『33秒』。5区・安井雄一(スポ3=千葉・市船橋)の力走で絞り出した、往路優勝までのわずかな差。この数字は多くのファンの胸を高鳴らせたと同時に、近くて遠い、王者とのキョリを表すものだった。全日本大学駅伝対校選手権(全日本)に続いて東京箱根間往復大学駅伝(箱根)でも誰より強く、近くで勝つことの難しさを感じた安井。その思いと覚悟を胸に、今シーズンは駅伝主将としてチームを率いる立場になる。箱根路を駆け抜けて感じたこと、そしてキャプテンとして迎えるラストイヤーへの決意を伺った。
※この取材は1月18日に行われたものです。
「沿道からの声援に助けられた」
身振り手振りをつけ、質問に答える安井
――箱根から2週間ほど経ちましたが現在の調子はいかがですか
2月からしっかり走りこんでいこうと思っているので、箱根が終わってこの1月はのんびりとやっているイメージですね。
――箱根の疲労はまだ残っていますか
残ってはいるんですけど、いまはだいぶ抜けてきています。
――その中で最近はどのような練習をされているのでしょうか
ジョギングがメインです。まだ追い込む時期じゃないので心身ともにリラックスできるような練習を行っています。
――オフの期間はどのように過ごされましたか
あまり外出しないで、ずっと家でのんびりゴロゴロしていました。
――ご家族や周りの方から箱根の反響はありましたか
そうですね。みんな見てくれていて、「おつかれ」と言ってくれました。1月8日に(地元の)松戸市で毎年行われている七草マラソンという大会に招待選手として出場させてもらったんですけど、その時に松戸市民のたくさんの方から「箱根おつかれさま」とか「良い走りだったよ」とか声をたくさんかけていただいたのがすごく嬉しくて印象的でした。
――それでは箱根のお話を伺います。安井選手は早い段階から5区へのエントリーが濃厚だったと思いますが、最終的に決まったのはいつでしょうか
本当に最終的に決まったのは12月29日のエントリーの日ですね。でも全日本が終わったあたりからずっと言われていました。
――相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)からはどのような役割を求められていましたか
監督からは「お前で勝負を決めろ」と言われていました。あとは攻めすぎず、まずはしっかり落ち着いていけという指示がありました。
――前日や当日の調子はいかがでしたか
かなり調子が良かったです。前日の練習でも当日の朝の練習でもしっかり体が動いていて、きょうはいけるなと思っていました。
――1区から4区のレース状況は耳に入っていましたか
はい、中継所の近くに泊まっていたので1区と2区は部屋で見ていました。2区の途中で移動したのでそこからはワンセグなどで見ていましたね。
――レースをどのようにご覧になっていましたか
1区がスローペースだったので結構集団で来るかなと思っていたんですけど、結果的に1区から4区の選手が抜け出してくれて、最終的には(前にいるのが)青学大だけという展開を作ってくれていたので、気持ち的にも感じるものがありました。
――4人の走りを見て、どのような走りをしようと思っていましたか
1、2、3、4区と『競り、克つ』という最後をしっかり上げて終わる走りで気持ちがこもっているのを感じたので、僕も絶対気持ちでは負けないようにしようと強く思いました。
――鈴木洋平選手(スポ4=愛媛・新居浜西)からタスキを受け取ったときのお気持ちは
洋平さん(鈴木、スポ4=愛媛・新居浜西)からタスキを受け取ったときは、青学大と1分30秒という差で、もう追いつくしかなかったのでやってやるぞという気持ちで走り始めました。
――何か声をかけたり、かけられたりということはありましたか
結構声をかけてもらったんですけど、あんまり覚えていなくて(笑)。でも「いけー!」と言ってもらったかなと思います。
――先ほどもお話がありましたが、青学大と1分29秒差というのはどう思われましたか
(箱根前に)何度も言っていたように、何分差でも絶対追いつこうと思っていたので1分30秒というのは射程圏内で、追いつけるな、絶対追いついて抜かそうという気持ちでいました。
――箱根直後のコメントで「序盤足が動かなかった」とありましたが、実際はどのような状態だったのでしょうか
アップもすごく動いていたんですけど、いざ走り始めてみたら全然足が動かなくて。僕自身でも原因があまりわからないのですが本当に全然動かなくて、前ももがつりそうな感じがありました。自分の中でも焦りがすごくありました。
――気温の影響などもあったのでしょうか
気温が高くてウォーミングアップのときにすごく汗が出たので、アップの量を少し減らしました。それがいけなかったのかな、というのは少しあります。
――緊張はされていましたか
今回はそこまで緊張しませんでした。(箱根は)3度目で、練習もしっかりできていたのでどしっと構えてじゃないですけど、緊張というのはあまりなかったです。
――一時青学大と2分ほど差が開きました。その状況は把握されていましたか
そうですね。沿道でワセダのサポートをしてくれているメンバーがボードを出してくれていましたし、一般のお客さんも1分59とか2分とか言ってくれていたのですごく助かりました。
――2分ほどに差が開いたときはどのような心境でしたか
本当に足が動いていない中で、2分というのを聞いたときは正直若干諦めかけたというか。実力的には追いつかないといけないのに、自分が全然良い走りができていないというのを感じてしまって、正直若干諦めかけていた部分はありました。
――後方からは一時東洋大も迫ってきていました
東洋大の酒井(俊幸)監督が「前全然動いていないから、追いついて抜かすぞ」と言っていたのが聞こえました。僕的には追いついてくれた方が一緒に上れてリズムを取り戻せるかなと思っていたので、「追いついてくれー」と思っていたのですが結局追いつかれませんでした。
――では東洋大との差を広げた場面は意識的に、という訳ではなかったのでしょうか
そうですね。向こうのペースが落ちたのだと思います。
――レース中、監督車からはどういった指示がありましたか
前半全然動いてなかったのを、監督は抑えていると思ったのかもしれないんですけど、「最初お前抑えたんだから後半絶対上げていけよ」というようなことを言われて「うわ、まじかー」と思いました(笑)。
――監督車からの指示はよく聞こえるものですか
いや、実はあまり聞こえません。声をかけられる場所も決まっていますし、5区は本当に沿道が近いので。聞こえたり聞こえなかったりという感じですね。
――沿道からの声援はいかがでしたか
昨年もそうだったんですけど、ことしも本当に沿道からの声援に助けられました。2分差がついたときどうしようっていう気持ちでいっぱいだったんですけど、地元の友だちが来てくれていたり、早大のファンの中には「絶対あきらめるな」とか「何やってるんだよ、青学大潰すんじゃないのか」とか結構厳しいことを言ってくださる方もいて、そういう声が自分を奮い立たせてくれました。自分は何をやってるんだろう、まだ勝負は終わっていない、という気持ちになれてそれが後半の走りにもつながったと思います。
――どのあたりから体が動き始めた感覚がありましたか
宮ノ下の手前くらいからリズムを取り戻せました。本当に余裕がなかったんですけど、その辺りで家族の声援と友だちがいるのがわかって。応援してくれている人が来ているんだなと思って、沿道を気にして見るようにしたら余裕が出てきました。そこまでずっとマイナス思考で来ていたのですが、その辺りから楽しんで上ろうというプラスの気持ちが出てきましたね。やっぱり家族を見て余裕が出てきたのが一番大きかったかなと思います。
――最終的には33秒差の2位でゴールしました。ゴール時はどのようなお気持ちでしたか
最後の直線に入って前の青学大の車が見えたときに、「うわぁ、追いつけたな」と。本当に悔しい気持ちでしたね。
――区間4位という順位と記録についてはどのように思われていますか
正直本当にダメダメです。記録もあと1分半とか2分くらい速いものを想定していたので記録に関しては全然満足はしていないんですけど、前半本当に動かなくてどうしようっていう走りがあった中での区間4位というのは良かったと思います。走っているときは中継車もいなくて、前に白バイが1台いるくらいで、本当に孤独で寂しくて。そういった意味ではしっかり1人で走れたことは良かったのかなとは思いますが、やっぱり満足はしていないです。
――ゴール後にはチームメートや監督からどういった言葉をかけられましたか
ゴールしてすぐに凜太郎さん(武田、スポ4=東京・早実)と永山(博基、スポ2=鹿児島実)が来てくれたのですが、2人は「ありがとう。まだ復路があるから全力で応援しようぜ」といったことを言ってくれました。監督も第一声は「最初お前どうした」という言葉だったのですが、「最終的に前を追える位置で終えてくれたのは本当にありがとう」と言ってくれて。いろいろな方から感謝の言葉を言っていただきました。
――事前取材ではことしは楽しんで上りたいとおっしゃっていました。楽しむことはできましたか
本当に最初はどうなるかと思って楽しむことを忘れていたんですけど、さっきも言ったように宮ノ下のあたりで余裕が出てきてから「あ、そうだ」という感じで思い出しました。足も動いてきましたし、前との差も詰まってきていたので。楽しかった…うーんまあ楽しかったっちゃ楽しかったです(笑)。
――5区経験者ということで、ことしは安井選手の注目度も高かったと思いますが、実感はありましたか
中継所の待機場所で僕の隣に大東大がいたんですけど、大東大が親子鷹ということでテレビカメラがたくさんいて、ちょっと逆に寂しかったですね(笑)。テレビも上田健太くん(山梨学院大)とかそっちに行っちゃっていたのでもう少し注目してほしかったです(笑)。
――往路を終えて、チームではどのようなことを話し合いましたか
5区で終わりじゃないので、明日は仲間を信じて全力で応援しようと。僕たちにできることはサポート、応援だけなのできょうの結果はとりあえず忘れて全力で応援しようという話をしました。
――箱根が終わるまで大好きなメロンパンは我慢している、とおっしゃっていましたが終わってからは食べましたか
食べました!いろいろな方からたくさんもらって、飽きてきてしまうくらいいっぱい食べました(笑)。
「価値ある3位、次なる3位」
――復路はどのように展望されていましたか
33秒という差だったのでまだ追いつけますし、復路のメンバーは本当に練習がしっかりできていたので、6区と7区でどこまで青学大と差を広げられないか、逆に追いつけるかというのが課題だったと思います。(実際のレースでは)井戸さん(浩貴、商4=兵庫・竜野)は本当に強かったのですが、3年生以下の力不足をすごく感じるものになりました。
――復路の1日はどのように過ごしていましたか
朝は康幸(石田、商3=静岡・浜松日体)の付き添いをして送り出してから、太田(智樹、スポ1=静岡・浜松日体)、光延(誠、スポ3=佐賀・鳥栖工)のところに行ってゴールという感じですね。
――同期のお2人のレースはどのようにご覧になりましたか
康幸は初大学駅伝で、箱根という大舞台も初めてだったので、今回は区間賞とかいうよりもどれだけ青学大と差を広げられないか、というのがポイントだったと思います。でも本番はやっぱり何が起こるかわからなくて、マメがすごく痛くなってしまったりして本来の力を出し切れなかった部分は経験の差かなと。光延は復路のエース区間を任されて、区間3番以内で走らなければならないところを区間7番、また東洋大に抜かされてついていけなかったという点に関しては少し力が足りなかったかなと思います。2人とも来年に向けて課題が残ったと思います。
――総合3位という結果についてはどのように思われていますか
近年3位以内に入れていなかったので、3位はすごく良い結果だったとは思いますが、やっぱり僕たちのチームは優勝を目指していたので本気で喜べるかと言われたら喜べないですし、すぐ後ろに順大も来ていてギリギリ3位という感じだったので。悔しいんですけど、3位というのは本当に久しぶりに取れた順位なので価値ある3位ですし、僕たちはまだ来年もあるのでじゃあ次はどうするか、ということを考えられるという点に関しては次なる3位なので、価値ある3位、次なる3位であったと思います。
――フィニッシュ地点ではみなさんが笑顔で待っていたのが印象的でした。あのときはどのような気持ちでしたか
最後は「何とか3位でゴールしてくれー!」っていう気持ちがすごく強かったです(笑)。あとは4年生の先輩方が本当にやりきった笑顔をしていたので、そのときは本当に悔しさはなくて。何ていう言葉で表せばいいかわからないんですけど、来年はどうしていけばいいのかなとかいろいろなことを考えながらゴールを待っていました。
――2日間の箱根を終えて、何かチームで話し合ったことはありましたか
3日の夜に僕ら3年生の代で集まって、これだけ強い4年生がいて、みんなで絶対勝とうと話し合っていたのに勝てなかった、また強い4年生が抜けて正直かなり戦力ダウンするので来年どうするのかもう一度真剣に考えないといけないね、という話し合いをしました。今回4年生の皆さんが区間3位以内で走っているのに、じゃあ3年生以下はどうだったかというと区間2ケタだったり順位が良くないメンバーが多かったので。3年生以下に関しては危機感を持たなければいけない大会だったかなと思います。
――4年生に対してはどのような思いがありますか
この1年間平さん(和真駅伝主将、スポ4=愛知・豊川工)を筆頭に大きくチームを改革してくれました。僕らをガンガン引っ張ってくれて、本当にずっとお世話になってきましたし。何て言えばいいんだろう…いろいろ言いたいことはあるんですけど(笑)、偉大な4年生だったので本当に感謝の言葉しか出ません。逆に僕らが頼りすぎて、4年生ばっかりに負担をかけてしまったのは反省点かなと思いますが、それくらい頼りになる4年生方でした。
――箱根を2日間応援してくれたファンの方々には何と言いたいですか
早大の勝ちを信じてずっと応援してくれて本当にありがとうございました。箱根で何が1番力になるかというと、沿道での声援だったりテレビで見てくれていたりだとか、そういった一つ一つの応援なので。ありがとうございました、という言葉しかないですね。
――気が早い質問になってしまいますが、現時点で来年も5区を希望する気持ちはありますか
そうですね、今回ギリギリで勝ちを逃してしまったという点に関してはもちろん山を上りたいという気持ちもあります。でもチームの主将にもなるわけですし、僕自身1区や2区のような主要区間を走りたいという気持ちを持って早大に入ってきたので、2区を走れるくらいの力をつけて、それで僕が5区に回れるくらいのチームになればいいかなと思います。
「楽しみつつ、苦しんで、もがいていきたい」
ラストイヤーは主将として、箱根総合優勝を目指す
――続いて新体制に向けてのお話を伺います。4年生が抜けて、新体制が始まりましたがいかがですか
まだ僕の中でこの1月中は今シーズンどう戦っていくかというのを悩む時期だと思っているので、いまはまだいろいろ話し合ってどうやってチームをまとめていこうか、どういう目標を持ってやっていこうかというのを考えている最中ですね。
――寮の部屋割りは変わりましたか
はい。平さんが抜けて僕が1人部屋に昇格しました(笑)。
――こんな主将になりたい、というイメージは何かありますか
僕がいままで見てきた平さん、高田さん(康暉、平28スポ卒=現住友電工)、修平さん(山本、平27スポ卒=現トヨタ自動車)はすごくリーダー感がある先輩方だったんですけど、僕はどちらかというとそういうタイプではないので、どんどんチームを上から引っ張っていくというよりは、チームの中にいてチーム全体を押し上げていくというか。ことしはB、Cチームの選手もしっかり底上げして強くなって、全員で戦っていかないと勝負にならないので、僕も積極的に下の方から押し上げていってチームをまとめていけるリーダーになろうかなと思っています。みんなを信じて、引っ張っていくというよりは包んで持ち上げていくというイメージでやっていこうかなと。
――平駅伝主将から何かアドバイスなどはありましたか
箱根が終わって話したときに、勝とう勝とうと言っていてもなかなか勝てるものじゃない、勝つのはそんなに簡単なことじゃないということと、キャプテンだからと言って背負いすぎない方がいい、自分を大事にしてほしいということを言ってもらいました。
――どんなチームを作っていきたいと考えていますか
昨年個人が強くなろうというスタンスでやってきて、結果的に駅伝や関カレ(関東学生対校選手権)、全カレ(日本学生対校選手権)で戦えたということもあるので、まずは個人でしっかり強くならないとチームの向上にもつながらないと思いました。なのでまずはトラックシーズンは個人でしっかり記録を出してほしいというのがあります。(最終的な)目的は駅伝で勝つことになってくると思うので、全員がそれに向かって、一つの方向を向いて練習に取り組んでいけるチームにはしたいと思っています。
――次は唐津10マイルロードレースに出場されるということですが、何か目標はありますか
どちらかというとユニバーシアードの選考にも関わってくる立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)がすごく大事な試合でそっちに重点を置いているので、唐津10マイルでは大きな目標を持ってというよりもレース感覚を養うというか。でも平さんをはじめ、強い選手も出ますし、自分がどこまでいけるかというのを知るために積極的に攻めていきたいとは思っています。
――それでは最後にこの1年間の目標と、ラストイヤーへの意気込みを教えてください
先日のミーティングで僕から話すことがあったのですが、長距離の目標としては箱根駅伝総合優勝を掲げました。それに向けて僕の中では関カレと全カレでしっかり勝負していきたいと思っています。まだ目標タイムなどは考えていませんが、関カレ、全カレの1万メートルで絶対に上位入賞するというのがいまのところの目標です。ラストイヤーについては毎年4年生は言っていると思いますが、やっぱり最後だからこそこの1年間悔いは残したくないですし、ずっと一緒にやってきた仲間たちと陸上を楽しんでいきたいと思っています。でも走ることを楽しんでいるだけではその先の喜びや感動を手にはできないので、苦しいときも、悩むこともたくさんあると思いますが最終的に得られる喜びや感動を手にするために、この1年間楽しみつつ、苦しんで、もがいていきたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 太田萌枝)
◆安井雄一(やすい・ゆういち)
1995年(平7)5月19日生まれのО型。身長170センチ、体重57キロ。千葉・市船橋高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分09秒39。1万メートル29分07秒01。ハーフマラソン1時間2分55秒。2015年箱根駅伝8区1時間6分05秒(区間7位)。2016年箱根駅伝5区1時間21分16秒(区間5位)。2017年箱根駅伝5区1時間14分07秒(区間4位)。