【連載】箱根事後特集『不撓不屈』第6回 太田直希

駅伝

 昨年日本選手権に出場し、1万メートルで27分台に突入するなど大躍進を遂げた太田直希(スポ3=静岡・浜松日体)。その勢いのままに、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)でもエース区間の2区で圧巻の走りを見せることを期待された。しかしいつものキレは見えなかった。実力を発揮しきれず、最終的には区間13位。リードを奪うことを期待された区間で順位を5つ落とす不本意な結果に終わった。その走りには、どのような舞台裏があったのだろうか。箱根を終えた今、振り返って思うこととは。

※この取材は1月20日にリモートで行われたものです。

「何かいつもと違う感じがした」

12月20日の公開取材で練習姿を見せた太田

――箱根が終わってからはどのように過ごされていましたか

 (1月)19日にチーム全体で集合があったので、それまでは帰省して家にいました。今はコロナになるべくかからないようにしたかったので、あまり外には出ていないです。ゲームとかもあまりしなくて、本当にずっとぐだぐだしてました。

――地元の友人には会われましたか

 そうですね、帰省の後半くらいに友達とちょっと会ったりはして、お疲れさま的な感じで声掛けてもらいました。結果もあんまり良くなかったので、威張れるほどではなかったので。

――今の体の状態はいかがですか

 疲労はだいぶ取れていて、今は帰省期間でたぶん体がなまっているので、そこの立て直しという感じの期間です。

――帰省期間の練習は

 最初の頃はしていなかったです。後半はやらないとと思って少し走っていましたが。とにかく1年中走ってる競技なので、最初は疲れたので1回走ること忘れようと思って走らなかったです。

――区間について、2区だと決まったのはいつ頃だったのですか

 正式に決まったのが12月の最後のポイント練習だったので、25日過ぎですかね。ちゃんと覚悟を決めたのもその時ですね。

――それまで2区で行くような雰囲気はあったのですか

 監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)は全日本(全日本大学駅伝対校選手権)終わったぐらいからもう行く気満々だった感じですね。もうお前2区のめど立ったなみたいな感じに言われて、そういう雰囲気はありました。

――公開取材時(12月20日)は、集中練習の最中で今は調子が上がっていないが、ここから上げていくとおっしゃっていました。そこから箱根当日までの調子などはいかがでしたか

 練習自体はしっかりできていました。調子も、本番もそんなには悪くなかった感じですね。

――レース当日のことについて伺います。当日の調子は、日本選手権などと比較していかがでしたか

 日本選手権の時ははっきり言って、走る当日にタイム出ないかなとか今日ダメかなとか思ったけど走れちゃった、みたいな感じでした。(タイムが)出ると思わなくて出てしまった感じで。27分台出したのは貴重な経験でしたけど、そこはあまりプラスに考えすぎると逆に良くないなと思っていました。全日本と箱根はどっこいどっこいくらいの調子だったと思います。

――スタートラインに立つときに距離への不安などはありましたか

 距離への不安やスタミナがどうとかという心配はあまりしていなかったのですが、スタートラインに立った時に何かいつもと違う感じがして。感覚なんですが、いつもの試合の感じと、今中継所で待ってる自分の感覚が今年初めて違う感じがして。心が準備できてないというか。でも走りだしちゃって、気づいたら体が動かなくなっちゃって、という感じでした。

――走る前に、監督からプランなどは伝えられていましたか

 特にレースプランとかはなくて。「突っ込んで耐えて最後上げる」っていうことはよくおっしゃっていて、今回もそういったニュアンスのことは前々から言われてたので、そういうレースプランかなというのは思っていました。

――1区の井川龍人選手(スポ2=熊本・九州学院)が来る位置のイメージや、自分がタスキを渡す位置のイメージなどはしていましたか

 上位では来るかなっていう感じは元々あって、その通りだったので、特に驚きとかはなかったです。タスキを渡す位置(のイメージ)とかも特になくて。具体的なイメージはせずに臨みました。

――鶴見中継所を5位、先頭が見える位置でスタートしました。どのあたりで先頭に追い付こうと考えていましたか

 やっぱり15キロくらいですかね。そのあたりで追い付こうとは思っていました。後ろから外国人選手が来るというのは予想していて、そこは勢いとか走り方とかも全然違うので、そこじゃなくて前の名取さん(名取燎太、東海大)とかをとりあえず意識して走りました。

――スタート直後に神奈川大が前に出ましたが、そこではなく集団についた理由は何だったのですか

 神奈川大はタスキをもらった瞬間にダッシュしたんですよ。なのであまりついていく気はなくて、どうせ追い付くと思ったし、そこはそんなに気にしてなかったですね。じわじわというよりかは中継所でタスキもらってダッシュされたので、その一瞬です。

――序盤の集団の様子はいかがでしたか

 あんまり人数の多い集団にはしたくなかったのですが、どうしても1区のスローペースからのスパート合戦みたいな感じで人数が多くなってしまって。最初は引っ張っていたのですが、徐々に池田耀平さん(日体大)とかが前に出てくれたりして、そこに自分もリズムを合わせてとにかく10キロまでは余裕を持っていこうという考えを持って走っていました。

――集団で牽制などはありましたか

 10キロ通過が28分半ちょっとかかるくらいで行ってたので、そんなに牽制していたわけではないです。

――集団という状況は太田選手にとってプラスとマイナスどちらに働きましたか

 集団はプラスでしたけど、若干人数が多かったかなと思いますね。10キロをいいペースで行っているのですが、なかなかみんな離れないし、後ろからも来ているし、みたいな。結構周りを見ていたのですが、きつそうじゃなかったのに自分の体は動かなくて、若干そこで焦りはありました。

――ペースとしては自分の感覚と合わず、きついという印象だったのですか

 全然大したことないというか、普段ならそんなきつくない2分50秒くらいのペースでも体が動かないなというのは最初の5キロ過ぎくらいから感じていて。周りも結構余裕そうだったので、そこで焦ってしまった感じですかね。

――先頭はずっと見えていたのですか

 そうですね。先頭の位置はずっと分かっていました。秒差はあまり分からなかったです。前ともあまり詰まらなくて、何秒差とかは全然分からなかったんですが、集団も悪くないペースで行ってたので、一旦集団を利用しようという感じでした。

――6キロあたりで東国大のヴィンセント選手が集団を抜いていきましたが、どうでしたか

 ちょっと速すぎてびっくりしました。相当速かったです。来てるのは分かってたんですが、抜く時のスピードが段違いすぎて。一瞬で置いていかれてみんな結構集団の中で困惑してたんですよ。でもその集団は惑わされずにいこうみたいな感じだったので、そんなにペースは変わらなかったんですが、あれはすごかったです。

――10キロの給水後、池田選手が集団から抜け出しました。その時の心境はいかがでしたか

 おそらくついていこうと思ったんですよ。集団も結構自重してて誰も行かなかったので、自分じゃあ行こうかなって思ったのですが、自分はすでに体が動いていない状況で、というのがいろいろ重なって、行く度胸がなかったというか。そこで行ったら、っていうふうにマイナスなことを考えてしまいましたね。

――集団内でも自重している様子があったのですか

 そうですね、池田さんが行ったときはみんな誰かがついていくという様子はなくて、1人で行っちゃったっていう感じです。集団もそんなにペースが悪くなかったので、みんなそこ(池田選手)についていくというよりかは、自分たちの集団の中でペースの上げ下げをせずに一定のペースで、という考えがあったからかなとは思います。

――そこからもずっと集団で権太坂に入っていきましたか

 そうですね、そこまでにちょっとずつ人が離れていったという感じですね。

――10キロすぎから徐々に坂に入りましたが、感覚はいかがでしたか

 上り坂は集団のペースが落ち気味になって、自分はその時点で結構きつかったんですが、集団のペースが若干落ちていたのでついていくにはついていけました。でも給水のあたりですね。そこでペース上げられてついていけなかったという感じです。

――残り8キロが勝負だと考えていたそうですが、その時の感覚は

 その時点できつかったので、余力があったらここから勝負だと思えたと思うのですが、思考が全部マイナスになってしまっていて。残り8キロ勝負だって考えるよりかは、残り3キロを少しでもペースを上げようという考えに変えました。

――その時は7番手くらいだったかと思いますが、目印にしていた大学はありましたか

 特になかったのですが、その時に東洋大と神奈川大がペースを上げて前に行って、前がそこしかいなかったので一応そこを目標にはしました。下り坂で若干ペースが一緒になったというか僕の方が少し速くなって追い付きそうになったのですが、逆にそこでもう一回ペースをぎゅって上げられて、そこで離されてしまいました。

――その時はもうペースは気にしていませんでしたか

 そうですね。その時はとにかく前を追おうと思ったのですが、権太坂で結構脚を使ってしまって脚も動かなくなってきているという状態でした。あそこはきつかったですね。

――中継所では駒大が先着していましたが、どのあたりで抜かされましたか

 駒澤は18か19キロくらいだったと思います。

――監督車からかけられた言葉などで印象に残っていることはありますか

 途中で監督車が離れてしまってずっといなかったので、あまりかけられたことはないのですが、ラスト1キロで(1時間)7分台で収めてこいっていうふうに声を掛けられました。その時点で、「あー、俺そんな遅いんだな」って思いながら走っていました(笑)。でも残りあとちょっとだったので、そこは振り絞りましたけど。

――やはり権太坂や戸塚の壁(20キロ過ぎ)はきつかったですか

 そうですね、みんな(脚が)止まっていましたし僕も止まってて、結構きつかったです。

――2区は坂がきついと思いますが、これまで経験した8区の遊行寺の坂と比べていかがでしたか

 個人的には8区の遊行寺過ぎてからの方が嫌ですかね。2区は残り3キロは本当にきついのですが、下りがあるんですよ。1回上ったら少し休めるじゃないですけど1回下りがあるので、最後の上りの準備ができるんですが、遊行寺は最後上ってからもずっと上ってるので、その方が僕は嫌でした。

――ご自身の区間順位やタイムは振り返っていかがですか

 区間順位もタイムも目標にしていたところとはかけ離れたタイムだったので、悔しいという思いが一番強いです。

――狙っていたタイムは早稲田記録(1時間6分48秒)ですか

 そうですね、はい。

――今回のご自身やチームの結果を振り返っていかがですか

 自分自身の走りは全然良くなくて、全然役割を果たせなかったですし、チームにも勢いを切らせてしまって迷惑をかけました。ですが特に復路とかはメンバーが頑張ってくれて、目標は達成しなかったですが去年より1つ(順位を)上げられたっていうのは大きな収穫だと思います。自分も反省点や改善点はよく分かっているので、それを同じ失敗を繰り返さないようにしていくのが今できることかなと思っています。

――反省点や改善点というのは

 やっぱり日本選手権に1回ピークが合ってしまって、そこから1週間休んで3週間ぐらいでつくるのはやっぱり20キロっていう距離には甘かったかなと思います。 箱根とそれ以外のレースは全くの別物で、求められているものが違うので。全日本とかは28分20秒くらいで通過してそこから2キロで終わりですが、箱根はそこから13キロあるのでそれはきつかったですね。

――距離が長いと対応が厳しい部分があると

 そうですね。距離への対応とか、やっぱり日本選手権とか全日本とかっていうのは、言ったら10キロ前後なので、体のつくり方とか気持ちの持って行き方とかもほとんどは同じ感じでいいと思うんですが、箱根はその倍になるので。そこで過去にとらわれて、昔これで成功したからこういう感じでいいのかなと思ってしまったのが良くなかったと思います。

――日本選手権は逆にピークが合ったんですね

 そうですね。あんまり合わせる気はなかったんですが、気持ちも体も、初めて出る大会でかなりのビッグレースだったので、そこでかなり上向きになりすぎたというか、逆に狙いすぎたというのが良くなかったかなと多います。

――次も2区を走るように言われたらどう感じますか

 今回結構悔しいなと思っていて。2区をリベンジできるならしたいと思っているので、2区を走れと言われたらもう1回走ると思います。

――箱根全体のレースで印象に残っている選手はいますか

 千明(龍之佑、スポ3=群馬・東農大二)とかですかね。秋に入ってからもずっと走っていなくて、11月に入ったくらいから練習を始めていましたが、よくここまで戻してきたなと。かなりいい走りをしたんじゃないかなと思います。

――やはり同期の存在は刺激になりますか

 そうですね、結構みんな僕らの学年それぞれ頑張っているので、いい刺激になります。あまりライバル意識はないんですが、今年1年で中谷(雄飛、スポ3=長野・佐久長聖)と一緒にレースを走ったり、中谷のすぐ後ろでゴールしていて、今までとは違うかたちでのレースで走れてそういう経験もできたので、次こそは勝ちたいってそれまでよりも思いました。

「勝つ癖をいかにつけるかが課題」

12月の日本選手権1万メートル1組目にて中谷に次ぐ学生2番手でゴールする太田

――個人として、これまでの箱根を含めたシーズンを振り返ってどう感じていますか

 去年1年間は自分でも考えている以上の結果がついてきたというか、本当にずっとうまくいって、レースが走れて、またうまくいってというのが続いてました。そこは本当によかったと思いますし、自己ベストも伸ばすことができたのも本当にいいことだったと思います。でもやっぱりいろんな人から、箱根の注目度が高いので、箱根で結果を出してほしいと言われました。去年それができなかった分、ラストイヤーなので自分の力をもう一段階上げて、トラックでも駅伝でもいい結果が残せるようにしたいなと思います。

――今後、取り組もうとしていることはありますか

 去年1年間通して、レースを走っても全部誰かに負けていて、本当にシルバーコレクターという称号がつくくらい負けていました。なので今年は勝ちパターンというか、勝つ癖をいかにしてつけるかというのが課題になると思います。それはどう克服したらいいかとか、どう練習したらいいかとかは今は具体的には分からないので、これから相楽さんとも相談していきますが、そこが今後の一番の課題かなと思います。

――去年は補強に力を入れていましたが、今後の予定や強化しようとしている部分はありますか

 まだ補強も継続しないといけないですし、五味さん(五味宏生トレーナー、平19スポ卒)にメニューをいろいろ出していただいているので、これからも相談しながら継続していくつもりです。今一番強化しようと思っている部分は体幹ですね。体幹が弱いのは自分でも分かっているので、そこをどう克服するのかが課題だと思います。

――今後のレース予定はありますか

 次のレースは立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)に出ます。

――次戦に向けての意気込みをお聞かせください

 あの大会は3番までに入るとユニバーシアードに出られるので、タイムよりかはどれだけ他大のエースや選手と張り合えるかが勝負だと思うので、そこに向けてしっかり準備をしていくつもりです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 朝岡里奈)

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◆太田直希(おおた・なおき)

1999(平11)年10月13日生まれ。170センチ、53キロ。静岡・浜松日体高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル13分56秒48。1万メートル27分55秒59。ハーフマラソン1時間5分24秒。2019年箱根駅伝8区1時間6分42秒(区間10位)。2020年箱根駅伝8区1時間5分30秒(区間4位)。2021年箱根駅伝2区1時間8分17秒(区間13位)。