【連載】箱根事後特集『不撓不屈』第5回 鈴木創士

駅伝

 「もう一度ヒーローになってやろう」。7区を任された昨年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。鈴木創士(スポ2=静岡・浜松日体)は、シード圏外の12位にいた早大を9位までに引き上げた救世主となった。だが今年はけがに苦しみ、練習に対する葛藤など試練の年となった。そんな中で迎えた箱根では4区を任される。一時は10位に落ち込むも、後半で追い上げ3位まで上り詰めた。「どん底」だった時期から復活までの道のりや箱根での舞台裏、今後の展望について伺った。

※この取材は1月20日にリモートで行われたものです。

一時は10位に落ち込むも猛追し再びヒーローに

――解散期間はどのように過ごしていましたか

ゴルフとか釣りをしていました。

――箱根での走りに対して周囲からどのような反響がありましたか

(静岡県)磐田市が僕の横断幕を作ってくれました。あとは親戚の人たちが「よく頑張ったね」と言ってくれました。

――前回大会に続き、今回の箱根でもまたさらにいいイメージがつながったと思いますが、ご自身では振り返っていかがでしょう

そうですね、7区の裏側(=4区)を走らせてもらって、箱根の神様に愛されているのかな、と。しっかり結果を残せたので、素直にうれしいです。

――本番を迎えるまでには、特に体調管理や大会でのルールに関しては例年よりもシビアになったと思います。大変さを感じたことはありましたか

給水の水を吐いてはいけないとか声掛けとか。普段当たり前にやっていたことをちゃんと規制しないといけないので、窮屈な大会になってしまうのかなと思っていました。でも結局は楽しく走れましたし、コロナの時期でも開催してくださったことは本当にありがたいと思います。

――4区への出走が決まったのはいつですか

僕は結構早かったですね。3、4日前くらいですね。

――2区と4区を想定していたということでしたが、監督から2区の可能性も示唆されていたのですか

ずっと2区候補でもありました。2区の想定をしていましたが、直前に4区だと伝えられました(笑)。

――4区として、どんな走りをするのが自分の役割だと認識していましたか

ゲームチェンジャーの役割をするように言われていました。2区、3区とあまり流れが良くなかったので、自分が何とか流れを変えようと思っていました。

――4区を任されるにあたり、監督から何かアドバイスをもらったりしましたか

具体的にはもらっていませんが、とにかく区間新記録を狙うということと、後半は粘って追い付くしかないと言われました。

――8位でもらって「追い上げなければ」という状況だったと思います。焦りが生じたりと精神的な影響はありましたか

少し前半の入りが遅かったので、その分焦りはありました。でもだんだん前で走っている人たちが見えてきたので、もしかしたら自分も追い付けるかもと思いながら走っていました。

――1月3日のコメントで「最初びゅーんと突っ込むイメージで」と言っていましたが、実際の入りのタイムとか感覚はどうでしたか

入りは遅かったです。最初は15分くらいでした。前半は自分が想定していたよりも向かい風の影響が強かったりといろいろなギャップがありました。それで少しペースダウンしてしまいました。

――レース中に相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)から何か指示はありましたか

「もうタイムは気にするな」と言われて、前の選手が見えてきたら「もっと抜いて」みたいな。「またヒーローになれるぞ」と言っていただいたので、去年と同様ヒーローになってやろうと思いました。

――箱根事前特集ではアベレージで2分52秒で走れるようにトレーニングをしているとおっしゃっていましたが、本番ではその成果は発揮できましたか

向かい風のコースだったのですが、後半まで力強い走りができたと思います。

――4区のコースは海沿いから山に向かうため、山からの冷たい風が走りに影響すると思います。レース中は気温の変化に苦しんだりしたことはありましたか

それはそんなにありませんでした。大丈夫でした。

――中盤あたりまで順大の石井一希選手(1年)と競っていましたが、そういう状況はやはり焦ってメンタルや走りに影響しますか

テレビ見てるとそう思われるんですけど、僕1回5キロくらいで離れてしまって。後ろにいた神奈川大と日体大に抜かれて、競っているどころか離されてしまい、やばいってなりました。テレビで映っていたところは競っているように見えるのですが、ちょうど抜くところでした。

――日体大に抜かれたときは何位でしたか

10位でした。

――箱根直後のコメント集で10キロ過ぎたあたりから仙骨の痛みを感じなくなって調子を取り戻せたとおっしゃっていましたが、そのときに気持ちの変化もあったのですか

アドレナリンが出て痛みが消えたのですが、大会を終えて休んだら治療にも行かせていただいて。実際仙骨の痛みというよりかは、腸骨の痛みに近い感じでした。腸骨を診てもらったら「これじゃ折れてないよ。大丈夫だよ」と言われました。

――残り5キロで一気に5人抜きましたが、振り返っていかがですか

ラスト5キロで前にいた東海大が失速していたので、抜こうと思っていました。あと、上りの傾向の中で自分はあまりペースが落ちなかったということもあって、どんどん抜けました。それが後半ペースアップできた要因になったのかなと思います。

――終盤でも体力は余っていたのですか

結構有り余っていました。どちらかというと、苦しくて前半動かなかったというよりも、痛みで動けなかったという感じですね。

――残り5キロでご自身の強みである粘りの走りが発揮された感じですか

粘り強く走れたかなと思います。

――その粘り強さの原動力はどこから来るものなのですか

勝ちたいという執着心ですかね。

――給水で武士文哉主務(文4=群馬・高崎)からの「後ろで見守っている」という伝言があったと聞きました。これは走りに影響しましたか

すごく影響しました。「武士さんに優勝させてあげたい、胴上げさせてあげたい」と言って大会に臨んだので、苦しくてもこんなところでつぶれたくないとは思いました。

――それは、武士さんに普段からお世話になっているからですか

そうですね。マネジャーがいないと僕たちは競技できませんし。競技以外の面でもゲームをしたり楽しんだりしていたので。あと、武士さんも最初選手でしたけど、途中からマネージャーに転向したみたいなので。普通なら選手として活躍したいのに、誰かはマネージャー業をしないといけなくて。武士さんはその中でマネージャーになったと思います。そういう人たちのためにも自分は頑張らないといけないなと思って走りました。

本番前の短期間でフォームを変えて賭けに出る

 

鈴木は大会1か月半前にフォームを変えたという

――コロナで大会が中止になったりけがも重なるなど、昨年は思い通りのパフォーマンスができず「どん底だった」とおっしゃっていました。そんな中でも本番までにうまく照準を合わせられた要因は何だと考えられますか

やっぱり箱根は他の大会とは違うものなので、そこで何とかしないといけないと気持ちですかね。

――大会の中止やけがは競技へのモチベーションに影響しましたか

すごくありました。故障が一番大きなターニングポイントになったかなと思いますし、なかったらなかったで良かったと思います。でも故障したことによるメリットもあったので、そこはいい方に捉えて箱根までにしっかり照準を合わせたという感じですね。

――けがをしたことによるメリットは何ですか

梨状筋を故障したのですが、何でだろうということで勉強したり。あとは箱根までの短い期間だったのですが、そこで一からフォームをつくり直したりして。今までやってきたことを継続して怠慢に動かすよりかは、変化を試みたのでいい方に転んだのではないかなと思います。

――今でこそフォームをつくり直して良かったと思えますが、やはり今までやってきたフォームを変えるのはとても勇気がいると思います。それに対する葛藤はありましたか

葛藤しかないですね。結局陸上競技って変化できない人は競技力が上がらないというか、伸びないような傾向にあるので。動きを変えないとアップデートされないと思うのですが、だんだん慣れてきて自分の動きを良くしようと思うと期間がかかるんですよね。1カ月とか2カ月とか。それを継続していかないといけないんですよね。僕の場合は期間が短かったのですが、1カ月半で何とか頑張ろうと。そこでトレーナーの方に協力してもらって、何とか箱根までには間に合いました。

――箱根まですごく悩まれていたのですね

そうですね。ここでフォームを変えるかどうかというのも悩みました。本当に賭けに出た感じですね。どっちに転ぶか分からない、もしかしたら悪い方に転ぶ可能性もあったので。今となってはやって良かったと思います。

――今まで競技生活を送ってきてこんなに練習ができない期間が長くなったのは初めてだったと思います。そんな中だからこそ気づいたことや得られたことはありますか

やはり一番はいろんな人に支えられて競技できていたんだということに気づきました。コロナがひどくなって、大会やみんなで集まっての練習などいろんなことが停止したときに、「僕は陸上をやっている」のではなく「陸上をさせてもらっている」という考えに変わりました。あとは、今回全日本(全日本大学駅伝対校選手権)も箱根も観客は入れないということになっていたので、応援がいなくて。今回の箱根は応援があった去年よりも気持ちが乗らないというか。応援がくれる力ってすごく大きいなと感じました。

反省を生かして来年は3冠を

――今回のタイムと区間3位という結果をどのように受け止めていますか

素直にうれしいのですが、狙っていたところが区間新記録とか区間賞だったので、そこに比べたら遠く及ばない結果でした。日本人に負けたというところは反省しないといけないと思います。

――チーム総合6位という結果をどのように受け止めていますか

3位を目標にしていて、僕は優勝を狙えるような状況だったと思っていました。その中での6位で。みんなも自分もあと1分2分速ければ試合の展開が違っていたかもしれないとかいろいろ考えますね。でもその責任を誰か一人に押し付けるのではなくて、一人一人が結果をちゃんと受け止めて、1分でも速く走れるように練習に取り組まないといけないなと。来年は今回箱根で走ったメンバーが9人残っているんですよ。でもそこで早稲田はメンバーが残っているからと慢心していると、すぐ足元をすくわれて今年と同じような結果になってしまうと思います。来年こそは優勝できるようにしたいです。

――レース後、監督やチームメートからどういった声を掛けられましたか

監督からは「よくやった」と声を掛けられましたが、「もっと頑張れたよね」という言葉もいただきました。あと、5区を走った諸冨湧(文1=京都・洛南)からはすぐ電話がきましたね。「創士さんがあそこまで順位を上げてくれたのにごめんなさい」って。でも(諸冨には)「お前がやれるべきことはやったんだし、『これで5区走りたくない』とか『陸上嫌だ』とかそういうことじゃなくて。もっとこれから頑張って来年5区でリベンジしてくれ」ということを言いました。

――監督から「もっと頑張れた」と言われて、もっとこうすればよかったと思うことはありましたか

本当に満身で、レース最中はもう無理という感じでした(笑)。僕は出し切りました。ただ準備の面で痛みとかがあって、結局これってケアとかの面なんですよね。箱根前はたくさん走るのですが、それでケアが追い付いていなかったのかなとか。準備の段階で怠慢なところがあったのかなと思います。

――しっかりケアをして準備をするというのが、箱根での収穫になったということですか

ちゃんとケアをするのか練習量を減らすのかのどちらかで。

――大会前は体に痛みを感じるほど練習されるのですね

体が緊張してしまっている状態なんですかね。筋肉疲労もあったのですが、精神的な疲労の方が大きかったですね。それでちょっと疲れが抜けにくい状態でした。だから常に疲れている状態でした。

――心の疲労は緊張から来るものなのですか

緊張はしていなくて。「今日40キロ走るぞ」みたいな日が結構続いて、本当に休みどころがなかったんですよね。それで肉体的な疲労もありましたけど、休みたいな、1日ずっとゴロゴロしたいなと思うことがあって。早くリラックスしたいなと思っていました。

――準備以外に今回の自分の走りを振り返って、「もっとこうすればよかった」と思うことがあるとしたら、練習やトレーニングにどう反映させていきたいですか

あまりないのですが、強いて言うならもっと走るのが速くなりたいです。課題というよりかは走力を上げていきたいという感じですね。スピードとかを鍛えないと27分台は出ないと思うので。

――やはり今年の目標は27分台を出すことですか

そうですね。やっぱり27分台を出したいです。

――今年は27分台を出せそうですか

今は出せる気がします! もっと頑張らないといけないなと思います。本当につらくて陸上辞めたいなと思うこともありますけど(笑)。

――やはりつらくても続けられるのは目標があるからなんですね

そう思いますね。でもコロナの時期で試合がどうなるか分からないので。「27分台出せる」と言われていても実力を発揮する機会がなければ意味ないじゃないですか。今はどうなるか分からないですが、試合にうまくポイントを合わせて頑張りたいと思います。

――チーム内でも他大でも構いませんが、印象に残る走りをした選手はいますか

創価大で9区を走った石津佳晃さんなのですが、僕の高校の先輩なんですよ。区間賞取られたので、悔しかったですね(笑)。

――他大でライバルの選手はいるのですか

あまりライバルとかは気にしないようにしていますね。毎回メディアとかでライバルを聞かれたら、クリスティアーノ・ロナウドって書くようにしています(笑)。ライバルでも何でもないんですけど(笑)。僕の中でライバルは普段の練習からいる近しい存在だと思っているので。僕のライバルは井川(龍人、スポ2=熊本・九州学院)ですね。普段から一緒に練習していますし。

――井川さんのお話が出ましたが、同期の箱根での走りはいかがでしたか

本当にうれしかったですね。僕たちの一つ上の学年が強いじゃないですか。その中で2年生は全然取り上げられなくて陰に隠れてしまった存在だったので、箱根でみんな頑張ってくれたのは素直にうれしいです。僕たちが4年生になる再来年に優勝する兆しになったんじゃないかなと思います。

――個人としては次の箱根の目標は立てていますか

やはり3冠を掲げています。総合優勝と、区間賞と、区間新記録ですね。今年は本当に向かい風で、どんなに頑張っても区間賞は取れないなって(笑)。来年は頑張りたいと思います。

――エース候補になっていてチームを引っ張っていく存在になると思います。箱根が終わって上級生になるにあたって、意識が変わったりしたことはありますか

去年箱根で区間2位を取ったのですが、もっと頑張らないといけないと思っていて。今年も中心的存在になるのかなと思うので、自分がチームを引っ張っていくという気持ちで頑張っていこうと思います。

――エースの中谷雄飛選手(スポ3=長野・佐久長聖)も来年はいますが、ご自身はどのような立ち位置でいたいですか

やはり中谷さんに勝ちたいなと思いますね。でも練習では勝てなかったりするので、まずは練習でついていけるようにして、来年は追い付け追い越せという感じですね。

――今後出場する予定の大会を教えてください

来年コロナでどうなるんですかね。僕が聞きたいくらいです(笑)。ユニバーシアードがあると聞いていましたが、緊急事態宣言が出てしまったのでどうなるのかなって。駅伝はあるんじゃないかなと思っているので、区間賞がほしいですね。

――ユニバーシアードでの目標はありますか

まだ一度も『ジャパン』を背負ったことがないので出てみたいというのと、ユニバーシアードで優勝したいなと思います。

――トラックシーズンでの目標は決まっていますか

関カレ(関東学生対校選手権)があればハーフマラソンで優勝したいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 西山綾乃)

磐田市が鈴木選手のために横断幕を作ってくれたそう

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コメント集(1/04)

◆鈴木創士(すずき・そうし)

2001(平13)年3月27日生まれ。174センチ、52キロ。静岡・浜松日体高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分06秒58、1万メートル28分40秒24。ハーフマラソン1時間5分07秒。2021年箱根駅伝4区1時間3分3秒(区間3位)。爽やかに取材に応じてくださった鈴木選手。取材後は静岡名物「さわやか」のハンバーグを食べたそう。静岡の「さわやか」と言えばハンバーグではなく、鈴木創士と言われる日が来るかもしれません…!