相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)
――総合6位という結果をどう受け止めていますか
当初の目標は3位以内ということでしたので、復路はよく頑張ってレースを進めてくれましたけど、往路のつまずきが痛かったなという部分で悔しかったなと思います。
――復路では5つ順位を上げました。選手たちの走りを振り返っていかがですか
シード権争いというプレッシャーもありましたし、前も離れている時が多くて単独走の難しさもありましたが、厳しい状況の中よく我慢してつないでくれたので、ここまで順位を上げることができたと思います。
――往路終了時点で、復路はどのような展開でどこまで巻き返すことを予想していましたか
正直上も下もかなり短い時間差で詰まっていましたので、何位を目指そうということは明確には言わなかったですけど、復路にはもともと力のあるメンバーが残っていましたので、復路優勝を目指して頑張ろうよということは言っていました。自分たちのレースをしっかりすれば一つでも上に行けるのではないかなということをみんなには伝えました。
――復路の選手は区間順位を後半に大きく上げる選手が多かったですが、そういった戦略だったのですか
今回は記録の出にくいコンディションだったのと、タスキを受け取った時点では単独で走るケースが多かったので、前半ハイペースで突っ込むというよりは、中盤から終盤に攻めるようなレースが効果的かなと思ってそういう指示を多くしました。
――来年に向けて強化していきたい点と共に、意気込みをお願いします
往路復路ともに3位以上というところに絡めず、上位のチームとの差を強く感じましたので、もっと強いチームを作っていかないといけないと思います。太田(直希・スポ3=静岡・浜松日体)・中谷(雄飛・スポ3=長野・佐久長聖)のWエースと言われていましたけど、優勝するためにはエースと呼ばれる選手以外にも区間賞を取れるような選手がいないといけないと痛感しましたので、そういうチーム作りをまた新しい学年の選手たちと進めていきたいと思います。
駒野亮太長距離コーチ(平20教卒=東京・早実)
――総合6位という結果をどう受け止めていますか
往路11位という状況からすれば、復路のメンバーはしっかり期待通りの走りをしてくれたので、10区間通すとちぐはぐな駅伝になってしまって、5区の取りこぼしが惜しまれますけど、力は最後まで示すことができたので、終わり良ければひとまず良しというところかなと思います。
――総合3位以内の目標達成のために足りなかったことは
今年はコロナ禍で合宿を張れなかったりして、箱根を目指した調整や練習が例年に比べてできなかった、遅れてしまったということがあったので、2、3、5区の失速についてはそこが原因だったのかなと。例年並みに箱根に向けた練習をするか、あるいは例年と違うことを意識してアプローチをしていけば違ったのかなと思います。
――Bチーム出身の選手では、山口賢助(文3=鹿児島・鶴丸)が10区で6位争いを制しましたが、振り返っていかがですか
順位が決まる大事な局面で、かつ帝京大、順大をずっと引っ張っていたところに国学院大も追い付いてきた時は、9番もありうるかなと覚悟したのですが、しっかり最後クレバーな走りで勝ち切ってくれました。彼も勝ち切るとか他大学の選手と渡り合うというのはほぼ初めての経験なので、それを大舞台でしっかりやってくれたという点で、来年につながる走りをしてくれたのかなと思います。
――来年に向けて強化していきたい点は
誰が見ても明らかなのは5区の強化なので、そこは年間を通してじっくり走り込める、1年かけてしっかり取り組みたいと思える選手を出して、複数人で高いレベルで争わせるようにしたいです。決して今回が付け焼き刃だったというわけではないのですが、いくつかの選択肢がある中から最適な人材を配置できるようにしていかないといけないなと思います。
1区井川龍人(スポ2=熊本・九州学院)
――まず総合6位という結果についての気持ちは
やっぱり3位以内を目指していて、往路優勝もメンバーを見れば目指せましたし、そのままの流れでいけば優勝も夢ではないと思っていたので、今回の結果は正直すごく悔しいです。
――ご自身の走りについて
最低限と言ったら最低限でした。区間賞を目指していて、流れを作ろうと思っていたのでちょっと悔いの残るレースになりました。
――レース前のコンディションはどうでしたか
絶好調というわけではないのですが、いつも通りかなという感じで、落ち着いていこうと思っていました。
――走る前はどんなレースプランを立てていましたか
ひたすらついていって、ラストスパート勝負で絶対に勝つというイメージだけをしていました。
――1区の最初の入りが1キロ3分33秒という超スローペースとなりましたが、この展開については
ちょっと想定外すぎるスローペースで、このままいったらどうしようとか、自分がどこかで出ないといけないのかなとか考えながら走っていました。
――このスローペースはご自身の走りにどう影響しましたか
スローペースになって、ハイペースになって、またスローになって、ハイになってを繰り返して後半足に疲労がきたなというのはあったので、正直ハイペースならハイペースで行ってほしかったというのがあります。
――集団での位置取りについては
結構スローとハイを繰り返していたので、どこかで誰かが仕掛けるんじゃないかと思って、いつでもそれに対応できる位置にいようと思いました。一番反応できる位置に。
――マークしている選手はいたのでしょうか
青学大の?田(圭太)さんと東海大の塩澤(稀夕)さん、あとイメージとしては順大の三浦(龍司)とラスト勝負になるかなと思っていたので、三浦も視野には入れていました。
――六郷橋を抜けた辺りから勝負だと言っていましたが、実際のこの辺りの動きは
六郷橋手前からペースが上がって、下りでまた上がって、その後の平地では力みもちょっと出てしまって動きが良くなかったかなと。
――20キロ過ぎに法大の鎌田航生選手と塩澤選手が抜け出し、そこから3秒ほど遅れて第2集団を形成しました。その辺りの走りについては
そこはもう本当にきつくて、正直その集団からも離れたいくらいだったんですけど、相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積) から「流れが大事だから」という声掛けがあって。ここは我慢しないとだめだなと思ってとりあえずこの集団からは離れられないなと。
――区間順位に関してどう評価しますか
区間賞を取りたかったですし、(区間)3、4、5位はあまり差がなくて、中継所がもう少し広ければ3位もいけたかなという感じなのですが、狭くてそれ以上上げようもなくて。そこはもう渡しやすさを考えました。本来だったら塩澤さんたちについていればもっと面白いレース展開ができたなと思います。
2区太田直希(スポ3=静岡・浜松日体)
――チームの結果を率直に振り返っていかがですか
もっとうまくいけば3番も狙えたと思うので、ラスト勝ってくれてうれしかったですが、冷静に振り返ればもっといけたんじゃないかなというのが今の感想です。
――ご自身の走りについて、調子はいかがでしたか
良くも悪くもなくという感じでした。練習はできていたので調子は悪くはなかったかなと思うんですが、どうしても日本選手権に一回ピークが合ってしまって、そこから箱根に合わせるとなると20キロという距離にもなかなか対応しきれなかったというのが出ましたね。
――タスキを受け取った時は5番手でした
井川が5位以内で来てくれるということを監督から言われていたので、自分のところでもっと勢いをつけられれば往路優勝も見えてくるのかなと思っていました。
――序盤は集団の前方に位置していました。ご自身のリズムで走れていましたか
集団の前にいた時は走っていてなかなか体が動かないというふうに感じていて、そこが少しネガティブになってしまったのも今回の結果につながっているのかなと思っています。
――5、6キロあたりで後ろを軽く見ている様子がうかがえましたが
集団の人数がどれくらいかというのと、周りの人の表情などから余裕度を見ていました。あの時は池田さん(池田耀平、日体大4年)が前に出てくれて、まずは自分がうまく勢いをもらえるようにと考えていました。
――池田選手が前に出た時はどのような心境でしたか
給水の場面で前に出ていて、あの時ついていればもっと区間順位が良かったのかもしれないですが、やっぱり体が動かないと感じて自重してしまったところはあったと思います。
――権太坂では集団から離れていました。あの場面はやはりきつかったのですか
そうですね、なかなかうまくリズムを切り替えられなくて。本当は上りはピッチで上った方がいいと思うんですが、ストライドが間延びしてしまって、なかなか前の選手のペースに合わせられなくて。でも前は勢いよくどんどんいっていたので、そこで離れてしまいましたね。
――それ以降の展開はどうでしたか
残り8キロのところは単独走で、前も点々としている感じでした。城西、順天堂大など後ろも来ていたので、そこに負けちゃいけないとは思っていました。
――中継所にタスキを届けるときはどのような心境でしたか
自分のところで5つも順位を落としてしまったし、1区の流れを受け渡すよりかは壊してしまったと思って、本当に申し訳ないという思いでした。
――往路11位という結果を振り返っていかがですか
その順位になったのも、自分がもっといい順位で渡していれば全然結果も変わってきたと思うので、自分の力不足が原因かなと感じました。
――3年目の箱根となりました。振り返って、チームへの思いなどはいかがですか
今年はもしかしたら往路優勝ができるかもと言われていた中であの順位になってしまって、ミスのない駅伝をしたら創価大学みたいに往路優勝できていたと思うので、やっぱり箱根はミスが許されないのかなと感じました。
3区中谷雄飛(スポ3=長野・佐久長聖)
――チームの順位に対して率直なお気持ちは
本当に一時はどうなるかなと思いました。チームとして厳しい状況の区間もありましたが、本当に復路の選手がベストを尽くして何とか6位まで上がってこられたということは良かったと思います。底力を示すことが出来たかなと思います。
――3区の出走が決まったのはいつ頃でしたか
12月31日だったと思います。
――監督からは、どのような指示がありましたか
前半から突っ込んでいって後から粘るということしかなかったと思います。
――当日の調子はいかがでしたか
練習自体はいいかたちで継続して出来ていたのですが、なかなか調子は上がってこなくて、前日の刺激走を走ってみても、体が動かない、本調子ではないなと感じていました。
――前半から先ほどのプラン通りに走れていたのでしょうか
監督からは10キロメートルの入りで27分台、28分台一桁出してからその後は1キロあたり2分50秒前後で押していくという指示を受けていました。その時に出せるスピードで突っ込んだのですが、なかなか体が動かず、実際にはギリギリ28分台という入りになってしまいました。
――後半は切り替えることが出来ましたか
かなりいっぱいいっぱいで、向かい風も強くて、さらに前の選手ともなかなか差が詰められていなかったこともあり、精神的にも肉体的にもペースを上げることが厳しかったです。
――ご自身の結果を総合的に振り返って
エースと言っていただいている以上、区間6番でチームの順位も8番までしか押し上げられなかったことは全然ダメだったなと思います。自分自身の力不足に対して悔しさを感じています。
――来シーズンに向けて
練習が詰めていることは、これからも継続出来るようにしていきたいです。また今回のレースでもそうでしたが、後半脚が全く残っておらず、とてもしんどかったので、もう少し、体づくり、基礎作りをやり直す感じで、少し休んでからまた頑張りたいと思っています。
4区鈴木創士(スポ2=静岡・浜松日体)
――今年は往路4区での出走となりましたが、伝えられた時はいかがでしたか
2区の想定もしていたので、4区と言われて「やるぞ!」という気持ちでした。
――レース直前のコンディションなどはいかがでしたか
調子は良かったです。
――レースプランは立てていましたか
レースプランは立ててはいました。最初ビューンと行って、10〜15(キロ付近で)もう1回ぐわーっと行って、最後は粘ろうみたいな、結構ざっくりした感じでした。イメージとしては、(前の走者が)先頭で来るか、自分で先頭に立つかなと思っていました。
――では、実際にタスキを受けた時はどのようなことを考えていたのでしょうか
8位という位置でもらったので、少しでも順位を上げて、1秒でも早く山に渡すということと、東洋大、東海大といった山(登りの区間)に強い選手がいるところに追いついて、抜くところまで考えて、リードを広げられたらいいなと思っていました。
――前半はあまりスピードが上がっていないように見えましたが、ご自身ではどのように感じられていましたか
本当にびっくりしたんですよ(笑)。相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)に最初の3キロで「8分50」って言われて、どうしようかな、みんなにどう土下座して謝ろうかなと思いました。でも、他のみんなもそうだったみたいですが、ただ、それでも僕はキツイと感じていていました。隣で順大の石井くん(一希、1年)が走っていて、彼よりもキツイような状況だったのでヤバイなという印象でしたね。
――では、どのあたりで調子を取り戻していく感覚があったんでしょうか
5キロ地点で、仙骨の痛みを感じながら走っていたことがスピードが上がらなかった原因かなと思います。でも途中の10キロか、そこを過ぎた後で痛みがなくなったので、それが(良くなった)要因だと思います。
――中盤以降、順位をどんどん上げていきましたが、どの辺りから前の選手を抜けると感じたんでしょうか
15キロ地点ですね。15キロ地点で、順大の石井くんにもう一度追いついたんですけど、石井くんも結構頑張って?川さん(洋次、東洋大4年)と距離を詰めていたので、「あ、?川さんもうすぐ見える」と。すぐに追いつけると思って、そこまで(自分の走りが)全然ダメだなと感じていたので、ダッシュしようと思いました。15キロの地点で橋があるんですけど、そこでダッシュして、全力出し切りました(笑)。
――残り5キロを残してですか
はい。白井(航平、文2=愛知・豊橋東)が給水だったんですけど、その後でダッシュしました。そしたら、そこからリズムに乗って、東洋大抜いたら帝京大も見えて、そこも抜いたら東海大も見ていたので、抜けると思って(走りました)。僕はもう、ずっとダッシュの連続みたいなイメージで、自分を極限まで追い込んでいました。
――結果として、区間3位で5人抜きでしたが、これについては振り返っていかがですか
結果としては、嬉しいというよりも悔しいが勝っています。ただ、箱根駅伝が終わって自分がしたい最低限の仕事はできたので、ホッと安心してます。
――今大会でも、ご自身の強みである粘り強い走りが発揮されていたように感じますが、ご自身ではいかがですか
そうなんですよね。宍倉さん(健浩、スポ4=東京・早実)とか、千明さん(龍之佑、スポ3=群馬・東農大二)も最初結構遅かったので、僕のまねしてるのかと思いました。
――最後に、今後に向けて意気込みをお願いします
来年度もコロナの影響でどうなるか分からない部分があるんですけど、昨年度立てた関カレ(関東学生対校選手権)でハーフ優勝するとか、ユニバーシアードで世界大会に出れたらいいなと思ってます。駅伝では3冠したいです。
5区諸冨湧(文1=京都・洛南)
――初めての箱根でした。率直な感想は
一番に感じるところは、甘くはなかったというところです。
――5区と言われたときのお気持ちは
もちろん早い段階から準備はしていたので、直前までわからない状況ではあったんですけど、精神的な準備というのはしっかりできていたかなと思います。
――監督からの指示を受けたり、ご自身で考えていたレースプランはありましたか
前半落ち着いていくというところだけはありましたが、他は臨機応変にという感じでした。
――登りに入る前の平地区間では、東洋大の宮下選手につけるような積極的な走りが見られたと思いますが、そこに関して振り返っていただけますか
かなり向かい風が強く吹いていたので、宮下選手が速いということはわかっていたんですけど、登りに入ってからは少し風も止むだろうと思っていたので、平地の開けている部分は人に付いて、宮下さんは体格もいいので風よけに使って、山中から自分のリズムで走ろうと思って序盤は展開しました
――3位という好位置でタスキをもらいましたが、結果的には11位でゴールというかたちになりました
やっぱり準備の段階から、箱根というレースに向けての自分の意識が不十分だったというのが自分の失速の大きな原因だったのかなと思います。
――山登りの難しさというのは、想像していたより大きかったですか
足が止まってしまってから立て直すことができなかったのは、山の難しさというのもそうですが、僕自身の心の弱さだったり単純な走力の面だったり、特に箱根の特殊区間で、重要な山を登るという5区において、準備が完全に欠けていたのかなと思います。
――どのような準備が足りなかったと感じていますか
技術的、競技的に言うと年間を通して距離を踏めていなかったこと、脚づくりの面でかなり不足していたということだと思います。意識的な面では、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)や全カレ(日本学生対校選手権)、いろいろな記録会に出場してきましたけど、箱根だけは本当に次元の違う、レベルの違う大会ということを1年生ということで理解しきれてなかったところがありました。またそれらの大会でうまく走れていたということもあって、精神的な油断につながってしまい、それが失速につながった一つの要因なのかなと思います。
――来年の箱根に向けて、意気込みをお願いします
来年のことはまだ分からないですけど、考えるならチャレンジするという気持ちでやりたいと思っています。ただまずはトラックシーズンがその前にあるので、目の前のことを一つ一つまた確実にやっていくこと、それと今回反省点だった距離を踏むというところは確実に夏合宿のあたりからは意識して取り組んでいかなくてはならないなと感じたので、箱根を見据えて1年間やっていければなと思います。
6区北村光(スポ1=群馬・樹徳)
――初の箱根を終えた感想は
往路が終わった時点で11位と厳しい状況にはあったのですが、目標としていたタイムを切れましたし、いい復路のスタートを切れたのではないかなと思います。
――目標としていたタイムとは
自分の目標の最高は、58分30秒切りです。相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)とレース前に話していた時に59分は切ろうと話をしていました。58分55秒ということで、大方の目標は達成できたのではないかと思います。
――前日の往路、5区で同期の諸冨湧(文1=京都・洛南)選手が思うような走りをできませんでしたが、どのように往路の結果を見ていましたか
諸冨が3番でスタートし、彼も上りに自信あると話していたので結構いい順位でくるかなと思っていたのですが、本調子でなかったのかは分からないですが、ちょっと苦戦をしていたので、その分も頑張らないとなとは思いました。
――1年生としては6区歴代5番目のタイムですが、その点はどのように感じますか
下りには結構自信があったので率直にうれしいですし、来年もう一回走るならば、そのタイムを大きく超えられる走りをしたいなと思います。
――6区初めは上りが続きますが、そこの走りについて振り返っていかがですか
前の拓殖大の選手を目印にして走っていたら、前半の5キロをかなり遅く入ってしまいました。予定より20秒弱遅かったので、そこと、ラストの平地に入ってからの走りをもう少し改善できればまだまだタイムを更新できると思います。来年以降、その点を強化して臨んでいきたいと思います。
――青学大に下りに入る直前に追い付かれ、下りに入ってからギアを入れ替えたように感じましたが
5キロまでタイムを見ていなくて、自分のペースが遅いと5キロの段階で分かったので、下りに入ってからしっかり切り替えて走っていこうと思いました。
――どの程度、今回自分の思い描く走りを体現できましたか
上りとラストの平地を除いた下りの部分だけだと、区間3、4番相当の走りだったみたいなので、初にしては結構走れたほうなのかなと思います。
――下りを終えた後の平地では相楽監督から指示が飛んでいましたが
あそこでもう一回ギアチェンジできましたし、自分の走っている区間の順位とかも教えていただいて、もうひと踏ん張りできました。
――1年生として58分台のタイムを残せたことは、今後のチームに向けて弾みがつく結果かなと思いますが
早稲田は山で苦戦する部分があるのですが、下りは自分がいけると今回証明できたと思います。来年走るとしたら、58分31秒の早大記録を更新する勢いで走りたいと思っています。
――最後に来年に向けて意気込みをお願いします
来年はU20の世界選手権があって、自分は早生まれなので、そのステージを狙いたいです。また5000メートル、1万メートル、3000メートル障害と全部の種目でまた自己ベストを更新したいです。箱根駅伝では大活躍できる走りをしたいです。
7区宍倉健浩(スポ4=東京・早実)
――チームをシード圏内に引き上げました。今の心境をお聞かせください
チームとしては3位以内を狙っていて、今年は優勝も目指せるという気持ちで準備していたので、その点に関してすごく悔しい結果になったと思っています。
――コンディションはいかがでしたか
集中練習を含めて練習はしっかりやっていたので最低限の走りはできると思っていましたが、28分16秒を出した記録会の時の調子に比べたら調子が上がりきらなかったかなと思っています。
――その原因は何だとお考えですか
1年間を通して練習を積めなかった、特に夏合宿も思うようにできていませんでした。それがこの箱根の20km以上の距離になった時に、結果として出たかなと思います。
――7区の出走を告げられたタイミングはいつでしたか
正式に言われたのは数日前です。特に何もなければ7区でいくと思うという言われ方は2週間くらい前からされていました。
――後半ペースが上がっていったように見えましたが、もともとそのようなレースプランを予定していたのでしょうか
特にそこまで考えていたわけではなく、監督からは15キロから勝負だぞという話はされていたので、後半6キロは粘ってペースを上げる準備はしていました。前半の入りに関しては単純に身体があまり動かなくて、思っていたよりも自分の調子が良くなくて、自分の想定していたペースより遅く入ってしまいました。
――18キロくらいで神奈川大学に追い付いて、その後は単独10位に躍り出ました。その時神奈川大学を引き離すためにペースを上げるなどは意識しましたか
基本的には最初の3キロくらいからずっとペースは維持するので精いっぱいだったので、維持し続けていくのがどんどん苦しくなっていったという感じでした。あれ以上ペースも上げられないし、あれ以上落としてもいけないからひたすらだいたい1キロ3分くらいのペースで粘り続けていました。
――最後はその時点で9位の帝京大学に迫る走りでした。帝京大学の選手はどのくらいから見えて、どのように意識していましたか
帝京大学に関しては、スタート地点から前に見えていて、そこからずっと追いかける形で走り続けていました。自分のペースが前半上がらなくて、青山学院大学が帝京に追い付いて青学と一緒に走っていたこともあり、前半は帝京からどんどん離れていくのを前で見続けていました。だいたい10キロ手前くらいからずっと帝京と差が変わらないまま最後までずっと走っていて、ラスト3キロくらいで帝京がどんどん近づいてきたので、そこから気持ちだけで追い付きました。
――4年生では唯一の出場でした。それに関してどのように感じていましたか
僕らの学年は入学してからずっと弱いと言われてきていました。下の学年は強い、高校時代から実績のあるような人たちが入ってきていたので、今回出走する人数やエントリーする人数が少なくなるというのは覚悟していました。でも自分一人しか(出場する4年生が)いないというのは、よくも悪くも自分しか4年生として出走してこのチームを引っ張るということができないので、それは他の4年生の分もという気持ちになりました。
――おとといの部員日記には同期への想いを書いていましたし、実際に付き添いは4年生の住吉宙樹(政経4=東京・早大学院)選手でした。どのような言葉をかけられましたか
住吉からはひたすら「お前は大丈夫、いける」としか言われてませんでした。もともと仲良いので、それをひたすら言われていつも通りの感じでした。
――復路全体を振り返っていかがですか
復路に関しては、すごく良くやってくれたなと思っています。追いかける展開は駅伝だと難しい部分もありますが、その中でもしっかりみんな区間1桁で持ってきてくれたので、あの展開の中では十分やったと思います。
――チームとして箱根全体を振り返っていかがですか
きょうの結果というのが今年1年間4年生が作ってきたチームでやってきたことの結果の全てだったのかなと思っています。結果が出た部分も出なかった部分も、それぞれ僕ら4年生がやってきた良い部分と悪い部分が全部出たかなと思います。
――最後にこれからの早大競走部を担う後輩たちへのメッセージをお願いします
今年4年生が僕一人だけで、来年以降今年走った9人が残って、他にも3大駅伝やインカレを経験している人がいます。今年これだけうまくいかない部分がありながらもシードをしっかり取れる6位という結果になったので、来年は本当に優勝争いできるのかなと思っています。来年は3位以内という目標を立てるのではなく、優勝という目標を立てて取り組んでほしいなと思います。
8区千明龍之佑(スポ3=群馬・東農大二)
――チームの結果についてどう感じていますか
前日の往路で少しつまずいてしまったので、そこで復路はしっかり挽回できるようにとは復路のメンバーで話していました。復路優勝を狙っていけば自ずとシード圏内に、3位以内も現実的な数字に見えてくると思っていたので、まずは復路優勝をしっかり狙っていこうというのは復路のメンバーと話していました。
――調子はいかがでしたか
しっかり練習も積めていて、調子は良かったと感じています。試合にはけがをして出ていなかったので、そこは唯一の心配な点ではあったのですけれど、おおかた調子は良かったのかなと思っていました。
――事前のレースプランや相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)からの指示はありましたか
しっかりと後半上げていけるようにレースを進めていくというのは大前提で、その中でも10キロを余裕をもって入ることと、10キロを29分30秒、40秒前後で余裕をもっては入れればいいよねっていう話はしていました。15キロからの5キロの遊行寺の上り坂は意識していました。
――シード権争いが激しかったがどのような気持ちでしたか
往路が終わった時点で前も後ろも詰まっていたので、ある程度は想定内のことだったので、そこまで慌てることはなかったです。前も詰まっていたので、しっかりと(前を)追っていけばシード圏内にさらに持っていけることができるなと思っていたので、そこは落ち着いていました。
――帝京大と離され、神奈川大が迫ってきた序盤の走りを振り返っていかがですか
前半でしっかりと帝京大に追い付きたかったのですが、3キロ、5キロとなかなか追いつくことができなくて、それと同時にわき腹が少し痛くなってしまっていて、10キロまではそのお腹の痛みのせいでうまくスピードに乗ることができずにいて、5割くらいの力で走っているような感覚でした。それがやっと10キロ過ぎたあたりからよくなってきて、そのあたりからだんだんとリズムがつかめてきて、普段通りのピッチとストライドで走ることができたので、前半そういった部分ではもったいない走りだったと感じています。
――ペースアップした遊行寺の坂以降の走りはどう振り返りますか
後ろの相楽さんからも遊行寺からの5キロは意識的に上げていくという指示が出ていて、自分もまだ10キロ(まで)の余裕が残っていました。後ろの神奈川大とは詰まっていたのですが、遊行寺でしっかり離せるように意識的にペースを上げて、遊行寺とその後の上り坂でどんどん前を追っていきました。
――帝京大にはどこで追いつきましたか
残り5キロくらいで帝京大の運営管理車がだんだん大きくなってきて、そこから相楽さんが帝京と詰まっているからしっかり抜かして小指(卓也、スポ2=福島・学法石川)にタスキを渡そうという指示がありました。それと同時に区間10位から区間5位に上がってきているというのを知ることができました。残り1キロを切ったあたりで捉えて、残り800メートルで抜かしたって感じですかね。
――追いついた時はどのような心境でしたか
帝京(の選手)も僕も全く余裕がない状態で、最後の最後まで粘られていました。ラストの下り坂で意識的にスパートをかけて、小指に1秒でも早く(タスキを)渡せるようにというのは考えていました。
――区間5位で1時間4分55秒という結果についてはどのように感じていますか
結果的には早稲田記録だったのですが、前半全然突っ込めていないレースだったので、そこはもう少し更新できたのではないかと思う反面、初めてこういう10キロを抑えて入るというレースをして、後半しり上がりにあがることができたっていうのは、自分の中でも初めてのことで新鮮なことでした。ラストの5キロは区間1位くらいのスピードで上がることができたので、一つのレースプランとしてこういう形で結果を残せたということは今後に活かしていけるのではないかと思うので、満足はしてないですが、最低限走れたという感想です。
――来季は駅伝主将に就任されます。そこへの想いはいかがですか
昨年もそうだったのですが、まだ上を狙えるというところでいつもゴールをしてしまっていて、ミスの少ないレースがここ最近ではできていないです。今年のチームはミスを少なくして、駅伝でしっかり常に上位でトップ争いをできるようなチームを個人としては目指していきたいので、そういうことをチームに共有して、更には三冠というところも目指していきたいと思っています。
9区小指卓也(スポ2=福島・学法石川)
――当日の区間変更で9区での出走となりましたが、出走を聞いた時はどのようなお気持ちでしたか
練習の中でも上位の方に食い込める、など練習できていた実感があったので、いつでも出走できるという心構えでした。その中で指名されたので嬉しかったですし、相楽監督も不安があったと思うのですが、自分を信じて任せてくれたので、その想いに応えたいと考えていました。9区の走り方は、最低限のレース設定をしていたくらいであまり考えていませんでした。それよりも、全体の流れによって求められる走り方は変わってくると思ったので、状況に応じて臨機応変に走ることを意識していました。
――前半から小指選手の積極性が伝わるスピード感のある走りでしたが意識していらっしゃいましたか
下り坂だったので、めちゃくちゃスピードを出そうとしていたというよりかは、軽く走ってあの感じでした。丁度いい入りができたイメージです。
――中盤は、帝京大と国学院大を引き連れて走る展開となりました。並走している時はどのようなことを考えて走っていましたか
ずっと自分でペースを作って引っ張っていく展開で、正直向かい風がしんどくて誰か前に出てほしいという思いもありました。勝負の世界なのでそれは叶わず、自分のリズムで前を追って積極的に走ることを考えていました。
――10キロの給水地点で向井さんからもらった後、後ろを振り返っての笑顔が印象的でした。何か笑顔の理由はあったのでしょうか
水を飲んでいる時に顔面に浴びてしまいむせたからです。鼻にも水が入って溺れるような状態でした。その時に向井さんが何か言っていたのですが、聞き取れなかったのであのように笑っていました。
――横浜駅の地点から山口選手にタスキを渡すまで、帝京大、東京国際大、順天堂大との競り合いが続いていったと思うのですが、振り返っていかがですか
18キロ過ぎまでは自分が先頭を引っ張り、帝京大と東京国際大とともに順天堂大を追いかける展開でしたが、途中で東京国際大学が離れていきました。残り5キロ付近で自分のラップタイムが落ちたこともあり、帝京大だけが前に出て、順天堂大に追いつきました。最後は帝京大がスパートをかけたので、何とか追いつこうと付いていって、結果として順天堂大を振り切って帝京大と2、3秒差でタスキを渡しました。
――自身の走りを振り返って何点をあげたいですか
70点ですかね。向かい風とは言えど、ペースはもう少し早く上げたかったです。あと、帝京大に使われて負けてしまったのが悔しかったですね。逆に23キロという未知の距離でしたが、中間地点でも余裕持って走れて、距離に対応して走れたのが良かったです。
――チームの総合6位という順位についてはどう捉えていますか
3位を目標にしていたから悔しかった部分もあります。しかし、同期の井川(龍人・スポ2=熊本・九州学院)や鈴木(創士・スポ2=静岡・浜松日体)が好走してくれたなど、来年に向けての収穫が見えたところは良かったです。また、復路では1年の北村が好走してくれたおかげでその勢いに続いて全員頑張れたところも良かったですね。
――最後に、来年の箱根に向けて更にレベルアップしていきたい点はありますか
23キロを走ってみて、思っていたよりはスタミナが付いていることを感じられたのですが、スパートをかけるスタミナがもう少しあればという気持ちでした。なので、来年は地道な練習や泥臭い練習も徹底して行い、スタミナに対する不安をなくした状態で自信を持ってスタートラインに立ちたいです。
10区山口賢助(文3=鹿児島・鶴丸)
――アンカーの役割についてはどのように捉えていましたか
往路が11位ということで前を追うしかない展開になることは分かっていたので、後ろを向けばシード争いの位置だったんですけど、そこでシードを守る走りではなくとにかく上を目指す走りをしようと思ってスタートしました。
――レース時のコンディションは
12月の頭に少し怪我はしてしまったのですが、やるべきことはやってこられたと思っていますし、状態もいつもの試合に臨む時と変わらずに迎えられました。
――レースプランの想定はありましたか
本音を言えば区間賞は絶対取りたいと思っていて、 区間記録が目安になるかなと思っていました。1分ちょっと前にいた東海大がいたのでそこをまず目指していたのですが、 思いのほか(ペースを)上げることが出来なかったという感じですね。
――監督からは何かアドバイスはありましたか
走る前には、事前に話した通りしっかり最初から突っ込む走りをしていいけど、集団になると思うから、もしそこで相手が離れなかったら逆に相手を前に行かせて勝ち切ることに集中してもいいと言われていました。
――最終的には後者のプランに切り替えたということでしょうか
確か19キロくらいまではずっと自分が前に行かせずに引っ張っていて、 自分の方が力が上だという思いがずっとあったので前に行かせたくない気持ちで走っていたのですが、そこで国学院大に追いつかれてからは確実に6位を掴みに行く方針に切り替えましたね。
――今大会を欠場した吉田匠(スポ4=京都・洛南)主将から給水をもらいました。何か声はかけられましたか
前の東海さんを追えるぞ、抜けるぞ、と声を掛けてもらいましたね。なかなか後ろを引き離せず自分の走りができないことに動揺していた部分もあったのですが、吉田さんの顔を見て水をもらって、「こんな弱気になっていたらダメだ」という気持ちになってそこで一回ペースを切り替えることができたので、すごく力になりました。
――最後はこれまで課題としていたスパートで集団から抜け出し、6位でゴールしました
ちぐはぐにはなってしまうのですが、 自分でペースを作って引っ張っていた割にはすごく余力があったので 、余力があったことで勝ち切れることができたかなという気持ちも半分あります。もう半分は、最後あれだけ引き離すことができたのは、自分が課題としていたところが改善できたかなと思う気持ちです。
――改めて今回の走りで良かった所、悪かった所について教えてください
終始強気の姿勢で前を譲らずに走り続けて、アンカーとしての役割は最後勝ち切ることだったのでそれは達成できたのは本当に良かったと思っています。一方で、1万メートルのランキングでは自分が1位だったので、正直区間賞は絶対に取りたいと思っていたのですが、なかなかペースが上げられず、全日本の時と同じような走りとなってしまいました。ある程度自分の力はあると思うんですけど、それが思ったとおりにできなかったことが悪かったところかなと思います。
――ペースが上がらなかった原因について思い当たるところはありますか
ずっと自分の中ではある程度いい感じのペースで走っているつもりでいたのですが、タイムが遅いから当たり前なんですけど最後までずっと楽ではあって、全日本の時も今回も出力を上げる所で自分の中でどこかブレーキをかけてしまっている部分があるのかなと思っています。速いペースでついていくことは出来るのですが、単独走になった時にそれができないのが課題だと思っています。
――全日本、箱根ともにアンカーということで2度ゴールテープを切りましたが、ゴールした後の気持ちは違うものですか
結局、全日本のときも今回も最後のスパート争いになったので、正直ゴールした直後は勝ち切れてほっとしたという気持ちが一番大きかったです。でも絶対全員抜いてくると武士さん(武士文哉主務・文4=群馬・高崎)にも言ってたのですがそれができなくて、ゴールしてから武士さんの顔を見たときに申し訳ない気持ちが強くなりました。
――チームの順位は6位で、区間順位は7位だったと思いますが、この結果についてどう捉えていますか
チームの6位という順位に関しては、全体を通して想定通りに行ってない部分が多かったかなと思います。力をしっかり出し切れたという人がいない中で、評価は難しい所なんですけど、来年それを改善できれば必ず優勝は狙える順位だったかなと思いました。個人の区間7位という順位に関しては、ラスト4キロはペースが3分半くらいまで落ちるような時もあって最後スパート合戦みたいな感じだったので、正直区間順位はあまり気にしてないですね。