早大長距離ブロックの主力の一員である光延誠(スポ4=佐賀・鳥栖工)。高校時代の実績を買われて早大の門をたたいた光延の、その活躍を支えた存在というのが、光延の恩師であり佐賀・鳥栖工時代の監督である古川昌道氏だ。光延の走りに対する印象や高校時代の思い出などのエピソードを古川氏に伺った。
※この取材は11月14日に電話で行われたものです。
「(光延は)自分ではなく、誰かのために走れる選手」
――初めて光延選手とお会いしたのはいつ頃ですか
初めて本人と応対したのは中学3年生の11月だったんですけど、中3の5月くらいには本人の走りを見に行ったりはしていましたね。
――初めて光延選手の走りを見た時の印象はいかがでしたか
非常にリズムが良くて、積極的な走りをするなという印象でした。
――光延選手の走りを見てどのようなところを伸ばしていこうと思われましたか
どちらかと言うと前向きで積極的に頑張るタイプなので、技術的な面はあまりいじらずに伸び伸びと育てようと思っていましたね。
――初対面感じた人柄や性格については
素直でいい子だなという印象を受けました。
――実際に指導するようになってから新しく光延選手に提案したメニューやアドバイスはありましたか
練習内容についての話はしたと思いますけど、具体的にこういう風にしなさいというのはほとんど言わなかったですね。
――光延選手に限らずそのようなスタンスでご指導をされているのですか
そうですね。個人メニューというよりもうちはチーム全体で動いているものですから、味付けは自分でしなさいという風に動いていましたので、本人に特別どうこうというのは言った記憶はないですね。
――光延選手は高校時代にケガが多かったとのことですが
そのことに関しては本当にやきもきしましたね。大学では何でこんなにケガをしないんだろうと思っています。大学の指導がよっぽどいいんだろうなと。
――ケガが多かったことに対してのアドバイスは何かされましたか
ケガが多いので、補強やケアをする時間を十分に取るようには言いましたね。彼は練習中はそこまでではないですけど、試合になるとリミッターが外れてバーっと吐き出してしまうところがあって。力を出しすぎるというか、普通はみんなそこまで追い込めないんですけど、彼は追い込んで思わぬ力を出すものですから、体の負担が極めて大きかったんですね。だからケガが多かったということもあって、本当にアフターケアだけはしっかりやるように言いましたね。試合で持っている力を出しすぎると言いますか、普通はそこまで力を出し切れない選手が多い中で高校時代はなんでこんなにすごい結果を出すんだという結果をたまに出していました。逆に言うと、体には負担が残るわけです。そういうところがもっと改善できればよかったなという部分ですね。
――試合になると試合とは違う姿を見せる具体的なエピソードや大会は覚えていらっしゃいますか
1番先に思い出したのが、1年生の時の国体(国民体育大会)で入賞した時ですね。国体は3年連続で入賞して、僕が指導してきた中で3年連続で国体で入賞したのは彼が初めてでしたね。そこそこは行くだろうとはレース前から思っていました。大会には私も帯同したんですけれども、決勝のレースは朝が早いんですよね。9時スタートだから、逆算して4時くらいには起きなければいけないところを本人はなかなか起きてきませんでした。食事の時間もあるので、気になって彼の部屋に行ったんですね。そうしたらごそっと起きてきて、「布団の中では起きていました!」なんて言ってきて(笑)。普段はヘラヘラしているのにやたら大会前は人を寄せ付けないくらい集中しているんですよ。声を掛けても気づかないくらいで、「あいつ緊張しているな」と思ったら試合でバーっと走って3位に入って、こいつはこういう時に力を出すんだと。普通の選手だったらあまり緊張していて力を出せないんですけど、彼の場合は大会時にガラリと表情とか態度が変わって、側から見ると緊張しすぎじゃないかなと思うくらい集中をしている時に結果を出すんだと思いましたね。それ以来、肩の力が抜けていればあとは何も言わずに頑張れよって送り出していました。普通だったら緊張しすぎだから肩の力を抜きなさいと言うところなんですけどね。そういうことがエピソードとして残っています。
――光延選手は1年の時から高校駅伝に出場されていましたが、下級生の時から主力として活躍していたのでしょうか
そうですね。入ってすぐから要所要所で活躍していました。彼が1番注目を浴びたのは1年の時の全国都道府県対抗駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝大会)の時ですね。上級生がケガをしたので代わりに出ることになったんですけれども、彼のところでトップに立ったんですよ。4区の5キロ区間で3番でもらったんですけど、通常だったら周りに強い選手がいて1年だったら付いていくことしか考えないのに、彼は最初から前に出て最後には上級生をちぎって前の方に出て行ったものですから、その時にはみんなの注目を浴びていましたね。
――古川先生から見て、光延選手は高校3年間でスランプはありましたか
スランプはなかったですけど、ケガで練習ができない時が多かったですね。私自身1番焦ったのが2年生の全国高校駅伝(全国高等学校駅伝大会)の時です。エースがケガをしているわけですから、これはどうしようかという思いでいました。確か疲労骨折で3週間丸々走れなかったんですね。ただ1、2週間前に走らせるかどうかの最後の確認でタイムを取ったときに、3週間全く走っていなかったのに先輩達よりも随分いい走りをしたので、これはもう申し訳ないけどアンカーを走ってくれと言いました。アンカーはもう順位が大体決まってきているのでいいかなと思ったので。その時が私が彼を見ていて1番神経がすり減ったというか、やきもきした時ですね、スランプではないんですけど。その時はアンカーで入賞争いをしていたのですが、それまであまり走っていなかったものですから最後にデッドヒートになった時に足が持たなくて、惜しくも9位で入賞を逃してしまいました。その後も丸々2カ月くらい走れなかったですね。
――レース以外のことで印象に残っているエピソードはございますか
あいつは非常に情にもろいと言いますか。1年生の最初の頃はただ速いだけというイメージがあったんですけれども、確か2年生の時に同級生のチームメイトで同じくらいの力のやつがいて、そいつのお母さんがクモ膜下出血で急に亡くなってしまったんです。本当に突然に亡くなってしまって、チームメイトでお葬式に行ったんですけど、あいつが1番大泣きしていました。それを見てこいつは本当に情にもろいやつだなと思いましたし、周りのみんなにもこの子は本当に人のことを考えて頑張る子だなと印象付けた出来事がありました。
――光延選手が情にもろい性格であることが、チームで戦っていく駅伝に生かされていると感じたことはございますか
駅伝で戦う場合によく悔し涙を流していたことを覚えています。先輩達を喜ばせたいとか、自分ではなくて誰かを喜ばせたいとか、誰かのためにという言葉を彼は結構使っていました。普通1年生だと自分に執着している選手が多いんですけど、彼はそういうところがまったくなくて、チームに良い影響を及ぼしたと思いますね。
――古川先生が普段ご指導される上でのモットーは何かございますか
生徒によく言うのは、練習メニューも大事だけれども、それ以前の生活だとか取り組む姿勢が1番大事なんだということですね。競技以前の生活態度や取り組む姿勢に関して、やらされているんじゃなくて自分でやるぞといった気持ちの部分はよく言うことですね。やる気があったら練習は勝手に自分で上げていきますから、強い練習を上から与えるというよりもちょっと余裕を持たせて、もっと自分で上を目指す姿勢を身に着けることを意識しています。
「自分らしく頑張ってほしい」
――光延選手が早大に進学した後もレース結果はチェックされているのですか
そうですね、大体はテレビくらいでしか観られないですけど。箱根(東京箱根間往復大学駅伝)は観に行きましたよ。テレビで映っている時には必ず家内が録画をしていて、その場で観られない時には後で見直して、というのは毎回欠かさずやっていましたね。
――光延選手は1年生の時にアジア選手権に出場するなどトラックでは世界で戦う経験も積んできましたが、駅伝ではまだ思うように結果を出せていません。大学での光延選手の実績についてはどのように感じていらっしゃいますか
走りのタイプから言うと、非常にピッチが速いので長い距離にもすぐ適応すると思っていたんですよね。ところが意外と長い距離への対応ができなくて苦しんでいたので、そういったところをこの先競技を続けていく中では変えていっていかないといけないなとは思っています。
――ことしの全国都道府県対抗駅伝では佐賀県の監督と選手という立場で一緒に戦われましたね
ことしの彼は頑張っていましたね。区間4位とかでしたよね。学生だからそんなにいろいろは言いませんでしたけど、話したりしましたよ。
――その時が久しぶりの再会だったのですか
そうですね。普段は離れたところにいるので滅多には会えないですね。
――今でも直接連絡を取ったりする機会はございますか
あいつですね、1年の頃はなかなか電話もしてこなくて、自分がいい結果が出た時だけ連絡をしてくる非常に調子のいいやつだったんですよ(笑)。でも上級生になってからはよくつながるようになりましたね。実はきのうも話しましたね、状態はどうかって。言い方は悪いんですけれども彼はちょっと抜けているところがあるんですよね。周りの人はみんな分かっているとは思いますけど(笑)。
――光延選手は大学卒業後も九電工で競技を続ける予定ですが、実業団に入ってからの光延選手に期待することは
大学はどうしても箱根駅伝が1番メインになってしまいますので、長い距離をずっとやっていきますけど、実業団はもう1回スピードのレースからやり直していってくれていいのではないかなと思います。
――最後の箱根を迎える光延選手に伝えたいことを教えていただけますか
期待はいろいろしていますよ、快走してくれと。伝えたいことは自分らしく頑張ってほしいということですね。
――ありがとうございました!
(取材・編集 小川由梨香)