【連載】箱根事後特集『臙脂』の意地 第9回 光延誠

駅伝

 同期の中で誰よりも早く大学三大駅伝デビューを果たした光延誠(スポ4=佐賀・鳥栖工)。しかしこの4年間、駅伝では苦戦が続いていた。その借りを返す最後のチャンスとなった、ことしの東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。光延は区間4位の好走を見せ、早大の順位を6位から3位へと押し上げた。今回は集大成となったその箱根での走りついて振り返ってもらうと共に、4年間にわたった早大での競技生活や実業団入りに向けての意気込みについても詳しく伺った。

※この取材は1月10日に行われたものです。

「楽しんで走ることを目標に」

笑顔で質問に答える光延

――箱根が終わりましたが、今どのように過ごしていますか

 もうすぐ都道府県駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝)があるので、それに向けて数日前に練習を再開しました。

――箱根の疲れはまだ残っていますか

 (レースが)終わって4日ぐらいは結構残っていたんですけど、ここ最近は疲労が取れてきました。

――今はもう退寮していますよね

 そうですね。退寮して一人暮らしをしています。

――実業団入りが控えていると思うのですが、現時点で何か準備していることはありますか

 実業団に入ってからは、トラック種目メインでやっていこうと思っているので、こっちにいるうちはしっかりスピードを磨いて、実業団でその成果を発揮できるようにしたいと思っています。

――それではここから箱根に関する質問に移っていこうと思います。集中練習が終わってから箱根までの間はどのように調整していましたか

 距離に不安があったので、いつも以上に調整期間も長い距離を踏むということを意識して練習していました。

――ケガから復帰して初めてのロードレースが箱根だったと思うのですが、昨年と比べると不安は大きかったでしょうか

 不安はありませんでした。最後の箱根になるので、自信を持ってスタートに立つことを目標に練習していました。

――3区を走ることが決まったのはいつ頃になりますか

 エントリーが出る前に「3区を走るかもしれないぞ」とはちょっと言われていたんですけど、正式に報告されたのはエントリーが出てからですかね。

――3区起用の理由はなんだったのでしょうか

 相楽さん(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)には、「下級生に任せることも多い区間だけれど、ここで流れを切らさずにしっかりつないでほしいから、お前を置いた」と言われました。

――箱根直前の公開取材の時に、「できれば往路を走りたい」とおっしゃっていましたが、実際に往路を走ることが決まってうれしかったですか

 あんまりうれしさというものはなかったんですけど、「やるしかない」とは思っていました。3区はここ最近強い選手が起用されているので、しっかりイメージや気持ちを高めて練習していました。

――箱根本番のご自身の調子はいかがでしたか

 アップの時点では悪くないという感じでした。でも最後の箱根になるので、調子が良かろうが悪かろうが自分の走りをするだけだと思って臨みました。

――拓大から1秒遅れて太田智樹(スポ2=静岡・浜松日体)選手からタスキを受け取ったと思うのですが、どのようなことを考えて走り始めましたか

 拓大と山梨学院大が見える位置で智樹が(タスキを)持ってきてくれたんですが、僕自身はその2校を追うよりも神奈川大や東洋大を追うことを考えていました。なので拓大と山梨学院大にずっと付くというのは考えていませんでした。

――まず拓大、山梨学院大と集団を形成して、その後9キロ付近でその集団から飛び出したと思うのですが、そのタイミングで集団を抜け出した理由はありますか

 後ろが来ているなということが分かっていて、どこで集団を引き離すか考えていたんですけど、10キロ手前が下りだったので、ここで行くべきかなと思って行きました。結果的にそこで離せたので良かったと思います。

――そこから3位の神奈川大を抜いたのが中継所の手前でした。それに関して相楽監督が往路終了後の当会のインタビューで「本当はもっと前で抜けたんですけどね、そのあたりはやらしいですね(笑)」とおっしゃっていましたが、ご自身としてはどう思っていますか

 神奈川大の越川堅太選手は去年も箱根を走っている力のある選手ですし、(中継所から)400か200(メートル手前)でスパートをかけるべきだと考えました。そして一瞬(スパートを)かけようとした瞬間に向こうもスピードを上げたのと、必ず相手に勝って(タスキを)渡したかったので、残り200(メートル)からスパートをかけようと思いました。監督からは「もうちょっと早く抜けただろう(笑)」と言われて、終わってから考えると「もう少し手前で抜けたかもしれない」という思いもなくはなかったです。でももっと手前で抜いて足がもったかと言われると確信は持てないので、やはりあそこでしか抜けなかったと思います。

――4区を走るのは同期の石田康幸(商4=静岡・浜松日体)選手でしたが、タスキリレーの際にはどのような声掛けをしましたか

 集中していて具体的に何を言ったかは忘れましたが、僕が「頼んだ」というようなことを言って、康幸には「ありがとう」と言われました。僕自身今まで駅伝でいい走りができていなかったので、それに対しての言葉だったのかなと思いました。

――監督車からはどのような声掛けがありましたか

 監督からはスタート前に「お前は集中力が切れやすいから、集中を切らさずに走れ」と言われていました。それで集中することを意識していたので、監督車からの声はあまり聞こえていませんでした。ただ「区間賞争いをしているから、自信を持ってしっかり行け。ここからが勝負だぞ」というのは、海岸線を出たあたりで聞こえてきました。僕自身ハーフを走るときに15キロから(ペースが)落ち込むことが結構あったので、その言葉で落とさずに行こうと思うことができました。

――結果として区間4位で最後の箱根を終えましたが、ご自身の走りに点数を付けるなら何点になりますか

 80点くらいですかね。もう少しタイムを縮めたかったというのはあるんですけど、今出せる自分の力は出せたので。

――個人としては大学駅伝で苦戦が続いていて、最後でやっといい結果を残せたと思うのですが

 これまでの先輩方には本当に申し訳ない、というのが正直なところです。今年度は絶対に結果を残して気持ち良く卒業しようと思っていましたし、最低限総合3位以内に入ることを目標にしていました。最後はそう思って走った結果、神奈川大を抜けたと思うので、自分としては良かったかなと思っています。

――在学中も全ての駅伝で結果を残せなかったというわけではなく、都道府県駅伝などではいい走りを見せていたと思います。これまで大学駅伝でのみ結果を残せていなかった理由としては、何が挙げられると思いますか

 エンジ(のユニホーム)を着て走るときは、独特の緊張感だったりプレッシャーだったりを感じることがあったからですかね…。都道府県駅伝などでは緊張もありましたが楽しんで走ることができていたので、結果を残せていたと思うんです。それで今回の箱根では、プレッシャーもありましたが楽しんで走ることを目標にしていたので、あまり気負わずに走ることができました。

――楽しんで走ることが今回の結果につながったんですね

 そうですね。プレッシャーもあったんですけど、箱根を楽しむことを一番に考えて走ったので、結果を残せたのではないかと思います。

――箱根駅伝は他のレースに比べて沿道の応援がひときわ大きいと思うのですが、レース中にもそれは感じましたか

 そうですね。早大OBやボード出しをしてくれるサポートメンバーの顔が目に入って、それで頑張ることができましたし、感謝しています。

――復路では応援に行きましたか

 はい。6、10区以外の区間は応援に行って、大手町に向かいました。

――チームとしては総合3位となりましたが

 3位以内に入れば全日本(全日本大学駅伝対校選手権)のシードを取り返せるということを聞いていたので、僕自身はなんとしてでも自分の区間で3位に上がりたいと考えていました。また復路でも、3位以内をキープしてくれという思いで見守っていました。

――総合3位でゴールできてうれしかったですか

 下馬評では、早大はシード落ちだとずっと言われていて。僕らは本当に悔しかったので、その予想を裏切ってやろうと思って走りました。全員がそういう思いで臨んで力を発揮した結果、3位に入れたと思うので、それに関しては素直にうれしいですね。

――光延選手ご自身としては最後の箱根になりましたが、やはり懸ける思いは違いましたか

 そうですね。4年生がいい流れを作ればチーム全体としてもいい流れが作れると思ったので、「いつもと一緒の走りをしたら流れを作れないぞ」という強い気持ちで走りました。

早大での4年間で得たことを胸に

最後の駅伝でついに結果を残した

――ここからは、早大での4年間を振り返っていただこうと思います。そもそも早大を志望した理由はなんですか

 僕は本格的に記録が出始めたのが中3ぐらいで、その時に早大が三冠して、そこから大学駅伝に興味を持ち始めました。高校生のころには関東の大学に行きたいと思っていたんですけど、そうしたら憧れの早大から声が掛かりました。

――実際に早大に入学して、印象の変化などはありましたか

 高校時代と違って早大は自主性を重んじていて、自分と向き合って練習するというのが特徴で、僕自身最初はそれに戸惑いもありました。うまくやれば自分の長所を伸ばすこともできますし、下手をすれば練習をせずに記録が落ちてしまうということもありえるので、そういったところは難しかったですね。

――早大での4年間のうち、いい意味で印象に残ったレース、悪い意味で印象に残ったレースをそれぞれ挙げてもらってもいいでしょうか

 いい意味で印象に残ったレースは、今年度の全カレ(日本学生対校選手権)ですね。今年度は関カレ(関東学生対校選手権)で入賞できませんでしたし、記録も出ませんでした。全カレでは今季ベストも出ましたし、入賞することもできたので、それをきっかけに変わることができたと思います。一番悔しかったレースは、去年の箱根です。去年は優勝を狙えるチームで、僕自身は復路のエース区間を任せてもらいました。自信を持ってスタートに立ったんですけど、僕の区間で抜かされて歓太(清水歓太、スポ3=群馬・中央中教校)に3位でタスキを渡すかたちになってしまいました。去年の4年生には本当に申し訳ないという思いでいっぱいですね。

――早大に入って良かったと思った具体的なエピソードがあれば教えてください

 何も分からない状態で早大に入学してきた僕に対して、修平さん(山本修平、平27スポ卒=現トヨタ自動車)さんの代や、高田さん(康暉、平28スポ卒=現住友電工)の代、平さん(和真、平29スポ卒=現カネボウ)の代の先輩たちが、優しく時には厳しく接してくれました。そういった点に関しては感謝しないといけませんし、恵まれていたなと(先輩たちが)卒業してから感じることが多くなりました。

――エンジのユニホームは自分にとってどのようなものでしたか

 限られた試合しかエンジを着て走ることはできないので、そこで結果を残さなければならないというプレッシャーもありますし、それが自分を強くしたかなと思います。

――早大卒業後は地元の実業団である九電工に進むと思います。福岡の実業団チームは他にもあると思いますが、その中で特に九電工を選んだ理由はありますか

 僕自身こっち(関東)に残ろうとも考えていましたし、福岡に帰ってもいいかなという思いもありました。そんな中でいろいろな条件や練習面などについての話を聞いて、九電工が自分に合っているかなと思い、九電工に決めました。

――九電工で尊敬している選手などはいますか

 ポール・タヌイさんですかね。五輪でメダルも取っていますし、そういった選手と一緒に練習できることはとても光栄です。まだ力の差はありますが、いいところを盗んで今後の競技生活に生かしていきたいと思っています。

――早大の先輩だった中村信一郎(平28スポ卒=現・九電工)選手も、九電工でまた一緒になりますよね

 そうですね。

――今でも連絡は取っていらっしゃいますか

 はい。箱根当日も僕の区間で応援してもらいましたし、レース中に信一郎さんの顔も見えました。とても尊敬しています。

――九電工には同じ春日市出身の有馬佳祐選手もいらっしゃいますが、面識はありますか

 話したことはないんですけど地元が一緒ということで、いろいろ話したいと思っています。これから同期になる東洋大の堀(龍彦)、日体大の吉田(亮壱)は二人とも福岡出身で仲がいいので、そういった選手たちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら競技力を向上させていきたいです。

――実業団に入ってからの目標を教えてもらってもいいでしょうか

 トラック主体でやっていきたいので、まずは日本選手権の標準記録を切りたいです。日本トップクラスの選手に勝っていきたいという思いはありますし、日の丸を付けて走るというのが目標ですね。

――最後に後輩へのメッセージをお願いできますか

 ときには僕のことをいじってくれるかわいい後輩で、そういった雰囲気が早大の特徴でもあると思います。これからOBとして早大の応援ができるように、サポートできるようにしていきたいと思うので、後輩たちには頑張ってもらいたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 藤岡小雪)

◆光延誠(みつのぶ・まこと)

1995(平7)年7月18日生まれ。167センチ、49キロ。佐賀・鳥栖工高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分53秒08。1万メートル29分03秒47。ハーフマラソン1時間03分44秒。2016年箱根駅伝7区 1時間06分13秒(区間14位)。2017年箱根駅伝9区 1時間11分50秒(区間7位)。2018年箱根駅伝3区 1時間03分33秒(区間4位)。