「周りからは恐らく、『ロードが弱い』や、『エンジを着た大きな大会で結果を出せない』と思われている部分が大きいと思います」。鳴り物入りで早大に入学してから早3年。宍倉健浩(スポ3=東京・早実)が今一番欲しいのは『宍倉が走ればしっかり結果が出る』という信頼だろう。今年、それが得られず2回も駅伝出走のチャンスを逃してきた。残る期間で指揮官をはじめとした周囲の信頼を得て、いざ目標の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)出走へ――。今の気持ちを伺った。
※この取材は12月4日に行われたものです。
「初めてしっかりと夏合宿をこなすことができた」
笑顔で質問に答えた宍倉
――集中練習が始まっていると思いますが、ここまでの調子はいかがですか
1万メートル記録挑戦会が終わった週の水曜日(27日)から集中練習が始まったのですが、1回目のポイント練習で接触してしまい、足を捻挫してしまいました。きょう(5日)から復活してポイントを再開したので、(自分にとっては)きょうから集中練習が始まったという感じですね。
――今後どのような点を重視して練習していきたいですか
1万メートル記録挑戦会では、初めはある程度速いペースで突っ込んで、後半耐えるというレースをしました。その時、後半のタイムの落ちが、他の人に比べても大きかったので、スタミナの面がまだ課題として残っているのかなと思います。あと1カ月、重点的に取り組んでいきたいですね。距離を積んで、スタミナ面を克服していきたいです。
――今年の2月の部員日記で、「けがをしないための筋力トレーニング」をしていると書いていましたが、具体的にはどのようなことをされていますか
下半身、上半身のどちらも、『走るために使うべき一番大きな筋肉』を鍛えています。例えば、脚でしたら臀部(でんぶ)やハムストリングスが大きな所になります。そういった部分の筋力を上げることで、脚のダメージが減ったり、良い動きになったりします。動きが良くなれば、その分けがもしにくくなるので。そういったことをしていましたね。
――効果は実感できていますか
春先はけがをしてしまったのですが、夏合宿以降はあまり大きなけがをすることなく順調に練習を積めてきています。だいぶ変わってきているのかなと感じますね。
――今年一年が始まる時に何か目標は立てましたか
5000メートル13分台と、1万メートル28分台。箱根にはまだ出たことがなかったので、箱根に出て区間5番以内。という目標を立てました。
――春シーズンを振り返っていかがですか
1月後半から膝を痛め、1カ月少し休んでいました。その後復帰したのですが、また5月に疲労骨折をし、6月後半まで走ることができませんでした。春シーズンは練習もできず、まともなレースができない状態で、苦しいシーズンだったなという感じです。ですが、夏からはやっと復帰して練習を積んでこられたので、今は練習していた結果がだいぶ出始めているかなと感じています。
――5月の部員日記に、「久しぶりにしっかり調整して試合に出ることができます」と書いていましたが、それは1月のけがを経て、ということですか
そうですね。やっと順調に練習を積め始めたくらいのタイミングで一度試合に出ました。やはりまだ十分な練習を積めていたわけではなかったので、その記録会もうまくはいきませんでした。本当にその直後に疲労骨折をしてしまったので。(その時期は)うまくいかなかったという感じですかね…。
――春はつらかったですか
前半は関カレ(関東学生対校選手権)と、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)の予選会を狙って計画していました。ですが、その両方とも出られなかったので、しんどい期間でしたね。
――その間は何を目標にしていましたか
正直けがをしていた時はモチベーションが本当にありませんでした。何を目指していいのかもよく分からず、練習にも身が入りませんでした。ですが、ちょうど6月の全日本予選会の(チームの)走りを見て、変わりました。(春の個人)目標も達成できませんでしたし、次に何を目指していくかを考えた時に、やはり駅伝シーズンに自分がしっかりと走ってチームに貢献するということをそこであらためて目標にしました。そこから練習を再開したという感じですね。
――夏合宿はどのようなことをされていましたか
夏合宿は距離を積むことを中心に練習しました。けがをしないことを大前提にして、その上でより強度の高い練習をできるような体づくりをしました。ゆっくり長く練習をしたり、活動時間を増やしたりと、体の土台づくりを意識してやりました。
――しっかりこなすことはできましたか
そうですね。8割方しっかりできたかなと。過去2年間は夏合宿をまともにできていなかったので、初めてしっかりと夏合宿をこなすことができたのかなと思います。
――今年チームは出雲全日本大学選抜駅伝に出られませんでしたが、放送などは見ましたか
見ました。自分たちが走っていないということが悔しいという気持ちが一番にありました。他のチームを見ていてもレベルが上がってきていると感じました。では、もし今年自分たちが出ていたら何番だったのかということを考えた時に、優勝であったり、(今年目標に掲げている)『3番以内』であったりということは、まだ難しいという現状があるのかなとそこで実感しました。では、ここから目標の『3番以内』という目標に近づくのにはどうすればいいのかということを考えるようになりましたね。
――箱根予選会では、チーム内最下位、全体254位の1時間8分11秒という厳しい結果に終わりました。レース後、「練習では良かったが、本番に合わせることができなかった」と話していましたが、その失敗を現在どう生かしていますか
練習もできていて、調子も良かったのですが、(レースの)1週間前に熱を出してしまって。体調管理の面で(問題でした)。調子が良くて浮かれていたわけではありませんが、「いけるな」という自信があった分、最後の詰めの甘さというか、体調管理などの面をおろそかにしてしまった部分がありました。本当に自分の詰めの甘さが出たのかなと思います。箱根はそういう細かいところまで気を付けていこうと思っています。
――風邪ですか
風邪だと思うのですが。38度ちょっと出ていて。2日くらいで薬と点滴で無理やり熱を下げたのですが、やはりハーフという長い距離だったこともありましたし、あとはあの日は暑かったということもあり、いろいろとうまくいかなかったですね。
――予選会の後、「予選会くらいは通るだろうという思いがチームにあった」という話をしていた選手がいたのですが、当時のチームを振り返っていかがですか
やはり予選会は通るだろうという思いは、みんなどこかしらに持っていたところはあったと思います。練習はみんな順調にできていて、それこそ全日本6番というのが練習の(結果を出せた)実力で。あのくらいで走れる力は全員あったのですが、自分も含めてみんなどこか、予選会はどうにかなるだろうという気持ちがあったので、そういうところで、自分であれば体調管理で、その他にもみんな詰めの甘さが出たのではないかと思います。
――入学以来出走し続けてきた全日本ですが、今年はエントリーはされましたが出走はしませんでした。箱根予選会前の熱の影響で調子が上がらなかったことが原因ですか
調子は良くて……(笑)。それこそ予選会ではあまり良いタイムで走れなかったので、疲労などもそれほどありませんでした。ですが、熱を出したことを相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)に報告していなくて。黙っていたんですよ。結果として大ブレーキしてしまい、相楽さんには事後報告しました。それでかなりしっかりと怒られて。「一回信頼を失っている」と言われました。それがあったので、「全日本は使わない」と言われていました。「信頼を取り戻すために自分で何をしていくのか考えろ」という話をされました。
――具体的にどのようなことをされていますか
一度試合で結果を出すということが一番大切だと思いました。まずは1万メートル記録挑戦会で結果を出せば、相楽さんにも実力の面では多少認めてもらえるのではないかと思いました。あとは、練習から積極的に引っ張るなど、行動で示すしかないと思い、今はやっています。
――調子は悪くなかったが、信頼面などが原因で出られなかったということですか
そうですね。もちろん、それがなかったからといって使われたかということについては、相楽さん次第なので分かりません。ですが、個人的には練習もきちんとできていて、全日本後のポイント練習もしっかりできていたので、それ(信頼面)が原因かなと思っています。
――全日本でのチームの走りはどのように見ていましたか
前半から割といい流れに乗っていたと思います。その中で、1区の井川(龍人、スポ1=熊本・九州学院)はブレーキまでとはいかなくても、少しうまくいかなかった部分がありました。それを見て、1年生を(箱根予選会、全日本と)2週連続で走らせてしまい、負担を掛けてしまったと思いました。ただ、しっかり3位という目標が狙えるポジションでレースを進められたという点は、チームとしての収穫だと思います。自分もそのメンバーと遜色ない練習ができていましたし、実力はみんなと変わらないなと思いました。あとは自分がそれを試合でどう発揮するかということだと思いましたね。
――1万メートル記録挑戦会では2年ぶりに29分07秒98の自己ベストを出しましたと。振り返っていかがですか
自己ベストが出たという点では最低限良かったと思います。ですが、やはり28分台を目標にしていましたし、(共に早大から出走して)前を走っていた3人は28分台を出せていたので(満足はしていません)。太田直希(スポ2=静岡・浜松日体)、鈴木創士(スポ1=静岡・浜松日体)が28分48秒台を出していて、そのメンバーと自分はずっと一緒に練習してきていましたし、しっかり練習できていたので、そこで勝負したかったなという気持ちがあります。そこの20秒の差をどう埋めていくのかは今後考えていかなければいけないと思いましたね。
――記録会当時の調子はどうでしたか
練習はきちんとできていましたが、介護体験実習(教職課程の必修科目。1週間行われる)が1週間前に入って。その影響で、練習の疲労ではない疲労がありました。その中で最低限自己ベストを出すことができたことは、良かったのかなと思います。
――上尾シティマラソンではなく記録会に出た理由は何ですか
予選会で一度ハーフを走っているということと、1万メートルのタイムが1年時、5000メートルのタイムが高校3年時のままなので、一度タイムを出しておきたいと思い、1万メートル記録挑戦会に出ることにしました。
――1万メートルの出走はいつ以来ですか
しっかり調整し、記録を狙いにいったのは本当に2年ぶりです。
――辻本活哉マネジャー(人3=大阪・早稲田摂稜)が11月末の部員日記に、「けがしがちな宍倉が調子を上げてきている」と書いていましたが
3カ月以上継続してしっかりと練習を積めたことが大学入学以来数える程しかなかったので、7月から5カ月間けがなくやって来られているというのは(これほど長く練習を継続できていることは)入学以来なかったことなのかなと思います。そういった面でしっかりと練習を積めている分、実力も付いてきていて、調子が上がってきていると周りの人から思ってもらえているのではないかと思いますね。
――自信は付いてきていますか
そうですね。やっと練習できてきたなと思えています。ポイント練習でもしっかりと上位でやれているので、自信にはなってきているかなという感じですね。
――今年のこれまでを振り返っていかがですか
前半シーズンはずっと悔しい思いをしてきました。その悔しい思いを夏合宿から、箱根駅伝に向けてやってきています。ここから最後、(箱根)予選会前のような詰めの甘さが出ないようにしっかりと集中して、箱根でどう結果を出すかということを考えてやっていきたいです。
藤色のライバル
11月下旬の1万メートル記録挑戦会では2年ぶりの自己記録をマークした
――箱根は4年生と挑む最後の舞台です。4年生はどのような学年ですか
個性が強いという印象が一番ですね。本当にいろんなタイプの人がいて。良くも悪くもいい距離感だと思います。
――太田智樹駅伝主将(スポ4=静岡・浜松日体)はどんな人ですか
姿勢で引っ張る、自分の背中を見せて引っ張るタイプの主将ですね。実力もみんなが認めるチームトップの力を持っていますし、練習やその他の面でも全てしっかりやる人なので、そういう姿勢を見せて引っ張っているなと思いますね。
――後輩についてはどうですか
やんちゃなやつらが多いかなという感じですね(笑)。自分も似たようなタイプなので、和気あいあいと仲良く、いい雰囲気でやっています。多少問題もあるので(笑)、そのへんは先輩としてしっかり言わなければいけないことは言って、仲良くする時は仲良くして、とめりはりを付けてやっていきたいと思っています。
――仲のいい選手は誰ですか
1個下だと、やはりAチームで一緒に練習している半澤(黎斗、スポ2=福島・学法石川)や直希、千明(龍之佑、スポ2=群馬・東農大二)。あとは1年生だったら創士とか。その辺と仲がいいですね。同期であれば、武士(文哉副務、文3=群馬・高崎)、森田(将平、スポ3=広島・修道)、住吉(宙樹、政経3=東京・早大学院)あたりですかね。
――どこかに出かけましたか
別のメンバーとですが、去年の解散期間中にディズニーに行きました。武士と本郷(諒、商3=岡山城東)、先輩の大木さん(皓太、スポ4=千葉・成田)とか。
――箱根が終われば最高学年になります。同期はどうですか
同期は、真面目な学年ですね。あまりはじけたタイプもいなく、大人しいタイプです。自分が盛り上げていきたいなと思っています(笑)。
――他大も含めてライバルはいますか
同じ東京出身の、駒澤の神戸(駿介)ですね。高校1年の時から同じ大会で一緒に走ることが多くありました。高校時代は勝っていたのですが、最近は13分台(13分58秒02)を出したり、62分台(1時間02分56秒)も出したのかな。少し負けつつあるので、そこには負けたくないなと思っています。
――今はまっていることは何ですか
最近はポケモンにハマッています。誰かポケモン対戦しましょう!(笑)
――ソードとシールドどちらですか
シールドです。出てくるポケモンが少し違うだけで、あとは同じです。インスタでどっちを買うべきか載せた時に、永山さん(博基、平31スポ卒=現住友電工)が「俺がソードだからお前はシールドを買え」と言ってきたので。シールドにしました。
――対戦しましたか
いや、まだです(笑)。
「周りからの評価とのギャップを埋められたら」
――もうすぐ箱根ですが、宍倉選手にとって箱根とは
自分は小学6年生の時に早稲田が総合優勝しているのを見て、早稲田で箱根を走りたいという気持ちが生まれました。一つ目標としていた舞台なので、そこで走れるということを楽しみたいです。また、そこでどう自分が活躍するか。それこそ強い早稲田を見てきたので、強い早稲田に自分がしていくぞという気持ちで走りたいなと思います。
――憧れの選手はいますか
やはり優勝した時に1区を走っていた大迫さん(傑、平25スポ卒=現ナイキ)が、1年生ながらあれだけ強い走りをしていたことは、自分の中ですごく印象に残っています。なので、そういう走りができたらなと思っています。
――過去2年間はエントリーされた中で出走はできていません。次の箱根にかける思いは
実力も付いてきて、練習もしっかりとできています。なので、あとはやるべきことをしっかりとやり、最後に体調面(での不具合)やけがなどがなければ、しっかりと走れるのかなと思っています。余分なことをせず、いつも通りしっかりとやっていこうと思います。
――入学後駅伝ではなかなか結果を出せていませんが、駅伝に対するイメージはどのようなものですか
周りからは恐らく、『ロードが弱い』や、『エンジを着た大きな大会で結果を出せない』と思われている部分が大きいと思います。ですが、個人的にはそう思っていなくて。高校の時、駅伝もしっかり走れていましたし、(結果が出せない)原因は(大学入学後)けが続きで練習ができていなかったということがあり、単に自分に実力がなかったからそういう結果になっただけのことです。しっかりと自信を持って自分の実力通りに走ることができれば(駅伝であっても)問題ないと思うので。どんな舞台であっても自分の実力をしっかり発揮したいと思っています。
――ロードに対する苦手意識はないということですね
そうですね。あまりないです。トラックの方が個人的に好きだということはありますが、別にロードだから走れないという風には思っていません。周りからの評価とのギャップを埋められたらと思いますね。
――長い距離に対する抵抗もないということですか
自分は高校から大学1年の時まで5000メートルを中心にやってきていて、短い距離の方が好きだということはあります。ただ、今年はスタミナ面の課題を克服するために、過去にないくらい走り込み、スタミナもだいぶ付いてきたと感じています。最近はそこ(長い距離やスタミナ面)に苦手意識はないかなと思います。
――自身の強みは何だと思いますか
前半から突っ込んだレースができること。ある程度速い、スピード持久力が必要とされるレースに対応できることなどです。ずっと5000メートルをやってきたこともあり、スピード面で対応できるかなと思います。そこらへんは強みなのかなと思います。あとはこれといってないですかね(笑)。
――最も力を出せる区間はどこだと思いますか
ある程度人が前にいる方が走りやすいです。自分はずっと勝負したい気持ちがあるので、誰もいないところで走るよりは、周りに人がいる中で走りたいと思います。ただ、どこの区間でなければ走れないということはないので、任された区間でしっかり走りたいなと思います。
――前回大会は10区にエントリーされた中、出走はありませんでした。事前に伝えられていたのでしょうか
1月2日の2時過ぎくらいに言われて。それまでは本当に10区を走る気満々でした。そこで伝えられて結構ショックでしたね。
――調子が上がらなかったということですか
そういうことではなくて。去年は夏合宿で全く練習できず、相楽さんの中でスタミナ面に不安を拭えなかったので外されたのかなと思っています。今年はそこをどうにかしようと思い、やってきましたね。
――箱根での個人的な目標は何ですか
チームの目標は3番以内で、全員が区間5番以内で走ることができれば達成できると思います。なので、そこを目標にやっていきたいなと思います。
――最後に意気込みをお願いします
周りが抱えている不安を払拭(ふっしょく)したいです。自分は多分周りから、本番走れないと思われているので、この大舞台でしっかりチームに貢献する走りをして、来年度最上級になった時にしっかりと信頼されるような選手になるきっかけにしたいなと思いますね。
――ありがとうございました!
(取材・編集 金澤麻由)
泥臭い練習が実を結び、箱根初出走に期待がかかります!
◆宍倉健浩(ししくら・たけひろ) 1998(平10)年6月19日生まれ。東京・早実高出身。170センチ、54キロ。自己記録:5000メートル14分04秒54。1万メートル29分07秒98。ハーフマラソン1時間5分22秒。色紙に何と書くか、新迫志希選手(スポ4=広島・世羅)、武士副務と共に一生懸命考えてくれた宍倉選手。書き終えた後は、カメラマンの鈴木選手と渾身のポーズで何テイクも写真を撮ってくれました。生まれ変わったら「雲」になりたいそうです!