【連載】箱根事後特集『臙脂』の意地 第10回 安井雄一

駅伝

 これまでの東京箱根間往復大学駅伝(箱根)ではいずれも好走を収め、ことしは駅伝主将としてチームをけん引してきた安井雄一駅伝主将(スポ4=千葉・市船橋)。『総合優勝』の目標に向け3度目の天下の剣に挑んだ。5位でタスキを受け取ると、2校をかわし3位に浮上する。後半は独り旅となったが着実に東洋大、青学大との差を詰め区間2位でゴール。翌日の復路に期待を残し、早大最後のレースを終えた。今回は箱根を振り返りつつ、駅伝主将の役目を終えて感じること、そして今後の競技人生について伺った。

※この取材は1月10日に行われたものです。

「僕で一番を取るしかない気持ちでいた」

安井は1年間、駅伝主将としてチームを率いてきた

――箱根が終わって一週間経ちましたが、調子はいかがでしょうか

 箱根が終わって、疲れを抜く一週間でした。

――箱根の疲労はまだ残っていますか

 そうですね。まだ残っていますね。

――オフの期間はどのように過ごされましたか

 特に何をしたかというと、のんびり過ごしました。

――好物のメロンパンを食べたというツイートを拝見しましたがいかがでしたか

 おいしかったです(笑)。

――大学芋も好物だと伺いましたが、召し上がりましたか

 いや、まだ食べていないです。

――それでは箱根の質問に移らせていただきます。まず12月の集中練習の消化具合はいかがでしたか

 しっかり走り込めて、この4年間の中で一番内容の良い集中練習でした。

――5区を走るのが決定したのはいつ頃でしょうか

 僕が行くという気持ちでずっといました。いつ決まったというのは特にないです。

――相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)からはどのような指示を受けていましたか

 目標タイムは73分20秒という具体的な目標を言われていたのですけど、しっかり自分の力を出し切ってこいと言われました。

――3度目の5区ということで、安井選手自身の目標はありましたか

 特にタイム目標は設けていなかったのですけど、72分を切りたいという思いではありました。

――チームとしての不安要素はありましたか

 正直ありましたね。特に永山(博基、スポ3=鹿児島実)とかはケガ明けというのがあって少し不安がありました。

――当日の調子はいかがでしたか

 非常に良かったです。

――3度目の山登りということで注目が集まっていたと思います。緊張はしませんでしたか

 緊張はほとんどしてなかったですね。楽しもうと思っていました。

――往路(1区〜4区)の走りはご覧になりましたか

 1、2区は中継所で見て、3、4区は付き添いから聞くという感じでした。

――レースを見ていていかがでしたか

 きっとみんなが自分の力を出してくれると信じていたので、非常に良い順位で持ってきてくれました。滋記(藤原滋記、スポ4=兵庫・西脇工)が11番で少し遅れてしまったのですけど、徐々にみんなが上げてきてくれて、あとは僕で一番を取るしかないという気持ちでいました。

――同じ4年生の石田康幸選手(商4=静岡・浜松日体)からタスキを受け取る際の心境は

 一緒に4年間やってきた仲なので、いろいろな気持ちがこみ上げてきて、がんばろうと思いました。

――5位でタスキをもらいました。ご自身はどの位置で走るかと考えていましたか

 正直な話、先頭で来るとは思っていなくて、先頭を狙える位置で来てくれるかなという思いで待っていました。特にどういう位置で来るとは考えていなかったのですけど、自分のやるべきことをやろうと思いました。

――往路優勝を目指すなか、東洋大との差は4分8秒、青学大との差は2分5秒でした。タスキをもらってすぐに拓大を引き離し、積極的な走りを見せました

 東洋大と4分開いていて、正直なかなか追いつけない差だなと思いました。でもやはり何が起こるかわからないので、まずはしっかり最後まで走ろうと思っていて、青学大さんまで追いつけたら追いつきたいという思いでスタートしました。

――レース中、監督車からの言葉はありましたか

 2つ前に神奈川大がいたので、神奈川大との差をすごく言われていたのと、区間賞争いが20秒前後に何人も固まっているから区間賞を取ろうというのを後ろから言われました。

――部員日記にずっと白バイと2人きりで寂しかったとありましたが、単独走はいかがでしたか

 本当にずっと独りで。ただそこでしっかりと走れるのが僕の強みだったので、しっかり走れました。でもやはり前の選手がいたり、テレビカメラが横にいたりすると結構モチベーションが上がるので、そういった点においてはなかなか自分の力を発揮しづらかったかなと思います。

――昨年は序盤に足が動かなかったとレース後にコメントされていましたが、ことしの序盤の走りはいかがでしたか

 ことしはしっかりピークを合わせることができたので、前半からいい動きをすることができました。

――ゴールまであと約8キロの地点で右のふくらはぎがつりそうになるというアクシデントがあったと伺いました

 よく練習でもあったので、耐えてくれという感じで。特に青学大の選手のように止まろうとは思わなかったです。

――芦之湯での石田裕介主将(スポ4=千葉・市船橋)からの給水はいかがでしたか

 高校から一緒にやってきた仲だったので、気持ちのこもった給水で裕介も「がんばれ」と声をかけてくれて、残りあと5キロ、裕介のためにもがんばろうと思いました。

――下り基調の芦之湯からゴールまでの区間で前回は大きく前との差を詰めました。今回もこの区間タイムはトップでした

 下りからの残り5キロが僕の真骨頂でもあったので、そこである程度がんばれればよかったのですが、後半脚が動かなくて、自分の中では100パーセントは出し切れなかったという感じです。

――それは右のふくらはぎが影響していたのでしょうか

 いや、もう疲れましたね。

――芦ノ湖では東洋大に1分56秒、青学大に1分20秒と大きく差を詰めました

 往路優勝を目指していたので正直悔しい思いはあるのですけど、復路につながる結果だったのではないかと。まだまだ何が起こるかわからないという点で、いいところでつなげられたと思います。

――ゴールの際のポーズは駒野亮太コーチ(平20教卒=東京・早実)のオマージュですか

 いや、全然そういうのは意識していなかったです。自然に出たという感じです。

――区間2位、1時間12分04秒の結果についてどのように分析されていますか

 自分の力はしっかり出し切りました。終わってしまったことなのでどうすればよかったというのはないのですけど、区間賞を取りたかったという思いはあります。でも区間賞の青木君(青木涼真、法大)と20秒近く離れているので、実力的にこんなもんかなと。ただ本当に悔いはない結果です。

――ご自身の走りに点数をつけるとすれば

 100点をあげたいと思います。

――最後の箱根でした。改めて走り終えてのお気持ちは

 4年間ワセダでやってきて、特にこの一年間は駅伝主将としてやってきて、最後にこうして笑顔で終わることができてうれしく思います。

――復路はどのようにレースを見ていましたか

 もちろん優勝を目指していたので、優勝を諦めない走りをしてほしいなと思っていましたが、やはり青学大さんとの力の差は歴然としていました。どちらかというと3位に入ってほしいという気持ちが途中から強くなったので、粘ってくれという思いで見ていました。

――沿道に行ってレースを見られましたか

 行きました。7、8、9区ですね。

――ゴールの大手町では鈴木皐平主務(教4=愛知・時習館)と一緒にアンカーの谷口耕一郎選手(スポ4=福岡大大濠)を迎えました。その時の安井選手には涙も見受けられました

 最後3位という結果で谷口が帰ってきてくれて、この一年間苦しんだことなどが溢れてきました。谷口もすごく苦労してきたので、最後こうして、3位ではあるのですけど、3位と4位では全然違うので、とてもうれしくて涙が出てきました。

――走り終えた谷口選手に何か声をかけましたか

 ありがとう、と言いました。

――『総合優勝』を目指していたなかでの総合3位という結果についてはどのようにお考えですか

 優勝を目指したなかでやってきて、1位の青学大さんと10分以上の差があるので、まだまだ力不足だったなという感情もあります。でも、よく言っているのですが、下馬評ではなかなかワセダは戦えない、厳しいんじゃないかと言われているなかで、しっかりと自分たちの力を出し切って3位に入れたというのは逆に自信になりますし、銅メダルというかたちで僕たちのやってきたことを残すことができたので、ホッとしたというか、よかったなと思っています。

「みんなに感謝している」

往路ゴールの際、『W』に手を当てる安井

――この1年間駅伝主将としてやってきていかがでしたか

 部員日記にも書いたのですが、正直なところ結構疲れたなと思っています。この1年間特に主将らしいことをやってきたかと言ったらそういうわけではないのですけど、本当にみんなに助けられたというか、特に4年生にとても支えられました。1年間主将をやってきましたけれども、どちらかというと4年生みんなでチームを引っ張ってきたかたちだったので、みんなに感謝しています。

――これまでの3年間と比べて何か違い等はありましたか

 やはり1年目から3年目までは先輩がいるので、先輩に頼ってばかりだったのですけど、いざ4年目になって、頼られる側や自分たちが引っ張っていく側になったときの難しさを実感しました。それと同時にこの1年間、4年生を中心にやってきて、時間はかかったのですけど最後の最後に4年生みんなで結果を出すことができたので、4年目は本当に充実した1年でした。

――何かうまくいかず、苦しかったことはありましたか

 もうたくさんあったので…。何かと言われると…。本当にいろいろなことがありました。

――それでも乗り越えられた理由は

 みんなに支えられましたね。それと『総合優勝』という高い目標を掲げていたので、絶対にぶれちゃいけないというのはずっと思っていました。そこだけは貫き通すことができたと思います。

――ことしは下馬評があまり高くありませんでしたが、それに対してはどのように受け止められていましたか

 あくまでメディアが言っていることなので、特にそう言われてがっかりしたことはなかったんですけど、やはり悔しいというか、ワセダを応援してくれる方々も多分不安になったと思いますし、僕たちチームにも少なからず不安なやつもいたと思います。それでもやればできることを最後に見せられたのでよかったなと思います。

――駅伝主将を務めてよかったこと、ご自身で成長したと感じるところはありますか

 1年間やってきて、何が成長したかと言えば、自分ではわからないかもしれないのですけど、やはり人として強くなれたのを少し感じます。競技というよりは人間的に強くなれたかなというのがあります。

――安井選手自身の4年間を振り返るとどのような競技生活でしたか

 この4年間、絶不調に陥るとか、そのようなことは一度もなくて、箱根も4年連続出場できましたし、関カレ(関東学生対校選手権)も4年連続出場することができて、自分の中で4年間みっちりワセダに貢献することは少なからずできたのかなとは思います。でも入学してきた当初は、世界を目指すような選手になりたいという思いで入ってきて、まだまだこの4年間でそこに達することはできなかったので、これからの競技に活かしたい4年間でもあるなと思いました。

――昨年のこの対談で、「悔いを残さず、仲間たちと陸上を楽しみたい」とお話されていましたが、それは達成できましたか

 はい。それは達成できました。

――4年間苦楽を共にしてきた同期の選手たちに言葉を掛けるとすれば

 ありがとう、の一言に尽きます。

――次期駅伝主将を務める清水歓太選手(スポ3=群馬・中央中教校)や後輩たちに何か言いたいことはありますか

 歓太もそうですけど、チームみんなが、やればできるというのをことし感じたのではないかというか、他大に走力で負けてはいても、駅伝では戦えることは身に染みたと思います。強力な新入生も入ってきて、新しいワセダを作っていくと思います。周りに流されず、自分のやるべきことをしっかりやっていってほしいです。

――安井選手にとってエンジのユニフォームというのはどのようなものでしたか

 輝いていたというか、ずっと憧れていたユニフォームを4年間着ることができて、憧れの存在であったユニフォームを自分がまとったので、今度は僕たちの駅伝を見ている子供たちがエンジに憧れてくれていたらいいなと思いますね。

――2月に行われる東京マラソンに出場されるということですが、そこに向けて目標はありますか

 東京マラソンは2時間15分という目標を掲げているので、それに向けてしっかり練習していければなと思います。

――卒業後はトヨタ自動車で競技を続けられるということですが、そこでの理想像はありますか

 トヨタ自動車様はレベルの高いチームで、僕が入ったらまずチームの一番遅い選手となります。まずは基礎基本をしっかり作って、それからチームの流れに慣れてから、ニューイヤー駅伝やマラソンに挑戦できるようにしていきたいです。

――トラックやマラソンのタイムの、具体的な目標があれば教えてください

 目標のオリンピックでメダルを取れるような選手になるのが僕の夢でもあるので、そのためにも、(マラソンで)2時間7分台といった高いレベルが求められると思います。マラソンでそういうタイムを出すためにはトラックでもしっかり(1万メートルで)28分台前半を出していかなければいけないので、その二つを両立していければなと思います。

――最後にワセダのファンに一言お願いします

 4年間、応援ありがとうございました。最後の駅伝を笑顔で終わることができたのはワセダを応援してくれるファンの方々の応援の後押しがあったからだと思っています。個人的にも箱根の山で、何度も何度も名前を呼んでくれたり、ワセダの旗を振ってくれたりする方が多かったので、応援に助けられました。これから新しい早稲田大学としてスタートをするので、これからも応援よろしくお願いします。

――ありがとうございました!

(取材・編集 岡部稜)

◆安井雄一(やすい・ゆういち)

1995(平7)年5月19日生まれ。170センチ。56キロ。千葉・市船橋高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル14分09秒39。1万メートル29分07秒01。ハーフマラソン1時間02分55秒。2015年箱根駅伝8区1時間6分05秒(区間7位)。2016年箱根駅伝5区1時間21分16秒(区間5位)。2017年箱根駅伝5区1時間14分07秒(区間4位)。2018年箱根駅伝5区1時間12分04秒(区間2位)。