【連載】『それが早稲田のプライドだ』第1回 相楽豊駅伝監督

駅伝

 ことしの駅伝シーズン、早大は苦戦が続いている。出雲は9位で入賞を逃し、全日本では7位とシードを落とす痛恨の結果に。残すはチームがこの一年間大切にしてきた東京箱根間往復大学駅伝(箱根)のみ。今までのレースを振り返っていただくとともに、箱根を1カ月後に控えた指揮官にお話を伺った。

※この取材は11月29日に行われたものです。

「(夏合宿は)意識の変化が明らかに見えていた」

夏からのチームの状況について、詳しく話してくださった相楽駅伝監督

――相楽監督には夏にも対談をさせていただきましたが、その2次合宿の消化率が100パーセントとおうかがいしました

 故障などによる離脱とか、へばって動けないという子がいなかったので、立てた計画通りにほぼ全員がこなせました。内容についても、昨年と同等の練習はこなせたかなと思います。

――その2次合宿を経て、谷口選手(耕一郎、スポ4=福岡大付大濠)、河合選手(祐哉、スポ4=愛知・時習館)、小澤選手(直人、スポ3=滋賀・草津東)、西田選手(政経3=東京・早大学院)、尼子選手(風斗、スポ2=神奈川・鎌倉学園)、渕田選手(拓臣、スポ1=京都・桂)の6人がAチームの練習に参加されたということでしたが、Aチームの選手に影響を与えたりなどはありましたか

 やはり最初はどうしても練習の内容とか質は分けざるを得ないだろうと思っていたのですが、こなしていくうちにBチームの選手も思ったより走れてきました。トレーニングの量だったり目つきなど、意識というか「Aチームに食らいついてやる」という気合がありましたので、Aチームのメンバーにも、中盤から後半にかけてはいい刺激になったのではないかと思います。

――では、Aチームの中で特に充実した練習ができていたのは誰でしょうか

 一番充実していたのは太田(智樹、スポ2=静岡・浜松日体)だと思います。永山(博基、スポ3=鹿児島実)が一人別メニューをやっていたということもありますが、ほとんどのメニューにおいてチームトップだったり、余裕を持ってこなせていたかと思います。もともとロードに強い選手でしたが、本当に成長して全カレ(日本学生対校選手権)も入賞したり、試合でも確実に結果を残してきていますし、一番伸びたのではないかと思いますね。

――安井雄一駅伝主将(スポ4=千葉・市船橋)は『意識改革』を掲げて、夏で一番走り込んだとお伺いしました

 2年前にマラソンに挑戦したいということで、月間1000キロ走るという目標をたててやっていました。実際達成はしたのですが、距離を走ることだけにこだわってしまっていて、そのときは自分の体と向き合えていなかったんだと思います。夏合宿が終わってから、疲労がたまってパンクしてしまったような状態になってしまいましした。今回は自分の体とうまく相談して、走り込むときは走り込んで、疲れたときは少し落とし気味にしながらやっていました。ただチームの中では一番最後まで走ったり、走りに行ったら帰ってこないみたい、なことを繰り返しやっていましたので、2年前に比べて走行距離も増えましたし、終わったときにある程度の余裕を持てたと思います。そういう意味では、練習の姿勢でチームを引っ張っていたと思いますし、彼自身評価できる、いい合宿ができたのではないかと思います。

――安井選手は箱根を走られたあと、東京マラソンに出られるとのことでしたが

 そうですね、2年前は疲れが出てしまって、万全の状態で挑んだマラソンではありませでした。そのとき一緒に練習をしていた井戸(浩貴OB、平29商卒=兵庫・竜野)や佐藤(淳OB、平29スポ卒=愛知・明和)にタイムで負けてしまっていますし、やはりそこを越えたいという思いはあるんじゃないかと思います。

――夏の走行距離に関して、安井選手に台頭する選手はいらっしゃいましたか

 やはり太田や清水(歓太、スポ3=群馬・中央中教校)が「安井さんに負けまい」と走り込んでいましたし、Bチームも距離だけで行ったら例年以上に走り込んでいましたので、自分の練習をしながらほかのメンバーの練習もチェックして、「負けないぞ」という競争をする雰囲気がありました。そういう意味でも『意識改革』というテーマがありましたけど、AはBを食ってやる、BはAを食ってもう一段上に行ってやるという意識の変化が明らかに見えていたと思います。

――夏ごろからBチームは『20キロ専用機』として箱根に照準を合わせて育て上げるプランを立てられていましたが

 前半シーズンの結果を見ても、特に出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)は走れるのが6人ですから、Aチームのメンバーに半分以上の故障者がいない限り、なかなか出雲から(Bチームのメンバーが)絡んでくるのは難しいだろうと。そうなると全日本(全日本大学駅伝対校選手権)と箱根になるのですが、全日本はことしのBチームのタイム的にも1万メートルというより20キロを走れる準備を早めに始めた方がいいという話をコーチ(駒野亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)としました。ある程度全員が全部の駅伝を見越すというよりは、得意な分野で行くという方針でやりましたね。トレーニングしても、スピードを追求するのはトラックシーズンで一応終わりにして、そこからはスタミナを養成して、走り切れる体力をつけてアプローチしていくというのをBチームの主眼に置いてやりました。

――全カレは『長距離全種目入賞』を達成し、またレースの内容もみなさん収穫があるとのことでしたが、全カレで特に評価できる選手は誰でしょうか

 そうですね、一番充実していた太田が入賞しましたし、途中で離されてしまいましたが、塩尻君(和也、順大)や西山君(和弥、東洋大)といった学生トップのメンバーに7000、8000メートルまで食らいついていけたのはすごく収穫があったと思いますね。それ以外にも光延(誠、スポ4=佐賀・鳥栖工)が春に元気がなかったところから入賞するまで意地を見せてくれましたし、宍倉(健浩、スポ1=東京・早実)も入賞こそかないませんでしたが、学生トップの選手と肩を並べて走る時間も長くなりました。それぞれがそれぞれの夏やってきたことの成果の片りんを見せてくれたのではないかと思います。

――全カレは、新迫選手(志希、スポ2=広島・世羅)と永山選手は「調整不足」で欠場されました。そのときの状況というのは

 新迫の方は夏合宿の直前に疲労骨折をしていることが分かり、遅れて入って、2次合宿も別メニューでやっていました。諸事情でそもそも全カレの参加標準記録を切っているのがほかにいなくて、全カレ出るかどうかは分からないけどエントリーはして、使える状態だったら出場させる方針でやっていました。練習はやっていましたが、全カレにここで出すのは得策でないなと判断して出場させませんでした。永山に関しましては1次から実業団の合宿で順調にやってて、全カレもいけそうだなと思ってたのですが、10日、1週間くらい前に足の不調があると言われました。彼に関しては全カレに出すことが次につながらないんじゃないかと思い、回避させました。二人とも練習はしていましたし、ケガで外れたわけではなかったのですが、準備がいまいちだったということです。

――その後の3次合宿から、Bチームは故障者がでてしまったとのことでしたが、Aチームの選手はいかがでしたか

 Aチームは(故障者は)いなかったですね。清水が少し危なそうだったので休ませたのと、永山が全カレから引きずっていたのを休ませたので、前半二人だけは別メニューでさせたのですが、あとは途中から壊れるようなこともありませんでした。三次合宿は奥州市と一関市でやるのですが、一関市に移ってからは故障者がいなくなって、充実した合宿ができたと思いますね。ただ、2次から3次に移る時点で充実してやれていた真柄(光佑、スポ2=埼玉・西武文理)や遠藤(宏夢、商2=東京・国学院久我山)、三上(多聞、スポ2=東京・早実)といった、あのあたりがまとまって故障してしまったのが痛かったですね。

「全員が1秒を大事にする『全員駅伝』をやれなかったことが一番大きい要因」

――合宿から2週間開けて出雲がありましたが、間があまりないということで調整は難しかったのでしょうか

 そうですね、ことしのメンバーは層が薄いということがあったので全カレと並行して合宿することもできたのですが、そうすると全カレメンバーは合宿ができなくなってしまうので、全カレが終わってから3次合宿をスタートせざるを得なくなります。そうすると出雲が近くなってしまうのですが、チームのカラー的に出雲より全日本、全日本より箱根と長い距離になると戦えるメンバーが多いチームだったので、出雲は多少苦戦することも仕方ないとその日程を組みました。当然合宿が終わってから出雲に向けて全力で調整しましたが、うまく疲労が抜けたメンバーとそうでないメンバーのばらつきがけっこうあったので、それが駅伝の結果にも表れてしまって、混戦の中で勝ち切れず想定したより悪い順位になってしまいました。

――出雲のエントリーから外れた清水選手や吉田匠選手(スポ1=京都・洛南)はスピード不足で、宍倉選手はケガとお伺いしましたが、石田康幸選手(商4=静岡・浜松日体)を外されたのはなぜでしょうか

 これはタイプですね。Aチームは全体的に練習は積めていたので、そうなったときにスピードのある選手から順に拾っていきました。清水と吉田に関しては無理して出雲に合わせるより、全日本の準備を先に始めておいた方がいいということで、宍倉も本来であれば出雲に連れて行きたかったのですが、遅れてトレーニングをしていました。逆にそれ以外のメンバーが充実していましたので、その7人で十分戦えるだろうと。当日石田を外したのは、タイプ的にアンカーとかに行ってほしい選手だったのですが、安井がある程度充実していましたので、石田は連れて行きましたが起用しないことになりました。

――外すと伝えたときの石田康選手の様子はいかがでしたか

 やはり悔しい思いをしていたと思います。私も起用しない話は早めにはしたのですが、それでもすごく悔しそうな顔をしていました。でも「次の記録会だとか全日本で、僕を見返すくらいの結果を出せ」という話をして、本人は本当に良く気持ちの切り替えをしてくれましたし、そのあとの試合で結果を出してくれたなと思います。

――出雲は監督が予想されていたように混戦となりました。その中で抜け出せなかった早大のレースについてはいかがでしょうか

 レース展開については事前に学生とのミーティングで言った通りの内容になりました。ただ「その中で僕たちはこういうレースをしよう」と言っていたことができなかった。いろいろな要因があって実行できなかったのですが、そういうところも含めて読みが甘かったなと思うところもあります。あとは場面場面で調子がいまいちで展開が苦しい中でも競り合いで負けないだとか、ラストをきっちり上げて次の人につなぐだとかといった早稲田の泥臭い、基本的なところができなかったのが、要因の一つかなと思います。学生には「全体の結果は悪かったし、それは監督である私の責任だ」という話はしましたが、「おのおの踏ん張るだとか、競り勝ってくるというところの基本的なところができていないメンバーは多かった。そこは反省しよう」とも言いました。

――9位という順位は、想定より悪かったとのことでしたが

 「大体優勝争いが何チームになるかは分からないけれども、優勝争いからこぼれたチームの中では混戦になるだろう、うまくいけば1番に近いところ、2番3番もあるが、それからこぼれてしまうと7、8番にまで落ちるという展開になる」と言っていました。そしたら9番になってしまったので、そこは本当に悔しいし残念だったけど、逆に言えばそれほど力が拮抗していて、ミスをしないチームから上位になる駅伝でした。その後の全日本もそうですが、ことしの駅伝は相手チームと戦うことももちろん大切なんですが、自分達の力を出す重要性というのを、改めて認識させられましたね。

――出雲の前と出雲が終わってからで、練習はどのように変わられましたか

 出雲から全日本にかけてはある程度の成功パターンがありますので、それに沿ってトレーニングをしていきました。上位のメンバーに関しましては順調にいっていました。中間層とかが練習をいまいち消化できなかったり、不調や直前に体調不良が出てしまったところが、当日までの準備の中で少し苦しかったところですね。

――光延選手が直前にケガをされて、全日本は出場されませんでした

 疲労がたまると腰が痛いと言うのですが、出雲が終わってから腰の調子が思わしくなくて。大体今までの経験からしたら、長くても1週間くらいで痛みは抜けていたので、ちょっと休ませようと思っていたらなかなか治りませんでした。それで直前になってもよくならなかったので外したという経緯です。

――夏前から全日本のアンカーを安井選手で構想されていたとお伺いしましたが、安井選手を2区に動かさなければならないなど、区間配置についてはいかがですか

 チームとしては取れる作戦の幅が狭くなったことは事実ですね。ただそれでも彼らも練習はできていましたし、1年生に結果的に負担をかけてしまったのは申し訳ないです。序盤の4区間で流れをつくるということが、1区の太田がうまくいった割には2、3,4と続かなくて、1年生の見た目の区間順位も悪くなってしまいました。全員が1秒を大事にする『全員駅伝』がやれなかったことが一番大きい要因で、たまたま競った場面で1年生にタスキが渡ってしまったので見た目の順位も悪くなってしまいましたが、チーム全体的に出雲から続いた悪い流れを断ち切れなかったと思います。

――相楽監督は、駅伝監督に就任されてから故障者を出さないというのを目標にされていましたが、ことしの春から振り返っていかがでしょうか

 ことしこそケガ人を出してはいけないチームだというのは年明けからずっと言ってきたのですが、(就任してから)3年目で一番ケガが多いというのが現状ですね。原因は一つではなくて様々なものがあるのですが、特別トレーニングがきつくなったとか、ペースが上がったということはないので、難しいところですね。みんなが「自分がやらなきゃいけない」というところで、少しずつ無理をしてしまってるのかなとも思います。今はみんな故障もなくなってスタートしていますので、これから箱根までは一年のつけを返すわけではないですが、ケガ人を出さずに年明けまでやっていきたいと思います。

「地味に強い、そんなチームじゃないかなと思います」

――全日本後のインタビューで相楽監督は「基本的なことを重視していきたい」とおっしゃっていましたが、現在の練習の方はいかがですか

 全日本が終わって年間の振り返りを学生としたのですが、ポイント練習の消化具合は良かったのですが、間の普段のトレーニングやジョギングや基礎的な練習が中抜けになっていたり、全体的にボリュームが少ないということが見られました。故障もありましたし、どうしても短い期間で体をつくって試合に出るような流れがあったメンバーが多かったことも事実です。全日本が終わって一回リセットをして、箱根まで1カ月ちょっと、準備をできる時間もありますし、一から地道に泥臭い練習をやっていかないと勝てませんし、それをやれば戦えるというのがうちのノウハウとしてあります。これまでも、出雲と全日本はセットで、いったん終わってからチームをつくり直す流れがありますね。

――直近ですと、11月下旬に八王子ロングディスタンスや、1万メートル記録挑戦会がありました。永山選手、新迫選手、宍倉選手がそれぞれ課題を克服されたレース内容でしたが、いかがでしたか

 おのおの位置づけは違うと思いますが、今回は記録を狙うわけではなくて、新迫も永山も出雲、全日本は出ましたが、それまで半年近く試合に出ていませんでしたし、全日本についてもなかなか走り切ったというレースではなかったので、一つはレース勘を取り戻すという目的でした。宍倉は長い距離に対して不安もあるみたいで、全日本もああいう結果に終わってしまったので、本来は上尾(上尾シティマラソン)に出そうと思っていたのですが、体的にもいきなり20キロより1万の方がいいかなと判断して出しました。 三人ともレース勘だったり、その中で勝ち切るという経験をある程度つかんでくるという指示をしました。それぞれタイムだったりレースの内容だったり、収穫と課題が良い意味で見つかったレースだったと思います。

――では、現在の集中練習の状況はいかがですか

 そうですね、まだ始まったばかりでなんとも言えないのですが、ことしはいろいろな試合に出して足並みがそろっていないのが現状で、もうすぐ全員で集合していくかたちにはなると思います。例年そうですが、今の時点で100点ということはなくて、いろいろ課題を見つけて、3週間で解決するというのが毎年のながれなので、出たり入ったりして消化している感じですね。

――Bチームを『20キロ専用機』として育てられているとのことですが、成果は感じられますか

 成果がすごく出ているメンバーというのがいて、夏から継続して練習できている子たちを(集中)練習に入れたらすんなり順応できているので、 夏から決めた方針は間違っていなかったなと思いますね。

――上尾ハーフでは谷口選手が自己ベストを更新して、15キロすぎまで先頭集団に位置していたとのことですが

 あのレースについてはタイムではなく内容で、先頭集団にどこまで食らいつけるか、自分が箱根の20キロを走るときに、走り切る感覚をつかめるかどうかを課題で出していました。15キロすぎまで先頭集団にいたのも収穫ですし、「そこからほかのメンバーのペースが上がったときに、まだ対応できるスタミナがないことが分かった」と言っていたことも収穫でした。それぞれが集中練習に入る前に課題を見つけてくることがあのレースのテーマでもありましたので、すごく順位とかタイム以上に濃いレースができたのではないかと思います。

――箱根の目標について、『総合優勝』というのは変わりませんか

 はい。『総合優勝』の目標はぶらしません。ことしのチームの目標が『総合優勝』ということで、出雲と全日本については、それを達成するためにビルドアップしていくと夏から言っています。出雲も全日本も想定したよりは良くないですが、原因ははっきりしています。それは年間でずっと言ってきた「この少ない人数だけど、全員が全員の果たすべき役割をきっちり果たさないと、目標達成できないよ」というところで、出雲と全日本はそれができなかったから目標を下回ったことははっきりしています。優勝するためにチーム一丸となって、チャレンジしたいと思います。

――ことしは『全員駅伝』が大切になると思いますが、それを達成するために必要なことはなんでしょうか

 まずは1月2、3日に、走る10人だけではなく16人、あるいは部員全員がケガをしないで体調不良者を出さないで、全員が戦う体と心を用意して当日を迎えることです。あとは出雲と全日本でできなかった、競った場面だとか苦しい場面だとかで踏ん張って、競り勝って勝ち切るという、細かい1秒2秒の積み重ねを10人全員が実行できるかどうかです。そこに尽きるのかなと思います。

――ことしのチームカラーは夏の時点で「真面目」とお伺いしましたが、現在はいかがでしょうか

 4年生を中心にすごく真面目で、勤勉に練習をこなすメンバーが多いので、見た目は派手なチームではないのですが、地味にしたたかに打たれ強いメンバーがいます。地味に強い、そんなチームじゃないかなと思います。

――では最後に、箱根の意気込みをお願いします

 ここまで私たちも思ったようなレースができていなくて、応援してくださるみなさんにも悔しい思いをさせてしまってると思います。箱根では私たちらしい、早稲田らしい、泥臭くて強い早稲田というのを体現したいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 鎌田理沙、宅森咲子)

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色紙には、箱根への意気込みを一言で表していただきました