この1年間早大競走部長距離ブロックをけん引してきた清水歓太駅伝主将(スポ4=群馬・中央中教校)。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)でチームは惨敗を喫し、「本番でドカンと覆したい」と強い思いを持って東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に臨んだ。17位でタスキを受け取った清水は攻めの走りで順位を3つ上げる好走を披露し、駅伝主将としての役割を果たした。その清水は最後の箱根をどのように振り返るのか。そしてその先に見据えるものは――。
※この取材は1月22日に行われたものです。
「普段通りにレースを進められた」
エントリーされた同期の4年生とのワンシーン(中央が清水)
――箱根が終わって3週間ほど経ちましたが、今の状態はいかがですか
1月は陸上から切り離すということを決めていたので、今は練習は最低限しつつ追い込んでいない状況で、ケガとかはないんですけど、3週間前とは程遠い状態ですね。
――補欠として帯同した、先日の都道府県対抗男子駅伝では群馬県が2位に入りましたが、いかがでしたか
そうですね。今年の群馬は中高生も一般も強いメンバーがそろっていたので、かなり優勝候補と言われてて、結果的に優勝争いをして2番というかたちで。しっかり全員が力を出せた結果が過去最高の2番になったのかなと思います。僕は裏方だったんですけどサポートができたし、その瞬間に立ち会えたので、そういう意味ではすごくいい経験になったと思います。
――では箱根について振り返らせていただきます。清水選手自身の集中練習の消化具合はいかがでしたか
集中練習は3週間くらいあるのですが、初めの頃はこれまでの集中練習に比べてほぼ100パーセントくらいの出来で順調にこなせていました。12月の中旬で少しポイント練習を外してしまっていて、全体的な出来としては6割〜8割だったんですけど、最後の確認のポイント練習でもある程度修正できていたので、今まで一番こなせたんじゃないかなと思います。
――箱根に向けて、チームの雰囲気はいかがでしたか
やはり最後の駅伝ということで、二つ結果が悪かったのでみんなも、「今までと同じようにはいかないぞ」という気持ちでやっていたというのは雰囲気として出ていたと思うし、気を緩めている選手が見受けられたというのもなかったので、雰囲気は悪くなかったと思います。
――エントリーが4区に決まったということで、昨年同区間に出走した石田康幸氏(平30商卒)からアドバイスはありましたか
そうですね。アップダウンが小刻みにあるから、うまくリズムを取らないと後半きつくなるというような話をしていただいて、実際に下見に行った際も確かに感じていたので、そのあたりを気を付けたらいいなと思っていました。
――箱根当日の調子はいかがでしたか
そこまでめちゃくちゃ調子がいいわけではなくて、でも悪いわけでもなかったので普段通りに練習の結果をそのまま出せば、(タイムが)出るなと。特に問題もなく、という感じでしたね。
――付き添いが永山博基選手(スポ4=鹿児島実)でしたが、清水選手が希望されたのですか
彼が走るのが厳しいとなって、経験を生かしていろいろな区間の付き添いをするというのが本人の考えにあって監督と話していたみたいで、そうなったときに経験している4区ということで、永山から4区に行こうかなという感じで言われました。また、僕の付き添いが1年生で不安な部分も少しあったので、プラスとしてやってもらいました。
――タスキを受け取った時の自分の順位については想定の範囲内だったでしょうか
想定よりはかなり後ろではあったんですけど、例えば1番とか2番とかでもらえるとは思っていなかったので、2桁順位でもらうこともそれなりに想定していました。それよりも後ろでしたけど、どのみち10番でも17番でも前を追わなければいけないというのは変わらないので、そこは変わらず自分ができることをやろうと思いました。想定よりは遅かったんですけど覚悟はしていたので、そこに焦りはなかったです。
――走り始めて、運営管理車から何か声を掛けられましたか
いや、あんまり覚えていないですね…。
――区間3位付近で走っているというのは知っていましたか
そうですね。10キロ手前くらいから、運営管理車の方から区間3位くらいで走っているというのは聞いていたので、自分のペースが悪くないと確認できたかなと思います。
――普段通り走れていたという感じでしたか
そうですね。自分が想定していたくらいのペースで前半は行けていたので、そこにタイムと走りが噛み合わないというのはなくて、普段通りにレースを進められていた感じでした。
――途中で中央学院大、日大との3チームで前を追っていましたが、そのときは影を潜めるというよりも前を引っ張るという印象でした
順位が順位だったので、本当は一回休んで前を追いたかったんですけど、そういう暇もなかったので。自分の与えられた距離でどれだけ前を詰められるかと考えたら、絶対に利用されることはわかっていたんですけど、休んでいないでどんどん前に行かなければいけないという気持ちで走ったので、結果的にそのような形になったと思っています。
――残り3キロの小田原本町の時点で東海大の館澤亨次選手と同タイムでしたが、そのような情報も頭に入っていましたか
いや、それは終わったあとに見ました。すごく悔しかったです。でも彼は1年生の時に山を上っていますし、上りの適性もあるので、30秒は置いて行かれ過ぎでもうちょっと粘れればよかったと思いますけど、そこは力の差が出てしまったと思います。
――やはり最後の上りはきつかったですか
最後1キロで結構無理やりペースを上げたりしたので、そこはかなりきつかったですね。
――ご自身の区間順位と区間記録(3位、1時間3分05秒)についてどのように分析していますか
僕の実力と、その日の調子とを考えたときに、区間賞の相澤と区間2位の館沢の次では来なければいけないと思っていたので、僕の出せる結果ではあったかなと。最低限このくらいは出さないといけないという結果を出せたので、走りとしても結果としても、悔いはない走りができたと思います。
――自身の強みである『粘り強さ』は出せたでしょうか
そうですね。これまでは自分からレースを展開するということがなかなかできなかったんですけど、前半からガンガン行って、その中でも後半に多少なりとも粘ることができました。最後の競り合いに負けてしまったのは悔しいんですけど、ラスト1キロで自分から駆け引きに出ることができたので、そういう面では多少なりとも成長できていたのかなと思います。
――往路が終わって、復路のメンバーに声を掛けたり、メッセージを送ったりしましたか
その日の朝にLINEとかで送りました。初出場の人が多かったので、そこは焦らず楽しんできてほしいということを伝えました。順位が順位だったので、結構焦るポジションだったんですけど、しっかり箱根駅伝の舞台を勝ち取ったわけなので、チームのことはもちろん考えてほしいんですけど、まずはその舞台を楽しんでほしいということを伝えました。
――復路のレースはどこで見ていたのですか
8区は声を掛けただけだったんですけど、7と9、10区の選手にはしっかり中継所で長い時間話しましたね。先に回ってという感じです。
――中継所ではどんな声を掛けたのですか
もう連絡はしていたので、緊張しているようであれば多少声を掛けたりするくらいで。特に選手も集中していたので、一言二言掛けるという感じでした。
――大手町で小澤直人選手(スポ4=滋賀・草津東)を迎えたとき、どんなことを伝えましたか
最後中大と競っていて、負けてしまいましたけど、最後まで競り合ってあきらめない気持ちを見せてくれました。シード権には届かなかったんですけど、頑張ったことには変わりなくて、最後までレースを捨てない姿を見せていたのはすごい僕らも思うことがありましたし、後輩も感じることがあったと思うので、そういうところで「ありがとう」と伝えました。
――改めて総合12位という結果について、駅伝主将としてどのようにお考えでしょうか
結果的に学生三大駅伝全てで2桁順位でシードも全部落とすという形になってしまいました。最初の二つの駅伝(出雲、全日本)に関しては準備不足がかなりあったと思うんですけど、箱根に関しては最後の報告会で言ったのですが、やれることをやってチーム全体で100パーセント力を出した結果が12位だったと僕は思っているので、例えば何かがこうなったらとか、ここがこう変わっていたらという気持ちはほとんどありません。今のチームの力を出した結果12番だったということは、力がなかったということだと客観的に思います。これからのチームは力を確実に付けていかないと勝負できないなと後輩は感じていると思うので、条件が整っていたらとか、あの人が走れていたらということに逃げずに、自分たちの力を高めてほしいと思いました。
「視野が広がるようになった」
――駅伝主将として1年間長距離ブロックをけん引してきましたが、この一年はこれまでの3年間と比べてどのように違いましたか
1年から3年にかけては自分のことしか見ていなかったんですけど、4年になってそのような立場になって、周りのことにも意識して目を配るようになりました。当たり前ですけど、自分のこと以外も見なければいけなくなったのは変わったかなと思います。
――駅伝主将を経験して、つらかったり苦しかったりすることもありましたか
やはり駅伝で結果が出ないときは、なんでだろうという気持ちはありましたけど、特につらくて耐えられないということはなくて、周りに支えられたかなと思います。
――駅伝主将を経験してよかったなと思うことはありましたか
いろんな視点で物事を見れるようになったというか、視野が広くなったのは確実なので、そういう力は前よりも付きました。これまでは自分のことばかり考えて視野が狭くなっていて、結果的につらいときに自分で自分の首を絞めていたような気がするんですけど、視野が広くなって周りを見渡すようになってからは、自分のことは意外に落ち込むことはないなという感じになったので、そこはよかったことかなと思います。
――来年度の駅伝主将を務める太田智樹選手(スポ3=静岡・浜松日体)は清水選手から見るとどんな選手ですか
基本的にすごい真面目で、後輩に言うことも言える選手なので、向いていると思いますけど、駅伝主将よりもその周りの選手がいかに智樹をサポートできるかが大事だと思います。智樹自体は適任だと思うので、あとは周りがどうサポートするかだと思っています。
――先ほど、「後輩には逃げずに力を高めてほしい」とおっしゃっていましたが、これからの早大を引っ張っていく後輩に期待していることはありますか
後輩は力のある選手が多くてもっと戦える集団だと思います。今年度の結果は良くなかったですけど、本来なら優勝を狙えるチームにならなきゃいけないメンツがそろっていると思います。特に1年生はこの結果がベースになってしまうかもしれないんですけど、上を狙って常に優勝を狙うチームになってほしいと思います。
「走りで周りの人に影響を与えられるような選手になりたい」
最後の箱根では積極的なレースを展開し、区間3位の好成績を残した
――清水選手が早大に入学を決めた理由というのは
僕が中学生の時に早大が学生三大駅伝三冠をしていて、格好良いなという気持ちがあって、自分もそうなれたらという気持ちがきっかけでしたね。
――早大から声が掛かったときはうれしかったですか
そうですね。うれしかったです。
――4年間の中で特に印象に残っている試合や出来事はありましたか
2年の上尾(上尾シティマラソン)ですかね。それまで思うように結果が出なくて苦しんでいて、それもたまたま出たような記録だったんですけど、それでも一つ大学に入ってから結果を残せたというのは本当にうれしかったです。その上尾があったから2年の時に箱根を走れたので、そういう意味では2年の上尾で大学の変わったなと思える大会で思い入れのある大会ですね。
――その上尾が清水選手にとって一つの転機になったということでしょうか
そんな感じだと思います。
――自身にとって、箱根はどのような存在でしたか
小さい頃から見ていたので憧れの舞台だったんですけど、今年とかは特に一つの大会にしか過ぎなくて。昔は憧れの舞台だったところから、一つの大きな大会というように変わりました。でも僕の中で大きな大会だったということには変わりないですね。
――同期の4年生の存在はいかがでしたか
結果的に4年間足並みそろえて試合に出ることはできなかったので、そこはいろいろあった学年かなと思います。僕が苦しいときによかった選手がいて、苦しかったときに僕がよかったという感じでした。よりみんなで力を合わせてというか、6人がチームの核となる選手となっていれば、もっと変わったかなという気持ちはあるので、そこは悔しいところですね。
――お互いに仲は良かったのですか
はい。仲は良いので、いろんなところで助けられたこともありました。
――清水選手の早大での4年間を振り返るとどんな4年間でしたか
正直もっと上を目指したかったなと個人的に思っていて、ちょっと伸び悩んだなという気持ちはあります。でもこの高校から大学になって環境が変わった中で、後半の3年生、4年生に関しては苦しみながらも苦しんだ分だけの良い思いもさせてもらったような気がします。もっと結果を出して力を付けたかったですけど、この四年間の取り組みとかミスや失敗も含めてやったこと一つ一つが成長につながっていると感じます。
――競技は卒業後もSUBARUで続けるということですが、そのきっかけはありますか
まずは地元というのが一番ですけど、監督が都道府県駅伝などで中学生くらいの時からずっと僕のことを見てくれていて、信頼できる監督だというのもあります。
――競走部OBの藤原滋記選手(平30スポ卒)や阿久津圭司選手(平21スポ卒)も所属していますが、先輩からの影響もありましたか
はい、もちろんそういう影響もあって、入りやすいなと思ったので、それも一つの理由です。
――先輩から声を掛けられたことはありましたか
いや、もちろん面識はあるのですが、会ったときに話すくらいで。会社を決めるときに何か声を掛けてもらったというのはないんですけど、良い先輩方なので、続きたいなという気持ちがあります。
――実業団ではどんな選手になりたいですか
まずは自分のトラックのタイムに満足していないので、記録をしっかり出して、ゆくゆくはマラソンでしっかり代表を目指してやっていきたいと思います。あとは僕の中のポリシーで、自分の走りで周りの人に影響を与えられる選手になりたいと思っているので、記録だけでなくて、人に影響を与えられるような選手になれたらいいなと思っています。
――自分の走りで影響を与えるというのは
例えば、あの走りを見て感動したとか。感動しただけでもいいんですけど、あの人も頑張っているから頑張ろうと思ってくれればよりいいですし、何か人の心を動かせたらいいなと思っていて、そんなランナーになりたいです。
――目標の記録は決まっていますか
まずは5000メートル13分台、1万メートルで28分台は一つの目安になるので、そこはなるべく早く達成したいと思っています。
――最後に、ファンや読者に向けて一言お願いします
これまで4年間いろいろな周りの人から支えてきてもらいました。最後の年は結果で恩返しすることができなかったんですけど、後輩たちがまたこの悔しさを返してくれると思うので、「今年のワセダは駄目だったから応援するのをやめよう」というのはなしで、これからも応援してほしいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 岡部稜)
◆清水歓太(しみず・かんた)
1996(平8)年5月3日生まれ。168センチ、53キロ。群馬・中央中教校出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル14分08秒97、1万メートル29分24秒33、ハーフマラソン1時間3分08秒。2017年箱根駅伝10区1時間12分30秒(区間9位)。2018年箱根駅伝9区1時間10分39秒(区間1位)。2019年箱根駅伝4区1時間3分05秒(区間3位)。