【連載】箱根事前特集『実』 第1回 相楽豊駅伝監督

駅伝

 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)直前特集初回は、相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)。優勝を目指して挑んだ出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)と全日本大学駅伝対校選手権(全日本)を振り返り、11月30日時点でのチーム状況についても伺った。

※この取材は11月30日にオンラインで行われたものです。

オンライン取材に応じる相楽駅伝監督

悔しさ残る出雲・全日本

――前回お伺いしたのは9月上旬、夏合宿の途中でした。改めて夏全体を振り返っていかがですか

 昨年に比べれば宿泊先も日数が取れましたので、走り込みもチーム全体としてはできたかなとは思っています。一方で、故障で遅れていたメンバーについては、十分な練習が積めた者と積めていない者と二極化したこともあり、その意味で満足いかない部分もあるかなとは思います。

――故障で走り込みが満足にできなかったのは、Aチームにいたメンバーですか

 A、B関わらずですが、全体的に、少し去年に比べると故障者が多かった印象があります。

――では、駅伝を振り返っていきたいと思います。まず出雲に挑む直前のチーム状況は

 合宿の終盤ごろに、千明(龍之佑駅伝主将、スポ4=群馬・東農大二)や太田(直希、スポ4=静岡・浜松日体)などの4年生が離脱していたところから合流しました。(出雲)直前の記録会でも5000メートル13分台で余裕を持ちつつまとまってゴールできていて、直前まではある程度順調に仕上がっていた手応えはありました。

――出雲のメンバーの決め手や、イメージしていた戦い方についてはいかがですか

 記録会を終えて出雲の本当に数日前になって、千明が腰に違和感があるということで使えなくなってしまい、少し方針転換をせざるを得なくなりました。ただ6人という出走人数に対しては、それを上回る数のメンバーがいい調子で調整できていたので、数的な部分ではしっかり対応できるかなと思いました。ですがエースの一人である柱を欠いたことで、少し想定していたような戦い方にならないのではないかと思って大会に臨みました。

――数的な部分での不安はそこまで大きくなかったということですが、主将が出られないことでのチームの士気への影響は

 千明が出られなくなったことで、多少の動揺はあったとは思います。ですが千明が担う区間を太田がしっかりやってくれるということで、そこは最小限でとどめられたと思いますし、逆に千明の分までみんなで頑張ろうと士気は高まって出雲に乗り込めたのではないかと思います。

――千明選手の様子はいかがでしたか

 彼にとっては出走すれば初めて、最初で最後の出雲ということもあったので、個人としても強い思い入れがあったと思います。また当然3冠にチャレンジするチームのキャプテンとして懸けているものはあったと思うので、ショックは相当大きなものだったのではないかと思います。

――それは様子には表れていましたか

 当時はみんなの前ではそういった姿は見せなかったので、なんとか「みんな頑張ってくれ」という感じで送り出してくれていたと思いますね。

――区間配置について、1区は経験豊富な上級生ではなく、比較的大学駅伝の経験が少なかった菖蒲敦司選手(スポ2=山口・西京)になりましたが、この起用の決め手はどんな部分だったのでしょうか

 井川(龍人、スポ3=熊本・九州学院)も調子がいまひとつだったのと、菖蒲は今シーズン基本的にレースを外しておらず、一斉スタートであれば駅伝といえ彼のラストスパートは武器になると考えました。そこはあまり迷わずに菖蒲を選択しました。

――1年生の石塚陽士(教1=東京・早実)選手と伊藤大志(スポ1=長野・佐久長聖)選手が4、5区に起用されました。2人の走りはどう振り返っていらっしゃいますか

 直前の記録会も2人とも13分台で余裕持って走っていましたし、夏からみると全ての練習をこなした数少ないうちの2人でした。1年生ながらにして夏合宿の練習をほとんどパーフェクトにこなしましたので、起用に関しては一切不安もありませんでした。高校時代から大きな大会の経験も積んでいますし、何より2人とも日本選手権も経験していますので、そこに関しての不安はなかったです。

 高校から大学と環境が変わった中で、また石塚に関しては駅伝自体が経験ほぼゼロだったので、単独走になった時にどういった走りができるのかなと期待も持ちつつ、経験も積ませたいなという思いもありました。

――では、改めて全体としての展開や結果は、試合直後どう受け止めていましたか。また時間を空けてどう分析しますか

 展開としてはメンバーがどうなろうとも、どの区間でも秒差を争う混戦になるだろうと思っていました。他大学の状況を見ると、アンカーに東京国際大のヴィンセント選手や、駒大の田澤選手がいる学校などに対して、私たちは中谷(雄飛、スポ4=長野・佐久長聖)を置きました。だとしても先行してある程度貯金を作って渡す展開が望ましいと思っていましたが、暑さやアクシデントもありなかなか前に出られませんでした。

 終わった直後に関しては、(順位について)悔しいという思いと、やっぱり自分達の力をしっかり出しきれなかった悔しさ両方ありました。もちろん3冠を掲げたシーズンのスタートとして、6位という順位は少し受け入れ難いなとかなり落ち込んだところもありました。
 時間が経って冷静に分析してみると、まず千明も欠きましたし、主力選手何人か欠けている中では、出場したメンバーのコンディショニングはうまくいっていたかなとは思いますが、ぎりぎりの戦いの中で勝ち抜くだけの力がチーム全体としては足りなかったのではないかと思います。

「戦う集団に変わりつつ、全日本を迎えられた」

――では、出雲の後から全日本にかけての時期について。チーム状況や、練習の取り組み、雰囲気はいかがでしたか

 出雲の当日帰京したのですが、宿に帰ってすぐ、現地に行っていた全員でミーティングをしました。レースの反省もそうですし、結果に対して今後どうするかというミーティングをした時に、みんな『悔しい』というのを前面に出していました。やはりここから、走った6人と、辻(文哉、政経2=東京・早実)も現地に行っていましたので、7人でこのチームをどうやって変えて盛り上げていくかという意思確認をしました。そこからの1カ月に関しては、練習中の雰囲気なんかも、1回1回緊張したものを出しながら進んでいきましたので、戦う集団に変わりつつ、全日本を迎えられたと記憶しています。

――全日本までの間に、出雲には出場しなかった鈴木創士選手(スポ3=静岡・浜松日体)や山口賢助選手(文4=鹿児島・鶴丸)がレースに復帰してきました。この2人の状態はどのようにご覧になっていましたか

 2人ともケガで半年近くレースに出ておらず、夏合宿もBチームにいましたし、出雲のエントリーの段階では、山口は間に合いませんでした。鈴木は間に合うかもしれないなというのは少しあったのですが、先ほどの話にあったように出雲の6人に対しては、対応できるだろうと思いましたので、彼にはある程度早い段階で、出雲に間に合いそうだとしてもそこには照準を合わせず、全日本の特に後半の長距離2区間を任せると言いました。彼の良さはロードで長い距離になった時に最も出ると考えて、出雲に合わせてからそこまで持っていくと準備も間に合わなくなるところもあるので、11月のレースで採用するつもりで準備してくれと、9月くらいの段階から言っていました。

 その過程で5000メートルと1万メートルを走りました。5000メートルはしっかり自己ベストで行きましたし、1万メートルはアクシデントもあり結果的には良くなかったですが、前後の練習のプロセスを見ればしっかり全日本には行けるんじゃないかなとは感じていました。

――全日本に臨む直前のチーム状況と、想定していた展開についてはいかがですか

 出雲からいいかたちで、山口と鈴木も合流して辻も状態が良く、そこに佐藤航希(スポ2=宮崎日大)も急激に調子を上げてきて、チームとしては右肩上がりというか、イケイケムードになりつつありました。

 ただ太田が出雲終わった後から少し足に不安があるということで、練習をやってはいるのですが、あまり状態が良くない感じで、そこは懸念点でした。全日本1本走って、そのあと欠くことは避けたかったので、太田を起用しないとを決めました。

 それである程度下級生中心のオーダーを組むということになりました。出雲の時と同様で、4年生の思いは下級生もみんな共有しているチームでしたので、千明、太田の分もみんなでカバーして、絶対優勝しようと。チームの目標に関しても、主力を2枚欠いた状態でシード権や上位入賞という目標切り替える選択肢もありましたが、みんな最後の最後まで優勝を諦めたくないということだったので、優勝の可能性がある攻撃的なオーダーで行こうと、メンバー全員で確認して決めた感じです。

――出雲から離脱していた千明主将に加え、太田選手というチームの中心メンバーが入れない状況において他の選手の様子は

 出雲と同様ショック、動揺はあったと思います。それで意気消沈して全日本臨んだというよりかは、その分自分たちがやらなければこの先箱根でも勝てないというところで、割とモチベーションは高い状態で臨めたメンバーが多かったと思います。

――千明選手や太田選手の、出られないと決まってからチームで見せていた姿は、監督の目にはどう映っていらっしゃいましたか

 千明については疲労骨折で、当初は走ることもままならない状態ではありましたが、全日本の頃には走り始めてはいたので現地に連れて行く選択はしませんでした。彼はこれまで1年間チームを引っ張ってきて、やはり最後は選手としてしっかりチームの力になってほしいと思った時に、彼の練習を優先したかったので置いていきました。

 太田については、愛知県チームと三重県チームに分かれて行く時に、4年生は愛知には私と中谷がいて、三重は山口だけになってしまったこともあり、三重チームのリーダーとしてチームに檄を飛ばしてくれという感じで、現地でのサポートをお願いしました。しっかり引き受けてまとめてくれていたので、自分が走れない悔しさはチームのサポートとして、力を発揮してくれてた感じです。

――練習自体に関しては千明選手、太田選手がいない時に引っ張っていたのはどなたですか

 中谷が中心で、あとは井川や鈴木(創士、スポ3=静岡・浜松日体)ですね。上級生が中心になって声掛けしてくれていましたし、出雲から引き続き下級生もメンバーとしてついてきていました。出雲で負けた時に確認して、モチベーションが高いメンバーで元々集まっていたので、誰かがぐいぐい引っ張らなくても、自然に戦う雰囲気はできたかなと思います。

全日本を終えて

――では改めて全日本はどう振り返りますか

 端的に言えば飛車角落ちの状態でどう勝つかという時に、前半型の攻撃的なオーダーで、机上の計算だけですが5区が終わった時点でトップに立ち、後続と1分前後のリードは欲しいなと。アンカーに渡すところで、田澤選手とかヴィンセント選手などがくる前提ですが、やはり1分30から2分くらいの貯金を作るのが理想だとチームに共有しました。ヴィンセント選手が3区に行ったり、田澤選手が7区に行ったり想定外のことはありましたが、自分達の戦い方は変えませんでした。

 5区までは順当に行っていたかなと思いますが、6区の佐藤(航)が腹痛で走れなくなってしまうのが想定外でした。結果だけ見ても、佐藤(航)のところを除けば区間2桁順位はなかったので、やはり当日に求められていたのは、ミスのない駅伝を全員がすることで、優勝のチャンスは十分にあったかなと思いますが、そこができなかった私たちがいて。

 他大学さんもいくつかミスがありましたが、それを覆すようなエース力があったチームが上位にいった印象があります。私たちがいわゆるポイントゲッターを2枚欠いたのが敗因の一つでありますし、それ以外のメンバーについてはミスのしない駅伝を求められたところができなかったのが、コンディショニングを含めてチーム全体で共有すべき反省点かなと分析しています。

――ありがとうございます。佐藤航選手は試合直後の取材で、腹痛が直前期間に頻発していたと伺いました。それは今は治っている様子ですか

 全日本が終わってからの練習では出現していません。特に全日本前が本当に調子が良すぎたという表現が正しいでしょうか。入学してから、動きを変えようとフォームの改造に取り組んできて、特に全日本前は調子が良くて動きすぎるくらい体が動いていたので、その影響かなとも思います。今回あのようなアクシデントがあって本人もチーム全体も悔しい思いをしましたが、当日に向けての準備の中で取り組んでいたフォームについては、将来的には非常にいいものなのでは、と本人と確認しています。今後腹痛が出ないようにしながらいい動きを定着させていくことは継続してやっていきたいと考えています。

――なるほど。フォームはすごくいいものができてきたのですね

 動きすぎてしまったので、腹筋の方にダメージがいってしまったのかなと見てます。

――体が動けるようになったのはどういった要因でしたか

 もともと体をそんなに大きく使う方ではないですが、今の高速化している駅伝に対応するためと、ランニングエコノミーで経済性を高めるために、足の力だけではなく体を大きく使って骨盤から動かすことは、チーム全体の目標でもあります。

 特に彼は動きが小さかったので、大学のスピードに対応するにはもっと大きく使おうとやってきました。ずっと継続してやってきたものがこの秋に急に開花して、変化が大きすぎて体がついていけなかったのかなと思っています。繰り返しになりますが、進んでる方向はいいのかなと思うので、その動きを継続して発揮できる体を作る点は今後の課題だと考えています。

 加えていうと、彼はトラックよりロードの方が好きで、将来的にはマラソンをやりたいという目標があります。練習量はチームで1番2番なので申し分ないのですが、それに加えてスピードという課題が乗った時に、少しキャパオーバーしてしまったのかなと。

――では、出雲、全日本を終えて箱根につながる収穫や課題点は

 収穫は、今回初駅伝になったメンバーが経験を積めたり、その中で石塚や、伊藤も少し出雲では失敗しましたが全日本ではそれを取り返すような走りをしました。経験値を積みながら成長できている点が一つの収穫かなと思います。

――1年生の活躍の話が出ましたが、全日本で1区に伊藤選手を抜てきしたのはどんな理由でしょうか

 出雲については色々な評価があると思いますが、夏からずっと継続して比較してみた時に、本当に石塚と伊藤の間に大きな差がありませんでした。例えば千明がいたらどっちを起用していたかとなると、本当に悩んでいたぐらい遜色なくて。石塚が区間賞を取って伊藤がブレーキということでいろいろな評価はあるのですが、(出雲)当日に関して言えば風と、後続に抜かれたことによって、若干緊張とパニックもあったのかなと僕は評価しています。出雲が終わってから彼の良さは消さないようにトレーニングをしようという話をして、コツコツやっていました。

 全日本では中盤での起用も考えましたが、風の予報も参考にした時に、わりと名古屋方面が追い風になるというのがありました。またトラックレースでも彼は高校時代から全国大会で実績を残していて、一斉スタートならば単独走と違った意味で彼の良さが出るのかなと考えましたので、1区に起用することを決めました。

集中練習の状況

――11月30日現在の、集中練習の状況は

 20人くらいいますが、例年と違うのは、ケガなどで足並みがそろっていないのでいくつかのグループに分かれてスタートをしたことです。途中合流をしながら、最後に一つにまとめるイメージでやっています。

――今年のテーマはどんなところを意識していらっしゃいますか

 高速化が進んでいるので、スピードに対応するというのがあります。去年箱根が終わったときに、「自分たちはトラックのタイムが速かったが、駅伝では要所要所で置いていかれたり競り勝てなかったので、強さが足りなかった」と言っています。速さと強さを求めることを今年1年間言ってきました。集中練習の中でもそういった我慢する場面、競り合う場面で勝ち抜ける強さはつけたいなと感じています。

――(11月30日)現時点でのメンバーの状態はいかがですか

 11月20日の記録会と(ハーフ)トライアルが終わった後に箱根に向けてのミーティングを全員で行いましたが、その段階では遅れているという評価を私はしています。ケガ人がいてまだ満足に練習できる状態ではなく、年間ベースでみた時に、ケガのことも関係していますがチーム全体の走行距離は少し足りていないですね。

 ですので、そこから遅れてるという評価をして、今はそこから取り返そうとしています。優勝した時のチームと比較して少し走行距離を多めに目標を設定しました。遅れた部分を取り返すという状況かなと思います。

――走行距離が例年よりも踏めていないというのは、個人でも量が少ないのか、あるいはチーム全体としての数値ですか

 平均値で見ていますが、個人で見れば積めている選手は積めていて。佐藤(航)や(鈴木)創士、山口も9月、10月ぐらいからは非常に充実してると言えます。ただ、夏を見たら彼らは故障で積めていませんでした。

 先週も、積めているメンバーは本当に充実した1週間でしたが、ケガで遅れているメンバーは全く積めてない感じで。二極化している状態です。その積めていないメンバーは固定ではなく入れ替わり立ち替わりという感じなので、安定的に積めているメンバーはちょっと少ないですね。そのあたりでは遅れているという評価だと思います。

――その中で安定しているのは1年生ですか

 そうですね。伊藤と石塚は故障で練習を休んだことがないので、1年生と2年生ですかね。夏から見るとしっかり練習を積めています。

――佐藤航選手が練習量が1番2番という話がありましたが、1番に来るのはどのあたりの選手ですか

 月によっても変わってくるのですが、4年生の一般組である河合(陽平、スポ4=愛知・時習館)、室伏(祐吾、商4=東京・早実)、山口あたりはずっと安定して上位にいます。故障をしていなければ太田などの4年生は多いですが、離脱している時に、伊藤や石塚が継続して練習していたり、2年生の佐藤(航)、菖蒲が頑張っていたりという感じですね。

――走行距離の差は、ジョグなど決まった練習以外での差ですか

 朝もそうですが、私の方から練習内容を指定しているのもありますが、それは1週間の中で半分くらいなので。残り半分は自分の状態に合わせたジョグなどになってきます。上級生になると、下級生と比べて体ができて長い距離を走れるようになっていきますが、下級生は累積の距離が多くないと、重いポイント練習の次の日は体が疲れて走れなくなりがちなので、(それは個人の)ジョグの差ですかね。

――では改めて箱根に向けての目標と、今後必要なことをお願いします

 総合優勝という目標は変えないでいきます。出雲と全日本での苦しいレースもありましたが、出雲・全日本と箱根の順位はリンクしないことは私たちが一番分かっていますし、いずれにしても僅差になるレースで、勝つチャンスは少なくないと思います。やるからには優勝を目指してやらなくではいけないのが『早稲田』だと思っていますので、そこは変えずにチャレンジしたいと思います。

 そのための課題としては、レース当日どう走るのかはもちろんですが、そこまでの準備で7割8割決まるのが駅伝だと思っています。出雲全日本で感じた悔しさをバネに自分たちがどう変わっていくのかが、箱根でまさに証明されると思っています。優勝したい思い、モチベーションを高く持って、箱根までの時期をどう過ごしたかが大事になってくると思います。1カ月半しっかり準備した成果を当日見せられるよう過ごしていきたいなと思います。

――ありがとうございます。最後に、箱根に向けての意気込みを監督としてお願いします

 特に今年に関しては、強力な4年生がそろっている代です。総合優勝をしっかり狙えるチャンスは毎年くるものでもない思っています。その中でこれまでの自分の経験値を最大限活かしながら、優勝に向けて、学生とともにしっかり頑張っていきたいなと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 布村果暖)