【連載】『頂を目指した男たち』第10回 平和真

駅伝
 早大は東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を総合3位という結果で終えた。レースを終えて1カ月ほどたった今、ことし1年間チームを率いてきた平和真駅伝主将(スポ4=愛知・豊川工)に改めて箱根を振り返っていただいた。

※この取材は1月18日に行われたものです。

「優勝しか目指していなかった」

箱根の直前取材で、マスコミからの質問に答える平

――退寮されて、新生活はいかがですか

 陸上は続けるので、走るというところから離れすぎるわけにはいかないんですけど、ずっと毎日練習という日々が続いていたので、たまに休みながら、長期休みと言うことで遠くに行ったりしながら、体を休めようかなと思っています。今はだらだらしていることが多いですね。

――箱根の疲労は残っていますか

 ポイント練習をしてみないと分からないので。今はポイント練習はしていないので、どれくらい残っているのかは分からないですね。

――実業団入りに向けて何か準備はされていますか

 監督とも相談して、冬にレース2本出ようと思っているんですけど、これはまだ早稲田のユニフォームを着て出る試合ですし、一応こっちの動きになります。そのあと3月に(実業団の)チームに合流してからいろいろ相談する感じになると思うので、2月まではこっちで自分で動くかなという感じです。

――オフはどのように過ごされましたか

 だらだらしてますね(笑)。

――ご家族と過ごされましたか

 まだ家に1回も帰っていないので、まだ家族とは会っていないですね。

――ここから箱根駅伝の話をさせていただきます。3区に最終的に決まったのはいつごろでしたか

 集中練習の1番最後の方で3区と4区の試走に行ってくれと言われたので、3区か4区かのどちらかになることは分かったんですけど、3区に決まったのは1週間前ぐらいですね。

――その時に監督からなにか指示を受けたことはありますか

 3区と4区を洋平(鈴木、スポ4=愛媛・新居浜西)と僕で迷っていたので、なぜ僕が3で洋平が4なのかの理由と、1、2区がうちも自信はありましたけど他大学と比べてリードできる区間ではないので、3区でちゃんとリードをとれるようにということは言われました。

――3区、4区の区間配置の理由について監督はどのようにおっしゃっていたのですか

 洋平も僕もスピードに関しては思い切って入っていけるタイプなので、どっちも3区には向いているのですが、流れを変えてほしいということだったり、基本的に下りのコースなので、僕のスピードが生かせる区間かなと思ったと言われました。

――前日、当日の調子はいかがでしたか

 集中練習の最後に少し足が痛くなってしまって、調子としては軽く落ちてしまったのですが、足を治そうとして休んだ結果、体も軽くなったので3日前ぐらいからは動きも良くなってきたかなという気はしていました。

――1区2区のレース展開は走る前から耳に入っていたんですか

 そうですね。どの駅伝もアップするときはアップしますけれど、付き添いの人に状況を聞いたりだとか、近くにあるテレビを見たりとかはしているので、その時も2区の10キロくらいまではわかっていて、レースが動き出したところもこまめに聞いていました。

――その時はどのように考えていましたか

 1区から2区にわたった時点で強いチームが前にいたので、一色(恭志、青学大)、鈴木健吾(神奈川大)君と工藤(有生、駒沢大)君がその集団にいる時点であわよくば戦えるかな、でも厳しいかなという風に思っていたので。どこまでつけるかなという風に見ていたのと、離れちゃってからは頑張ってほしいなという風に見ていました 。

――タスキをもらったときはどのような気持ちでしたか

 前と開くことはわかっていたので、前と何秒ということは気にしていなかったですし、2区のタフなコースを永山(博基、スポ2=鹿児島実)が走り切って持ってきてくれたので、僕が何とかしなくてはということで、力むという感じではなかったですが、そういった気持ちでスタートしました。

――タスキ渡しの時に何か声をかけられたり、かけたりということはありましたか

 いえ、2区は最後まで登るコースなので、とにかくきつそうでした。

――積極的に前を負うような走りだったよう思いましたが、どのような心境でしたか

 ことしはチーム的にも優勝しか狙わないチームが作れたので6位のところから1つ、2つ順位を上げるだけでは僕の仕事にならないと思っていました。間に何人かいましたけど、しっかりその時2位だった青学大だけを見て前を追っていったので、その間にいた選手はそれなりに抜けていって当たり前だったと思いますし、前半の入りは想定通りで、突っ込みすぎというわけでもなく、普通の入りだったと思っています。

――監督車から何か指示はありましたか

 「前半は好きなように入っていけばいい」と言われていたので、止められることもなく。「とにかくリラックスすること。力を使いすぎるな」ということは言われていましたね

――結果として順位を2位まで上げ、平選手の走りは流れを変えるものになったのではとお見受けしましたが、ご自身ではどのように感じていらっしゃいますか

 かなり調子は良かったので、後半ももう少し動いてくれればなということは思ったんですけど、そこは少し暑かったこともありますし。体が動かなくなったの悔しいというわけではないんですけど、あの時、体が動いてくれれば違った走りができたのにという心残りのようなものもあります。足がつっていたので、もっと朝何か食べるとか対策ができたんじゃないかなとも思います。何を言おう、僕の区間で青学の秋山(雄飛、青学大)と差を広げられてしまうかたちになってしまいましたし、最低でも僕が2区終了時の差にしておけば、洋平が近くまで縮められたかもしれないし、安井(雄一、スポ3=千葉・市船橋)が近づけて抜けたかもしれない、とゴールしてから自分の結果を振り返ってみると、自分がもっとできたんじゃないかなとすごく感じました。

――区間2位という順位に関しても、やっぱりそのように感じていて、満足しているわけではないということですか

 優勝しか目指していなかったですし、ラストの争いが肝心な1区と強い選手がそろう2区以外は区間賞をとらないといけない選手をそろえていたのがうちなので、そこで(区間賞が)取れなかったのはそのまま往路2位という結果に響いてしまったかなと思いますね。

――4区の鈴木洋選手にタスキを渡したときはどのような気持ちでしたか

 あいつからは「どんな順位であれ、笑って渡してくれ」ということを前日に言われていたので、スパートというか、スピードを上げて勢いをつけて洋平に渡したかったですし、笑顔で渡すことができました。あいつも嬉しそうにスタートしてくれましたし、タスキ渡しのところは良かったかなと思います。

――渡される際に鈴木洋選手から声をかけられたりとかはありましたか

 そんなに覚えてないですけど、渡すときは特にないですね。僕が見えた時には名前を呼んでくれましたが、僕が任せたと言ったぐらいですね。

――沿道の応援は聞こえていましたか

1年の時に初めて走って、ものすごく声援が多くて、その時が1番びっくりした覚えがあります。何回か走って、慣れた部分があるので、驚きは今更ないですけど、かといって全部分かることはないですね。1人1人がなんて言ってくれているはあんまり聞こえないです。

「もうこれで箱根が終わるんだと感じて、自然に笑顔になった」

――往路2位、首位の青学大と33秒差という結果は、主将としてはどのように感じましたか

 復路もありますし、往路がこうしてればっていうのは駅伝が全部終わってから反省すればいいことなので、復路スタートの時点で30秒っていうのは戦えるなという印象は持ちました。

――往路が終わってチームで話し合ったり、声を掛けたりした選手はいますか

 復路組は試合モードに入っていて、もちろん芦ノ湖には来ないんですけど、走り終わった1、2、3、4区の選手はそろっていますし、走り終わった安井もいたので、各選手と話してとりあえず「往路優勝はできなかったけれど、30秒は最低ラインだったのでよく頑張った」という声掛けをしたぐらいですね。特に安井は1分半から30秒までもっていってくれたのでありがとうということは伝えました。

――では、総合3位という結果についてはどのように考えられていますか

 優勝しか目指していなかったので、復路のオーダーを選手の僕らがみても監督の意図はわかりましたし、完全に前しか見ないオーダーでした。それで結果的に太田(智樹、スポ1=静岡・浜松日体)が1年目でうまく走れなかったり、光延(誠、スポ2=佐賀・鳥栖工)がうまくいかなかった部分はしょうがなくはないですけど、いいか悪いかぐらいで、簡単に考えれば、どうなんですかね。でも、復路の選手がうまく戦えていないなというのを見たら、往路の選手が責任を感じたというのはありましたね。

――そんな中でも10区の清水(歓太、スポ2=群馬・中央中教高)選手がゴールした時に皆さんが笑顔で迎えていたのがとても印象的だったのですが、あの時の心境を教えてください

 下級生、特にことし箱根を走っていない選手は悔しかったと思うんですけど、4年生は走った選手にしろ、走れなかった選手にしろ、もちろん優勝を狙っているんですけど、最後ですし。箱根前から結果がどういう順位になっても満足感だったり、やり切った感であったりをもって卒業できる1年を過ごせてきたとみんなが感じていたので、なんていうんですかね。3位ですし、優勝できなかったから悔しそうにしろという人もいるかもしれませんが、それ以上にやり切った感があったので、歓太がゴールに帰ってきたときに、もうこれで箱根が終わるんだと感じて、自然に笑顔になった感じですかね。

――駅伝が終わってから、チームで話す機会はありましたか

 報告会で僕がしゃべる機会が設けられるぐらいで、みんなに向けて話したことは特にないです。そのあとのお疲れ様会で1つ下の3年生の個人個人と話したり、後輩と話したりということはありました。

――どういうことを話されましたか

 基本的に来年も頑張れよということですが、ちゃんと引っ張っていけるのかということ、楽しみな気持ちと不安な気持ちがあると思うので、なんかあったら連絡しなよという感じですね。

「主将になったことが自分を成長させてくれた」

最後の箱根では、区間2位の好走。主将の覚悟を体現した

――ここからは少し箱根からは離れた質問をさせていただきます。この1年間駅伝主将としてやってきて、いかがでしたか

 僕自身にとってはとても大きな財産になったかなという気がしていて、早稲田に入ってから、高校の時の力がなかなか出せなかったりだとか、結果が残せなかったりして、もちろん故障が多いっていう事実のもあったのですが、どこか、気持ちの弱さがあったりだとか、覚悟が足りなかった部分というのがあって。それが4年目で主将になったことによって、結果にこだわるようになったり、記録会、公式戦にかかわらず、1つ1つの試合でちゃんと結果を残さないといけないっていう責任感が生まれて、自分の結果にこだわってこれたので、主将になったことが自分を成長させてくれたと思います。

――同期の皆さんに対してはどのような思いをもっていますか

 前半シーズンはうまくいかなかった選手が多いので、その時は「お前らしっかりしろよ」とひたすら思っていましたけど、駅伝シーズンが近づくにつれて、しっかりと1人1人が最上級生の自覚だったり、自分がやらなくてはいけないという気持ちを持ちはじめたりしたことによって、学年として1つになってきた部分があります。もちろん手もかからなかったですし、僕ができないことややりきれないことを学年のみんながうまくやってくれたりしたので、チームをここまで持ってこれたのは僕1人の力でもないですし、同期あってのこの1年間ということでものすごく感謝しています。

――監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)やコーチ(駒野亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)に対してはいかがでしたか

 監督はやっぱり去年の今ぐらいを考えたら、僕らの学年は結果をいまいち残し切れていない選手ばかりで、不安とかはあったと思います。その中でやっぱり僕らがチームを強くしたいだったり、ことしは優勝したいという気持ちを僕が代表して監督に伝えるんですけど、そういったところでも結果も出ていないですし、タイムも持ってない選手が数人いたりする学年だったので、相楽(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)さんに「まず先に結果を出せよ」とか嫌なことを言われたこともありました。それでもやっぱり僕らが優勝したいからこういうスケジュールにしてくれだったり、合宿はここでやりたいということだったり、この練習は足に負担だからやめといたほうがいいだったり、いろいろ提案とかをたまに嫌だと思うこともあったと思うんですけど、心広くまず聞いてくれて、いいと思ったら実行に移してくれますし、僕らの意見に耳を傾けてくれました。あれだけ柔軟な考えを持っていて、学生の気持ちをしっかり聞いてくれる監督だからこそ、ここ近年弱かった早稲田から少し上向きになったかなと思います。

――ことしのチームを最高のチームと表現しているのをよく目にしますが、その要因はどこにあると思いますか

 1人1人がチームをどう思っているかは人それぞれで、僕は分からないです。仲は毎年いいんです、早稲田は。ワイワイしてるというのは良さとしてあるんですけど、結果が伴っていなかったのが、僕自身もそうですし、チームのみんながそうだったので、どうなのかなという部分がありました。ことしは厳しいところは厳しくしてきましたし、結果残すべきところは残してきたので、優勝を目指すと言っているからこそ、チームのみんなも優勝に気持ちが向かっているなという行動とか練習をしていたので、それを見て、ああことしのチームは優勝を目指せるいいチームなんだなというのを秋以降は本当に感じながら、チームを見ていましたね。プラスで、同期が本当に仲が良く、4年生が最高のメンバーだったので、最高のチームだと感じていました。

――ことしは4年生が主力だったと思うのですが、引退されます。後を引き継ぐ後輩には何を期待しますか

 まず、僕の中で僕たちが後輩に残せたことの中で最も大きいと思っているのが、全日本大学駅伝の4区以降で先頭を走らせてあげられたことです。僕は1年生のころから1回も先頭を走らせてもらったことはないですし、3位4位5位とか中途半端なところから抜け出せないチームだったので、ことしの全日本では永山も新迫(志希、スポ1=広島・世羅)も太田も安井もきつそうではありましたけど、気持ち良さそうに先頭を走っていたのでそういう経験がものすごく大きいと思います。その先頭を走って、優勝争いを経験できた後輩がいるからこそ、ことしよりいいチームになる可能性は高いと思いますし、ことしより強いチームになるかなと思っています。

――次期駅伝主将の安井選手にメッセージやアドバイスがあれば、お願いします

 その年のやり方がありますし、あいつのタイプがあるので、アドバイスはありませんが、あいつ自身は学年も僕らの学年と比べて少ないですし、4年生1人にかかる負担は大きいと思いますが、チームに自分を持っていかれすぎずにまずは自分をもって、頑張ってほしいなと思います 。

――ありがとうございました!

(取材・編集 佐藤詩織)

◆平和真(たいら・かずま)

1994(平6)年11月5日生まれのA型。179センチ、62キロ。愛知・豊川工高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分38秒64。1万メートル28分46秒04。ハーフマラソン1時間2分14。2014年箱根駅伝4区55分03秒(区間2位、早大新記録)2015年箱根駅伝4区56分31秒(区間9位)。2017年箱根駅伝3区1時間3分32秒(区間2位)。