当に箱根にかけるしかないですし、箱根に向かうことだけがモチベーションで。箱根だけを見ていました。
――すぐに切り替えるのは難しいのではとも思うのですが
まあそんなに引きずっていませんでしたし、僕は走るだけだったので、自分のことに集中していました。
――全日本後のミーテイングではどんな話をされましたか
出雲・全日本でダメだった要因や、チームの雰囲気が「本当に優勝に向かっているのか」と後輩たちからも意見を出してもらったり。あとは4年生、3年生の気持ちだったりを言いました。
――気持ちというのは
「優勝したい」という気持ちです。
――箱根でも優勝という目標を変えないという方針は、どのように決まりましたか
出雲・全日本も優勝は見えていましたし、チーム当初から3冠という目標は立てていたので、最後まで優勝を狙いたいという4年生の思いと、あとはみんなの思いが(目標を)ぶらしたくないというところだったので、そこは変えずにいきました。
――意見が割れることはなかったですか
今のままだったら厳しいというのはみんな思っていましたが、全員が力を出せば戦えるというのもみんなが思っていたので。残された時間では気持ちを変えていくしかできないので、そこは狙える力があるなら狙いたいというところで、(目標は)変えずに挑みました。
――方向性を決めるミーティングは同期で行うことが多かったのですか
前半は少人数で学年混在でやっていたり、いろいろ決めることがあるときは4年生でという感じでした。半澤(黎斗、スポ4=福島・学法石川)と久保(広季駅伝主務、人4=早稲田佐賀)と僕が中心になっていました。
――どう引っ張っていこうと話しましたか
気持ちが本当に優勝に向かっているのか、と全日本後に感じたので、『本当に優勝を目指している行動ができているのか』というのは毎回のミーティングで確認しました。
――太田選手、中谷雄飛(スポ4=長野・佐久長聖)選手はどんな存在でしたか
中谷も、思っていることはいっぱいあって。でも言葉にはあまり出さない感じなので、考えていることは(こちらから)結構聞いて、納得することもあります。的を得ていることを言ってくれていたので、結構助かりました。直希も言うときは言ってくれますし、そういうところはチームをつくっていく上で助かりました。
――自分が走れないとき、走りで引っ張っていたのは
夏合宿では直希や中谷が走っていました。
――チーム内で意見がぶつかることはありましたか
そうですね結構、全日本後のミーティングでは、4年生に対してとチームに対して(の意見が)。「4年生が勝つ気があるのか」や、あとはミーティングの仕方などでそういう意見もありました。
「失うものはない」
――3冠を今季当初から言われていましたが、それはいつから意識していましたか
僕らの代で強い選手が集まっていましたし、3年生までなかなか足並みがそろわなかったので、最後はしっかり狙っていきたいという思いがあって決まりました。
――それは個人としても、学年としても思っていたのですか
そうですね。
――今のチームの状態は
全日本の後に比べたらチームは一つになっていますし、「やるしかない」という思いでみんなやっています。相楽さん(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)を交えたミーティングをチームでして戦略を共有してもらい、信じてやっていくしかないと思っているので、そういう部分では一つになっているのかなと思います。
――あと20日後に本番が迫ります。今はどんな心境ですか
残り3週間で、本当にできることをやっていくしかないのですが、動きも毎回よくなっていますし、余裕度も上がっているのでしっかり走れるかなと思います。
――入学時からずっと注目されてきた学年で挑む最後の箱根ですが、プレッシャーはありますか
僕個人としてはケガ明けですし、もう何も失うものはないです。またチームとしてもこれまで2つ(出雲と全日本)とも6位で、優勝候補と言われているわけでもないので、そこは気楽に行けるかなと思います。
――最後の箱根で誰かとタスキをつなぎたい思いはありますか
特にないですね。そんなに今までこだわってきたわけではないですし。でも同期とつなぐことがあまりないので、同期とつなげたらうれしいです。
――希望区間はありますか
僕の役割的には、やはり上り区間かなと思っています。
――最後に箱根に向けて、どんな思いで臨みますか
個人的にはチームの流れを変える、チームの士気を高める走りをしたいです。区間順位にこだわりはないですが、やっぱり去年の区間5位は超えて終わりたいなと思います。チームとしては優勝を掲げていますし、往路・復路でのビジョンがあるので、思い描いているレースプランをしっかり再現できれば戦えるのではないかなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 布村果暖)
◆千明龍之佑(ちぎら・りゅうのすけ)
2000(平12)年3月3日生まれ。169センチ。群馬・東農大二高出身。スポーツ科学部4年。5000メートル13分31秒52。1万メートル29分00秒57。ハーフマラソン1時間3分32秒。最近のニュースは「かっこいいコートを買ったこと」ですが、アピールポイントは「かわいい八重歯」。ケガに苦しんだ駅伝シーズンですが、箱根ではそこからの『ギャップ』を感じさせるような力走を見せてほしいです!