昨年の日本学生対校選手権(全カレ)では3000メートル障害で3位に輝くなど、堂々の活躍を見せてきた諸冨湧(文1=京都・洛南)。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)では起伏への強みを買われ1年生ながら5区に出走。しかし結果は区間19位と悔しいものに終わった。そんな諸冨が箱根を通して得たもの、そして今後への意気込みを伺った。
※この取材は1月20日にリモートで行われたものです。
「(箱根は)付け焼き刃ではどうにもならない大会」
オンライン取材に答える諸冨
――解散期間はどのように過ごされましたか
解散期間は休む期間として捉えていて。短距離と違って長距離は夏にトラックで冬に駅伝というように一年中休む期間がないというか、他大であったら休みなしで取り組んでいるところもありますが、休む時のメリハリも大事だと思っているので、そこは割り切ってしっかり休もうと思っていました。またトラックに向けて、今もう新しいチームでスタートしているので、切り替えてまずはトラックに向けてつくっていこうかなと思っているところです。
――区間に関して、相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)は最後まで悩んだとおっしゃっていました。改めて5区にエントリーされることが決まった際のお気持ちを聞かせてください
特にこの箱根駅伝において、5区の山上りというのは特殊で非常に重要というのは僕も十分わかっていたので、そういったところに1年生なのに選んでいただいたというところに関しては感謝しつつ、少しでもチームに貢献できるような走りができたらなというふうに思っていました。
――相楽監督からの指示、アドバイスなどはどのようなものでしたか
初めてでもあったので、落ち着いて冷静に走れというのが指示としてありました。最初突っ込みすぎずに後半勝負というかたちで冷静に走れという話がありました。
――吉田匠駅伝主将(スポ4=京都・洛南)を起用するという選択肢もありましたが、相楽監督は「上り坂に対する練習など、継続してトレーニングができていた」という理由から諸冨選手で行くことを決めたそうです。そこに対してご自身ではどう考えますか
6月までの解散期間に少しけがをしましたがそれ以降はコンスタントに練習、レースともに継続できていたので、とぎれとぎれではなく継続してできているという点では自信を1年通してつけてきたので、そういった点で評価されていたのかなと思います。
――8区も候補になっていたと思います。どちらを走りたいというのはありましたか
正直5区を走る候補が少なく、僕と吉田さんという選択肢になっていたというのと、8区だったら自分より適する選手がいたというので、5区を走りたいなというふうな気持ちが大きかったですね。
――レース直前のところに関して、メンタルはすごくいい状態のように感じられた、とチームメイトの方から伺いましたが、実際はどのような気持ちでしたか
悪くはなかったと今でも思いますが、レースは何が起こるかわからないですし、いくら直前が調子良かったところで本番走れなかったら意味がないというのも事実だと思いました。
――緊張はされましたか
自覚がなかっただけかもしれませんが、あまりした覚えはないです。
――前々日や前日の過ごし方、練習はいかがでしたか
普段通りにはできていましたが、直前というよりは継続してできていた練習のレベルがそもそも低かったというのが今回の失敗につながったと思っています。直前にちゃんとやったところで、そこまでの積み重ねがないとやっぱり走れないのが他の大会と違うこの箱根駅伝の怖さかなというふうに感じたので、そこまでの過程が不十分だったのかなと思います。
――レース展開について、4区までの状況というのはどのように見ていらっしゃいましたか
どこで来てもいい準備はしていたので、あまりどこで来るかとかは考えずに自分の走りに集中しないとだめだと思っていました。ただ、創士さん(鈴木、スポ2=静岡・浜松日体)が3番手で来たときはびっくりしました。残り3キロのところで相楽さんと連絡を取って8番手くらいで来ると聞いていましたが、そこから怒涛の追い上げがあったので、驚きました。
――レースプランに関して、「前半は落ち着いて入って、あとは臨機応変に」ということだったとお伺いしましたが、その「臨機応変に」という部分に関して想定していたことなどはありましたか
速い選手と競ってきたときというのは考えていました。今回東洋大の宮下隼人選手と競るというその流れになって、そうなった時に、明らかに速いペースにつくというのではなくてしっかり落ち着いて入るというところは意識していました。
――(東洋大時代に5区4年連続区間賞の)柏原竜二さんに取材でお会いした際、5区の山上りについて質問したという話を伺いましたが、上り方はどのくらいまでイメージを固めて臨んだのでしょうか
イメージだけはしっかりしていましたが…。柏原さんには申し訳ないと謝りたいです。かなり具体的にはイメージできてはいましたが、全くイメージ通りにはいきませんでしたね。
――タイムに関して、目標にしていたものや目安にしていたものはありましたか
今年は向かい風の影響で全体的に2分前後遅くなっていたというのがありましたが、それを除くと、72分切りというのを目指していました。それで今年はそれより2分くらい遅くなる74分くらいを目安にはしていました。
――風というところに関して、平地部分で向かい風が強かったということでしたが、山中での寒さや風という気象条件はいかがでしたか
寒さはあまり感じなかったのですが、風はかなり感じました。木に囲まれているところはそうでもなかったのですが、ひらけたタイミングなどではかなり感じました。
――レース中のお話になりますが、今年は新型コロナウイルスの影響で沿道での応援自粛が促されました。そういった中で走った箱根駅伝の雰囲気はいかがでしたか
正直雰囲気を感じる余裕がなかったです…(笑)。途中の宮ノ下のところでは思ったより応援が多く、そこは少し覚えているのですが、雰囲気を感じる余裕はなかったです。
――箱根は今までのレースと次元が違ったと言っていましたが、具体的にどんな部分でそう感じたのでしょうか
5区は距離が長いだけではなくてコースも特徴的で、5区以外もタフなコースになっていて付け焼き刃ではどうにもならない、高いレベルでの練習を継続していないと戦えない大会だと強く思いました。
――函嶺洞門は個人で4番目のタイムで通過しました。相楽監督は「オーバーペース気味だった」と話していましたが、振り返っていかがですか
宮下さんについてそこまで行きましたが、そこではあまり速いという感覚はなくて、むしろ風が強かったのであそこで離れるより風よけに使って走ったほうがいいと思ってついていきました。それが速かったのかもしれないですけど、それにしても上りが相当悪かったのでそこまで結果に影響していなかったと思います。
――本格的な山上りに入るにつれ、順位を落としてしまいました。上っている最中はどのような気持ちでしたか
もう足を前に出すことだけを考えていました。
――どのあたりから苦しくなってきましたか
それが結構早くて、6,7キロの地点くらいからしんどくなってきました。
――往路のゴールテープを切った際のお気持ちは
第一に申し訳ないなという思いはありました。役割は果たせなかったですし、シード圏外まで落としてしまったので、本当にチームの足を引っ張ってしまって申し訳ないという気持ちが大きかったです。
ここからどういう結果を残していくか
――2日目のお話になりますが、復路はどのように観ていましたか
もう祈るような気持ちで観ていました。みんな調子がいいのはわかっていたので、信じて待っているようなかたちでした。
――6区の北村光選手(スポ1=群馬・樹徳)は目標の58分台で下りきりましたが、どのようなお話をされましたか
「本当にありがとう」と。これは復路の方みんな同じですが、6区の光からいい流れをつくってくれたので、ありがたかったですね。
――箱根後に監督やコーチとは何かお話をされましたか
1年生で山を走って失敗したというこの経験を今後にどう生かしていくかというところを話していただきました。
――チームメートの皆さんとはどのようなお話をされましたか
大体みんな慰めるというか優しい言葉をたくさんもらったのですが、実際本当に足を引っ張って、その重さというのは僕が一番自覚しないといけないと思っています。周りからは言われないですけど、もっとしっかり受け止めて今後の行動や走りで見せていかないとなというふうに思います。
――早大としては近年5、6区が課題と言われている中で今回1年生が両区間を走ったのは明るい話題かなというように思います。今後、山に対してどのように向き合っていきたいですか
周囲からも言われるところもありますが、まずは自信を取り戻すことが自分にとって一番大事だと思うので、目の前のことをしっかりと取り組んで自信を取り戻して自然ともう一度山を走りたいと思えるようにすることがまず大事だと思います。今はあまりそこに目を向けるのではなくてまずは目の前のことに集中したいと思います。
――新体制となりもうすぐ新入生が入ってきます。そこに関して何か感じることはありますか
人は変わっても自分のやることに変わりはないので、これまでと同じスタンスで、自分のやることだけをしっかり見てやっていきたいかなと思っています。
――今後のレースの予定を教えていただけますか
福岡クロカン(日本選手権クロスカントリー競走)にエントリーする予定です。それ以降はまだ決まっていませんが、トラックは3000メートル障害をメインにやっていく予定なので、ユニバーシアードも開催されるかわかりませんが、あると想定してそこが一番の目標になってくると思います。そこに向けて2月はまず脚をつくって、そこからスピードを去年よりも意識してやりたいと思っているので、スピード強化メインでトラックシーズンはアプローチしていこうかなと思っています。
――具体的な数字での目標は決まっていたりしますか
(3000メートル障害で)8分40秒を切って、そこからどこまでいけるかというところだと思います。
――箱根で課題としていた距離を踏むことに関しては、現時点ではどのように考えていらっしゃいますか
そこはしっかり頭の中においておかなくてはいけないかなと思っていて、ただ5~7月は難しいと思います。なのでまず2月は距離を踏もうと思っていて、下旬の福岡クロカンが仕上げだと思っています。ユニバーシアードがあれば遅れるかもしれませんが、夏合宿などで距離を踏みたいと思っていますし、距離が踏めない分は質でカバーしつつ、トラックシーズンはやっていきたいと思います。
――最後に、今年1年の意気込みをお願いします
箱根で失敗してしまって、ここからどういう結果を残していくかというのは周りからも見られていると思うので、しっかり気持ちを切り替えて一つ一つ目の前のレースで結果を残していくというのを意識していきたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 山崎航平)
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◆諸冨湧(もろとみ・わく)
2001(平13)年10月12日生まれ。167センチ。京都・洛南高出身。文学部1年。5000メートル14分07秒20。3000メートル障害8分53秒89。2021年箱根駅伝5区1時間17分6秒(区間19位)。