【連載】箱根事後対談『復活』第7回 宍倉健浩

駅伝

 今年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で3年目にしてようやく出場を果たした宍倉健浩(スポ3=東京・早実)。20キロ近くにわたった駒大との争いを制し、7位でフィニッシュ地点に飛び込んだ姿は見る者を魅了した。そんな激闘のレースを宍倉はどう振り返るのか。そして、最上級生として迎える来年度への覚悟を伺った。

※この取材は1月22日に行われたものです。

「絶対に結果を出す」

インタビューに答える宍倉

――合同取材の時点から9区か10区になると想定していましたが、どのような準備をしてきたのでしょうか

 単独走になることが予想されていたので、練習の中でも単独走を意識して先頭を引っ張ったりだとか、自分でプラスして一人で走る時間を増やしたりして、単独走ができるようにしてきたことが一つです。あとは、気持ちづくりですね。往路はある程度展開が予想しやすいと思うんですけど、復路の場合はそこまでの8人、9人次第でいろいろな展開になるので、どういう順位で来ても大丈夫なような想定をして、心の準備をしてきました。

――集中練習から調整の期間で体の状態の仕上がりはいかがでしたか

 集中練習が終わってからもみんなより練習を落とすことなく、(箱根の)1週間くらいまではだいぶ追い込んでいました。すごく体がしんどくてポイント練習も一回できず、1週間前はかなり調子が悪かったんですけど、あえてそうしていたので不安感はありませんでした。そこから一気に疲労を抜いて仕上げていって、本番だけに合わせてきたという感じです。

――1週間まで追い込んでいた理由は

 一つは集中練習の1週目で脚を捻挫してしまって入りが遅れてしまったこと。あとは今までの経験上、あまりに早く疲労を抜くとピークのタイミングがズレて、いつもピークが1週間前くらいに来てしまってその後調子を落としていくことがあって、そうなるのが嫌でした。その経験から、1月3日に一番良いパフォーマンスができるのが、1週間前に追い込んでそこから一気に(練習量を)落とすという調整方法でしたね。

――相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)から「お前で行く」と言われた時のお気持ちはいかがでしたか

 練習や自分の状態、あと(三上)多聞先輩(商4=東京・早実)の状況等を見て、自分を使ってくれれば絶対に走れる自信があったので、一つは使えてもらえたことへの安心感だったり。また昨年、おととしと外されていたので多少なりともうれしさもありました。だからその分絶対に結果を出さないと、という気持ちになって、そのタイミングで一番気合いが入ったと思います。

「ずっと駒大に勝つことを考えて走っていました」

――9区までのレースを見て、どんな気持ちでスタートラインに立ちましたか

 正直レースはあまり見てなかったです。往路は自分の練習に集中していたこともありましたし、復路も移動やアップがあって。自分の場合、レースを見すぎて試合展開によって気持ちに起伏が起きるのが嫌で、9区が終わって自分のところに来た時にレースプランを考えてそこから自分のできる最高の走りをしようと思っていたので、そこまでは「みんな頑張ってほしい」と思っていたくらいですね。

――レース中、相楽駅伝監督からはどんな指示をもらっていましたか

 沿道の声援がすごくて、正直あまり聞こえていませんでした。東洋大のペースが落ちて見えていたので、前を追い掛けるという話を大八木(弘明)監督が最初にして。駒大の選手に、「お前が引っ張るんじゃなくて二人で一緒に行け」と言って、それに相楽さんも乗っかって、「二人で東洋大を追おう」という話をされたので、そこで自分が半分引っ張るかたちで東洋大を追いかけ始めました。東洋大を抜いてからはほとんど指示された覚えはないですね。何か言ってましたが聞こえなくて、ずっと駒大に勝つことを自分は考えて走ってました。

 ただ、最後の3キロでは後ろから創価大が来ていたこともあって「攻めろ」と。「攻めて最後に負けてしまっても仕方ないから、誰も責めないから、自分で行け」と言われて、そこで一度自分でペースを上げてレースをつくりました。でも思ったよりも3キロが長くて。多少ペースは上げたけれど、でも完全に行き切ることはせずもう一度並走するかたちに戻して、ラスト勝負だけにしようと自分で決めました。

――相楽駅伝監督の指示からもありましたが、後ろからは創価大が猛追してきていました。その情報はどのくらいで知りましたか

 知らなかったです。ゴールして初めて知ったのですが、そんなに来ていたのかと逆にびっくりするくらいで。ただ、かなり余裕もあったので、創価大に追い付かれたとしても一緒に走って行って最後に勝てる自信はありました。自分たちのペースが遅いことも把握していたので、もしかしたら後ろがある程度追い付いてくるかもしれないというのはありましたが、追い付かれたら追い付かれたで、そこからペースを上げて自分で(レースを)つくればラストに自信があったので、そこは大丈夫かなと思っていました。

――ラスト3キロできつい部分はあったけれど、全体的には余裕だったという感じでしょうか

 そうですね、だいぶ余裕はありました。ずっと練習のペース走のような感覚で走っていましたし。最後3キロについても、1キロ3分を切るペースで押していくこともできましたけど、今回ラストの1キロは2分45秒くらいまで上がっていて、そこまで(ペースを)上げようと考えた時に、3キロから上げたら脚が持たないなという不安感が多少あったので、自分が行けるところまで粘ったという感じですね。

3度後ろを振り向いた、ラストスパートの胸中とは

駒大とのデッドヒートを見事なラストスパートで制した

――ゴール500メートル前くらいからのスパートですが、その作戦など、今改めて振り返るといかがですか

 テレビの表示では5、600メートルでしたが実際は700メートルくらいありました。正直もう100〜200メートルくらい待っても良かったかなとも思いますが、そこはもう駆け引きでしたね。自分が先に仕掛けて一度離せたから最後までギリギリ持ちましたが、逆に先にやられて離されていたらあのペースで追い付くのはかなり大変です。正直ラスト200メートルくらいはかなり脚が動かなくなってきていて。後ろから追い掛けてきている方は余裕があるので、とはいえあそこまで迫っているとは思っていませんでした。もう少し(駒大との差に)余裕があると思っていたので。今思えば、後ろなんか振り向かずに、全力を出し切れよと思います。

――後ろを振り向いたのは、ペースを上げているのになかなか離れないなという気持ちがあったのでしょうか

 確か3回振り向いて。1回目は思い切りペースを上げて付いてこれないだろうから離れたかの確認をしました。2回目はほぼ勝ちを確信したもので。1回目の時の距離感からして、勝ちを確信したくて振り向いたら、逆に詰まっていてやべえと思って。ゴールを見ても思ったより遠く、脚がきつくなってきてだんだん自分のスピードが落ちてきているのを感じていましたね。3回目は「やばいんじゃないか」という焦りで見ました。あんまり覚えてないですけどね。

――勝てそうだな、という確信は最後までなかったんですか

 確信はなかったですね。最後は脚が動かなかったので。ゴールする10メートルくらいは両サイドが見えなかったから、さすがにそこは勝ったなと思ったけれど、そこまでの残り50メートルくらいまでは、「やばいやばい」と思いながら走っていた感じですね。

――ゴールした時のお気持ちは。真っ先に出た感情はありましたか

 10区に来た時点で前を追い掛けるべきだったとは思いますが、相楽さんとも話をして「駒大と東洋大に勝て」ということで。チームの順位も正直気にしていなくて、どうやって駒大と東洋大に勝つかだけを気にしていたので、自分の仕事をしたなという安心感が大きかったですかね。

――平子凜太郎マネジャー(創理4=福島・磐城)と太田智樹駅伝主将(スポ4=静岡・浜松日体)からはどんな言葉を掛けられましたか

 太田さんからは「負けてたらあれだけど、きょうはギリギリ宍倉だったな」と、そう言われた記憶があります(笑)。平子さんは「お疲れ。よくやった」と言ってくれました。

――相楽監督や指導陣からはレースをどう評価されましたか

 一番大きかったのは、エンジを着た大きな大会、結果が求められる大会でしっかり自分の走りができたのが今までなく、相楽さんもずっと不安視していたので、そこを払拭(ふっしょく)できたのは相楽さんから言われたし、自分でもそう思っています。あとは、駒大、東洋大に勝つという仕事はできたけれど、本当ならば3位集団を追い掛ける、創価大のように前半から突っ込んで行けるところまで行くというのが理想で、そこは課題だから1年間やっていかなければいけないという話もありました。

――話が振り出しに戻ってしまうのですが、走り出したときに、3位集団まで行こうという気持ちにはなっていましたか

 正確なタイム差がわからなくて、駒大、東洋大に勝てと言われていた時点で、一人で行くよりも駒大に付いてこさせるのが絶対良いなという気持ちがありました。そ駒大にすぐ追い付いてきてほしくて、最初の3キロをそんなに早く入らないでいたらそれが遅すぎたこともあって、駒大が追い付いてきたときにチームメートがボードでタイム差を教えてくれたのですが「2分半」という表示で。その時に、駒大に勝つことだけを考えることにしたという感じですね。

――今度は一人でも行けるように、ということを相楽駅伝監督に言われたという感じですか

 そうですね。往路では前半(の5キロ)を13分台とか14分1桁とか、10キロを28分台で入ることも当たり前になってくるので、そのレベルに到達しないといけないというのは、1年生の時からずっと言われてきています。その点では今回は楽なレース展開だったので、次はしっかり前半を速く入って、20キロ持たせるレースをしないといけないという話をしました。

――1時間10分23秒で区間8位という個人成績については

 記録自体に速いという印象はありません。1キロ3分で行けば69分なので、それくらいかと思っていた部分はあって、実際に走っている時も1キロ3分できつさはなく、タイムはまだまだ行けるかなと。区間順位は全く気にしていなくて。個人の順位を狙うなら自分で引っ張ってタイムを狙うべきだし、そうすることもできました。でも今回はチームのこともあったので、チームの順位を一つでも良くするために自分のできることは駒大、東洋大に勝つことだとあの時点では思ってしまったので、個人の走りに関しては今回は気にしなくていいのかなと思っています。

――チームの総合7位という結果は、どのようにから受け止めていますか

 やはり山の二人に関して、半澤(黎斗、スポ2=福島・学法石川)も夏にけがで練習できなくて、吉田(匠、スポ3=京都・洛南)も直前に脚を痛めてしまっていて。そういう部分もあって万全の状態ではなかったのもあるんですけど、まずシードを取れたことは来年度につながる結果ではあります。でも3位以内を目指していた以上、前の3位集団にいられる力は絶対にあったと思うので、それはすごく悔しいです。そこはチームの中で最後何かが足りなかったことで、今年一年間やってきた結果なので、来年は最後に3位争いや優勝争いに絡めるための準備を一年間かけてやっていかなければいけないというふうに思います。

――ご家族やご友人など、箱根の反響はいかがでしたか

 それはもういろいろで、みんな褒めてくれて。「お疲れ様。おめでとう」という話をたくさんしていただきました。

「自分がチームを引っ張る存在になる」

――解散明けから10日程経ちますが、現在はどのような練習をしていますか

 解散が明けてからの1週間は体を慣らすための練習を中心にやっていたんですけど、今週からは追い込み始めていて、半分集中練習のようなかたちで進めていくという話をされています。目標としているのが立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)になるので、そこで結果を出すためにこの1月、2月で走り込みをしていく予定です。

――新たな取り組みを個人で始められたりしましたか

 新しいわけではないですが、今まで走行距離を踏もうとするとけがをすることの繰り返しでした。ただ箱根前の10月、11月くらいからやっと体ができてきた実感が出てきて、練習量を増やしてもけがをしなかったり、痛みが出ない体になってきました。なので、今週からはベースの距離を増やそうと思っていて、一年通してやっていくつもりです。

――チームのテーマは決められたのでしょうか

 目標は学生三大駅伝3位以内、関カレ(関東学生対校選手権)・全カレ(日本学生対校選手権)で全種目入賞です。

――翌日の朝練から4年生はいなかったと思いますが、チームの雰囲気はいかがですか

 正直うまく回ってない部分はあります。それは最上級生が一番弱い学年になっているというのが一番の原因だと思うんですけど、やはりチームを引っ張っていく立場の人が結果を全然出せていないので、後輩からすると頼れる先輩になれていません。一番強いチーム像は、4年生がしっかり引っ張ってそれに後輩が付いていくことですが、今は逆に後輩が先輩が頼りないから自分たちでやっていこうという感じになってしまっています。そこに関して自分は強いチームになれないと考えているので、今は学年ミーティングを月に2、3回重ねて、そこで「4年生になった時にこうしていこう」という話を進めているところです。

――どんな学年にしていきたいと宍倉選手は考えていますか

 一番は4年生が頼れる存在になることだと思っています。それは結果もそうですし、チームのマネジメント面も含めて。太田さんはどんな時にも結果を出していたので、そういう存在がいるだけでチームは全く変わってきます。なので個人的にそういう存在になれるようにしていきたいと思っています。

――今は立川ハーフを見据えているということですが、そこに向けて強化していきたい点は

 箱根は展開的にも実力を出し切ったわけではなかったので、もう一度ハーフという距離で結果を出すためにやっていきたい気持ちがあります。一年間でやってきたことの集大成にプラス、この1月、2月で上乗せできれば上位で戦えるのではと思っています。

――高速化しているトラックやロードで活躍するために何が必要だと考えていますか

 それは単純にみんなの実力が上がっていることであって、自分も速くなれば同じことです。別にみんなが速くなっているから100メートルのダッシュのスピードを上げなければいけないとかそういう話ではなく、単純に実力を付けていくことだと思っています。

――早大でのラストイヤーとなる一年をどう過ごしたいですか

 自分が早大に入りたいと思ったきっかけが(2011年の)学生駅伝3冠をしたことだったので、『強い早稲田』を取り戻したいと思っています。

――この一年で目標としている記録や大会、理想像を教えてください

 目標は5000メートルで13分40秒、1万メートルで28分20秒というのがあるのですが、まずは13分台と28分台はいつでも出せるくらいの力を付けたいです。それだけの力が付けば、周りとの勝負になりますが関カレや全カレでも入賞争いができると思うし、駅伝でも区間賞争いもできると思います。チームの中で中谷(雄飛、スポ2=長野・佐久長聖)だったり千明(龍之佑、スポ2=群馬・東農大二)だったり、今は(鈴木)創士(スポ1=静岡・浜松日体)や井川(龍人、スポ1=熊本・九州学院)も強くなっているので、そこに頼るのではなく、自分が引っ張れる力を付けていきたいと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 岡部稜)

◆宍倉健浩(ししくら・たけひろ)

1998(平10)年6月19日生まれ。170センチ。54キロ。東京・早実高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分04秒54。1万メートル29分07秒98。ハーフマラソン1時間5分22秒。2020年箱根駅伝10区1時間10分23秒(区間8位)。