【連載】箱根事前特集『臙脂の誇りを取り戻す』第15回 向井悠介

駅伝

 小豆島から上京して早3年。向井悠介(スポ3=香川・小豆島中央)は今年着実に成長を遂げ、5000メートルで3年ぶり、1万メートル2年ぶりに自己記録を更新した。1年時から東京箱根間往復大学駅伝(箱根)のエントリーメンバーに名を連ねながら、3大駅伝出走がかなわず苦汁をなめてきた3年間。上級生となって迎える大舞台を前に、今何を思うのか。昨年の苦労から今季の成長の要因、さらには故郷への思いなど、ざっくばらんにお話を伺った。

※この取材は11月29日に行われたものです。

『勝負の年』

12月20日の合同取材にて

――集中練習が始まりましたが、手ごたえはいかがですか

 3年目ということで少しずつ要領がわかってきているので、準備の方法であったり、一つ一つの練習の意図などはけっこう理解してやれています。現状は調子も上がっているので、大体の消化具合としてはいいと思います。今年は高速化が進んでいる中で設定(タイム)も例年より上がっているので、そこは少しきつい部分かなと思いますが、全体的に見ると比較的消化できているかなと思います。

――部員日記で「今季は『勝負の年』と位置付けている」と書かれていましたが、どのような思いで臨んでいますか

 4年で結果を残すためには3年生でしっかりと経験を踏むということが一番大事なことだと考えています。当然3年で試合に出るからには結果を目指すのですが、まず3年で箱根駅伝に出走するというのはかなり重要だと思うので、『勝負の年』と位置付けています。

――自粛明けから住吉宙樹選手(政経4=東京・早実)や室伏祐吾選手(商3=東京・早実)と組になって練習されているそうですが、どのような狙いがあるのでしょうか

 個人的な狙いというよりは監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)の狙いに近いと思うのですが、(2人とは)タイプ的に言うと似ていて、スピードでガンガン攻めていくタイプというよりは、じっくりと距離を踏んで、距離からタイムにアプローチしていくというタイプだと思っています。同じようなタイプの人たちと練習して競い合うことで競技力の向上を目指すというのが、3人でやっている意味なのかなと思います。

――それはどのくらいの期間行っていたのですか

 まちまちですが、基本的にはずっと一緒にやっていましたね。集中練習は大体(みんな)一緒ですが、集中練習に入る前までは自粛明けからずっと一緒に練習していたという感じですね。

――今年の夏は例年と違う動きになったと思いますが、どのように練習を積んでいましたか

 コロナで合宿ができないというのが例年と比べて大きく違うところでした。暑いタフな環境下で、たくさん距離を走るということはできなかったので、ある程度の練習量を確保するというところをコンセプトにおいて練習に取り組んでいました。暑いタフなコンディションの中で練習すると毛細血管系が広がって呼吸機能が向上するということを相楽さんがずっとおっしゃっていて、そこを暑い環境の中でやる目的として夏は取り組んでいました。

――その効果を感じられる部分はありましたか

 一番感じたのは9月に菅平に合宿に行ったときですね。普段であったら気温が下がる(※走りやすい)けど高地(※走りにくい)という感じで結果的に調子はトントンというか、上がってくる実感はなかったのですが、今年は菅平に上がって涼しくなった瞬間自分も含めてみんな調子が上がったので、そこが一番実感した部分ではないかなと思います。

『本質的な自主性』

――今季は5000メートルと1万メートルで自己ベストを記録しました。どう感じていますか

 特に5000の方が個人的にはうれしかったです。5000は高3からベストが出ていなかったので、3年ぶりにベストが出たというのが自分の中で自信につながって、それが1万の好記録にもつながったのかなと思っています。周りを見てみるとみんなかなりいいタイムで走っているので、一途に喜んでいるというよりは結構焦りとかも感じているのですが、自分の中で見てみると一つのきっかけになるレースだったのかなと思います。

――5000メートルで久々に自己ベストが出たというのは、課題のスピード面が改善されてきているということなのでしょうか

 そうですね、一番変わったところの一つだとは思います。自粛明け以降フィジカル面の強化とスピードの強化を意識して練習していたのですが、400メートルのインターバルなどの練習で少しずつ対応できるスピード自体が上がってきている感じがあって、それがレースの結果に出たのかなと思っています。

――5000メートルは約3年ぶり、1万メートルは約2年ぶりの自己ベストとなりました。なかなか出せなかったのが今年出せたというのはどのような要因がありますか

 まず3年生で『勝負の年』と位置付けて練習に取り組んでいたという意識の部分が一番大きくて、もう一つは考え方ですかね。これまでの2年間はただ漠然と与えられたメニューをこなして、試合で結果を残したいとただ漠然と思っていたような状態だったのでした。今年はコロナの自粛期間などで自分で考える時間がだいぶ増えて、そこでレースで結果を残すためにどうすればいいかというのを考えて、自分で自信を持ってスタートラインに立てるように取り組んでいきました。自分の考えやポリシーに合った考え方、レースに向けての準備というのが少しずつできるようになってきたというのが、これまでと今とで一番変わった部分なのかなと思っています。

――先日21.1キロのタイムトライアルで1時間3分59秒という結果でした。手応えなどはいかがでしたか

 これも微妙な感じで、一応63分台を出せたというのは良かったのですが、前日の1万の記録会でみんなが好記録を出していたり、一緒に走った諸富(湧、文1=京都・洛南)や吉田さん(匠駅伝主将、スポ4=京都・洛南)に負けてしまったという面、それと予選会で好記録を出した他大の選手というようにいろいろと見た結果、このタイムというのはすごく評価できるタイムではないと思っています。ですが一応自己ベスト(相当のタイム)を出して、大きく崩れることはなかったという点は評価できる点だと思うので、ギリギリ及第点というか、自分の中では60点くらいなのかなと思います。

――タイムトライアルのレースはどのような展開でしたか

 基本的には3分ペースをベースに進んでいったという感じで、吉田さんが主に引っ張ってくれたのですが、その3分ペースに付いていけない人がどんどん離れていくという感じのレース展開でした。僕自身としては14キロくらいできつくて離れたのですが、離れてからは3分ペースとまではいかずとも3分1桁で押してまとめて、そのままゴールしたという感じですかね。

――先ほどのお話にもありましたが、他のチームメートが好記録を出されています。その要因は何だと考えていますか

 1つ目は自粛期間で一人一人が考えるようになったということですかね。与えられたメニューをやっていくということではなくて、与えられたメニューの中で自分でどう消化して、自分にとって一番ベストな選択をするということが一人一人できるようになってきたのだと思います。もう一つはやっぱり靴の効果が大きいのかなとは思うのですが、そこは技術の部分と、一人一人の考え方であったり競技に対する姿勢というのが合わさって、大きく記録が伸びた人が多いのではないかなと考えています。

――早大はもともと自主性を重んじるような雰囲気があったかと思うのですが、それがより強くなったということなのでしょうか

 そうですね、実際に自由度は高くなっているという部分はあると思います。練習メニューに関しても自分で選択する場面であったりとか、各自の練習というのが増えていますし、そういう体制としての自由度も増していると思うのですが、同じ練習だとしても向き合う姿勢というか、練習量をこなすだけではなくて、「こういう走りがしたいから、そのためにはこういう練習をしてこういう消化をするといい」というような、練習に対する考え方も、他の人のことはそこまでわかりませんが、僕の中ではそういう面で変わったのかなと。『本質的な自主性』が出てきたのかなと思います。

――同期や下級生の選手が全日本大学駅伝対校選手権(全日本)で好走を見せていました。それを見てどのように感じられていましたか

 結果が出ていることは普通に喜ばしいことなのですが、正直自分の中では純粋に喜べない部分は確かにありましたね。自分がここで走っていたいとか、特に山口(賢助、文2=鹿児島・鶴丸)であったり、今まで一緒に練習してきていた連中が走って好記録を残しているというのは、やっぱり自分の中では負けていられないという気持ちになりました。

「『こいつなら何かやってくれる』という人間になりたい」

前回大会はメンバー外となったが、2月の青梅マラソンで好走を見せた

――昨年の振り返りもお伺いしていきたいと思います。1年時の箱根ではメンバー入りしたもののあと一歩で出走できず、「実績の無さが要因で、2年ではトラックシーズンから結果を出したい」と話されていました。その中でなかなか実績を残せませんでしが、どのように感じられていたのでしょうか。

 正直2年生の時は一番苦しい時期がずっと続いていました。予選会には出走しましたがいい結果を残すことはできなくて、自分の中でただ日々を消化するだけというか、具体的なモチベーションみたいなものをなかなかつかむことができていなかったかなと思います。

――いろいろな選手から「一番練習している」などという声をよくお伺いするのですが、それをしていく中でも辛い部分があったのでしょうか

 一番辛い、きつい理由というのが、『練習をしても結果につながっていない』ということころだと思います。練習はしっかりして、監督を含め周りにはある程度認められているとは感じていたのですが、それを結果に残せないと使ってくれないというところはあると思うので。自分の中でちゃんと練習して(周りにも)認められているけど、結果も残せずに、予選会でも結果を残せず、箱根のメンバーにも入れず、そういう自分の中でのギャップに一番苦しんだのかなと思いますね。

――箱根でメンバーに入れなかったというお話がありましたが、当時はどのような気持ちでしたか

 当時は監督に直訴して、実際16人の中でも僕の方が走れていたという人も僕の中でいたのですが、監督には「お前は絶対に使わないと思ったからメンバーから外した」と言われて。そこで最終的に結果と実績が足りない部分なのかなと思ったので、試合で結果を残す人物というか、「こいつなら何かやってくれる」という人間になりたい、ならないと使ってもらえないんだなと感じましたね。

――当時は「途方に暮れてしまっていた」と昨年末のインタビューでお聞きしたのですが、そこからどう立て直しましたか

 すぐにはなかなか変えることができなかったというのが正直な感想なのですが、まずは自分の何がダメなのかということを考え直した結果、ただがむしゃらに練習量を増やすと言うだけでは結果につながらないということに至りました。同じ練習でも一回一回の練習に自分の中でコンセプトを持って、練習に取り組んだということが一つです。それと陸上に対する向き合い方ですね。特に漢祭りで優勝された伊澤さん(優人、令2社卒)などを見て、練習とか足の速さだけではない部分が陸上にはあるのかなというふうに感じました。どう取り組んだら強くなるのかということを考えて練習を少しずつ積み重ねていった結果、3年生でのベストとかにつながったのかなと思います。

――昨年末のインタビューで「練習日誌をもう一度丁寧につけてみている」というお話があったのですが、それは今も継続して行っているのでしょうか

 そうですね、今もしっかりと日誌をつけるということは意識しています。そこは(自分の取り組みを)振り返ることができる時間だと思うので、そこだけはしっかりやっていますね。

――技術的な部分では、「きつくなった時に動きが変わって崩れてしまう」という課題がありましたが、その改善についてはいかがでしょうか

 なかなかそこ自体を根本的に改善することは難しいなと感じているのですが、基礎的な筋力(強化)とか、それこそドリルであったり、そういう部分は自粛期間中から少しずつやってきています。根本的に改善できたとは言えないのですが、段階的には段々上のレベルになってきたというか、崩れてからも我慢は少しずつできるようになってきています。これは課題でもあるし、自分の中での伸びしろでもあるのかなと今は感じていますね。

解散期間中のトレーニング

――自粛期間の話をお伺いしたいのですが、ざっくりとどのように過ごされていましたか

 まず(地元に)帰ってすぐは足の状態も良くて走れていて、4月の上旬くらいまでは基礎的な足づくりをしていこうということで、地元はけっこう山道があるので、ロードのアップダウンを走るなどして地道にトレーニングを積んでいました。ですがそのアップダウンと、ずっとロードの固いところを走っていたということで、アキレス腱を痛めて走れなくなってしまいました。そこでメインを補強に切り替えて、器具を使ってしっかりとフィジカル系のトレーニングをしていました。特に上半身のトレーニングを重点的にやっていて、その後ちょっと走れるようになってから自粛明けみたいな感じになりました。大学に入ってから大きな故障というのはなかったのですが、久しぶりに故障をして1カ月半くらい走れない期間があったので、もう一回自分を振り返る機会になったというのが大きいですかね。周囲に競走部員もいないわけですし、自分で考えないといけないということで。練習面よりはそういう考え方の部分を深められたかなという感じですね。

――筋力トレーニングについて、部員日記で「特に肩甲帯が変わった」と書かれていましたが、肩甲帯の強化で走りにはどのようなプラスの効果がありますか

 一番は腕振りです。僕は疲れた時に腕振りが変わるのが癖なので、そこで力強く腕を振れるようになることで、足の引き付けや地面を捉える動作などの面で変わってきているのかなと感じましたね。

――肩甲帯の他に上半身の強化で走りにつながっているポイントはありますか

 体幹がブレなくなるというところですかね。腹筋系の補強で体幹はブレなくなって、安定した走りにつながっているのかなと考えています。

――自粛期間は他の部員のみなさんもそれぞれの地元に帰っていました。なかなかコミュニケーションは取りにくかったと思いますが、どういった方法で取っていましたか

 けがをする前は半澤(黎斗、スポ3=福島・学法石川)にLINEで、GARMINという走行距離のアプリがあるのですが、それをスクショして送り合って練習報告したりとかしていました。それと1回だけですが、同期の寮内メンバーでZoom飲み会をしましたね(笑)。

――出身校の小豆島中央高には箱根を目指している選手もいるかと思いますが、そういう地元の方と一緒に練習をするような機会はありましたか

 6月に入るくらいまでは基本的に学校は休みだったので、部活動ももちろん中止だったのですが、6月に入って以降2週間くらいは高校生と一緒に練習していましたね。

――高校生と練習をして感じたことや、コミュニケーションを取って感じたことはありますか

 大学に行ってから高校の時よりは補強や筋力トレーニングをあまりできていなかったのですが、高校生はメニューで基礎的な部分のトレーニングが多くて、そういう基礎的な部分が大事だというのを改めて強く認識するきっかけになりました。コミュニケーションとしては、昔は島のローカルの子たちばかりだったのですが、ここ数年で強くなってきて島外の子たちも結構来ていて、そこまで深い話はしていませんが、なかなかちょっと高校も変わってきているなという印象ですかね。

閑話休題――出身地や趣味について

――小豆島の良いところはどのようなところでしょうか

 観光地としてもいいと思いますが、(一番は)人ですかね。それこそコロナで帰ってきたときに、他の選手は走っていると「マスクしろ」とか怒られることもあったそうなのですが、家の近所とかを走っていたら、知り合いだけでなくあまり知らない人でも「頑張って」みたいに応援してくれて。すごくアットホームで、応援してくれる環境はあるのかなと感じています。

――大学で関東に出てきてからこれだけ長期間小豆島に帰ったのは初めてだと思いますが、一度関東に出たことで改めて感じたことなどはありましたか

 さっき言ったように人の温かみというのはすごく感じたというのと、人がゆったりしていて時間経過が慌ただしくないという、田舎ならではの環境というのを強く感じましたね。

――1年春に行ったインタビューで、小豆島特産のオリーブオイルを持ってきているというお話がありました。今も持ってきているのでしょうか

 それは今はさすがに持ってきていないですね。行く前に頂いたものだったので(それを使い切って)今は持ってきていないのですが、(自治体で)都会に出ている大学生を応援するプロジェクトみたいな感じで、小豆島の醤油であったりとかいろいろ特産品を無料で送ってくれたりとかしていて、それは島の人の温かみを強く感じますね。

――パンにチーズをのせてオリーブオイルをかけて食べると美味しいと以前お話しされていましたが、他に美味しい使い方はありますか

 基本的に僕はそれが一番好きなのですが、前にやったのはカプリチョーザですかね。モッツアレラとトマトを挟んで、最後にオリーブオイルと黒コショウをかけるみたいな。そういうのも美味しかったですね。

――小豆島にいるとオリーブオイルは頻繁に使われるものなのでしょうか

 そうですね、給食は全部オリーブオイルですね。油が全部オリーブオイルというのと、学校でオリーブ畑を持っていて。そこで摘んだオリーブをオリーブオイルにして、その時にパンとか塩コショウとが出て、つけて食べるみたいな、そういう独特なものはありますね。

――部員日記の中で、小豆島の人口が今減ってきていて、小学校、中学校、高校で3度学校の統廃合を経験されたというお話がありました。その中で、小豆島を盛り上げたいという気持ちはありますか

 当然それはありますね。高校時代から応援してくださっていて、全国大会に行ったときにはすごい応援で、その後のラジオでタレントの森脇健児さんが「すごくいい」という感じで言ってくださったくらいでした。そういうふうに地元の子たちを全員で応援するという風土があって、そこに応えたいという気持ちは大きいですね。

――大学では教育系のゼミに所属されているとお聞きしたのですが、将来小豆島で教師をしたいという思いなどはありますか

 現在教職課程を取っているので、いずれ機会があれば教員となって教鞭は取りたいと考えています。

――それは陸上部の顧問をやりたいという思いもあるのでしょうか

 どちらかというと僕は陸上を指導したいというよりは、教師に対してのモチベーションは体育の授業の方が強いですかね(笑)。陸上をやっている人だけ強く指導することより、全員を均等に、かつ深く指導できる方が貢献度が高いのではないかと思います。

――先生になりたいというのは昔から思っていたのでしょうか

 体育を教えたいと自然に思っていた部分はありました。それも中学校の時の先生の影響が大きいと思います。

――どんな先生だったのでしょうか

 僕に最初に陸上部を勧めてくれた先生で、破天荒というか、すごい先生だったのですが、楽しそうにやっているなというイメージがすごくあったので、先生って楽しい仕事なのかなと自然と思ったというのがきっかけの一つなのかなと思います。

――半澤選手の影響でセレッソ大阪の応援を始めたと部員日記で書かれていましたが、今もされていますか

 していますね。最近ちょっと負けが続いているので、ちょっとあれなんですけどね。

――阪神タイガースのファンだともお聞きしました

 それは一貫して阪神ファンですね。もともと野球が好きで、半澤が野球はそこまで得意ではないので、「そんな野球の話するならサッカーもどっかファンになったら」と言われて、「じゃあセレッソにするわ」という感じでセレッソファンにもなったという感じですね。

――半澤選手がセレッソ大阪ファンだからというわけではなく、関西出身だからセレッソという感じなのですか

 そうですね、半澤は鹿島アントラーズのファンなのですが、セレッソは小学校の時から知っているクラブチームという動機でファンになりました。

――阪神ファンはいつからなのでしょうか

 いつからというのは特になくて、物心ついてからずっとですね。祖父の影響が大きいですかね。

――小豆島内のプロ野球チームのファンの割合はどのような感じなのでしょうか

 5割阪神、3割巨人、1割広島、1割ソフトバンクという感じですね。

――ちなみに好きな選手は

 僕がずっと好きだったのは最近引退した藤川球児で、最近の推しは秋山拓巳と高橋遥人ですね。

山口、住吉…部員との関係性

――同期のみなさんは結構仲がいいように見えるのですが、いかがですか

 おそらく(笑)。3、4カ月に1回くらいは定期的に学年会を開いたりというような感じで、みんなと密にコミュニケーションというよりは、いい感じの距離感を保っているのではないかなと思います。

――向井選手は同期の中でどのような立ち位置でしょうか

 同期の中でも10何人もいたらグループとかあると思うのですが、そういう界隈にあまり属さないというか、どこともうまくやれるのが自分です。その中で「○○がこういうことやってたよ」とか、基本的にプラスの情報しか言わないですが、つなぎ役みたいな感じじゃないですかね。

――短距離の野口友希選手(スポ2=神奈川・横須賀)が部員日記で「ムードメーカー」と書かれていましたが、それについてはいかがですか

 言われて断るのは駄目だと思うので(笑)、(ネタを)振られたからにはそれに応えて、それで失敗しようがしまいがやることに意味があると思っているので、それなりに頑張っています。

――部員日記や今回のインタビューでも半澤選手の名前が挙がることが多いですが、仲がいいのでしょうか

 そうですね、今は一番同期の中で一緒にいる時間が長いかなと思いますね。

――山口選手とは一部の方から『兄弟』と称されることもあるとお伺いしました。そのあたりはいかがですか

 結構昔から、競技的な部分でも普段の生活的な部分でもひとくくりにされがちだったので、抵抗はそこまでなくて、勝手に読んだらいいんじゃないという感じですね(笑)。お互いにそんな感じだと思いますね、別に嫌だとも思っていないです(笑)。

――部員日記の中ではどちらが兄かという点で見解の相違がありましたが、そのあたりはいかがでしょうか

 そこは自分が兄であるということは譲らないですね(笑)。

――先輩についても少しお伺いしたいのですが、特にお世話になった先輩はいらっしゃいますか

 結構どの先輩にもお世話になっているのですが、強いて言えば本郷さ ん(諒・商4=岡山城東)、住吉さんあたりですかね。その2人は入学して以来一貫して良くしていただいている先輩なのかなと思います。

――駅伝主将の吉田選手はどのような人だと映っていますか

 吉田さんに関してはチームを表立ってガンガン引っ張っていくタイプではなくて、自分を律して背中で見せていくタイプの人だと思っています。今はけがが長引いたりとかしていたので苦労されているのですが、箱根まであと1カ月ということなので、最後付いていきたいと思っています。

――憧れの選手や目標としている選手はいらっしゃいますか

 憧れは中村信一郎さん(平28スポ卒=現九電工)が同郷ですごく活躍されていた方なので、この人のようになりたいと考えています。目標は清水歓太さん(平31スポ卒=現SUBARU)で、泥くさく練習して結果を残していくという方だったので、一番自分のタイプに似ている方だなと感じています。その2人が自分の競技の中の憧れと目標かなと感じています。

――ライバルはいらっしゃいますか

 一貫して同期は強いので、全員ライバルだと思っているのですが、強いて言うならば山口には負けたくないという思いが強いですね。

――比べられる部分も多いですしね

 そうですね。ちょっと最近爆発しているのですが、頑張って追い付きたいと思います。

――『兄』としてそろそろやり返さないといけないですね

 そうですね、頑張ります(笑)。

「後半3区間が一番自分の強みを発揮できる区間」

――最後に箱根に向けてのお話を伺っていきます。ご自身の強みは踏んできた距離やスタミナだと思いますが、そこは今も変わりませんか

 それは一貫して自分の強みで、競技をやっていく上での軸となる部分だと思っていて、それを生かせるのが箱根駅伝だと思っています。そこを生かしつつ、高速化が進んでいく中でも結果を残していきたいと考えています。

――普段の練習で大切にしている信条や決め事などはありますか

 基本的に自分の長所を生かすということです。長い距離やスタミナが持ち味ということで、そこを生かすということは常に考えています。その中で変わっていっているのは先ほど言ったような競技に向き合う姿勢の部分や、スピードなど今求められているものを考えながら練習しています。

――座右の銘はありますか

 『無事之名馬』という言葉で、これはすごく調子が悪くて苦しかった時に駒野さん(亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)から言われた言葉で、元々の語源としては「けがをせずに無事に帰ってきた馬というのが一番の名馬だ」という意味なのですが、それを陸上に置き換えると自分はけがも少なくて淡々と練習を積んでいけるというところが強みだと捉えているので、そこを言ってくださったというのは自分の中で強く残ったので、今の座右の銘はこの言葉です。

――高速化が進んでいる箱根に向けてスピードをつけていく必要があると思いますが、そのために集中練習で取り組んでいることはありますか

 1つは縄跳びとかプライオメトリクス的なトレーニングで、地面からの反力をうまくもらうというトレーニングを一番重要視しています。あとこれはメニューにあるのですが、ロングジョグやペース走をした後に200メートルのショートインターバルを入れるという、2つの点で高速化に対応していこうと考えています。

――他に集中練習で特に意識しているポイントはありますか

 一つ一つの練習を大事にこなすということですかね。一個一個の練習が大事になってきて、最終的にそれが駅伝で外さないという評価につながってくると思うので、強化の面でも評価の面でも特に意識していることかなと思います。

――箱根でどのようにチームに貢献していきたいかという、具体的なビジョンはありますか

 ビジョンとしては、チームは3位以内、優勝を狙うチームだと思っています。そこで特に8区、9区、10区の後半3区間が一番自分の強みを発揮できる区間だと思っているので、そこで区間5位以内というのを目標にしています。

――ちなみに山は登らないんですか

 そうですね、ちょっと山は大丈夫です(笑)。

――練習されていたことはありますか

 山の練習をしている時期はありましたが、山よりは平地の長い区間の方が自分の適性に合っていて勝負できると思ったので、後半3区間の方がいいかなと思います。

――箱根で出走するために鍵になるポイントや乗り越えなければならない壁はどういった部分だと考えていますか

 やっぱり後半自分の動きが崩れてからまとめられるかというところが鍵になると思います。課題や求められていることは大きく変わらないと思うので、そこを改善するということと、より自分の長所であるスタミナを生かしてアピールしていくということが大事になると思います。

――最後に箱根に向けての意気込みをお願いします

 3位以内、優勝に貢献できるように、区間5位以内という目標を達成できるように頑張ります。

――ありがとうございました!

(取材・編集 池田有輝)

◆向井悠介(むかい・ゆうすけ)

1999(平11)年4月16日生まれ。170センチ、51キロ。香川・小豆島中央高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分18秒84、1万メートル29分25秒34。ハーフマラソン1時間4分35秒。向井選手の趣味はコーヒーとチョコレート。もともとコーヒーは苦いのが嫌で好きではありませんでしたが、ご友人の勧めで飲んだものが美味しく、そこから魅力にハマりました。今では行きつけの喫茶店で豆を買い、自分で淹れて飲むそうです。また、その付け合わせとして食べるのがチョコレート。イベントに行って好きなパティシエさんのチョコレートを買い、箱にサインをもらったりするそうです。どんなイベントなのか気になりますね!