【連載】箱根事前特集『臙脂の誇りを取り戻す』第12回 千明龍之佑

駅伝

 夏前に5000メートルと1万メートルで自己ベストを更新した千明龍之佑(スポ3=群馬・東農大二高)。大迫傑(平26スポ卒=現ナイキ)主催の合宿にも参加し、地力を高めた。しかしその後はけがに苦しめられ、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)には出場できず。そんな千明の現状、箱根への思いを伺った。

※この取材は11月28日にリモートで行われたものです。

前半シーズン

11月28日の練習の様子

――まず前回の箱根後から振り返ります。帰省されてから全国都道府県対抗男子駅伝(都道府県駅伝)に出場されましたが、24分39秒で区間28位という結果でした。この時のご自身のコンディションはいかがでしたか

 けがとかは全くなく練習もできてはいたのですが、インフルエンザにかかってしまい、練習を再開したのが1月中旬くらいからでした。都道府県対抗駅伝には本当は出る予定ではなかったのですが、他の選手の都合もあり出場することになり、あまりいい準備ができず走りとしても最低限のことしかできなかったので不甲斐ない走りになってしまいました。

――その後の日本選手権クロスカントリーを欠場した理由は

 脚の不安も多少はあったのと、その後の立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)と早大競技会1万メートルで(記録を)狙おうと決めていて。合宿もしっかり練習して臨んだのですが、立川ハーフも中止になってしまったので、1万メートルでしっかり走れるようにと、(今回は)欠場というかたちになりました。

――当初予定されていたケニア合宿の目的は

 もちろん(標高)2000メートルを超える場所での合宿なので、まず高地トレーニングというのが一ついい点だと。また2000メートルを超えるところでレベルの高い練習もできますし、レベルの高い選手たちと一緒にどういう雰囲気で行っているのかとか、生活環境とかも含めてこれからの陸上を続けていく上でいい経験ができるのではないかと思って行くことを決めました。

――トラックレースとロードレースはどちらが好きですか

 そこまで得意不得意や好き嫌いはないんですが、どちらかと言えばロードの方が自分としては景色も変わって好きだなというのはあります。そういったところでもハーフマラソンだったり、将来的にはマラソンを見据えて競技を行っていきたいなというのは思っています。

――今シーズンの目標としてはどんなことを掲げていましたか

 まずは5000メートルでの自己ベストを1年生の頃から更新できていなかったのでそれを更新するのと、関東インカレ(関東学生対校選手権)と全日本インカレ(日本学生対校選手権)でしっかり入賞して貢献したいというのはトラックシーズンでの目標ではありました。駅伝に関しても、昨年は区間賞を取ることができなかったので、今年は出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)にも出られることもあって、3つの駅伝で区間賞争いをしたいというのは目標にしていました。

――3月8日の早大競技会は雨も降る悪コンディションでしたが、10000メートルで自己ベストを更新しました。この好記録の要因は何だと思いますか

 その直前にあった鹿児島合宿でもいい練習ができていましたし、走り込めたことでしっかり体も絞れていたので。個人的には28分40秒あたりを目標にしていたのですがコンディション的にもそこには届かず、自己ベストではありましたが少し悔しい結果でした。

――新型コロナウイルスの影響による解散期間について伺います。その期間はどのように練習に取り組んでいましたか

 地元にトラックなどがなくあまり質の高い練習はできなかったので、質を落として量を増やすという練習がメインになっていて。1回20キロとかを毎日走るようにはして土台をつくるという位置付けで行っていました。

――地元のコースはどんな感じなのですか

 山間部なので、ほとんどの道路にアップダウンがあってあまり平坦でなくて、大変なコースでした。SNSに挙げていたようなのは本当に山登りなんですが、普段は普通にロード、といっても畑とかそういうアップダウンのあるところを走ったり、動画で載せていたような山を走ったり。それは遊び感覚だったんですが、たまにしていました。

――練習は1人で行っていたのですか

 地元に早大のスキー部の後輩が1人いてその子も戻っていたので一緒にやっていました。クロスカントリーなので持久系の練習は同じようにできるので。

――解散期間で得られたことはありますか

 一度競技から少し離れたところに身を置けたので、自分としても整理するきっかけにもなったし、改めて地元の人に応援してもらっていることにも気付けて。そういった部分では早く所沢に戻って練習したいという思いは日に日に増えていきました。地元に帰ったからこそ頑張らなくちゃいけないという思いはだんだんと出てきましたね。

――練習メニューはご自身で考えたのですか

 相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)からはメニューは各自で考えるようにということだったので、相談しながらですが自分で立てたものを相楽さんに確認してもらうというかたちでした。

――その間に強化した点は、先ほどおっしゃっていたように質より量、土台づくりというあたりですか

 そうですね。スピードをがんがん出してやるような練習はできなかったので長い距離をじっくりと行う練習であったり、距離走を多めにやったりという感じでした。

――その間の練習の消化具合やご自身のコンディションはいかがでしたか

 体重とかはあまり落ちなかったのですが、そんなに悪い動きになっている感じもなく。こっち(所沢)に帰ってきたらスピードを出した練習も始めたんですが、そこに関しても全く問題なくスピードを出すことができたので、知らず知らずのうちに脚づくりはできていたのかなという感じはあります。

――解散期間で大変だったことは

 やっぱり走る場所があまりなかったので飽きてしまったり、練習も週に1度はトラックに行こうと思っていたのですがそこに行くのも1時間半や2時間くらいかかってしまっていたので、走る環境があまりなかったのが少し大変でした。

――モチベーションは保てましたか

 そんなにがっかりすることもなく、むしろ楽しんでできていましたね。あまりやる気が出ないとかはなかったです。

――解散期間に他の部員と会ったりしましたか

 同じ県の人とも会わなかったです。住んでる場所も遠いので、一緒に練習はしたかったのですが会いませんでした。

――解散明けの7月には5000で自己記録を更新(13分54秒18)しました。好調の要因は

 解散期間中にしっかり脚がつくれたことと、うまくスピードに乗せるような動きができたことがありました。あまり好調ではなかったのですが、(タイムが)出ちゃったという感じです。

――大迫傑選手主催のSugar Elite合宿参加の経緯は

 試合の前とかに帯同しているトレーナーである五味さん(宏生氏、平19スポ卒)からこういった合宿が開かれると聞いていて。その時にちらっと参加記録をつくるというようなことも聞いたのですが、その当初はまだそのタイムを切れていなかったので、しっかりと切ってから申し込もうということで、その記録を目標として練習していました。

――では13分55秒の記録を目標としながら7月の早大競技会に臨んだのでしょうか

 そうです。

――合宿はどのような目標を持って臨みましたか

 競技面もそうですが、生活面でも共に過ごす時間が多くなるのでそういった部分でも学ぶことが多くなるだろうと。トップ選手の行動を知れるいい機会になると思ったので、何か吸収できるものがあればいいなと思って臨みました。

――大迫選手の間近で感じたこと、収穫は

 やっぱり目指しているレベルも高いですし、それに伴って練習の質やタイムなども目線が高く設定されていて。世界と戦っている方のメニューを知れたことはとても勉強になりましたし、生活の面でも食事であったり、普段の振る舞いであったりもとても興味深かったので、とても勉強になりました。

――合宿を経て実践していることはありますか

 トレーニングの内容であったり、ルーティン的な運動であったり。トレーニングの曜日の組み立てであったりは参考にして取り組んでいます。

――ダウンについては

 アップもダウンもすごく長くて、それはたぶんマラソンを目指していく上で走行距離であったりが大事になってくるのだと思うのですか。アップとダウンで20キロくらいいっているので、そういった部分はこのくらいしているのだなと感じましたし、トレーニングが終わった後に補強運動もしていて、それも参考にしています。

――合宿以前に大迫選手と練習する機会はありましたか

 なかったです。

――大迫選手と過ごした印象はいかがでしたか

 気さくで面白い人でした。柔らかくてお茶目な感じでした。

――ギャップはありましたか

 口数が少ないほうなのかと思っていましたが全然そんなことはなくて、よくしゃべりかけて下さって、面白い良い人でした。

――その合宿には農大二高の西山(和弥、東洋大)や石田(洸介)もいました

 農二の頃の話もいろいろしましたし、西山さんからは東洋の話、石田からは今の農二の話だったり、いろいろ話できて面白かったです。その他にも東海の話なども聞けて、とても面白かったです。

――一番きつかった練習はどんなものでしたか

 大迫さんたちが1000メートルを8本やるメニューで、僕たちが800メートルくらいまでという練習をやって、途中から1000メートルフルで付いたのですが、その練習はすごいきつかったです。設定タイムが一応あるのですが、絶対にそのタイムより速くなるのであまり関係がなくて。それがきつかったです。

――一番成長した点は

 特別なことはあまりなくて。決まっていることをどれだけ毎日出来るか、週でこの曜日はこれをやると決めたことをどれだけ何カ月、何年と続けていけるかということが大事だということは大迫さんもおっしゃっていました。行動を見ていても、繰り返すことだけでもきついことだと思うのですが、メニューも相当きつい上で繰り返せているということが大事なのだなと感じました。

けがを乗り越えて

――日本学生対校選手権(全カレ)前から故障されていましたが、どういう状況だったのでしょうか

 合宿の時から少し痛みはあって。走れないほどではなかったので走っていたのですが、いきなり全カレの1週間前で痛くなってしまい、全カレは出ずに合宿から走り出そうという話でした。でも全然痛みが引かなかったので合宿も走れず。結局10月に入ってまだあと2週間様子見ようという話だったのですが取れなくて、10月の後半に検査にいったら疲労骨折でした。あと2週間くらい走れないと言われて全日本(全日本大学駅伝対校選手権)も出られませんでした。10月最後の週くらいから走り出してはいたのですが、本格的に練習を始めたのは11月の2週目くらいからで、そこから7回くらいポイント練習を行っているという状態です。

――検査までの時間が空いた理由は

 そこまで悪い感じではないだろうと思っていて、シンスプリントはよくなるので今回も治るかなと思っていました。でも結局折れていて。自分の主観的な意見だけではなく、客観的な意見も必要だと感じました。

――走り込めない中でどんなトレーニングをしていましたか

 最低限のことしか行っていなかったのですが、ウォークや補強は毎日していました。

――けがの精神面への影響は

 やっぱり全日本や記録会で自己ベストを出す選手が多かったので、そういう時はすごくつらくて。やる気もなくなっていたのですが、やはり走り始めたら気持ちは上向いてきました。

――全日本で、チームは5位に入りました

 万全なメンバーではない中で、全員自分の走りができていたので、そういう部分では頼もしいと思いました。逆に途中まで先頭を走っていたことを考えるとやっぱり優勝したかったという思いもありますね。

――走れない悔しさと、チームが先頭争いに絡んだうれしさはどちらが大きかったですか

 悔しい気持ちの方が大きかったですね。

――その間に来年の駅伝主将が発表されましたが、選ばれた経緯については

 解散期間あたりから誰を主将にするか話し合っていました。投票のようなかたちで決めたのですが、あまり意見が一つまとまらず。直希(太田、スポ3=静岡・浜松日体)か僕か半澤(黎斗、スポ3=福島・学法石川)で、結局僕になりました。直希の方がいいという人も半澤の方がいいという人もいたので、同期で何回か話し合いました。

――同期の中でも意見がいろいろあったということですか

 はい。最初は短距離も含めた投票だったのですが、結局長距離の中でもまた話し合いました。

――最後の決め手はどんな部分でしたか

 やる気があるというのが条件の一つで。半澤もやる気はあったのですが、競技の面で引っ張っていける存在がキャプテンじゃないかという意見が多く。そういう部分で僕になりました。

――今のチーム状況をどのように感じますか

 トップの選手も伸びてきましたし中間層の選手も一気にタイムを縮めてきているのですが、まだまだ10人が揃った段階だと思うので、誰かがけがをしてしまうと一気に勝負ができるオーダーを組めなくなると思います。みんなの調子が上向きな分、誰かが抜けたら駄目ということをチームの中でも共有するようにしています。

――11月の2週目から本格的に練習に復帰したという話がありましたが

 ずっと一人で行っていましたが、先週くらいから日本選手権の5000メートルに出る小指(卓也、スポ2=福島・学法石川)に混じってスピードをもう一度つくり、来週末終わった辺りからみんなに合流していこうという話になっています。

――11月21日の早大競技会を回避した理由は

 10000メートルだったとこともあったし、あまり出ても意味がないと感じだったので。出ようと思えば出られましたね。

――現在は本調子の何パーセントくらいまできていますか

 7割、8割くらいまできている感じなので、14分1桁からフラットくらいまでは5000メートルだと走れる感じはあります。

――練習の消化具合はいかがですか

 設定通りに走れていますし、小指にも付いていくことができているので、十分すぎる感じです。復帰に関しては、基本的に自分は早い方だと思うので、また足が痛くならないようにだけ気を付けています。

――足の痛みは現在は完全にないですか

 走っている時の痛みはほぼないです。触って変な感じはあるのですがそれは1、2カ月取れないとのことだったので。走って痛くなければ問題ないということで走っています。

――箱根に向けた調整のプランは

 11月でジョグの量を増やして、しっかりと多くの距離を踏むことができたので土台をつくることができた感じはあります。12月に入って実戦的な練習に移行することができればという感じです。

――レース勘は例年よりないと思うのですが、その点どのように補おうと考えてますか

 TT(タイムトライアル)などを一人で行ったり。練習の中で試合形式を入れる予定なので、その点は問題ないかなと思います。

――小指選手との練習が終わってから全体の練習に加入する感じですか

 そうですね。

――集中練習での目標、意気込みをお願いします

 まずはけがせずに練習すること。また、しっかりと上位に食い込んでいきたいと思っています。

――箱根の希望区間はありますか

 やはり往路にいきたい気持ちは強くあって。去年4区で悔しい思いをしているので、個人的には走りたいなと思います。

――リベンジしたいということですか

 はい!

――箱根への意気込みをお願いします

 個人的にはやっぱり区間賞を取りたいです。久しぶりにメンバーが揃って優勝争いもできると思っているので、3位以内は最低限でそれ以上を目指していきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 布村果暖)

◆千明龍之佑(ちぎら・りゅうのすけ)

2000(平12)年3月3日生まれ。168センチ。53キロ。群馬・東農大二高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル13分54秒18。1万メートル29分00秒57。ハーフマラソン1時間3分40秒。地元・片品村は「空気がおいしく、温泉が沢山あり、スキーもでき心穏やかに過ごせるところ」。そういうところに暮らしたいとおっしゃっていました。千明選手の箱根での激走が、テレビ画面越しに地元にも届くことでしょう!