【連載】『頂を目指した男たち』第7回 井戸浩貴

駅伝

 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に4年連続出走。4年前、一般入試で競走部の門を叩いた井戸浩貴(商4=兵庫・竜野)は、まさに『たたき上げ』の選手。常にひたむきに誰よりも努力を重ねてきた井戸は、箱根でその競技人生の終止符を打った。今までの集大成である箱根を終えた今、井戸は何を思うのか―――。その胸の内を語っていただいた。

※この取材は1月11日に行われたものです。

 「自分がキーマンになる」

冷静に箱根を振り返る井戸

――箱根が終わってから最近の様子を聞かせてください

  最近は何もしてないですね(笑)免許取ってなくて教習所に行ったりしてるんですけど、案外思ったより暇じゃないかなっていう感じで。たまに暇があるんですけどその日は休みに当てているというか、案外思ったより用事が詰まってて遊びに行くという以外の用事が詰まってて思ったより忙しい感じです。

――退寮はされましたか

  はい、しました。

――いつ頃されたのでしょうか

  6日に退寮して、今は1人暮らしをしています。

――以前の取材で4年生は騒がしかったとおっしゃっていましたが、実際に一緒に生活しなくなっていかがですか

  ほんとに静かだなっていうのはあって、ご飯食べるのも誰もいないので少し寂しいかなという感じはあります。同じテーブルを囲んでたのがそのテーブルもないし1人でテレビを見ながら食べているのもなかなか寂しいなっていうのは実感してて。1週間あるかないかですけどその中でも実感してます。

――箱根についての質問に移ります。33秒差で往路を終えました。その時井戸選手はどのように受け止めていましたか

  全然、圧倒されて負けたわけではないので見える位置で帰ってきてくれたことは往路のみんなが頑張ってきてくれたおかげかなと思います。それと同時に、やはりもともと青学大さんには往路で勝つつもりで来ていて、往路で思った以上の結果が出なかったのでなかなか苦しい展開になるだろうなと予測できて。僕のところで勝負を仕掛ければならないのは元からの案でもあったけれども、より7区が大切になってくることが明確になったということで、自分がキーマンになるということを自覚していました。その思いで気を引き締めた感じですね。

――往路での走りを井戸選手から見て、よかったところ、もう少し力が発揮できたんじゃないかというところはありましたか

  僕から言うのがおこがましいというのはあるんですけど、もったいない流れを作ったなというのはあって。それが積み重なった部分が最後につけとして出てきてしまった部分はあったと思います。みんなそれぞれ仕事はしてくれたのでそれに関してはもちろん満足している部分はあったんですけど、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)で青学大を途中まで圧倒できたのは1区で差があったからっていうのはあって、またそれを2区で離されずに3区で先頭争いに勝ったっていうのはあったので。1区では凜太郎(武田、スポ4=東京・早実)の方が実力的には上だったんですけどレース展開もあって離しきれずというところと、2区で少し負担が来ちゃって3区も向こうに区間賞を取られちゃってというのもあって。みんなすごい一生懸命走ってくれたし(それを)僕も分かってるし、僕もみんながあれ以上の走りができたかっていうと分からないんですけど、ちょっとずつ惜しい流れっていうのが残りの33秒になったのかなと思います。

――特に4年生の走りはいかがでしたか

  この一年間4年生がちゃんと背中で見せていこうというのを徹底していて、ある一定の成果として出たっていうことは素直にうれしかったです。それとともに、僕なんかは田村(和希、青学大)のアクシデントもあったのに(4年生が)誰も区間賞を取れなくて、跳び抜けた結果が出なかったことは惜しい結果だなと思います。

――相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)や平和真駅伝主将(スポ4=愛知・豊川工)が往路を終えた時点で、復路逆転に自信をのぞかせていたという報道がありましたが、井戸選手自身はどのように感じていましたか

  行かなきゃいけないというのが自分の考えで。相楽さんも平も復路には自信がありますと言っていたんですけど青学大も田村とか下田(裕太)が残っていたので正直言うと、なかなか自信をもって勝てるかというと厳しいメンツだったというのはありいます。けど、やっぱり行かなきゃいけないとか、今目指せる位置にいるんだから目指さなきゃいけないという思いもあって相楽さんや平は自信をもってメンバーを送り出してますという風に言ったと思います。そういう風に平や相楽さんが言ってくださってる部分はあったんですけど、実際は結果で出てる通りではあったので、復路は僕自身では、厳しい戦いにはなると思ってそれを自覚したうえでしっかり自分たちが攻める走りをしなければいけないなと思いました。

――7区に具体的に決まったのはいつですか

  2日の3時頃だったと思います。新宿に向かっている途中で聞ければいいかなと思っていたら、その時に聞けたかなという感じです。

――7区に決まっての気持ちはいかがでしたか

  それだけ自分が重要な区間になるだろうともともと言われていたので、往路の結果見て僕が9区に回ってる余裕はないと感じていました。その通りになったので、自分が思ってたのと違わなかったという感じで。7区が大事で自分が大事と改めて言われたので、自分が復路のキーマンとして頑張らなければいけないと思いました。

――復路のエース区間と以前におっしゃっていたように、他大でも素晴らしい選手が走っていましたがそれに関してはいかがですか

  他大学の選手を意識するというよりは往路の結果見てどう考えても青学大さんをマークするということだけを考えていました。それに対して青学大さんは田村が来るだろうと予測していたのでそれ以外はあまり考えていなかったです。

――レースプランや目標はありましたか

  もちろん田村も実力があるし僕よりタイムは持ってるんですけど、箱根は何が起こるかわからないし、実際起こって。自分がそれをチャンスにできなかった部分はあったんですけど、最初から突っ込んでくるだろうと思っていたのでそれを後半にいかに詰めれるか、前半いかに離されずに後半詰めれるかとレースプランは思っていました。

 「あんなに歯を食いしばったラストはなかった」

競技者として、最後のレースを駆け抜けた

――タスキは石田康幸(商3=静岡・浜松日体)選手から受け取ったと思いますが、その時のお気持ちはいかがでしたか

  康幸は僕の直属の商学部の後輩ということで、なかなかタスキをつなぐチャンスがなくて、最後くらいつなぎたいなという気持ちもありました。康幸とつなぐチャンスをもらえたということがうれしかったのと、康幸がすごい頑張ってくれたのでお疲れ様という気持ちと、自分が追わなければいけないという状況は変わらなかったのでそこに関して自分でやっていかないといけないという風に気持ちを引き締めました。

――走り出してから、途中青学大の田村選手のアクシデントがありましたが気づかれていたのでしょうか

  ラスト3キロからは相楽さんに「田村のアクシデントがあるからしっかり詰めていこうよ」という話はあったので、そこら辺からは知っていました。

――ご自身脱水症状への対策はしていましたか

  走る前から水分を多めに取っておくことは相楽さんからアドバイスは受けていましたし、前日走った往路の選手からも言われていたのでもちろん水分補給はするのと、給水で口に含んで終わりとかではなくしっかりと取るということは大事にしていました。

――相楽監督から途中に『こんなに苦しくて最高に幸せな残り3キロはない』と声をかけられていましたがどのような思いでしたか

  実際、苦しくて田村の方も追いきれなくて厳しいかなという部分はあったんですけど、相楽さんからその一言をいただいて自分にとってこれが最後なんだなと実感して。こんなところで自分が諦めていいはずがないというのを感じて、もう一回体の動きっていうのを保つことができたのでほんとにありがたい言葉だったなと思っています。

――一番仲の良かったという太田智樹(スポ1=静岡・浜松日体)選手へのタスキ渡しでしたがいかがでしたか

  苦しかったんですけど、太田が笑顔で待っていてくれたので素直に嬉しかったというのもあるんですけど、自分は最後きつい顔で渡してしまったのは申し訳ないかなと思いました。けど太田はすごい仲が良かったのでやはり思い入れはありますしその太田とタスキをつなげたのはよかったと思いますし、ずっと箱根前から楽しみにしていたのでやっと実現できて、全日本では(自分が)出れなくて(タスキリレーが)果たせなかったのを箱根で果たすことができたので嬉しかったです。

――最後きつかったとおっしゃっていましたが、最後倒れこんでいる姿が印象的でした。今までのレースではあまり見たことがなかったように思いますが今までとは何か違うことはありましたか

  コース的にも最後に下りが入ってくるということだったのでその点に関してありがたい展開だったのはあったんですけど、あんなに歯を食いしばったラストはなかったかなというのがあります。普段のレースももちろん本気で走っていて手を抜いているつもりはないんですけど、やはり最後で待っている人の姿もあったので、ラストあげられるかなと考えたりせずにとりあえずがむしゃらに走ってみようかなという感じで。最後力を出した結果がああいう風になったのかなと思います。

――区間の記録は3位でした。この結果に関してはいかがですか

  田村の失速があったのでラッキー3位という感じで、特に区間賞は(自分の記録との差が)11秒で。向こうの展開が良かったというのもあったんですけど、取れる区間賞だったかなと思います。僕もラストランだったので、ああしとけばよかったなこうしとけばよかったなというのは思わないんですけど、やっぱり取れた区間賞だったかなと思います。

――最後大手町で清水歓太(スポ2=群馬・中央中教校)選手を迎えるときに笑顔で迎えていました。どのようなお気持ちでしたか

  4位が迫ってきていたので3位で帰ってきてほしいという思いが一番強かったです。それと同時に僕らにとって悔しくても嬉しくてもやり切っている気持ちしかなくて、これ以上はダメだったからといってもどうしようというのはできないですし、4年間俺達はよくやったよねという気持ちと、後輩が最後頑張っているから僕達が笑顔で迎えてやらないとあいつにとっては苦しいかなと思いました。

――先程は4年生についてお聞きしましたが、箱根全体を通して後輩の中で印象に残る走りをした選手はいますか

  後輩の中でいえば、みんなは安井(雄一、スポ3=千葉・市船橋)って言うかもしれないけど、僕は永山(博基、スポ2=鹿児島実)だと思ってて。(永山は)練習は出来ていて、集中練習も最後は出来ていたんですけど、最後の調整の段階で上手くいってないかなというところがありました。ことしに限っては難しい展開だった2区を任された中では区間順位は悪かったんですけど、しっかりとした走りができたのではないかなと僕は感心しながら見ていました。永山が無理だったら僕が2区に行くかもしれないということだったので、それが代わりに僕だったらあれくらいの走りができていたかと言われると疑問な部分があるので、永山に対しては難しい区間でしっかり走ってくれたなと思います。権太坂もしっかり走ってくれたのでそれに感心するところはありますね。やっぱり、1番を挙げるとしたら永山で、永山の走りは『エース』を見据えた走りだったと思います。

 「絆が強い学年」

――4年間で箱根を4回走られたと思いますが、終えてどのような思いですか

  4回走れたことに対しては驚いていますね。僕は一般で入ってきて難しいかなというところがあって、4年間で1回走れるかなというところで、1年生からチャンスをもらえて。しかも今年の全日本までは駅伝を皆勤賞で来て、いい4年間を過ごさせてもらったかなと同時に、もう4回走っちゃったんだなと寂しい思いもありました。

――その入学当初はどのような目標で早大に入られましたか

  関東学生対校選手権や日本学生対校選手権ももちろん出たいという思いはあったんですけど、それ以上にみんなが箱根には特別な思いを持っているし、僕も特別な思いを持っていたので、箱根の舞台でしっかり自分の姿を親とかに見せられたらいいなと思って入りました。

――箱根を4回終えて後悔などありますか

  後悔というか勝ちたかったなというのはありますけど僕自身も区間賞取りたかったなというのはあって。青学大さんのパレードとかを見ていると自分たちもやりたかったなとか『たられば』はあるんですけど。「俺たちがあの時ああできなかったから優勝できなかったんだな」とかは思わなくて、確かに勝ちたかったし勝てなくて悔しい部分もあったんですけど、この1年間やるべきこともやったし調子が悪い時もあったけどそれに耐えてやってきたから、それはそれで仕方ないことで自分たちがやり切ってきたことの方が大事なのかなと思います。

――箱根を通して得たことはありますか

  目標を叶える姿を見ることができたのは自分にとってすごい大きいかなと思います。夢を叶えることは誰でもできるわけではなくて、その中で自分が形としてできたのは自分の経験になりますし、それに対して自分がひたむきに頑張ってきた4年間というのは振り返っても大事だったかなと思います。夢、目標を設定して妥協せずにひたむきに頑張ってきて、時にはくじけそうな時もありましたけどこんなところで諦めてはいけないと思いながら繰り返して夢を叶えて、その舞台でしっかりその姿を見せる頃ができたのは僕の今後にとっていい経験になったと思います。

――部員日記を見させていただきました。チームへの思いを強く感じましたが、どのような思いだったんでしょうか

  普段こんな感じなので感情を表に出すことはないんですけど、僕はこのチームのことが大好きだったよと最後に伝えておかないともったいなかったなと思って。あんまりこうやってどう思っているのかを直接伝えることは僕の中で恥ずかしくてできなくて、せっかくいい機会をもらえたので。普段言うことはないし、これからもみんなに言うことはないかもしれないけども、1人1人に対して僕が思っていたこと、感心していたこと、ありがとうって思っていたこと、もう少しやって欲しかったなと思っていたことを少しずつあった、というのを僕たち4年生が3年生以下に残すという意味でも伝えなければいけないなと思ったので、せっかくの機会をいただいたので伝えようかなと思いました。

――4年間終えて感じる早大の強みとは何ですか

  強みと言われても選手層は薄いですし(笑)。選手層が薄いのは仕方ないとして、人間性という意味でいろんな選手がいるというのが強みだと思ってて。ことしはそれを特に表していると思うんですけど、凜太郎なんかは系属校ですし、平や洋平(鈴木、スポ4=愛媛・新居浜西)は推薦で入ってきて、僕や佐藤淳(スポ4=愛知・明和)は一般で入ってきて。後輩だったら康幸は指定校だったりと入試形態でもそうですし、学校もバラバラだったりといろんな背景を持った子たちがいるので誰1人同じ子はいないかなと思います。外から見ててもすごいわかると思うんですけど。そういう中でみんながそれぞれのいいところを生かしながら練習ができていたりするのはうちの強みなのかなと思います。人数は少なくて選手層は薄くなっているので、いろんな人がいるという強みを生かせるようになってそれぞれ活躍するところを見つけることができれば来年以降も何とかなるかなと思います。

――今後についてのお話に移ります。競技は続けないと聞いていますが、市民ランナーなどとしてはいかがですか

  市民ランナーとしては走ってるかもしれないんですけど、もう二度とこれぐらいのペースでは走れないので、生涯ベストは終わりましたという感じです(笑)。もちろん楽しんで走れればなという感じです。走るのは好きなので、それは自分の捨てられない部分でもあるのでそういった部分は残しておきたいかなという感じです。

――マラソンなど、いかがですか

  できれば、という感じですね(笑)。

――いつ頃から、卒業後は競技を続けないと決めていたのでしょうか

  悩んだ時期もあったんですけど、決めたのは去年の箱根が終わってから決めたかなと。そこからやってみようかなと思ったりしたんですけど、最終的にはそれは揺るがなかったという感じですね。

――では節目ということでこの4年間、またそれ以前から続けてきた陸上を振り返っていかがですか

  楽しかった、という感じですね。一言でいえば。特にこの4年間は箱根も走れましたし、僕が思っていた以上の世界の人達と知り合えて。平とか特にそうなんですけど、日本人トップを取ったことがある人と触れ合う機会なんて滅多にないかなという感じもあるので。特にこの4年間は同期も先輩もいろんな人と知り合えたし、そのうち先輩は実業団でやってる人もいらっしゃいますし、いろんな人との出会いが楽しかったかなというのがあります。それは高校の時も同じで色々な人と出会えて楽しかったなと。あと僕は中学校からずっと陸上をやってきて10年間ずっと好きなことをできたのは幸せだったかなと思います。この4年間陸上をできなかったり途中で諦めちゃったりする人が多い中で、最高の環境で最高の4年間を過ごすチャンスをもらえたことは嬉しかったことですし、この4年間陸上を優先してできたこともよかったですし、それを踏まえてやっぱり好きなことができた4年間だったと。いろんな人と出会えて好きなことができて、中高を布石にしながらこの4年間を消化できたので、ほんとに楽しい10年間を過ごせたと思います。

――4年生に対して何か伝えたいことはありますか

  恥ずかしいな(笑)。同期について何を思うかといえば楽しかったよと(笑)。誰一人欠けても、というより欠けるのが想像できないんですけど、今の4年生だったから4年生だったかなと思います。それで楽しい経験ができたというのも間違いないなと思いますし本当にこの人生の中で楽しい4年間だったと。たった22年間しか生きてないですけど、そう思える確実な4年間だったとそう思います。本当に絆が強い学年で誰1人、あいついなくていいやと思ったやつはいないですし、最初はいろいろ不安もあったんですけど本当に楽しい4年間を過ごせたかなと思います。それと同時にみんながワセダに来てくれたこと、僕をワセダに受け入れてくれたこと、みんなで会話を楽しみながらやってきてくれたこと、喧嘩もしましたけど後でうじうじ言ったりしなかったこと、まあいろいろあるんですけどすべてに対してみんながいてくれてありがとうと思います。

――後輩に向けてのメッセージをお願いします

  後輩に向けてもありがとうと僕の気持ちとしてはもちろんあるんですけど、よくこんな僕についてきてくれてありがとうと思うし、僕を尊敬して入ってきてくれた子もいるらしいのでそれに対して感謝しかなくて。箱根もよく走ってくれたなと思っていて、これは僕の主観で僕の中では思ってるんですけど、けど1個視点を変えると今回の駅伝は後輩たちが足を引っ張ってたなというのも結果を見ればあるので。報道は入ってないと思うんですけど、ゴールした後に鎌田総長もいらしてるところで光延(誠、スポ3=佐賀・鳥栖工)がぐじぐじしている姿を見ちゃうと、1年前も同じ光景を見たなと。あんまり後輩たちが成長できていたのかといわれると…というところがあって(笑)。客観的に見れば結果もそうですしそうやって見ている後輩の姿が1年前とまったく変わってないと思いました。それに気付いてくれればいいなと。僕は引退する立場なのでうじうじ言ったりしないので、安井キャプテンを中心に安井がやりたいようにやって、安井の学年がやりたいようにやってくれればいいんですけど、去年と変わらない、全く成長してなかったり足引っ張っていた部分があったんだよ、ということを気づいて来年に向けてもうひとつ何か変えなければいけないという思いをもってほしいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 平松 史帆)

◆井戸浩貴(いど・こうき)

1994(平6)年7月10日生まれ。170センチ58キロ。AB型。兵庫・竜野高出身。商学部4年。5000メートル:14分00秒55。1万メートル:28分54秒84。ハーフマラソン:1時間2分33秒。2014年箱根駅伝8区1時間6分30秒(区間9位)。2015年箱根駅伝3区1時間3分47秒(区間8位)。2016年箱根駅伝9区1時間9分47秒(区間賞)。2017年箱根駅伝7区1時間4分53秒(区間3位)。