【連載】箱根事前特集『起死回生』 第14回 永山博基

駅伝

 1万メートルでチーム最速の28分25秒85のベスト記録を持つ永山博基(スポ4=鹿児島実)。一昨年の全日本大学駅伝対校選手権(全日本)では4区区間賞に輝き、エースの呼び声高い永山だが今年はケガに苦しんだ。一時は歩くこともままならないほどだったが、現在は東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に向けて練習を再開している。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本を回避した今、永山が見据えるものは箱根、それだけだ。

※この取材は12月5日に行われたものです。

「精神的にも苦しい時間が長かった」

質問に丁寧に答える永山

――今年はケガに苦しめられたシーズンだったと思いますが、大まかに振り返るといかがですか

 最上級生として走りで引っ張りたいというか結果を残したい。学生最後の年で色々目標を立てていたので、そういう面ではスタートラインに立てないこともほとんどで、悔しいし、精神的にも苦しい時間が長かったと思います。

――相楽豊駅伝監督(平9人卒=福島・安積)が「最も長い期間のケガだったと思う」と仰っていましたが、いかがですか

 本当に長かったですね。

――ケガが長引いてしまった原因などはあるのでしょうか

 これまで無理にやってきたことも大きいのかなと思って。左の鼠径(そけい)部、大腿骨、恥骨や腸腰筋だったりが全く駄目で、一番ひどい時は歩いたりすることや日常生活を送ることもきつかったです。リハビリでバイクやプールに行きたかったんですけど、そういうのもできない日々でしたね。

――ケガの時はどのような気持ちでしたか

 本当に何もすることが出来なかったですし、疲れ切ってしまったり。何もしなかった時間もありました。

――部員日記に「精神的にも参ってしまった」と書いてありましたが、何もする気が起きなくなってしまったということなのでしょうか

 別に何もする気が起きなかったわけではないんですけど、何もできなかったので、そこは割り切ってという感じで。監督から「陸上を忘れた生活をしていいよ」と言われていたので自分の中でも一旦落ち着いて。普段ならこういう時こそ貪欲になるべきなんですけど、逆にゆっくり過ごしましたね。

――ゴールデンゲームズinのべおか(GGN)はトラックレースの初戦ということで臨まれたと思いますが、その時の感覚は良かったのでしょうか

 GGNを初戦として選んだのも、状態はすごく悪かったんですけど、インカレを目指す上ではそこが最後のレースということで選びました。ただ結局、全然走れなかったですし、インカレも走ることができませんでした。

――対校戦や駅伝に出場ができませんでしたが、大会を見ていてどのようなお気持ちでしたか

 やはり高い目標を掲げていた部分があったので、出られなくて悔しい気持ちがすごくありました。

――チームを結果を見て、永山選手はどのように感じましたか

 出雲、全日本と今までにない以上悪い成績になってしまって、チームとしても考えないといけない点がたくさんありました。ただそれは自分自身の責任ではないですけど、そのようなものが一番大きくて。たらればはいけないのですが、やはり何も出来なかった自分がすごく情けなかったです。

――ケガの間はどのようなリハビリを行っていたのでしょうか

 特別なトレーニングはしていなかったんですけど、時間を無駄にしないように毎日過ごしたので、ケガの期間は長かったんですけど有効的な過ごし方は出来たのかなと思います。

――モチベーションはどのように保っていましたか

こんな状態でもみんな「箱根は入ってくれ」と監督もチームメイトも信じてくれていたり、先輩も声を掛けてくださって、最後は箱根しか残っていないので、箱根で走って恩返ししたいという気持ちが一番のモチベーションでした。

――箱根が永山選手にとって大きかったということですね

 恩返しできるところは箱根しか残っていなかったので。すごく規模も大きいですし、大きなモチベーションになっていましたね。

――ケガについてどなたかからアドバイスを受けていたのですか

 普段トレーナーとして来てくださっているファイテンの知野さん(知野亨氏)を始め、帝京大学の五味さん(五味宏生アシスタントコーチ)といった方々にアドバイスをいただいたり、いろいろなリハビリを教えていただきました。

――先ほど「声を掛けてくださった」と仰っていましたが、何か印象の残っていることはありますか

 一人を挙げると難しいんですけど、中学校の先生もそうですし、高校・大学と先輩の高田さん(康暉、平27スポ卒=現・住友電工)などですね。「頑張れ」とか「一生懸命やれば報われるよ」という言葉をいただきました。なので今の時間を無駄にしないようにと思って過ごしていました。

――10月には「一貫性のある取り組みが出来つつある」と部員日記に書いていましたが、それはどんな取り組みなのでしょうか

 まずはやりたい練習ができるようになってきたというのと、それが継続してできるようになってきたというのが一番です。その一つひとつを線で結ぶことができ始めたという感じですね。

――その頃のやりたい練習とは

 そう言ってもそのときの状態に応じた練習です。10月から練習を始めて箱根だけを見据えてトレーニングを開始しました。最初は5分ジョグを3セットくらいから徐々に、という感じでした。

――ケガが明けてジョグを始めたときには何か思うことはありましたか

 シンプルに走れてうれしいという思いはあったんですけど、そんな感情よりも1月2日が待っているので、それに向けてやれることを一日一日やっていくことだけを考えていました。

――少し話が戻ってしまいますが、夏は所沢でB、Cチームと練習することも多かったということですが、夏を振り返るといかがでしたか

 自分自身がそんなに練習ができなかったので、ミーティングを引っ張ったり、それ以外でも見れるトレーニングを見たり、下の意見を聞いてそれをスタッフに話したりといった感じでしたね。

――永山選手がリーダーとしてB、Cチームを引っ張っていたのでしょうか

> 僕一人でやったわけではなくて、望(岡田、商4=東京・国学院久我山)が一番中心にやってくれたんですけど、一人に頼るのではなくみんなでサポートしながらやっていきました。僕も今まで上のチームでやってきてそこまで下のチームの話を聞く場面がなかったので、そういう面ではいろいろな話を聞いたり、アドバイスをできたのかなと思います。

――早大競技会では後輩に発破を掛ける場面があったのが印象的でした。後輩の走る姿に何か感じたものがあったのでしょうか

 感じることも多かったですし、そのときそのときに応じて課題なり良かったところなどがあると思うので、なるべくそういうことは言ったり伝えたりしていました。

「一本集中」

今シーズン唯一出走したGGN

――箱根についてお伺いします。集中練習にはすでに入っているのでしょうか

 状況も状況なので、摘みながらといったところですね。今ポイント練習を始めて1カ月というところで、日に日に成長を感じているところですね。

――どれくらいの強度の練習を行っているのでしょうか

 10月、11月はジョグがメインで、11月からスピードを出し始めたという感じで、2カ月かけて作った土台を12月の集中練習を摘みながら、箱根に向けて仕上げていくかたちです。

――具体的にこういう練習が出来たというのはありますか

 先週に、みんながやる3000メートル+5000メートルを使って、後半の5000メートルの4000メートルを2分55秒ペースで走り切れたなどですね。あとは自分の中で大事なポイント練習の要所要所をしっかり走れるようにという感じでやっています。

――皆さんが行う練習に入りながら一緒に練習しているということでしょうか

 自分の練習もしつつ、合わせられるところは一緒にやるということですね。

――後輩の選手から「オーラが出ている」と聞きました。集中して練習が出来ている状況でしょうか

 そうですね。毎日毎日良い練習が積めていて、この調子で箱根まで行けばある程度は戻ってくるのかなと自分でも信じてやっているところです。

――今の永山選手の状態を数字で表すといくつくらいでしょうか

 まだ40パーセントくらいではあるんですけど、これから一段階二段階上げられるとは思います。

――いまケガの状態で不安な要素はありますか

 いやケガに対する不安はないです。毎日慎重に大胆にかつ冷静にではないですけど、確実にトレーニングやケアが出来ています。

――ケアの点など、昨年までと比べて変わったところはありますか

 やはり自分の体を理解できたことがあって、トレーニングにしてもその課題を克服のために自分にとって確実なものができています。ただこんな慎重に行ってて箱根をどんなレベルで戦えるのかと言ったら厳しい状況にあると思うので、少しペースアップはしなくちゃとは思います。

――昨年と比べると今の状態はいかがですか

 昨年も、2年生のときもそうだったんですけど、ケガで箱根を迎えてしまって、不安を抱えたまま出てしまいました。今年は昨年よりは自信を持ってスタートラインに立てるのではないかと思います。

――相楽駅伝監督とは箱根へどのように向かっていこうとお話されていますか

 毎日の練習も相楽さんとメニューを立てます。例えば今日も1万6000メートルだったんですけど、自分の中では1万6000を走ってもいいかなと思っていて、相楽さんは1万2000でいいよと言ってくれて間を取って1万4000で、という感じで。相楽さんとそういった感じで練習はお互いの意見を聞きながらやっていきます。

――相楽駅伝監督と相談しながら段階段階ペースアップしていくつもりということでしょうか

 そうですね。ただ時間がないので、力を出すのは本当に箱根一本になるのかなと思うので、一本集中という感じですね。

――永山選手自身、焦りを感じる部分がありますか

 多少はあるんですけど、自分がやらなくちゃいけないと思うので、勝負を決めるくらいの意気込みで行きたいと思っています。不安がないと言ったらうそにはなるんですけど、やれることをしっかりやってスタートラインに立てば走れると信じて本番まで過ごしたいです。

「自分を信じて」

昨年はケガを抱えての出走となり、苦しい走りとなった

――永山選手の復帰はチームの皆さんが待ち望んでいたことだと思います

 二つの駅伝に失敗してしまいましたが、箱根に関してはみんなも僕が入ってくれと思って、こんな状態でも信頼してくれるみんながいます。走ってみなくちゃわからないんですけど、やはり安心させられるような存在というか、そういった面では練習の面でも出来るところは引っ張っていったりとか、後輩に声を掛けたりとか、そういった存在でいたいと思います。

――箱根に向けて、何かイメージは出来ていますか

 いや、今の段階では全く出来ていないですね。ひとまずやれることに集中して、というところです。

――どの区間を走りたいという気持ちも今はあまりないということなのでしょうか

 そういうわけではなくて。ただ特別この区間を走りたいというこだわりはないですね。チームのためならばどこでも行くつもりはありますし、ただ往路できっちり走り切れるような準備は進めています。

――永山選手は早大のエースということで、期待も大きいと思います。

 プレッシャーなどはなくて、やるべきことをしっかりやるという感じです。ただ結果は出さなければならない中でそう言っていただけるのに結果を出せない自分がいて、それはふがいないと思っています。だから最後くらいはそんな走りがしたいですし、心でもチームを支えられる存在になりたいと思います。

――今年は最後の箱根ということで過去三年間と気持ちの違いはありますか

 やはり箱根は特別な大会で、自分の中で大きなモチベーションになっています。ただ毎年相性が悪いのは事実で、今回も何とも言えない状態ではあるんですけど、自分の未来のためにもですし、チームのためにも、そういったいろいろな思いを含めてタスキをつなぎたいと思います。

――また同期と走る最後の箱根になりますが、同期の選手に対する思いはありますか

 やはりチームを一年間引っ張ってきたので、走るにしろ走らないにしろ良い結果で終わりたいなと思います。そういう面では自分がきっちり走り切ることだと思います。また走るのは学年関係なく10人なので全員きっちり力を発揮できればと思います。

――箱根に出走できたならば、自分に求められる走りとは

 区間賞、とまではいかないですけど、流れを変えたり、ゲームを決定付ける走りをしたいです。

――最後の箱根に向けて意気込みをお願いします

 きっちりつなぎたいと思います。つなぐと言ってもただタスキをつなぐだけじゃなくて、後輩にも思いを伝えたいですし、自分の先などいろいろなものをつなぎたいと思います。

――これで最後の質問です。どのような気持ちで大手町でチームを迎えたいですか

 目標は3位以内であって、その目標が達成できるのが一番なんですけど、チームとして100パーセントやり切れればいいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 岡部稜)

箱根に集中して力を発揮して大学生活を終えます!

◆永山博基(ながやま・ひろき)

1996(平8)年7月20日生まれ。168センチ。50キロ。鹿児島実業高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分58秒81、1万メートル28分25秒85。色紙には「雲外蒼天」と書いてくださいました。長いケガを克服し、着々と箱根に向けて準備を進めている永山選手。その言葉通り、最後の箱根では青空を突っ切るような走りが見られることでしょう!