【連載】箱根事後特集『臙脂の足跡』第8回 新迫志希

駅伝

 3年目にして初の東京箱根間往復駅伝(箱根)に挑んだ新迫志希(スポ3=広島・世羅)。復路のエース区間である9区に出走したが、厳しいレース展開となり満足のゆく結果とはならなかった。しかし20キロ超を走り抜きシード圏内に近づこうとする姿は、ここまで苦しんできた男の復活を予感させるものだった。そんな初の箱根路は新迫の目にどう映ったのだろうか。

※この取材は1月16日に行われたものです。

「箱根までの期間はすごくいい経験になった」

質問に答える新迫。取材は和やかな雰囲気で進んだ

――箱根が終わってどのように過ごされましたか

10日くらい広島に帰っていました。

――帰省はゆっくりできましたか

できました。

――地元で友人に声は掛けられましたか

みんな授業でいなかったので、祝日に会って「お疲れ」という言葉をいただきました。

――箱根を走ると決まった時の、ご家族の反応は

やっとか、という感じでした。

――観に来られていましたか

はい。

――いつ頃、9区を走ることが決まりましたか

正式に決まったのは、エントリー当日です。

――決まった時の心境は

9区と言われて、あまり準備していなかったので、何でここなんだろうという気持ちでした。

――どの区間を想定していましたか

7区だと思っていたので、9区と言われて驚きました。

――ご自身が求められている走りはどのようなものだと考えていましたか

往路が終わった時点でシード圏内とかなり離れていたので、そこまでは持っていくという気持ちでした。

――昨年9区を走った清水歓太選手(スポ4=群馬・中央中教校)からアドバイスはありましたか

タイムがかかるところがあるかもしれないけど、そこはまあ大丈夫、と言われました。

――初めての箱根でしたが、意気込みは

とにかく楽しむということと、結果を求めていたので、結果としては自分たちの求めたものではなくなってしまったんですけど、自分の中ではかなり良い経験ができたので、この経験を生かしたいと思います。

――往路の走りをご覧になっていかがでしたか

ちょっとやばいなと思いました。

――当日のコンディションはいかがでしたか

後がないし、緊張はしていました。でも、自分のところで何とかしようという気持ちもあったので、気持ちは高ぶっていました。

――6区から8区まで区間2桁の走りが続きましたが、どうご覧になっていましたか

いよいよやばいなと思って(笑)。難しい展開ではあったんですけど、はっきり言ってしまえばシード圏内でなければ11位も20位も変わらないので、そこで自信というか今までのレースの経験から行かなければいけないところで、行き切れなかった6区から10区まででした。小澤さん(直人、スポ4=滋賀・草津東)は頑張っていましたけど。そこは改めて自分たちの1年間通しての目標なのかな、と思いました。

――6区から8区を見ていて、シード圏内までいけると思いましたか

シード圏内までいけるとは思いませんでした。近づこうとは思っていましたけど、自分のところでもかなり微妙な位置で来てしまったので。もう難しかったです。

――8区の太田直希選手(スポ1=静岡・浜松日体)と何かコミュニケーションは取られましたか

1年生だったので、さすがに「なにやってんだ」というのはかわいそうだと思ったしかなり頑張ってくれたので、笑顔で「おつかれ」と労いの言葉をちゃんと言って、そこで自分の余裕が持てているなと思いました。

――緊張もあったけれど、いい状態だったということですか

そうですね。

――タスキを受け取った時、どんな走りをしたいと思いましたか

とにかくシード圏内というのもあったし、この大集団の中でどのように飛び出して戦わなければいけないか、というのをすごく考えました。

――レースプランはどのようなものでしたか

とにかくペースを維持するというのがレースプランだったんですけど、全くできませんでした。

――集団走がずっと続いたと思います

周りの選手がけん制し合って全然引っ張ってくれなくて、誰かが行くしかないという状況で、自分がいってそれでレースが動いたので、そこでしっかり離すことができればよかったんですけどそこがなかなかできませんでした。

――自分で引っ張るというのは理想的な形ではありませんでしたか

そうですね。向こうも必死でついてくるので、どうやって離さなければいけないか、とか考えながら走っているとそれだけでもストレスになってしまいました。どこで飛び出そう、とかいろいろ考えて走っていました。

――集団がばらけてからの走りを振り返っていかがですか

そこはある程度、自分が求めた走りができたと思います。

――監督から声は掛けられましたか

声は掛けられたんですけど、きつくて聞こえにくくて覚えていないです(笑)。

――沿道の声援は聞こえましたか

騒いでいるのは分かったんですけど、何を言っているかは分からなかったです。

――10区の小澤選手にタスキを渡した時の気持ちは

やっと終わったんだと思って、とにかく自分のやるべきことはやったし、どんな結果でも受け止めるという気持ちでタスキを渡しました。

――シード圏内までの秒差も縮めて、区間9位のご自身の走りをどう評価されますか

自分のところでもっと差を縮められれば良かったですし、もう少し力があれば、集団になっても自分の走りを最初からできたと思うので、まだまだだなと思います。

――点をつけるなら

40点くらいです。

――初めて箱根を走ってみていかがでしたか

箱根は出たんですけど、箱根を走っていないという感じでしたね。

――収穫はありましたか

23キロという長い距離をしっかり走り切ることができたので、こういう練習をすればトラックでもハーフマラソンでもしっかり走れるんだということが分かりました。箱根までの期間はすごくいい経験になりました。

――課題は見つかりましたか

まだスピードを維持できていないので、来年はそこをもう少し重点的に取り入れていきたいと思います。

――チームの結果をどう受け止めていますか

なんとも言えないですね。シード権を逃しましたし。シード圏内という目標を立てていればよかったんですけど、3位以内を目指してやってきたので結果は散々でした。

――3位以内という目標が高すぎたと思いますか

高すぎたと思います。全日本(全日本大学駅伝対校選手権)と出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)の結果からして、攻めるという気持ちは大事だったんですけど、攻めてシード落ちしてしまったらどうしようもないし、入賞圏内での勝負の仕方も全然できていないので。おのおのがどう感じているかは分からないですけど、この1年大変なんだなと受け止めています。

――この経験をどう次につなげていきたいですか

1つ後輩たちに言いたいのは、駅伝は駅伝でもやっぱり個人が良ければ駅伝の順位は良いので、1人で頑張れとは言わないですけど自分がやってきたことはどのレースでも出てくると思うので、そういうのは伝えていきたいと思います。

――来年挑戦したい区間はありますか

やっぱり往路ですね。今年は復路を走ってしまったので、来年は前半区間を任されるようなチームを引っ張れる存在になって、また箱根に戻ってきたいと思います。

――4年生が引退されましたが、特にお世話になった先輩はいらっしゃいますか

井上さん(翔太マネジャー、スポ4=愛知・千種)と清水さんです。

――具体的なエピソードはありますか

暇がよく合って、寮のご飯でもよく一緒になったので、その人たちがいなくなるのはかなり寂しい気持ちがあります。

「背中で引っ張れる選手になりたい」

集団の先頭で引っ張る姿を見せ、箱根デビューを果たした新迫(左端)

――来シーズン、最高学年となりますがどんなチームを作っていきたいですか

ここまで上級生がふがいない結果や走りを見せてしまっているので、今までの先輩たちのように背中で引っ張れる選手になりたいです。

――駅伝主将の太田智樹選手(スポ3=静岡・浜松日体)は新迫選手から見てどのような選手ですか

やるときはしっかりやってくれるんですけど、太田もなかなかうまくいかない時期が続いているので、それに負けないように僕も手助けしながら一緒に最高学年として頑張っていきたいです。

――今後の試合の予定は

学生ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)に出場します。

――来シーズンの駅伝とトラックでの目標は

(今シーズンは)関東インカレ(関東学生対校選手権)と全日本インカレ(日本学生対校選手権)は、記録を切っていないし、箱根でも散々な結果だったので、とにかく来シーズンは結果にこだわるということで、一つでも多く入賞を目指して頑張っていきたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 小林理沙子)

◆新迫志希(しんさこ・しき)

1997(平9)年4月28日生まれ。163センチ、49キロ。広島・世羅高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル13分47秒97、1万メートル29分07秒06、ハーフマラソン1時間4分03秒。2019年箱根駅伝9区1時間11分00秒(区間9位)。